第119話:おん・とっぷ・おぶ・ざ・ひる
さて、決闘騒ぎも終わり、殴り合った人たちを治癒魔術で治し、ついでに腰痛やリウマチで悩んでいるお爺様お婆様がたまで治し……。
その夜は広場で歓迎の宴がひらかれましたの。
色々な料理を出していただけますが、山羊一頭丸々料理に出してくださってますし、肉食べますの肉。ハギスはちょっとでいいですのよ!
そして翌日の朝、わたくしはガヴァンお祖父様にお呼ばれして昨日とは別の丘を登りますの。クロと義兄様、ハミシュも一緒ですわ。
この辺りでは最も高いところのようですわね。登っていくと途中から草がなくなって荒涼としていきますわ。頂上はごつごつした岩が……ああ。
『以前、ハミシュとの決闘の際に幻視した場所ですね』
クロから思念。ですわね。わたくしは頷きます。
お祖父様が瞑想していたりするのでしょう。どことなく清浄な雰囲気と、魔力の痕跡があるように思いますの。
遠く、遥か遠くを眺めます。360度の眺望、丸い地平線と水平線が広がりますの。ただまあ、もちろんどう目を凝らしてもサウスフォードが見える訳ではありませんけども。
「連れ出してすまなんだ」
お祖父様はそう言ってちょうど座るには良い高さの岩の1つに腰掛けます。
わたくしはクロの金魚鉢を平らなところに置くと、その側に座りました。義兄様は地面にそのまま腰を下ろします。
「いえ、良い景色を楽しませていただきました」
「そうか。今日は汝と話をしたくてな」
ふむ、わざわざここで、ということは秘密のお話ですかね。
お祖父様はわたくしとレオ義兄様の過去について尋ねられました。10年前の大氾濫で義兄様がわたくしを護ってくれたこと、誓いを立てた話、学校のこと。婚約破棄のこと。
話すのには長い時間がかかります。水筒のお茶を飲みつつ話します。決闘の話や先日のベルファストの戦いについてはハミシュが話すこともありました。
だんだん日が昇って暖かくなってきましたのよ。ちょっとしたピクニックですわね。義兄様とお祖父様の水筒はお酒が入っているようです。アルコールの匂いが漂いますの。
そしてわたくしが義兄様の誓いを破棄させるために行動していること。3柱の神のうち、あとは天の神、ゼウスから義兄様の魂を奪還するところであるというところまで言って話を終えました。
「そうか、レオナルド殿は偉大な誓約の戦士であるのだな」
「ええ、自慢の兄であり、最愛の人ですのよ」
ふむ、とお祖父様は言い、遠くを眺めました。
「戦士の立てた誓いを破らせるというのはあまり賛成はしかねるが」
わたくしはあの日のことを思い起こします。
まあその通りですわよね。レオ義兄様は戦士としての、騎士としての誇りを持ってこの誓いを立てられたのです。全てを捧げたのは彼の意志。わたくしはそれを破ろうとしているのですから。
誇りある戦士であるほどわたくしの行為を良くは思わないでしょう。
「それでも、ですの。当時のわたくしは一方的に護られる存在だったかもしれませんの。でも今のわたくしはそうではない。
わたくしもまた彼の魂の奪還を誓った戦士ですのよ」
『ええ、その誓いは聞きとどけました』
クロがそうお祖父様に思念を飛ばします。
「そうか、アレクサンドラもまた戦士であるか」
お祖父様が頷かれます。
誓約・誓いにより力を得るという考えは、今では広く戦士や騎士に信奉されていますが、その源流の1つには数千年前から続くケルトの思想がありますの。結局のところスコットランドもアイルランドも源流は同じというところでしょう。
ハミシュが言います。
「じゃあなんだ、お前はこれからレオナルドを倒して、ゼウスを召喚して倒すって言ってるのか」
「ええ」
ハミシュは呆然としたように正気かよ……と呟きました。
「勝ち目は?」
「勝ち目ですか……現状のわたくしでは100度挑戦して1も勝てないでしょう」
「おい……それじゃあ意味ないだろう」
勝ち目の有無ではない、やるのです。と思いますが、それでは通用しませんかね?
『アレクサ、あなたの思いは正しい。
あなたがやると思えば道は拓ける。それが運命というものですし、それは他者に論理的に説明できるものではない』
とクロの思念。ふむ、そうですわね。わたくしは返答の代わりににこりとハミシュに微笑みかけました。
ガヴァンお祖父様が尋ねます。
「ふむ、何に勝てぬ」
「そもそもレオナルドに勝つ目が見えませんわね」
皆の視線が義兄様に集まります。グルゥと義兄様が唸りました。
「昨日のあの魔力、そしてそれを使い魔と共に制御した技、あの力を以ってすればレオナルドにも充分勝ち目があるように見えたが?」
「まあそうでしょう」
「なら……」
「ですが、あの状態は決して長く保つものではないですの。そして、あれはゼウスを殴る時に必ず必要な技」
これは確信がありますの。神と闘うのに、出力を絞っての闘いなどあり得ない。
「つまり汝はレオナルド相手に全力を出さずに勝つ方法を考えていると」
「弱体化魔術には期待していましたの。あれが義兄様に効くのであれば、わたくしはここでそれを学ぶか、あなたがたの協力を得てレオナルドを囲んで弱体化術式かけて貰えばと思っていましたが……昨日の殴り合い見ていた限り、何度も術式が飛んでいましたが1度も通っていませんでしたわね」
「そうだな。神の身体というならそうなのであろう。そして精神に働きかける魔術も、レオナルド殿の精神ははるか深くにあるため届かぬか」
わたくしは頷きます。
お祖父様は言葉を続けます。
「だがアレクサンドラよ、レオナルド殿は汝の強さを理解していないのか?汝をまだ護られるべきものと思っているのか?」
「……いえ、それはありませんわね」
「であれば、レオナルド殿と対峙したとして戦いは発生しうるのか?あるいは戦うべきは彼か?」
わたくしはゼウスの言葉を思い起こしますの。かの神は『神の身体を倒す』という表現をしていました。『レオナルドを』ではなく……。
「戦って倒すのは神に課せられた条件ですの。ただ、義兄様の魂は戦うまでもなく降るので、戦うのはレオ義兄様の身体を操る神ということになりますかね?義兄様の意識を無視して」
お祖父様は頷かれました。
すっと意識が楽になりますの。いや、神の方がレオ義兄様の魂より強いのでしょうが、なぜか気は楽になりましたのよ。
わたくしの表情の変化を見てハミシュはあきれたような顔をし、お祖父様が苦笑されます。
「汝は面白い女だ。神よりレオナルド殿の方を強いと見ている」
「ありがとうございます。気が楽になりました。
おそらく、わたくしの中で、神はもはや越えるべき障害と位置付けられてしまっているからでしょうかね」
お祖父様は空を見上げ、しばし瞑目されます。そして南の地平線を見つめながら声を出されました。
「アレクサンドラよ。ハイランダーがなぜ『まつろわぬ民』と呼ばれるか分かるかね」
ふむ?話が飛びましたわね。
「秘された意図や歴史があるのですか?」
お祖父様は頷かれました。
「この集落で長老にのみ引き継がれる歴史の話だ」
「じじい、俺は聞かない方が良いか?」
ハミシュが尋ねます。
「いや、ハミシュ。汝は次の次の世代でこの集落を継ぐに足る。無論、お主がここを継ぐ気があるならであるが」
昨日の宴会の際、お祖父様からはこの集落の次の後継者はダネルの性根を叩きなおして、上手くいけば継がせ、無理だったら能力は劣るが良い気性のものに継がせると伺っていますの。
そして今、その次の世代にまで言及されました。
「先の話は分からんぞ……」
ハミシュが頭を掻きつつ答えました。
わたくしはしたり顔で頷いておきますの。
「大丈夫ですわよ。ソルチャさんと仲良く継いでくれますわ」
「死ね!」
ハミシュが殴りかかってきたのでひょいひょいと避けます。義兄様に取り押さえられましたの。
お祖父様が笑われます。
「まあ聞け。まつろわぬ民についてだ。そしてそれは世界の秘された歴史でもあり、ハイランダーの歴史でもある。どうだ、アレクサンドラ」




