第115話:すこていっしゅ・でぃなー。
お祖父様は何か眩しいものでも見るようにわたくしに目を細め、背後にいるレオ義兄様の威容を見上げ、わたくしの隣に浮くクロを見て頭を下げました。
「方々もよくぞ斯様な僻地まで参られた。ハミシュも案内ご苦労であった。
我が名はガヴァン・ファーガス。この集落の長である」
「わたくしはブライアンとディアドリウの娘、アレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。こちらはわたくしの義兄レオナルド、こちらがわたくしの使い魔クロですの。よろしくお願いします。お祖父様」
「粗末なものであるが食事と寝床は用意してある。参られよ」
お祖父様はそう言って振り返り、集落の奥へと向かいます。
わたくしたちはそれに着いて集落を抜けていきます。
ふむ、人の姿が見えませんの。ただ、遠巻きに見られている感覚があります。
『家の中からこちらをうかがっているようですね』
クロが思念を送ってきます。
ふーむ、非友好的なのか、とても内気なみなさんなのか。
「レオ義兄様、わたくしが許可するまで手を出したり脅したりしてはいけませんのよ」
「………ガゥ」
お返事までに時間がかかりましたわね。不承不承ですの。
「クロやスティングもですのよ。でも何かあったら教えて下さいましね」
『はい』(やー)
アホ毛がふるふると揺れます。
集落の一番奥、他の家屋よりも少し大きい家へと連れて行かれます。
とは言え風に抗するためか屋根は低く、出入り口では義兄様が屈んで入るほどの小さな扉でしたが、扉を抜けるとすぐに下りの階段があり、中は思ったより天井が高く、空間が広がっていました。
暖炉により暖められた空気にほっと息をつきます。
「お邪魔いたしますの」
「ああ、よくぞ来た。積もる話もあるが、まずは腹を満たそう。
ハミシュ、お主も食っていけ」
テーブルにはいかにもスコットランド風の料理が並べられていますの。
家族なのでしょうか、おばさまとわたくしと同年代くらいの娘さんが皿を運んでいます。
娘さんはにこっとこちらに向かって微笑みました。
「いらっしゃいませ、お客様。おかえりハミシュ」
「ああ」
ハミシュはぶっきらぼうに答えました。
机の上に並ぶのはポリッジにコッカリーキースープ。
ハギス、羊の内臓の詰め物。香りからするとウィスキーベースのソースをかけられたもの。
ニープアンドタティ、茹でたターニップとジャガイモのバター和え。小皿にはチーズやビルベリーの実。
そして最後に娘さんが持ってきたのは大皿の鳥のロースト。
「ライチョウよ。昨日ちょうど兄ちゃんが捕まえてきたの」
「ふふ、ごちそうですね」
「でっかい人が来るって聞いてたしね。思ったよりもっと大きいけど!」
ふふと笑い合います。
「わたしはソルチャ」
「アレクサンドラですわ」
みなさんでご馳走をいただきます。
ハギスはやはりなかなか慣れない味ではありますが。うう、臭みをアルコールで誤魔化した感じの味ですの。他はどれも美味しくいただきましたのよ。
「ねぇねぇ、お土産は」
「ある……後でやるよ」
食事中ソルチャさんとハミシュがこそこそ話していますの。ふふーん?仲良いですわね。
食後、お祖父様はドランブイと書かれた酒の瓶を棚から取り出しました。キツい酒精の香りがいたします。こちらに差し向けられたのでわたくしは首を横に振り、お祖父様はご自身と義兄様の器に注いでいきます。
わたくしはお茶をいただきました。
懐から小さな袋を出して前に差し出します。
「お母様の遺髪です」
「……そうか。感謝する」
ガヴァンお祖父様はそれを額に押し当てるようにして受け取られました。
「また長きに渡る無沙汰、申し訳ありません。父からも謝罪の言葉を預かっております」
お祖父様はお酒を口にされ、ため息をつかれました。
「謝罪には及ばぬ。我が不寛容が招いた事態であるとも言える。かつて儂らはブライアン殿とディアドリウの交際を許さなかった故にな」
「お父様はどうしてこの地のお母様と知り合ったのでしょう」
「ふむ、知らんのか。
汝の父は若い頃飛竜に乗ってよく旅をしていたのよ。この地で放っていた我らの羊が飛竜に驚いて逃げ出してな。
それに怒ったディアドリウが弓と魔術でブライアン殿を叩き落とそうとしたのが出会いだった」
お父様なに迷惑かけてますのよ!顔に血が昇るのを感じます。
お祖父様は懐かしげに目を細めましたの。
「出会うたびに喧嘩するような仲ではあったが、今思えばそれが良かったのかもしれん。
汝ほどではないにしろ、ディアドリウの魔力量は同年代や少し上の世代には匹敵する者がいなくての。喧嘩などできるような相手はいなかったのだ」
なるほど。わたくしが黙っているとハミシュが声をかけました。
「じじい。なあ、アレクサンドラを一族に迎えたいって話はどうなんだ?」
「うむ。ハミシュ、せっかちめ。まあ良い。アイルランドで共に行動していたお前から見て率直に申せ。可能性があると思うか?」
ハミシュはちらりとこちらを見て答えました。
「ない」
「であろうよ。
汝がブリテンの愚王子から婚約を破棄されたと聞いてな。可能性もあるかと思ったが……」
と言って義兄様に視線をやります。
ふふん、もう相手がいますのよ。
「そもそも勘違いさせられておったのだ。
汝が愚王子に嫁ぐと思っていた故、それならこちらに嫁いでもと思っていたが、愚王子がアイルランドに婿入りするという話ではないか。これだと話はまるで変わる」
あー、確かに。王家とポートラッシュ家の約束を知っている筈が無いですわ。
アイルランドをわたくしが継ぐと知らねばそう思われるのは当然ですか。それをハミシュが手紙か使い魔を通じて伝えたということですのね。
「だから良いのだ。儂はアレクサンドラとレオナルドが結ばれることを言祝ごう。
そしてもし汝がこちらと交流を続けてくれるというのであれば。……将来、汝の息子か娘をこちらに婿入りなり嫁がせるなりすることも考えてくれたまえ。
ディアドリウの孫のためにハイランドは開かれている」
わたくしは頭を下げ答えます。
「言祝ぎありがとうございますの。
わたくしとレオナルドのこ、こ子供について約束は出来ませんが、その選択肢もあると言うことは必ず伝えますの」
そのとき、背後で扉が開き、足音が近付いてきました。
「お待ちください長老!」
40代くらいの長身の男性が部屋に入ってきて声を上げました。
「……伯父のダネル。じじいの後を継いで次の長になる予定だ」
『魔術で聴き耳を立てていましたね』
ハミシュとクロがこっそりと伝えます。
「ディアドリウの娘を我らハイランダーの血族に迎えるのではなかったのですか!」
「かつてそのつもりはあった。だがハミシュはアレクサンドラに敗れた。
この娘はこの北の地で伏して牙を研ぐ生き方をするような者ではない。既に牙もち戦う者よ」
「ハミシュがこの血族で最も強いという訳ではありませんぞ!」
わたくしの横で義兄様の座る椅子がぎしりと鳴ります。
ふむ、怒りを感じておられる。まあそうですわね。
「そこの男」
「あぁ?」
お祖父様にくってかかっていた男がこちらに振り返ります。
ふむ、恵まれた体格に身体も鍛えていますし、魔力も感じます。なかなかの使い手ですかね。
「このような僻地で貴族相手の礼を取れとは言いません。ですが、お前の上位者の客人に対し、名乗りもせず話に割り込む礼も欠かす男よ。
ハイランドの次代をあなたたちのような者が継ぐと言うのであれば、アイルランドはハイランドと席を同じくする必要を感じません」
そういってわたくしは立ち上がります。
「小娘、貴様……!」
「ダネル、謝罪し名乗れ」
ガヴァンお祖父様がそう低く呟くと、ダネルはぐっと息を詰まらせ、ぼそぼそと答えました。
「……申し訳……ない。ダネル・ファーガスだ」
「謝罪を受け入れます、ダネル・ファーガス。わたくしはアレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュ。アイルランド辺境伯ブライアンとディアドリウ・ファーガスの娘にしてアイルランドの継承者ですの」
「ディアドリウの娘、アレクサンドラよ。お前この地に嫁げ。さすればディアドリウの出奔の罪を許してやろう」
罪ねぇ……。
「あなたはお母様のなんですの?」
「兄だ。父ガヴァンが引退して後ファーガス家の家長となる」
なるほど。わたくしの伯父ですわね。
「お前の伯父として命ずる。ファーガスの家に嫁げ。
ハミシュか、こいつの兄の子か、わたしの弟か」
「断りますわ」
わたくしは首を竦めて言います。
ダネルという男は、顔を紅潮させて言います。
「貴様、ハミシュに勝った程度で抜かしよって。
俺直々に叩き潰してやろうか!
それで俺の妾にでもなるか?」
恫喝してきますの。
ふむ、先ほどのお祖父様の言葉から考えると、お母様は彼らの世代で最も力あった訳で、つまり兄である彼としては劣等感とか複雑な思いを抱えていたのでしょう。
なるほど。しかしまあそれはそれとして……。
「愚か」
「何だと?」
「愚かと言いましたのよ。この愚か者め」
わたくしはため息をつき、ハミシュは呆れ顔。お祖父様は……この展開を予測してましたわね。動揺が見られませんの。
「武の強き者が意思を通せる。その古き理に不満があるか」
「あろう筈もありませんの」
わたくしはそう言いつつ左手の手袋を脱ぎ、ダネルの足元に投げました。
「決闘だと……?」
「ええ、アイルランド辺境伯の継承者をたかが地方豪族の妾にするという発言はわたくしへの侮辱として扱うのは当然でしょう?」
わたくしは頷き、ダネルはしばし黙して考えて口を開きます。
「決闘ということは我々が勝った場合はお前がこちらに嫁ぐという意味で構わんのだな?」
「ええ」
ダネルがにやりと笑って手袋を拾います。ふむ、これで決闘は受諾されましたわね。
「その言葉、忘れるなよ」
「決闘は明日で良いかしら。決闘者の親族の家に泊まる気は無いですし、今日は野宿でもするとしますわ。庭でもお借りしますわね」
「うむ、すまんな」
お祖父様が言います。
わたくしは立ち上がり、手袋を回収して辞去しようとすると声が掛けられました。
「待て」
「何か?」
ダネルがわたくしを睨んでいますの。
「力で意思を通すことを愚かと言ったのでないのなら、お前は何を愚かと言ったのだ?」
それには答えず、わたくしは呟きます。
「吼えよ」
「ヴオオオオォォォ!!」
義兄様が立ち上がり咆哮します。
ハミシュが耳を押さえ、ソルチャさんやダネルがひっくり返り、ガヴァンお祖父様が眉を顰めました。
家が揺れ、天井からパラパラと砂や埃が落ちてきます。台所で皿が割れる音がしました。
クロの金魚鉢の水面が波打ちます。
義兄様の咆哮が終わり、音が耳の奥から消えるのを待ってからわたくしは言います。
「わたくしを奪うのに、わたくしに勝てば良いと思っている事ですのよ。
わたくしを誰から奪おうとしていると思っているのです?
我が騎士レオナルドに他ありませんの」
「ま、待て。だが決闘を受けたのはお前だ」
「別にわたくしがあなたに負けるなどとは思いませんけど……。ですがわたくしは彼を代闘士に立てますわ。
女が決闘に赴くのに、よもや代闘士を認めないなどと恥ずべき科白を言いはしませんわよね?」
わたくしは彼らの顔を順に眺めて、反論が無いのを待ってから言いました。
「ではレオ義兄様、クロ。行きますわよ。おやすみなさいまし」




