第136話:くらいまっくす5・運命を断つ刃
怒れるゼウスが全身より放電。無数の雷が全方位に放たれますの。
彼の右手が虚空へと消えました。
さて、どちらを持ち出すか。ケラウノスかアダマスの鎌か……!
………………━━
3月、レオナルドの精神に潜った後。ゼウスと戦わねばならないとわかった後にクロと相談していたのです。
「ゼウスを怒らせ、武器を持ち出させる。有名なのは雷霆ケラウノスかアダマスの鎌、イージスの盾ですわね」
『神々との交わりの中で、彼の神がそれらの武器や防具を纏う姿は見ていますが、人間の神話には詳しくないのです。どのような話となっているのです?』
寮の部屋の中、金魚鉢の中のクロが尋ねました。
わたくしは学校の図書室で借りてきた西暦時代の神話の本を読みながら答えます。
「ケラウノスがゼウスの最大の武器。その形状は不明ですが、威力はオリュンポスでも最強。ゼウスが振るうことで世界を一撃で熔解させ、全宇宙を焼き尽くす」
そんなの勝てませんわよね!
頭上でアホ毛がぷるぷると震えますの。
『アレクサ、冷静に考えてゼウスがその一撃で全宇宙を焼き尽くせると思いますか?』
「神々の王、最高神とは言え、さすがにないのでは……」
『そう、権能を超え過ぎている。天空の古代神がそこまでの力を得ることはありえない。無論、古代の人々がそれだけの想いを込めた権能ですから、生半可な一撃ではないにしてもね』
ふむ、まあ道理ですわね。
『ブリテン島くらいは消滅するかも』
「大惨事ですわねぇ!」
クロは続きを促しました。
「……イージスの盾とアダマスの鎌は所有者がよくわからないのですが……盾はゼウスがアテナに与えたのですかね。
アダマスの鎌は、最初クロノスが持っていて、彼が……!」
『どうしました?』
「クロノスがウラヌスのち、ち……男性器を切り落とした鎌で、それをゼウスが、ヘルメス、ペルセウスと継承されていますわね。ハルペーとも呼ばれるようですの」
ふむ。とクロは水槽の中でしばし蠢いて考えます。
『神器であれば最後の継承者が死んでいる場合は上位の神が回収している場合もありますし、神力によりその複製を作っている場合もありえますね。
ゼウスが所有していると思うべきでしょうが、彼を怒らせるということであれば、鎧や盾はあまり考えなくて良いかと』
「アダマスの鎌は万物を切り刻む魔法の刃、ゼウスが怪物テュポーンと戦った際にも携えていたようですの」
『問題はそれですかね。人類では対応できない武器でしょう……』
………………━━
虚空から手が引き抜かれ、その手の先には木の柄、光を反射して虹色に煌めく刃、それは歪んで三日月のような形に。
アダマスの鎌ですわね!
アダマスとは不壊の物質を示す言葉、本来の意味は鋼鉄、後に金剛石!
ゼウスが片手で持つ大きさの鎌ですが、もちろん、彼の武器ですからね。わたくしから見れば巨大もいいところですの。
「……〈物質招来〉」
クロを手元に呼び出します。
『ゼウスを怒らせることに成功しましたか』
「ええ、ですがハズレですわね」
『なるほど、鎌の方ですね』
豪雨が収まります。わたくしは濡れた顔を拭い、ゼウスを睨みました。
ゼウスの顔には憤怒、そして僅かな憐憫。
「この刃を抜かせた以上、お主の死は揺るがぬぞ……」
「無策でこの場に臨んでいるとでも?」
「人類如きの策が通用するとでも?」
「試してみるがいいですの」
わたくしは手を天に掲げて叫びます。
「創作術式〈ピンボールの魔女〉」
5本の光が2度放出され、水盆の周囲に10の光柱を生み出しました。
ゼウスがその右手の鎌を振り上げます。
「運命を断て、ハルペー」
その言葉を聞くやいなや、わたくしの全身が動かなくなりました。……これほどですか!
クロが思念を放ちます。
『我、クロは“水底の守護者”なり。字に含まれる底という言葉もまた我が権能の及ぶ範囲。アレクサンドラよ、汝が運勢は底である。〔運命改竄〕』
「滅せよ」
死の刃が振り下ろされ、クロの力がわたくしを覆いますの。
身体が動く!
わたくしは横に回避しようとして……転びました。
なんで靴紐が解けていてそれを踏みますのよ!
ごろごろと転がって回避。
わたくしの身体の真横を輝く刃が通過し、海の地面を真っ二つにするかの如く切り裂きます。
「ぬぅ……?」
ゼウスは疑問を顔に浮かべますが、再び鎌を振り下ろしました。
なぜか紐が足に絡まり立ち上がれていないわたくしに刃が迫ります。
しかしその時身体が一方向に引っ張られました。
「あたっ、がぼぼぼぼ」
(ごめんー)
髪が伸びて先ほど術式で作った柱に絡みつき、わたくしの身体を引っ張ったのです。首から全身を持っていかれた上に、海の地面に引きずられるように。
しょっぱい。
「げほっ、いえいえ。死ななければ問題ありませんのよ」
わたくしの足元を再度空振りすることとなったゼウスが不思議なものを見るような目でこちらを見つめますの。
「風の檻よ」
(ぐえー)
風圧がわたくしの身体を押さえつけ、身動きが再度取れなくなりますの。
そこに三度振られる刃!
「〈揺らし〉」
わたくしは身体を一瞬世界の理の外側に置き回避。身体を刃が通り過ぎます。
その一瞬、風の影響を逃れたので再び髪が身体を引っ張り、柱の元へ。
鎌がこちらへとまた振られ……。
「〈蹴り出し〉」
わたくしの身体が勢い良く射出されますの。
あぐっ、髪が首に絡まって締まる……!
(ごめんなさいー)
「……アレクサンドラよ。なぜ生きている?ハルペーの刃を人間が避けられるとは信じられんな」
その後、幾度も振られた死の鎌を避け、時にゼウスの身体を殴り、わたくしは立っています。
動くたびにわたくしを不運が襲い、靴は半脱げ、首元には締められた痕が残り、胸のボタンが吹き飛んだりしていますが、それでも致命的な一撃は全て避けましたの。
「神話においてアダマスの鎌の刃は絶対的な破壊・あるいは死であると書かれていますの。……そしてクロはその刃は回避できぬと教えてくれました」
「その通りだ。だがお主は幾度も避けて見せた」
わたくしとゼウスはクロに視線をやります。
『ふむ。人間のイメージの中で鎌とは刈り取るもの、それは命を刈り取るに繋がり、死神の振るうものです。そして死とは人の身では逃れ得ぬもの。
ゼウスよ。あなたの言葉、運命を断てですよ。既に鎌を振る前から人の運命を失わせ、そして実際の鎌の刃が命を断つ。故に人の身では決してその刃を避けられない。なぜならもう回避できる運命が存在しないから』
「然り」
『ところでわたしの称号に“水底の守護者”というものがあってね。底という概念に近しい神なのです。つまり運命を底にすることができる』
「は、はははは!」
ゼウスが笑います。
「かように小さき神が運命の底を担っているだと!
我がアレクサンドラの運命を失わせた後に、底を与えたというのか!」
『うむ。先ほどより彼女を不幸が襲い続けているが、それは運命が無くなっている訳ではない。運が底であるということです。
それにアレクサンドラの髪には別の魂が宿っています。彼女が救われ続けているのはその助けがあるからですな』
アホ毛がふりふりとゼウスに振られます。
「ではその運命を断てば避けられまいな?」
ゼウスがアダマスの刃をわたくしに向けましたが、髪はぴこぴこと元気に動いています。
『無駄ですね。あれに宿しは死者の霊魂であり、しかも群体だ。命を刈れますまい』
「ゼウス」
わたくしは声を放ちます。運が底ですので、一言喋るだけで目や口に塵が飛んできて咽せますの。
「わたくしは一人でここに立つに有らず。わたくしの隣にはクロという神が、スティングと名付けた魂が、愛するレオナルドが。
そしてわたくしの人生における全ての関わりがわたくしを鍛え、今この場に立たせていますのよ。たかが鎌一本で運命を断てるなどと思わぬことですわね」
ふー、とゼウスがため息をつきました。風がわたくしの身体を揺らします。
「そうか、そうまでして雷霆を抜かせたいというのか」
ゼウスはアダマスの鎌を掻き消しました。
そして高まる魔力!
「ええ、ゼウスよ。わたくしが求めるのはあなたの全力。
ケラウノスを、あなたの最強を以ってわたくしに当たりなさいな。わたくしはそれを破ることで、我が誓いを示しますの」




