第121話:彼方からの声/ばっど・ふぃーりん
北へ。
義兄様を解放すべくゼウスと戦うとして、周囲にどれだけの被害が出るものか分かりませんの。そのため周囲に人のいない場所へ。
北へ。
クロは言いました。
『神がレオナルド殿の身体から外れて化身を具現化させるとして。その際に自らの化身を構築させる魔力は、周囲にある自らに親しい属性の魔力と、レオナルド殿の魔力を使います。
その際レオナルド殿の魔力が大きく損なわれれば彼の力を減ずる、最悪の場合は命に関わる場合もあります。
キーガン殿の霊が契約を解除するためにベルファストの霊廟まで呼び出したのもそれが理由の1つです。
戦いは風の魔力が強い地で行った方が良いでしょう』
北へ。
ガヴァンお祖父様は言いました。
「スコットランドは西暦の頃より風売りの魔女の伝承が残る地。風の魔力は比較的豊かではある。
人がおらず、風の魔力が強いと言うのであれば、ブリテンの北端へ行くが良い。
ダンネットヘッド。
古来、ここに住まう魔女が岬の突端に立ち、世界の風を生んでいたという。ふむ?
それが真実かどうかと言えば嘘であろう。遥か古代の祭祀が夜明け前に東の空に祈って太陽を呼んでいたというようにな。
だがそう思わせるだけの地であるということだ。
極北の風が強く吹く、世界でも有数の風の魔力に満ちた土地だ」
北へ。
人の気配のまるでしない大地を行きます。
かつてこの地にも人が住んでいたことを示す、ひび割れ、草の下に沈んだ道の跡の上を。
9月といっても昼は20度以下、夜は10度を下回ります。さらに風と雨が体温を奪っていきますの。
色褪せた草原、抉られたような形状の谷。ただ北へと向かいます。
そして北の果てが近づいたある夜のことでした。
『……て……けて!』
「クロ、何かおっしゃいましたか?」
『いえ、何も』
座って義兄様と焚き火にあたっていたわたくしは立ち上がって耳をすませます。
義兄様が怪訝そうに唸り声を上げました。
『……けて……えさ……!』
何でしょうか、耳鳴りのように遠い音が。
『助けて!お姉様!』
ナタリー!?
何とこの距離に思念を?サウスフォードからここまで直線距離で800km以上ありますのよ!
いやそんなことよりも。
「どうしました!ナタリー!」
『お姉様!』
………………………………━━
119年の9月。例年通りにサウスフォードの新学期が始まったわ。
ベリンダやイーリーたちは卒業してしまったけど、わたしが寮長をつとめるディーン寮もあたらしく8名の新入生の女の子たちを迎えたの。
ふふ、初々しく着なれぬ制服に身を包んでるわね。
「大魔術師ロビンソン様、よ、よろしくおねがいいたします!」
「そんなに緊張しなくていいのよ。わたしはここではただの寮長だからねえ。あなたたちのお婆ちゃんのつもりでミセスとよんでちょうだいな」
「は、はい!ミセス・ロビンソン!」
新入生たちは新監督生のモイラと新2年生に連れられていったわ。彼女たちは寮の説明を受け、だんだんと馴染んでいくでしょう。
8名が卒業して、8名が入寮してきたけど、ディーン寮の生徒たちの定数、48には1人足りないの。
アレクサンドラがまだ戻ってきていないわ。
昨年度末に休学の申請をして、まだ戻っていないからねぇ。
8月の前半にクリスとナタリーとニュー・エジンバラで別れて、ハミシュとレオナルドと北に向かったというけど。ハミシュもまだ戻ってはいないというし、帰りはいつになるやら。
そうして9月も半ばになった夕暮れ。揺り椅子の上でわたしはふと呟きました。
「嫌な予感がするわ(I have a bad feeling)」
数日前から何となく感じていた不快感を口にすると、それがぐっと近づいてきた気がするの。
季節の変わり目によるものか、アレクサンドラという目立つ生徒がいないことによる違和感か、魔素の問題か。
ちょうど1の月と3の月が新月に近く、2の月が満月に近いという月の巡り。魔族の力が満ちて人類の力が落ちると言われている夜。
そしてディーン寮はわたしが着任したときに魔術的に大きく改造していて、生徒たちの余剰魔力を吸収して使えるようにしているのだけど……アレクサンドラの不在はその吸収量を大いに減らしている。
主に魔力によって動いているこの身体が不調を訴えるのはやむなしと思っていたのだけど……。
「〈魔力感知〉……拡大」
ええと、寮母のミーアは寮内、食堂の手伝いのミレイはもう帰っていて生徒は28人が寮内、6人が庭、13人が部活などでまだ帰っていない。13人のうち5人はもうすぐ寮に着くわ。
「〈騒霊〉、鈴をここへ」
ベッドの枕元に置かれた青い鈴が飛んできてわたしの手の中へ。ちりちりと鳴らすと直ぐにミーアがやってきました。
「ミーアですにゃー。何か御用ですかにゃー」
「嫌な予感がするの」
「あー……わたしも今日は何かむずむずしますにゃ」
彼女は尻尾をぱたんぱたんと左右に振りました。
「わたしは予知魔術の類は得手ではないし、学校やライブラからも特に連絡はないの」
彼女は頷きました。
本来であれば予知魔術の類が使える先生たちがいるから、何か危機の兆候があれば伝わってくるのだけど。
「具体的に何がという訳ではないわ。
でもわたしと、一流の斥候であったあなたが何か気になるというなら……。せめて寮内は対応しておきましょう。何もなければ笑い話にすればいいわ」
「はいにゃっ!」
わたしを車椅子に移し替えて押してもらい、食堂へ行きます。
食事の配膳を生徒たちに任せてミーアにはまだ外にいる生徒たちを回収に行って貰いました。
新監督生のモイラが近づいてきます。
「どうされました、ミセス」
「まだどうもしてないわ。ただ、嫌な予感がするの」
「ミーアさんもですか」
「みたいね」
「学校から連絡は」
「ないわ」
モイラはこめかみに手を当てて悩んでいる様子。そしてきっと眦を釣り上げ、手を叩いて音を出しながら声を上げました。
「全員聞きなさい!ミセスが『悪い予感がした』だ。緊急事態のつもりで動くけど異論はある!?」
誰もが声を出さず、じっとモイラの次の言葉を待っています。
「全ての部屋と庭を確認して、ここにいない者も召集!杖持って再集合!」
「「「はい監督官!」」」
ふふ、監督官らしいじゃない。
「2年生は1年生見てやって!」
「はいっ!」
サリアが答えたわ。
モイラが椅子を引き寄せて横に座りました。
そこにクリスティが脇に使い魔のフラッフィーを抱えてやって来たの。
「さっきから急にフラッフィーが何かに怯えだしたの」
クリスティが机の上にフラッフィーを置くと、顔を隠してふるふると毛玉が振動を始めたわ。
「……毛玉うさぎも危機感知力が高い魔物よ。何か感じたのかもしれないわねぇ」
「ミセス、一筆お願いします」
モイラはそう言ってカバンからノートを取り出し、その後ろを切り取ろうとして落書きがあるのに気づき、真ん中あたりを切り取ったわ。
男性の裸身画、上手いけど授業中に書いているのかしら?
わたしは虚空より羽根ペンを取り出し、その下部にサインだけしていきます。
モイラはそれを受け取るとそれをクリスに渡したの。
クリスは新聞部らしく、いつも持っているペンを取り出したわ。
「何て書く?」
「ミセスが嫌な予感がすると言っていたと。ディーン寮監督官モイラの名も添えて」
「分かった」
わたしとクリスが同じものを何度か書いていると、ちょうど階段から降りてきたドロシアにモイラが声をかけます。
「ドロシア!」
「なにかしら?モイラ」
金髪を翻して彼女がやってきたわ。
杖に銃、魔術礼装まで装備している、準備が良いわね。
「厩舎行ってうちの寮の大型使い魔回収してきて」
モイラはサインしたノートの切れ端をドロシアに渡し、それを見たドロシアはにやりと令嬢らしからぬ顔に笑みを浮かべたの。
「素晴らしい、監督官。こちらからも頼もうと思ってたところですわ。
何頭いましたっけ?」
「あなたのウルカヌス入れて9体だわね」
わたしの答えに、あと2人くらい連れていきますわ、とドロシアと答えて寮を出ていく。
鳥型の使い魔を持つ者には他の寮にこのメモを伝達して貰ったわ。
ドロシアたちが使い魔を回収し、ミーアが学校にいた生徒たちを呼び戻し、どことなくみなで不安を抱えながら揃って食事をし……。
日が沈み、2の月が昇った頃。ついに異変が起きたの。
異変、そう。魔族の襲撃よ。




