第122話:さうすふぉーど・ふらっど
ポートラッシュの民がどれだけ勇猛であり、彼らが魔族を屠っても魔族に押され続けていたのは何故か。アイルランドの島から魔族を駆逐することが出来ず、ヨモトゥヒラサクの結界で封じつつ防衛を続けなくてはならないのは何故か。
魔族が無限に補充されているからに他ならない。
人類領域の東の魔界、その玉座に座すという闇の太母。彼女が無限の魔を産み続け、アイルランド中央、リー湖に浮かぶインチモア島へとつながる転移門に送り込み続けているからである。
我々はこれについてより深く考察を続けるべきだった。
ヨモトゥヒラサクの結界は超大規模の転移術式であれば抜けられることを警戒すべきであった。
無論、これは後知恵に過ぎぬ。
あの119年9月15日の魔族による奇襲、サウスフォードと遺都ヴァルゴで同時に発生したという多面作戦。こちら側、サウスフォードの氾濫と名づけられたというが、それが少ない被害で素早く解決できたのは、その場に大魔術師メリリース・ロビンソンと、引っ掻きミーアと呼ばれた元A級冒険者、そしてディーン寮の48人の生徒たちがいたからである。
その場にいなかったアレクサンドラ嬢も含めて。
彼女たちに最大限の感謝を。
――サイモン・レポートより抜粋。
最初に異変に気づいたのはミーアだったわ。
窓際で猫の瞳の瞳孔を開いて、暗くなった外の景色をずっと観察していたの。
「校舎ですにゃ。魔力反応と魔術行使による発光、おそらく転移系。間違いなく大規模儀式魔術ですにゃ」
ミーアが冷淡にも思えるような平静な声で言いました。ひっと生徒たちから息を呑む気配がします。
「反応箇所は校舎の最上階、校長室付近。校長もエミリー女史も今日はライブラに呼び出されて不在……そこを狙われましたにゃ?
飛翔系魔族が飛び立ちましたにゃ。種類は判別できませんが、小鬼の類か……」
わたしも窓の前をどいて貰い、外を見ます。わたしの肉眼では見えないけど、魔力を見ると校舎の上層が輝いているように見えるわね。
そして魔力が下へと伸びていくわ。そうしてそれが地面へと到達した時……。
「きゃっ」「眼がっ」
そちらを見ていた生徒たちが悲鳴を上げます。
肉眼でも見えるほどの光が溢れました。膨大な魔力。
「今のは何ですにゃ」
ミーアが瞳孔を細めてこちらに尋ねてきたわ。
「地下の魔力櫃が制圧されていたみたいねぇ。術式は転位系統だから最上階の転位門と接続されたのよ。魔力櫃の魔力を使用してあちらさんはサウスフォードを魔界と接続してるんじゃないかしら」
ひぅっと息を呑む音。
「に、にげましょう!」
1年生の子が叫んだわ。
それも手ではある……だけど。
「無理ね」
モイラが顔を覆うような手つきで眼鏡を押し上げてそう言ったわ。
「学校を覆う魔術結界が書き換えられたわ。門でのアクセスができない。それとおそらく外部からも内部からも人間を通さない設定にしているみたい。魔術は通るわね。攻撃的なものが通るかは分からないけど」
「な、なんでわかるんですか!」
6年生たちはああ。という表情。
学外から鐘の音が聞こえてきたわ。緊急避難を示す音ね。
「わたしの使い魔は特例で学外、セーラム市街に住ませているのよ。それと〈感覚共有〉してるの。
ミセス、セーラム市長への提言及び市民への避難勧告は済ませました。市の警察などは避難民の誘導に。ミセスや他の先生方も行っているとは思いますが、セーラム市長からも通信で救援を求めて貰っています」
「ありがとう、モイラ」
どうやってという疑問の声が下級生から上がるわ。それはそうよね。
クリスティが代わりに答えました。
「モイラ監督官の使い魔は人間なのよ。元々監督官の従者であり幼馴染みだった男の子を力技で使い魔に召喚したんですよね、先輩。
だから普段はセーラムの家に滞在してるのよ」
「ふふ、セバスちゃん元気?」「セバスちゃん聞こえてる?モイラは頑張って守るからね!」
6年生たちがモイラの前で手を振っているわ。〈感覚共有〉してると言ったからその向こうのセバスに声をかけているのね。ふふ。
モイラが赤くなって彼女たちを散らしたわ。
「きましたにゃ。小鬼、おそらく偵察4体。低空なのでとっとと殺ってきますので、まだ魔力温存していてくださいにゃ」
ミーアの言葉にわたしは頷き、彼女は玄関から出て行きます。
わたしは周囲の魔素の吸収に努めているわ。先ほどの魔力櫃から開放された魔力。少しでも多く取り込んでおかないとねぇ。
窓から眺めているわたしたちの前にミーアが背を向けて立ちます。こちらに向かってくる高さ3mほどを移動している小鬼。相手が知覚し、攻撃魔術を撃ち込もうとした時。彼女が身をたわめたかと思うと、庭の木立を駆け上り跳躍。空中で背後を取って両手を振ったわ。
空中に煌めく斬線。
攻撃にかかろうとしたその一瞬をつかれた小鬼たちは碌な回避行動も取れず、翼を三本線の傷でずたずたにされて落下。
ミーアは音もなく着地すると、首を踏んでとどめをさして外に捨てて戻ってきたわ。
「ごくろうさま」
「はいにゃー。各寮でも魔術で応戦しているみたいですにゃ。また、校舎はどんどん魔の気配が強くなってますがこれからどうしますにゃ?」
魔族相手の戦闘で降伏があり得ない以上、戦闘は本質的に攻撃か防御か逃走の3択しかないわ。
攻勢に出るには人数も魔力も足りない。逃走は学園の魔術結界を破れば可能だけど、今それをやって全員が逃げ切れる保証はないし、一般の市民たちにも大きな被害が出るでしょう。
「籠城しかないわねぇ」
「了解ですにゃ」
ドロシアが手を挙げたわ。
「籠城とは攻め手が退却するか増援が来ることを期待して行うものですが、ミセスは増援はいつ来るとお考えですか」
「他の先生たち、生徒たちがどう動いているかは分からないけど、モイラがセーラムの町に伝達を送っているように、わたしもわたしに連絡を送っているわ。
だから王都、ライブラにも連絡は間もなく行くはずだわねぇ」
ちょっと弛緩した空気が流れます。でもね。
「でも増援はしばらく来ないでしょう。〈転位門〉の秘宝が相手の支配下にある以上、最悪の場合はライブラとニュー・エジンバラも魔に襲われている可能性があるの。少なくとも〈転移門〉を使っての増援は送れないわね。
一部の精鋭が先行してくるでしょうけど、彼らが来るとしても明日。だから最短で一晩。でも学校は広いからねえ。寮への増援になるかは分からないわ。騎士団とか軍単位での増援は3日は見ておきなさい」
「承知しました」
ドロシアが手を下げたわ。
啜り泣きの声が聞こえる。
……ええ、1年生は確かに可哀想よね。まさか入学してすぐこんな事件が起きるとはねぇ。
ぱあん。
と大きく手を叩く音がしました。
2年生のサリアだわね。大人しい子だけど。この代の特待生なのよね。
「大きな音を立てて失礼」
彼女は泣いている1年生の顔を覗き込むように屈むと、涙をハンカチで拭ってやりながら言います。
「泣かないの。こんなものは危機でもなんでもないから」
「ま、魔族の侵攻ですよ!」
「そうだよ。たかが魔界が目の前にあるだけだよ。しかも3日もあれば増援が来るって言ってるんだよ。
いい?ここにはいないけどアレクサねーさまとわたしは産まれてからここに入学するまでの12年間、ずっと北アイルランド最前線にいたんだから。
魔界を前にするなんて慣れてるの」
「なんという暴論」「さすが肝が据わってるわね」
サリアは彼女をぎゅっと抱きしめました。
「いい、ここにはあなたの味方が48人いるの。しかも大魔術師様までいるの。これはとっても幸せなことなんだよ。だから泣かない。
泣くと体力消耗しちゃうし、いざって時に体動かないからね」
サリアは立ち上がると、もう一度ぱんと手を叩きました。
「1年生全員、全部屋の窓の扉の施錠、あとカーテンをちゃんとかけてるか確認しに行くよ!
ついてきて!」
「「はいっ!」」
サリアはぺこりと頭を下げて食堂を出て行きました。
「ふふ、ありがとうねぇ」




