第129話:誓約と誓い
義兄様は日々ダンネット・ヘッドまで軽々と走り、風を身体に受けて帰ってきていますが、結構距離あるんですわよね。
西暦時代の道に沿って行くと15km程度あるでしょうか。
まあ、義兄様は婚約破棄の後、一晩でライブラからセーラムのサウスフォードまで走り抜けた方です。この程度は苦ではないのでしょう。
今日は昨晩のうちに用意しておいたパンと蒸した芋、鶏肉と魚と朝食を多めに食べて移動、昼頃にはつくでしょう。
わたくしは白の魔術礼装を着込みます。義兄様は変わらず半裸で腰には剣。ただ今日は竜の大剣も背負っています。
サーソーを発ち、湾を東へ1時間と少し。この辺りは平原で、元々は畑であったのでしょう。明らかに整地された平原が森に侵食されていたり、野生の芋や麦の生えている場所、そして沿岸は浜になっています。
ところがそこから北に伸びる半島部分の陸地は岩場、切り立った赤色砂岩の地層が見える崖となっていますの。
硬い岩の地面にへばりつくように生える苔や草。赤茶けた岩の坂を登るように北へと進みます。
なるほど、先ほどまでの道とは違い、この半島は遮るものが無いんですわね。冷たい風が全身へと吹き付けます。
今日も曇りがちですが、たまに陽射しも覗く良い天気。でも風が体温を奪っていくので寒い!
ええ、これは確かにここで風が生まれると言われると信じてしまいそうなものがありますわね!
北端には灯台跡。元は白かったであろう灯台は崖の上に立っています。
そこまで高い塔ではありませんが、崖の上にあるため海面からはかなりの高さがある。かつてはここから光が伸び、海を征く者たちを照らしていたのでしょう。
灯台の手前には古代の石碑。
『ブリテン最北端の地』と刻まれていますの。
「ついにここまできましたわね」
わたくしは古びていますがつるつるとした表面のそれを撫でました。
「レオ義兄様、クロ、スティング。わたくしの想いに付き合い、こんなとこまで連れてきてしまいましたの」
「ガウ」『いいえ』(たのしいよ、まむ)
そう、旅は辛くもあり楽しくもありました。
「でもここが終着点です。戦いがどのように決着するとしても。
クロ、見守ってください」
『ええ、アレクサ。ご武運を。わたしはその先の準備をしておきます』
クロの金魚鉢を地面に置きました。
『[神域展開]……広域、待機』
クロの神の力が一瞬感じられ、消えていきました。
うん、わたくしはわたくしのやるべきことをせねば。
わたくしは岩場に跪き、祈るような姿勢をとりました。レオ義兄様も並んで跪きます。わたくしは声に魔力を込めて世界に語りかけました。
「我が義兄、レオナルドはかつて誓約した」
声が空へと吸い込まれていくようです。
「天、地、海、父祖の霊に。
彼は力を求めた。背にいる幼き少女を護る為の力を。
その少女はアレクサンドラ・フラウ・ベルファスト、今の名はアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。即ちわたくしを護る為に誓約した」
わたくしは息を継ぎます。
ただ、風と波の音のみが聞こえます。
「捧げたものは彼の『全て』。わたくしを護るための機能、それ以外の全てを捧ぐことをここに誓約した。彼は色も味も言葉も失い、心は魂の奥深くに封じられ……、それは今もなお続いている。
彼の尊き誓いと、神々の慈悲にアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュは最大限の感謝を。
あなたたちのお陰でわたくしは今日を迎えることができ、アイルランドも破滅をまぬがれることができたと。
ですが……」
息を吐き、ゆっくりと立ち上がり、義兄様に指を突き付けました。
「契約はもはや無効ですの!
かの誓いは護るべき少女が為の誓い。わたくしはレオナルドと時に肩を並べ、時に背を預け戦ってきましたの。
我はもはやただ護られるべき少女にあらず、一人の戦士ですわ!」
おもむろに義兄様も立ち上がります。
「アレクサンドラ」
義兄様が声を……!
それは唸り声でもなく、神に支配されたものではなく、義兄様の意志を感じる声でした。
「レオ、ナルド……」
「はい/いや」
……!声が二重に聴こえます。
「もう護られるべき少女ではない/それでも護られるべきなのだ」
……レオナルドの意志が割れている?何故?
「あなたは偉大な戦士なのだから/あなたこそ我が主人、我が貴婦人」
騎士の誓い!
そう……、戦士の誓約と騎士の誓い。誓約に誓いも重ねられていたのですわね。
幼き日の『姫様と騎士ごっこ』は決してごっこ遊びではなかったのですわね。
まだ従者であり、正式な叙勲も受けていた訳では無かったけど。
それでも彼の魂は既に立派な騎士であったと。
「レオナルド……」
声が震えました。
わたくしは右手を斜め下に突き出します。義兄様は跪きました。片膝をつき、こちらを見つめます。
「わたくしの騎士としての任を解きます。
それは正式に任命されたものではなく、わたくしとあなたの心の中にのみあった関係ですけども、それは確かに存在していました。
長きにわたる忠義と献身、ありがとうございますの」
「はっ!/なぜ……」
義兄様の顔の前に手の甲を差し出します。義兄様は躊躇うようにその手を取りました。しばらくそのまま見つめ合い、わたくしは手をそっと抜きます。
「騎士の愛だったらこれ以上は許されないわ。そんなの嫌ですもの」
よく考えれば当たり前の話ですが、義兄様はそもそもわたくしと恋人や夫婦になれると思っていたはずがないんですわよね!
辺境伯の子と騎士の子、義理の兄妹、王族の婿入り話。
義兄様がわたくしを愛しく想ってくれていたとしても、それは全く別の話ですもの。
でもそうじゃない。わたくしもまた彼を愛している。わたくしが受け取りたいのは家族愛でも主従でも献身でもない。もっとこう、えーと……原始的なそれが欲しいですのよ!
「義兄でも我が騎士でもないレオナルドとして、わたくしを愛してはいただけますか?」
「はい」
思わず笑みが溢れます。
わたくしはレオナルドに抱き着きました。跪いた彼とわたくしの顔の高さが同じくらいにあります。
レオナルドも手をわたくしの身体に回しました。
でもレオナルドの心が離れて行くのを感じます。
「グルルルル……」
ですわよね。
わたくしはレオナルドから離れて拳を構えます。
「さあ、契約の無効をかけ戦いましょう。神よ、照覧あれ。
わたくしの強さを以って勝つことで。縛られたレオナルドを解放しますのよ」
レオナルドがゆっくりとした動きで立ち上がると、背中の剣を地に刺しました。
腰から鋼の剣を抜きます。
ふむ、わたくしを相手取るのに重い剣は邪魔ということですわね。
剣を正面に構え、切っ先は真っ直ぐわたくしの視線に合わせ微動だにしません。
世界から音も消えていきます。波の音も風の音も遠ざかっていきます。
わたくしとレオナルドのためだけの舞台。
わたくしは魔力を集積します。
レオナルドを倒すためだけに取捨選択した強化魔術。そう、例えば対魔力や飛び道具への備えは不要。集団戦闘への備えも不要。
逆に速度、感覚に関しては極限まで術式を重ね、さらにその出力を上げないと。
レオナルドを倒す。いや、殺すつもりで掛からなければ、むしろ殺されるのはわたくし。だからその覚悟を以て叫びましょう。
それはGo AheadでもKill’em Allでもなく……。あなたのための創作術式。
「――I Love You, I’ll Kill You!」
世界が高速で走り始めました。




