第133話:くらいまっくす2・海の加護
「ではクロ、よろしくお願いいたします」
『承知しました。我、クロは“泳がぬ海の王”なり。王という字を以って権能を行使する。〔王は城にあり〕。
さあ、レオナルド殿座って休まれよ』
クロがレオナルドと共に海の結界の中へと入りました。
わたくしは海により隔てられたレオナルドと頷き合うと、振り返って天を見上げます。
「おまたせしましたの」
「いや、構わぬ。覚悟はできたか?」
「決意と覚悟なら半年前に済ませましたのよ。あなたを倒すという」
「ふん、やってみるが良い!」
ゼウスの右手に稲光が集まります。ケラウノス?いや、小手調べというところでしょう。
視界が真っ白に染まり、轟音と共に無数の稲妻がわたくしに向かって殺到します。
無数の稲妻はわたくしの上方で弾かれました。
稲妻が円形に流れていきます。
「ほう?結界か?」
「せっかちな男は嫌われますのよ。よくご覧なさい」
頭上には透明な膜のようなものが揺らめきます。
「そは海か」
「今ステージに上がって差し上げますのよ」
クロが空中に浮かせている海の天蓋、そしてそこへと至る水の螺旋階段。
わたくしは天に向かって一歩を踏み出しました。
…………………………━━
アレクサがレオナルド殿と戦っている間から今まで、わたしは魔力を、神力を練り上げ続けている。
そしてゼウスが周囲の風の魔力とレオナルド殿の魔力を使っての顕現が完了した今こそ、その力を使うべき時であるのだ。
神々の戦いとは、その下準備は特に陣取り合戦のようなもの。この岩のみで構成される半島だが、その半島は海に囲まれている。崖の下、20mくらい下ではあるが、それを引き上げてここを海として権能を扱える陣とするのがわたしの仕事である。
今、わたしの結界の中にレオナルド殿が入り、アレクサは外でゼウスと対峙している。
わたしは自らの下にタコノマクラ、丸いヒトデの仲間を積み上げて仮の玉座とし、かつて竜のザナッド君と戦った時のような環境を作っていく。
『〔王は臣下を召集す〕』
わたしの周囲にピンク色のセンジュナマコ君たちが。触手を振って詠唱を補佐する。
『〔王は魔術師を召集す〕』
魔力増幅のヒトデが。
『〔王は兵を召集す〕』
身を守るためのウニが。
『〔王は民を召集す〕』
そして五芒星型にウミユリを並べ。
『〔王は民を召集す〕』
その外側にさらに5倍の規模でウミユリを並べていく。
地に咲くウミユリの五芒星、その外側にさらに大きい五芒星、その外側にまた五芒星……。わたしの魔力が海と化した地を駆け巡っていく。
さあ、いこうか。
『[庇護下の神格の召喚:カクレウオの神]』
わたしの尻から鱗のない魚の神が。
『[下位神格の召喚:テヅルモヅルの神]』
わたしの隣に巨大な触手の塊が。
『[上位神格への請願:海洋神]』
逆の隣に海洋の神が。三叉の槍を携えた壮年の男神。人間たちにネプチューンやポセイドンなどと呼ばれるようになった神だ。
「何か。棘皮動物の」
『あらゆる生命の、神々の祖たる海洋よ。天空の神と戦わんとする我が巫女にして我が主をどう思われますか』
海洋神は目を細める。結界の外。天へと伸ばした水の階段を登るアレクサを見つめた。
「先ほどの誓いの時も見たが美しいな、その身も魂も。そして酔狂である。彼女もお主も。……棘皮動物の神よ。今はクロか。汝、我の助力を求めるか?彼女を救えと言うか?」
わたしは上体を左右に振った。
『いいえ。わたしや彼女が助力を希うのではありません。あなたに一枚噛ませてやっても良い、ささやかな助力を認めてやっても良いとお呼びしたのです』
「ほう?随分と上からじゃあないか。言ってみろ」
にやりと興味深そうに笑われます。
『まず、ささやかなという点ですが、これはあくまでも人間・アレクサンドラが天空の神に挑むという運命だからです。彼女は神の眷属や代闘士として戦うのではない』
「道理だな。続きを」
『アレクサンドラが勝った場合なのですが、天空神の化身、それも主神の姿をそのまま写した強力なものを、わたしのような弱小神の巫女が破ったことになりますがよろしいですか?』
海洋神の顔色が変わる。
「よろしくないな。すまん、声をかけてくれて助かった」
でしょうね。つまるところ、主神が万一人間などに敗れるとなると、神々の序列が乱れてまずいのは事実。
ただ、ここで強大な神の助力があれば、それが実際には僅かであっても、そのお蔭とみることができる。神々の序列は乱れない。神々の間での無益な諍いを避けることができる。
……とまあ、そう言う筋書きで上位神にタダ働きをさせる訳です。
「ふむ、だが1つ。そもそもお主の巫女に勝ち目は?」
『無論、厳しいでしょう。常識ではあり得ない。……ですが勝ち筋はここに到るまでに作ってあります。そして彼女はそれを手繰り寄せられると信じていますよ』
海洋神はため息をつきました。
「勝ち筋があると言うか……。
くっ、悪いなまこめ……。何をして欲しいのだ」
『権能の一部、ごく僅かなところだけお借りいたしたく思います。さあ、カクレウオのもテヅルモヅルのも力を貸しておくれ。……[権能貸与]』
カクレウオよりその身を他者の力で護られる概念、テヅルモヅルよりその触手、海洋の神であり、河川や泉の神としても信仰されたネプチューンより流れの操作の権能を……。
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この戦いに向けて相談するなかで、クロは言いました。
『ゼウスは天高くに顕現するでしょう。ですが〈飛行〉や〈空中歩行〉の術式は避けるべきです』
「言いたいことはわかります。風系統の術式などは相手に奪われたり打ち消される可能性が高いということですのね。でもそれではどうやって戦えば?」
『わたしが海で足場を作りましょう。〈水上歩行〉でその上で戦ってください』
わたくしはクロの作ってくれた宙に浮く水の螺旋階段を登ります。
眼下のダンネット・ヘッドの半島はクロより溢れ出る海により蒼く染まり、揺れるウミユリで描かれた五芒星が幾重にも広がっています。
美しいですわね。
階段の先には直径数百mはあるかという海による天蓋。
わたくしはその上に立ちます。
凪いだ湖面のような円の中央に。ときおり風が波紋をつくり鏡写しのわたくしを揺らしますの。
幻想的ですわ。これからおこるのは酷い戦いだと言うのに。
「そこが汝の死地なりや?」
声がかけられます。
わたくしは天の巨大な顔を見上げて答えます。
「決闘にはふさわしいでしょう?」
わたくしは魔術戦闘訓練で習ったように決闘の所作を以って礼を取ります。
「我が名はアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。古代神クロの巫女にして主。彼の神の助力を得て決闘に臨む。
この決闘の勝利を以って、落ちる天を押し返さん」
「良かろう。……いくぞ」
先ほどの再現。無数の雷が天を揺るがし、わたくしへと殺到しました。
「……ほう、生きてるか」
……轟音と閃光への防御術式もかけましたが、それでも眼や耳が痛い。ですが避けましたの。ありがとうございます、クロ。
わたくしの足元の海から5本の触手、海水で形作られた触手が身体を取り囲むように立ち上がっています。
透明なる触手はふわふわとわたくしを護るようにその身を揺らしていますの。
わたくしは〈絶縁体〉術式をその身にかけています。ただこの程度だと、落雷の直撃には無意味。
ですが海という導体の線をわたくしの周囲に配置し、稲妻の通り道を作れば。そしてそこからの飛び火を〈絶縁体〉の術式と、カクレウオさんの他者の力によって身が護られる加護をお借りすれば……。
落雷は触手に落ち、そのまま足元の海へと流れていく。
「さあ、今度はこちらが行きますのよ、ゼウス!」




