第2話 がーる・みーつ・なまこ
わたくしはアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。親しい人はわたくしをアレクサと呼びますわ。お見知りおきを。
父は国王陛下よりアイルランド辺境伯の地位を賜っておりますので、わたくしは伯爵令嬢ということになりますの。ポートラッシュ家の長女で継承権一位ですから、これでもわたくし、未来の辺境伯なのですのよ。
女性なのに爵位を継げる訳ないですって?
王国法では確かにその通りですわ。ただし、辺境では古来より女性が爵位を継いでいた実績があるとの事で……、まあ父がごねて王に認めさせたんですの。
さて、伯爵令嬢と言っても辺境ですし、幼いころは令嬢といっても野山を駆けずり回っていたのですが、人より随分と大きい魔力を有していると言われておりました。
そこでサウスフォード全寮制魔術学校に通うこととなりましたの。親元を離れて魔術師への道を歩んでおりますわ。
そして今日は四年次前期期末試験の最終日。魔術師としての大きな一歩を踏み出すこととなる、使い魔との契約が行われていますの。
そう、使い魔!
ポートラッシュ家は辺境伯という通り、王国の中心から最も遠く、海を隔て、そして自然に囲まれた場所にあります。魔界と接してるのがちょっと難点ですが、いいところですのよ。
わたくしも、幼いころよりたくさんの動物と触れ合って育ちました。騎乗用の馬、猟犬、家畜の牛、隣のコボルドの集落、火山のドラゴン……。
魔術学校も自然に囲まれてはいるのですが、辺境と比べるとお庭のようなものですもの。寮でもペットは飼えませんしね。それなのに小型使い魔は寮内に連れていても良いので、先輩たちが使い魔を連れているのを見ると、羨ましくて仕方ありませんでしたわ。だから今日の使い魔の召喚は本当に楽しみにしていましたのよ。
教科書も擦り切れるほど読んで、魔力、体調ともにこの日に向けてコンディションを整えてまいりました。もちろん、他の試験だって手抜きはしておりませんけど。
「……我が傍らにあらんとするもの。我が声、我が魔力に従いて、遍く地平の彼方より疾く来たれ!」
渾身の魔力集積を行っての召喚詠唱が終わりました。放出されたわたくしの魔力が世界を染め上げ、どっと疲労が押し寄せます。
ここまで魔力を使ったのは久しぶりですの……。特に一つの魔術にこれだけの魔力量を込めたのは初めての経験です。もう冬だというのに額は汗でぬれ、軽い立ち眩みで足元がふらつきます。
さあ、魔法円の中央に現れたものは……!
この30cmほどの黒い棒状のものはなんですの……。
いや、もちろん存じておりますとも。あれですわよね、ほら。えーっと、海に行くとたまにいっぱいいたり、うっかり踏んでしまって驚くあれですわ。
そう、Sea Cucumber、海にキュウリでなまこですの。
わたくしが言いたいのは、なぜここになまこがいるかということでして……。わたくしが召喚の術式を失敗したとは思いませんし、込めた魔力量から考えて、よもやなまこが出てくるはずは……、そうですわ!あの魔力量での召喚でなまこだろうと哺乳類だろうと、一般的な動物が出てくるはずないですの。
実際のところ、召喚の際に込められた魔力量に応じて召喚されるものの格は決まる傾向にありますわ。魔力量が少なければ開くゲートが小さいため、巨大な生物は通ることができませんし、高位精霊などの興味も惹きづらいと言われています。逆に魔力量が多いほど、一般の動物や下位の精霊はそれを恐れて逃げ出す傾向が強いと言われてますの。
実際、わたくしが寄るだけで、小動物達は逃げ出しますものね。くすん。
したがって、何がやってくるかはともかくとしても、大きな魔力量を込めた召喚魔法では強大な魔獣や高位の霊格を持つ存在しか呼び出されませんの。
つまりなまこは高位存在!
……いやいや、ありえませんわ。アレクサ、あなた疲れてるのよ。
おそらく、わたくしの気づかないどこかで詠唱の呪文を間違えていたか、いわゆる星のめぐりあわせが悪いというものなのでしょう。少し肩を落としてしまいます。
……さて、どういたしましょうか。もちろん、動物の使い魔というものもありですわ。
生徒たちの中ではやはり、見た目にも派手であり、力や魔力の強い魔獣や精霊を使い魔に望む傾向は強いですわ。
しかし、えてしてそういったものたちは自我が強くて従順さに欠けていたり、飼育に特別な環境や餌を必要とするといった欠点もありますの。
確かに動物の使い魔はそれらより戦力や特殊能力といった面では劣りますわ。でも、手軽さというのも本来、大きなメリットですの。
『熟練の召喚術師や調教術師というものは、強大な魔獣とは別に、小型の魔獣や動物といったものを効果的に使えるものだ』
とは授業でも習うことですしね。
とは言え、さすがになまこを使い魔とするのは……。
これがフクロウや鷹などの鳥でしたら、手紙などを届ける伝令や、〈知覚共有〉の術式を使うことで高空からの偵察に使うこともできますし、ネズミやトカゲなどの小動物であれば、狭い隙間から潜入できる密偵に使うこともできるのですが。
ですが、なまこ……。目とかついてませんものね。知覚能力も移動能力もほとんどなさそうですものねぇ。
こちらの呼び出したなまこさんには申し訳ありませんが、〈送還〉させていただいて、追試を受けるべきでしょうか?
などと、わたくしが首を傾げながら物思いに耽っていると、先ほどまで魔法円の中心にいたなまこさんが、10cmほどでしょうか。わずかながらわたくしのもとへとにじり寄っているようでした。
わたくしはスカートの裾を整えると屈み込み、呼びかけました。
「ひょっとして、なまこさん。あなたはわたくしとの契約を望んでいただけているのでしょうか?」
召喚されたものが友好的か敵対的かをみる一つの目安として、敵意を示さずゆっくりと近づいてくる場合は友好的であり、使い魔になることに自発的に同意してくれることが多い。というものがあります。
それ故の言葉なのですが、この数分間で10cmという移動速度が、なまこさんにとっての全速力なのか、ゆっくりとした移動なのかは自信がありませんけど。
そうわたくしが問いかけると、〈精神感応〉の術式を受けたかのように脳内に思念が流れ込んできたのです!
『はーーーーーじーーーーーめーーーーーまーーーーーしーーーーーてーーーーー』
(注:長音記号1つにつき1秒ほどの時間がかかります)
……えっと。
『にーーーーーんーーーーーげーーーーーんーーーーーのーーーーー』
思念が、
『おーーーーーじょーーーーーうーーーーーさーーーーーんーーーーー』
……すごく、遅いです。
『わーーーーーたーーーーーしーーーーーはーーーーーなーーーーーもーーーーーなーーーーーきーーーーー』
……どうしたものですのーーー。
『なーーーーーまーーーーーこーーーーーなーーーーーのーーーーーでーーーーーすーーーーーがーーーーー』
はっ、わたくしの思考まで間延びしていましたわ。
『おーーーーーんーーーーーみーーーーーのーーーーーもーーーーーとーーーーーめーーーーーにーーーーー』
えっと、……〈守護の魔法円〉解除ですわ。
『おーーーーーうーーーーーじーーーーーてーーーーー』
それと、〈超加速〉。
『馳せ参じました。どうか御身の傍に仕えさせていただきますよう、伏してお願い申し上げます』
ほっ。ちょうど良い速度になりましたの。
さて、なまこさんはそんな思念と共に、体を平べったく変形させました。……わたくしなまこの文化に詳しくないのですが、これが伏してお願いなのでしょうか。
「……面をお上げください、なまこさん」
自分で言ってなんですが、なまこにお顔はあるのでしょうか……。
ですが、目の前のなまこさんは体をきれいな円筒状に戻して、体の前半分を持ち上げてくださったので、意味は伝わってるのだと思いますわ。それと、相手の了承も得ずに〈超加速〉の術式をかけてしまいましたが、意思伝達ができたのでなによりということにいたしましょう。
……いやいや、大事なのはそこじゃないですの。
「えーっと……、ぶしつけな質問で恐縮なのですが、なまこって〈精神感応〉の術式が使えましたの?」
『いえ、普通は使えません。わたしは長く生きているので習得しておりますが』
な、なるほど。なまこは長生きすると〈精神感応〉が使えるようになると。アレクサまた1つ賢くなりましたわ。つまりこのなまこさんはただのSea Cucumberではなく、古代なまことか、上位なまこというべき存在でしたのね。
『さておき、先ほどは〈超加速〉をありがとうございます。海底にて変化のない日々を送っておりますと、どうしても忙しく生きる他の種族と思考速度が合いませんでな』
「こちらから呼び出しているんですもの。お安い御用ですわ」
ふふっ。
『どうされましたか?』
「いえ、失礼。わたくしも色々と今日の使い魔召喚の日を想像していましたが、よもやなまこを呼び出すとも、そのなまことお話することになるとも思っていませんでしたの。こんなことがおきると思うと可笑しくなってしまって」
『それは然り。なまこの歴史においても魔術師に召喚されたものは数えるほどしかおらず、なまこが使い魔として契約した例はございませんからな。それは想像できぬでしょう』
……驚きました。なまこにそのような歴史の概念があるのですね!
と、わたくしがそう思っていると、なまこさんは体を僅かに縮め、申し訳なさそうな思念を送ってきましたの。
『あなたの使い魔召喚に応じてしまいましたが、おそらくわたしはあなた方人間たちの求める使い魔とはまるで異なっているということ、理解しております。基本的に海の中でしか生きられない身であり、使い魔として扱いづらいかとも思います。ですが、こちらもできるだけのことはいたしますので、仮の契約でも構いません。あなたのお傍においてはいただけないでしょうか?』
わたくしはなまこさんの言葉にはっとしました。
わたくしは先ほど、なまこを使い魔にしても意味がないと思っておりましたの。
しかしお話しているうちに、もう使い魔にしたいと、さらに言えば、使い魔はこのなまこさんしかいないと考えていることに気づいたのですわ。
一般的にはもちろん、今なまこさんが言われた通りでしょう。
ですが、このなまこさんなら話は別です。彼――おそらく口調からして男性かと思いますが――の思考は明瞭かつ論理的です。
〈精神感応〉の呪文も使えますし、おそらくそれ以上の力を有しているような気配すら。
そして見た目も、確かに黒っぽくてぬめっとした棒のようなものです。あまり可愛いとか格好良いという外見からは外れているでしょうし、人によっては嫌悪感を覚えるかもしれませんの。ただ、こう話しているとどことなく愛嬌を感じます。
うん、いける。可愛い。……さすがに無理ですわ。悪くない。うん、そう。悪くないですの。
わたくしは大きく頷きました。
「ええ、なまこさん。わたくしはあなたとの契約を望みますわ。仮とは言わず、末永く共にあっていただきたいですの」
『……ありがたき幸せ』
わたくしは勢いよく立ち上がると、頭を振って顔にかかった巻き髪を振り払い、高らかに〈契約〉の詠唱を始めました。
「我、アレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュは、我が召喚の呼び声に応じ、彼方より馳せ参じたる彼のものを、我が使い魔として使役することを欲す」
わたくしの右手には二つの光球が形成されます。そして小声で詠唱に追加いたしました。
「というのは建前で、お友達として共にあってくれるとうれしいですの」
なまこさんがもたげていた体の前半分を、頷くように縦にゆっくりと振りました。
契約に同意が成されたのでしょう。光球の1つはわたくしの胸元に、もう1つはなまこさんの背中に飛んでいきました。契約紋が魂に刻まれたのです。
わたくしは魔術杖を制服のホルスターに吊るし、屈み込んでゆっくりと両手でなまこさんを持ち上げました。
なまこさんの体は両手からあふれんばかりで、思ったより海水を含み、ずっしりとしていました。
「ではこれからよろしくお願いしますね?それとわたくしの名前はアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュですの。アレクサと呼んでくださいな。なまこさんにも後で素敵な名前を考えましょうね」
『感謝します。アレクサ、我が主人よ』
わたくしはなまこさんを抱えて振り返りました。すると同級生の皆さんが唖然とした表情をこちらにむけております。
わたくしは首を傾げると、召喚術の先生であるリンツ先生の元へと歩みを進めました。
先生は口をぱくぱくとしたまま何も言いません。
「アレクサンドラ、使い魔の召喚と契約、滞りなく終了いたしましたわ」
と言って手にしたなまこさんを良く見えるようにリンツ先生の方に差し出すと、同級生の皆さんからはうめき声と悲鳴があがり、先生は目を白黒させて倒れてしまいましたの。
……お疲れだったのでしょうか?
その夜、なまこさんにはクロと名付けました。
なまこさんもとても喜んでくださいましたのよ。
なまこは漢字では海鼠。海のねずみ。
英語だと一般的にはSea Cucumber。海のキュウリ。正式にはHolothuroideaって言うよ。