第130話:騎士レオナルド
わたくしは近接戦闘を主体とする戦闘魔術師ですの。
長い詠唱を必要としないような簡易な魔術を、事前に定めたキーワードを唱えることにより多重発動し、戦闘開始と同時に複数の魔術を起動して突撃戦術を取る。
多重発動は極めて有用であり、国を問わず多くの戦闘魔術師が使う技であります。
ただ、そこで使う魔術は、どんな場面にも対応できるような汎用的術式や効率が良い術式をえらばざるを得ないですわ。
例えばですけど物理と魔術へのダメージを1割軽減する術式と、同じ魔力の消費で物理へのダメージを1割5分軽減する術式があったらどうでしょうか。
多重発動に登録すべきは前者です。でもレオナルドと戦うために必要なのは後者なのです。
レオナルドを倒すことのみを意識して作った組み合わせ。
『愛している。故に殺す』
覚悟を術式のキーワードに込めましたの。
わたくしは一度身を低く構えると、レオナルドに向かって走り出します。
靴が岩肌の地面を蹴る音が低く聞こえます。
音が低くなるほどの速度、視界の端の景色がゆっくりと流れてくような錯覚。
視界の中央、レオナルドが大きくなっていきます。
この魔術の大半は第六感を含む知覚力と思考速度・反射神経の強化に使われています。
そう、恐らくはこれでやっと対応が……。
レオナルドがにやりと笑みを見せた気がします。
スローとなった世界の中、彼の手が僅かにぶれました。
切っ先が見えない!
わたくしは右脚を撓ませ、左に回り込むように跳びました。
跳ね上げられた剣がそれを上回る勢いで振り下ろされ、わたくしが進むはずだった位置を両断しています。
……死んでいた。
彼我の距離は10m、わたくしは回り込んでレオナルドの右脇腹が正面に見える位置に。普通であれば相手が剣を空振りして、此方が側面を取っているとなればわたくしの必殺の間合いなのですが。
体幹が全くぶれていない。わたくしに致命傷を負わせるに充分な斬撃を放つために、彼は手首から先の動きだけでそれを成した。
レオナルドがその場で単に一歩踏み出して腰を回し、こちらを正面に捉えます。
せめて無理にでも剣を振るってくれればまだ攻める隙もできるかもしれないですが、極めて落ち着いた動きですの。隙の欠片もない。
わたくしは勢いを殺します。わたくしの駆けた位置から砂埃や切れた草が風に飛ばされていきました。
彼我の距離は5mで正面。背中に走る悪寒。……だめ!
わたくしは一歩後ろに跳びすさりました。7m、まだだめ?……ゆっくりと半歩後ろに。……これくらいですか。
レオナルドが満足そうに頷きました。
ですわね。……恐るべきことに、彼の一足一刀の間合いがこれだけあるということ。
つまり一歩踏み込んで剣を振る。その一動作で7m以上先まで切れるということですわ。
通常の剣士で一足一刀の間合いとは2m程度。体格と身体性能で5m前後はあるかと思っていましたが……。
ははと乾いた笑いが出ます。知ってた。うん、全力のレオナルドを一度も正面から見たことはないですもの。絶対にわたくしの想像より強いことは分かってましたのよくそったれ。
「アレク、サンドラ……」
おや。
「レオナルド、まだ意識がありますの?」
「……なんとか」
先程いちど魂の奥深くに意識が沈みましたのに。
レオナルドが剣先を地面につけ、わたくしも拳を下ろします。
「無理をされてません?」
「君に、少しでもいい。わたしを見せたかった」
わたしを見せるとは?
「アレクサがわたしに勝ち誓約が破棄されると、この身体から神の化身が具現化するのだろう」
「ええ」
レオナルドは苦しいのか顔を顰めました。
「その時、わたしの肉体がどうなるのかわからない」
……ですわね。できるだけ肉体や魂が損なわれぬよう風の魔力の豊かな地に来たとはいえ、実際どうなるかは。
はっと気づきます。
「レオナルド、先程の剣が、今のこの間合いが、あなたの至った高みなのですわね」
そして、戦いの後、この高みを見せられるかは分からないと。
レオナルドは口元に笑みを浮かべました。
わたくしは姿勢を正して告げます。
「我が義兄にして騎士であったレオナルドは、紛れもなく最強の剣士であった。
かつての主人たるアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュはそれを改めて深く胸に刻み、終生忘れることはないであろう」
「ありがとう」
レオナルドの身体が震え、再び剣を取ります。気配が完全に変わりました。
「ゼウス……ですわね?」
「ガルルルル……グオオォォ!」
「シャーーッ!」
レオナルドが吼えます。竜を思わせるような、明らかに魔力の乗った咆哮。
聴覚や魂を奪われぬよう、わたくしも咆哮します。
地が揺れ、草が千切れ、石碑が倒れます。
義兄様の肉体から今まで感じたことのない強大な魔力。全身の筋肉が膨張し、血管が浮き出て顔は紅潮し、頭髪は天を突くように持ち上がりました。
ケルトの伝承、クー・フーリンを思わせるような異相ですの。
最強の肉体に神の魔力。勝ち目がない?
「はっ、そんなものですの、神よ」
わたくしは二歩前に出ます。拳を構え、さらに摺り足で半歩。
ゼウスは天空神で全能神である。無論、最強の神ではありましょう。だが武神ではない。獲物も槍や鎌であり、剣士ではない。
そして何より、この身体をずっと使っていたのはレオナルドでありゼウスではない!
そう、この距離。レオナルドであればわたくしを一刀両断にしていたであろう距離ですが、斬りかかられていない、恐怖も感じない。
わたくしは前に出ます。
加速した知覚の中、レオナルドの剣が振られます。
先程のような振り下ろしを同じく左に回避。
――レオナルドより速い!
魔力の込められた剣は地面をバターのように切り裂きました。
――レオナルドより威力がある!
回り込んだわたくしに、剣を横薙ぎに振られます。滑り込むような低姿勢で剣を潜り回避、前に出ます。
――でもレオナルドより隙がある!
低い体勢のわたくしに、空いている左拳が振られました。
わたしはそこに左手を添えて攻撃を逸らします。ですがその接触だけで左手の骨がばきばきと折れていきました。
――でもレオナルドより間合いは狭く!
わたくしは前に出ます。右の拳を脇腹に叩き込みました。金属同士がぶつかったかのような異音。
――レオナルドより見える!
「ヴオオオォォォ!」
レオナルドが吼えました。彼の全身が輝きます。わたくしは全力で後退。
放電を起こし、彼の周囲1m程が稲妻に覆われます。
「ふう……」
左の拳が、かつてクロに与えられた祝福により再生していきます。
今なんとか一撃加えましたが、全くダメージは無い様子。
稲妻が消えると、今度はレオナルドが突進、斬りかかってきます。神速の剣閃が幾重にも煌めき、それを全て回避して、また一撃加えて間合いを取りました。
手がこちらに向けられ稲妻が放射されました。ですがそこにはもういない。
彼の手が動いた瞬間、射線上を避けていますので。
焼かれた空気の臭いが鼻をくすぐります。
「ふん、どうして避けられるか不思議ですか?見えてますのよ」
レオナルドの剣士としての熟達は予備動作の少なさ、攻撃の起こりがないことにありますの。
先程の一撃も、かつてサイモン校長に斬りかかったときもそう、気づいた時にはもう致命的な形となっている。
「あなたはレオナルドより速い、レオナルドより威力がある。でもそれだけですの」
「ふ、ふははははは!」
レオナルドが笑いました。ただ笑うだけで天が轟き、地が揺れます。
「人間、アレクサンドラ!汝良くぞここまで鍛え、良く吼えた!」
「ええ、レオナルドを取り戻すため、ここまで至りましたのよ」
「だが汝の一撃では軽すぎる、痛痒にも感じぬぞ!」
「……スティング」(あい、あい、まむ)
右の縦ロールがくるりと解け、わたくしの右手を覆って槍となります。それは高速でくるくると回転し、解けて元に戻りました。
「最初はこれで貫こうと思っていたのですが」
「ほう?」
わたくしは右の拳に魔力を込めます。
「秘策があるので」




