第134話:くらいまっくす3・天を焼くもの
「では今度はこちらから行きますのよ」
わたくしは普段封じている水の魔力にアクセス。魔力を全身に巡らせましたの。漏出した魔力が物理的な影響力を持ち、わたくしの身体を蒼く輝かせ、水面に無数の波紋を生みます。
「クロ」
『“泳がぬ海の王”たる我、クロはここに宣言する。彼女、アレクサンドラこそ我が主にして我が巫女、“地上にありし深淵の姫”なり。――[権能貸与]』
「……[神域展開]」
魔力の漏出が止まりました。波紋は収まり、水面が鏡のような輝きを見せます。
ゼウスが感嘆の声を出しました。
「ほう。神威を纏うか。古代神の神格に人類としては最上位の魔力。そこらの神や魔であれば充分倒せる力があろうな」
ふん。まあ試してみますか。
わたくしは足場となっている水面に魔力を流します。水面が盛り上がったかと思うと、巨大な水の触手が発生。それは天へと伸びる螺旋の坂となりました。
わたくしはひとつ深呼吸。
「Go Ahead! Kill’em All!」
叫ぶと同時にわたくしは坂を駆け上がります。天のゼウスに向かって。
――駆ける。
一瞬で最速に達したわたくしの身体。
さて、とばして行きますのよ!
「ふんっ!」
轟音と閃光。再び落雷ですの。
わたくしの足場である海水の触手が無数に枝分かれし、落雷を受け止めていきます。
――駆ける。
強烈な向かい風が轟々と耳鳴りをおこしますが、〈空気抵抗低減〉の術式により風で押し止められることはなく、風を切り裂くように前へ。
「これはどうだ」
天候が俄に急変。温度が急降下、視界が白く染まります。
「[雹の嵐]」
「〈たてろーる〉!」
(いえすまむ!)
髪を五角形の板状に。左手でそれを盾として構え突進。
ばちばちと盾に衝撃。わたくしの拳大ほどもある雹が無数に降り注ぎます。
――駆ける!
礫を受けつつも、雹を降らせる雲を突き抜けてゼウスを正面に。
わたくしは右手を振りかぶり、神に一撃加えんと……!
ですが神の手前、見えない何かに身体が押し止められます。柔らかく、ですが極めて圧力の強い……。
「……〈空気の壁〉!?」
「ふん、我の纏う風を抜けぬか」
ゼウスの拳が振り下ろされ、わたくしは後方に跳躍して回避。足元の水の触手が破壊されます。
枝分かれした別の触手の1本に着地しようとした刹那、突風がわたくしの身体を浮かび上がらせました。
「んっ……!」
空中で身動きが取れない……!
わたくしより巨大なゼウスの拳が迫ります。
「〈短距離瞬間転移〉!」
わたくしは拳をすり抜けて内へ。〈解呪〉を乗せた突きを放ちました。
「そりゃ悪手じゃな」
ゼウスが幾重にも身の回りに纏った大気の鎧。その一層が剥がれました。
しかしそれは圧縮された空気が解放されるという意味で……。
衝撃。
わたくしの目の前で大気が爆発し、吹き飛ばされました。
背後で水の触手が膨れ上がり、そこに着水。水中に潜って勢いを殺し、……マズい!急いで触手から外に出ます。
出た直後にそこに落雷が殺到。
わたくしは落雷や竜巻を回避しつつ距離をとらされ、最初の水面へと戻されます。
「爆発反応装甲ですのー……?」
しかも多層。
ううむ、流石に手強いですの。ゼウスの放つ風の刃を避けつつ、次の一手を考えます。
……………………━━
ダンネット・ヘッドの岩の上。遥か頭上で戦うアレクサとゼウスを見ている。
わたしの隣にいるレオナルド殿は、海を隔てて見えづらいであろうに、目を凝らして見上げる。
ううむ、まだ攻撃は届いていないか。
アレクサも大きな被弾はしていないが……。
「クロ殿」
『レオナルド殿、どうなされた』
レオナルド殿がこちらに向き直り、真剣な表情で声をかける。
「彼女に、……アレクサンドラに力を貸したい」
『……その身体でですか』
わたしは彼の体内を見る。彼はアレクサの前で気丈に振る舞っているが、その内臓は、魔力回路はぼろぼろである。
無論、安静にしていればいずれ治るものではあるが……。
「無理をすべき時はあります。それは6年前のあの日であり、今なのです。
それに、彼女やあなたの水の力では、彼の神を覆う分厚い大気の壁とは相性が悪いでしょう」
アレクサは元々、魔力制御が出来ていなかったせいで射撃魔術に対して今でも苦手意識が強い。
近寄らねば攻撃出来ないとなると確かに相性は悪いだろう。
わたしも水神ではなく海棲動物の神だからな。本来、空中高くに権能は及ばない。
『レオナルド殿。あなたの言に理はある。ですがわたしはあなたの無事を我が主アレクサより言いつかっているのです』
「ですが!」
『故に!一撃です。それ以上は認められません。それで良ければせめてあと1分待ちなさい。僅かでも体力と魔力を回復させねば』
レオナルド殿はなまこの身体に向けて跪拝した。
そしてすぐに座り、精神を鎮め、魔力を練り始める。
わたしもこの海の結界の中、レオナルド殿にかけ続けている治癒の力の出力を上げる。
『何か欲しいものは?』
「剣を……竜の剣をここに」
テヅルモヅルの神がその触手を幾本も伸ばし、剣をこちらへと引き寄せた。
竜の素材により造られた巨大な剣をレオナルド殿は抱きかかえる。
「ありがとうございます。
ザナッドの鱗と角、そして数多の竜の鱗や爪を鍛え上げて造られた剣よ。分かるかい。レオナルドだ。はは、随分と痩せてしまったけどね」
レオナルド殿が剣へと語りかける。
「そうだな、今のわたしでは君を持ち上げるのに精一杯だろう。到底素早く振るなどと言うことはできない。……君の持ち主としては相応しくないかもしれないね」
レオナルド殿の声に反応して、赤黒い剣が鈍く光る。魂持つ剣。竜たちの残留意識であろうか。
わたしは〈精神感応〉を剣とレオナルド殿の間に繋いだ。声が発せられるかはわからぬが、意志ぐらいは伝わるのではないかと。
レオナルド殿は天を指さす。
「見えるか」
わたしは彼らを覆う水を退かせ、天蓋となっている海に穴を開けてリング状とした。
指先には空の道を駆けてゼウスの攻撃を回避しつつ、攻めあぐねるアレクサの姿。
「ブライアン様の娘にして、君たちの友、アレクサンドラが戦っているのを。彼女が強大なる敵に挑む姿を」
剣がかたかたと揺れる。
「わたしが君の力を扱うことを認めてくれるなら……一度で良い、力を貸してくれ。我が愛する者のために、君の友のために」
少しの間の後、レオナルド殿が僅かに赤面した。
「そうだな、番か。そうありたいものだ。わかった。では、わたしと彼女が将来作る群れのために力を貸してくれ」
彼がこちらをうかがう。わたしは鷹揚に頷いた。
『言いたいことはわかるさ。全力でやりたまえ。些事や撃った後のことは万事引き受けよう』
わたしは〈念動〉で剣を支える。
軽量化した剣を持ち上げたレオナルド殿は剣に向けて呟いた。
「君の銘は?」
レオナルド殿はしばし黙考する。
「わたしで良いのか……そうだな。では君に名を与えよう。
汝、天を焼き尽くす刃となれ――You’ll be the blade that BLAZE the HEAVEN」
彼は天のゼウスを見つめて叫んだ。
「――〈命名〉!汝が名は“天を焼くもの”!」
レオナルド殿が風の魔力を束ね、“天を焼くもの”と名付けられた竜の剣がそれに呼応する。
ベルファストでの戦い以来、剣がその身に蓄えてきた炎の魔力がレオナルド殿の風に後押しされる形で噴出。剣身が紅に染まる。
彼は両手で握り締めた大剣を腰撓めに背中へと回し、集中。
「高らかに謳え、ヘヴンブレイザー。…………シイッ!」
呼気と共に鋭く天へと振り上げる。
剣は耳には聞こえぬ歓喜の叫びをあげ、紅蓮の閃光を放った。




