第132話:くらいまっくす・天空神顕現
レオナルドの身体からどんどんと風の魔力、神力が抜け落ちていくのが分かります。光は天へと立ち昇り、雲のように塊を作っていきます。
「レオナルド……」
わたくしは彼の身体に抱きつきます。
筋肉が萎み、骨格から変わっていくのが分かります。彼の身体から魔力のみならず生命力まで奪われている……。
「レオナルドの身体が……」
『アレクサ、彼を信じて差し上げましょう』
クロからの思念。
『アレクサ、わたしは不思議だったのです。なぜレオナルド殿は毎日剣を振っていたのでしょうか。休まずその身を鍛えていたのでしょうか』
「それは戦士として、騎士として当然では?」
『神に与えられた肉体は最上であり、変化しないのに?』
はっと息を飲みました。
クロの方を見ます。岩の上に横たわっているなまこさんが光り輝いて頼もしく見えます。
『神は鍛錬しない。故にあれはレオナルド殿の意思です。
そしてレオナルド殿は魂の牢獄の奥に封じられても、決して心を、思考力を失ってはいなかった。
彼はなぜ鍛え続けたか。今この時、その鍛錬の成果を受け取るためでしょう』
レオナルドの身体は縮み……そして光が彼の身体から出なくなった時にも消失することはなく。
筋肉は萎み、骨と皮だけのような状態となり……そこから再び肉が盛り上がってきます。
そう、これはあの婚約破棄の翌日に見た夢の中での姿、あるいは彼の精神の奥底で会った時の姿。……それより僅かにやつれてしまっているでしょうか。
身の丈は180cm強。細身ではありますが筋肉質の身体に。
「レオ……!レオナルド……!」
共に地面に膝をつき、わたくしにもたれ掛かるように支えられているレオナルドが薄く目を開きました。
その瞳は翠。夏のアイルランドに広がる大地の色ですの。
「アレクサ……」
「レオナルド!」
彼の姿が涙でぼやけます。
「ああ、あなたの体温を感じられるとは。夢のようだ」
「夢では……ありませんの!」
その時、雷が落ちました。
轟音と共に天が割れ、それはダンネット・ヘッドの灯台跡に落ち、古代の塔を崩していきます。
「ゼウス……!」
「ふはは、はははははは!」
神の笑いと共に暴風が吹き荒れます。
先程義兄様から立ち昇った光は空に凝りて筋骨隆々とした老爺の姿をとっています。
銀灰色の髪に髭、月桂樹の冠、空の青を映したかの如き瞳の色。老いを感じさせる皺、それに相反するかのような圧倒的な威圧感、神力。
骨太で分厚い筋肉質な身体を純白のトーガで覆い、その上に身に纏うは雷霆。まるで雷雲が帯電しているかのように、全身から放電を起こしていますの。
「よくぞレオナルドを打ち破った、娘、アレクサンドラよ!」
その姿は天にありて比較するものなく分かり辛いですが、このダンネットヘッドの岩全体よりも巨大。恐らく身長で言えば数kmというような大きさでしょう。
彼が声を放つだけで魔力が天候を揺るがします。
雲は吹き飛びその御髪は太陽の光を反射させて輝き、吹き飛ばされた雲は彼の衣に、あるいは足場と化します。
ぬうっとその上半身がダンネットヘッドの半島全体を覆うように広がりました。
ゼウスの顕現ですの。
彼の神がレオナルドの、周囲の魔力を吸収し形が安定したのを見計らい、クロが先程よりずっと練り上げていた術式を解放します。
『[領域展開]』
地にあるなまこさんの身体から海が広がり、一面が水浸しになりますの。潮の香りが強くなります。
「神よ!天空にある神々の父、神々の王ゼウスよ!我が力を見たか!
我、アレクサンドラはもはや護られるべき存在にあらず!契約の破棄を求めますの!」
「然り!レオナルド・ベルファストの為した誓約は破られた!」
天にあるゼウスはにやりとその頬を歪ませます。
「海は、地はその破棄に同意した。なれど天は認めておらず!天は落ちて汝を打ち砕かん!」
ゼウスがその拳を天へと振り上げます。そこに、小さな静謐な、ですが凛とした思念が飛びました。
『やあ、ゼウス』
ゼウスの身体が止まりました。
『天空の古代神より分離せし、若き神の王よ』
……ちょっとクロ?
ゼウスが覗き込むようにこちらを見ます。巨大な顔がこちらに近づき、わたくしよりも巨大な青き瞳がクロを捉えます。
「海洋の……上位古代神か……?」
『我は棘皮動物の古代神、“泳がぬ海の王”。今の名はクロである。
神の王よ。汝に先達への敬意があるというなら、3分待て。愛する者たちに言葉を交わす時間くらい作ってやってはどうか』
ゼウスがため息をつきました。それは強風となり石塊、瓦礫を飛ばします。
「承知」
「…………ちょっとクロ聞いてないんですけど!?」
『うむ、何をかね』
あ、なんかクロからどやぁって雰囲気を感じますの!
「なんでクロの方が偉そうなんですの?」
『単にわたしのが歳を食っているだけの話だ。向こうの方が全然偉い。でも先達に礼を払うのも神としての性質故にな』
えー……。
「天空神にゼウスって名前がついたのは数千年前ですわよね。でも今の言葉だと天空の古代神から分岐ということは、遥か昔なのでは?」
『天空神の概念成立は4億年前だ』
「……クロ何歳でしたっけ」
『5億ちょっとかな』
お、おう?
『天空というものは我が生まれるよりもずっと前からあるのですが、その時代はまだ地上に生物がいないのですよ。
神とは生き物の想いが集まって出来る存在。生き物の全てが海中にいる時代に誰が天を想おうか。故に海洋系の一部の古代神は格だけは無駄に高いのです。
さ、アレクサ。そんなことは良いのです。レオナルド殿と語らいなさい』
わたくしは困惑しつつレオナルドの顔を見ます。彼はにこりと笑って言いました。
「アレクサは凄いね」
「わたくしというか、クロが凄いというか……」
「それも君の力さ。……ちょっと待ってくれ」
レオナルドは立ち上がると身に纏っていた布を引き上げます。
筋骨隆々としていた身体から身長も筋肉も減ったので纏っていた布がはだけていて……。
むふー。
布を身体に巻き付け直したレオナルドは片膝をつき、翠の瞳がわたくしを見上げました。
「あなたを愛しています、アレクサンドラ」
ひゅ、と呼吸が乱れました。
「わたしは力を失いました。10代の前半で、騎士としても魔術も学業も、全て中途半端で放り出して誓約に全てを捧げ……あなたの助けを得て運良く戻ってこれただけの存在です」
「そんなこと……!」
「いえ、今のわたしでは魔族との戦いに身を投じることも難しいでしょう」
レオナルドは今膝をつくときに少し身体がよろけました。
彼の手を取ります。伝わるのは彼の体温と僅かな震え。
「わたしは未来の女辺境伯の夫に相応しくはなくなってしまっているかもしれません。それ故にあなたや、ブライアン様や、アイルランドの民がわたしを拒絶されるかもしれません。
ですが!何があっても、どのような立場でも!わたしは未来永劫あなたを愛します」
「わだぐじもでず……」
うう、鼻が……。顔を拭います。
「わたくしもです。レオナルド。あなたがわたくしに相応しくないなら……治せば良いですの、再び鍛え、新たに学べば良いですの。
誰が反対しようと、それを全て覆すまで。わたくしはあなたを待ち続けます。
あなたを愛してますの」
「死が二人を別つまで」
「死が二人を別つとも」
レオナルドの身体を抱きしめ、唇を寄せます。病み上がりのような乾いた唇。ですがその熱がわたくしに火をつけます。
「ふふ」
「はは」
互いに笑みが漏れます。
「続きは、ちょっとゼウスとかいうお邪魔虫を片づけてからですわね」
「お待ちしております。愛する人」




