第114話:ろんぐ・あんど・わいんでぃんぐ・ろーど
バリーキャッスルの港でお父様たちと別れ、わたくしとレオ義兄様、クリス、ナタリー、ハミシュの5人は船で2日かけてアードロッサンの港へ。そこから陸路で1日かけてニューエディンバラの町へ。
町に着いたのは夕方に近い頃ですが、そのままニューエディンバラの魔術師組合に赴き、竜鱗を渡すことで予約していた〈転移門〉の秘宝の使用許可を得ます。
クリスとナタリーが言いますの。
「じゃあまたね」
「お姉さまあああああ!どうかお達者でええええ!」
わたくしは頷き、2人を順にハグします。
「ええ、行ってきますのよ。2人も元気で」
「できるだけ早く戻ってきなさいよ」
「お帰りをお待ちしてますねえぇぇ!」
2人は〈転移門〉を抜けてライブラへと跳びました。ナタリーは術式が切れるまで向こうから手を振り続けていましたの。
彼女たちは今日はライブラの魔術塔からクリスの自宅、ライブラにある家へと向かう予定です。そこで一泊して移動、夏休みの後半をナタリーは自宅で、クリスは領地の屋敷で過ごし、家族の方々と過ごしてから新学期を迎えることになるでしょう。
わたくしは振り返り、ハミシュと義兄様に言います。
「さて、まずは宿へと向かいますか」
宿屋の一階の食堂で食事をしつつお話しします。店内はかなり混雑しているのですが、義兄様がいるせいかわたくしたちの周囲だけ人が空いている状態ですの。
ハミシュの鞄から使い魔の蛇のクルーアッハがにょろりと机の上に顔を出します。
クロの金魚鉢がコトリと机に置かれると、嫌そうな気配で頭を引きました。
『嫌われてしまってますね』
……胃の中で大量の海水を召喚してましたしね。
ハミシュはウェイトレスさんに調理前の肉を貰い、クルーアッハに餌付けしています。
義兄様が出されたステーキをナイフで突き刺し、切ることなく口に放り込みます。むしゃむしゃと咀嚼しながら、今度は左手でサラダの小鉢をお猪口のように持って口へ。ナイフを置いてジョッキを手にし、ビールを一気に飲み干すと「グァゥ」と唸り声なのか、げっぷなのかわからない声を上げられました。
一人前の食事を10秒で片付けた義兄様に周囲が目を丸くして見ています。
「お姉さん、同じのをあと3つ」
「ふぇぇ、は、はい!」
わたくしがウェイトレスさんにそう告げると、彼女は慌てて厨房へと向かい、他のお客さんたちはどよめきます。
わたくしはステーキを口へと運びつつハミシュに言います。
「ではハイランドへ向かう道案内よろしくお願いいたしますね」
「ああ」
「ハミシュ、あなたのお祖父様……わたくしのお祖父様でもありますがどこにいるのですか?」
「ハイランドの奥の方だ。食べ終わったら後で地図を見せる」
とのことで、食後に果実水を飲みながらハミシュが広げた地図を覗き込みます。スコットランドの地図ですわね。
南西の方にアイルランドが少し描かれていますの。
「ここが俺たちが今いるところ。スコットランド最大の町、ニューエディンバラな」
ハミシュはそう言って地図の南の方と北の方をぐるっと円を描くように指します。
「このあたりがローランド地方、北の方がハイランド地方だ。この道を北上していく」
ハミシュは指を地図の線に沿って北の方へと滑らせていきます。
「道はまっすぐではないんですのね」
「ん、ああ。ベン・マクドゥイなんかの山があるのでそれを避ける道だからな。
で、まずはここへ行く。ハイランドに町と言える程度に人がいる場所は1つしかない。イニリ・ニシだ」
そう言ってハミシュは地図の一点を指し示します。
北東から南西に向かって海が大地に切り込んでいるかのような場所、マリー湾と海に書かれ、湾の根元の部分にイニリ・ニシと書かれています。
「なるほど、お祖父様はそこに」
「いや?じじいのいる集落はさらに先だ」
なんと。わたくしは驚いて顔を上げます。ハミシュはにやりと笑って言いました。
「ここからイニリ・ニシまで200kmくらいか。俺たちの集落はそこからさらに北に100kmくらい行ったところだ。
ちなみにイニリ・ニシまではちゃんと道があるが、その先はほとんど道がない。ここからイニリ・ニシまで4日、そこから集落までさらに4日くらいはかかると思えばいい」
わたくしはため息をつきます。
「遠いですわねえ」
「全くだ」
翌朝、ニューエディンバラより北へ出発ですの。
スコットランド、特にハイランド地方の旅は難しいと聞きますが、わたくしは今それを実感させられているところですの。イニリ・ニシを過ぎてからは特に。
別に魔物が出るわけでもないのですけどね。まず単に道が厳しいんですのよ。
ロッホという地形があります。氷河により侵食され、刻まれた谷に水が入り込んでできた水域を示す言葉で、湖とか深い入江を示す言葉ですわ。
はるか古代、この辺りだと氷河が北東から南西に向かってスコットランドの地形を刻んでいるために、北に向かって進もうとすると丘陵にぶつかり、それを越えると渓谷にぶつかりますの。そこには細長い湖が横たわっており、迂回して谷を越えるとまた丘陵……。
そして気象、8月ですが朝晩の気温は10度を下回り、宿もない野宿は冷えますの。
そして昼も雨が多い。激しい雨や一日中雨ということはなく、ただ毎日のように短時間さっと雨が降っては身体や荷物を濡らして体温を奪っていく。
丘陵の上にて。剥き出しの岩の上に腰掛けて休憩し、景色を睥睨します。
青灰色に広がる空、灰色の岩と枯草色の草原。
荒涼たる大地。同じ草原を行くにしてもアイルランドでは翠の野が広がるように見えるのに対して、ここでは色がくすんで見えますの。
「厳しい土地ですわね。義兄様」
「グルル……」
ここに住まう一族の厳しさはいかばかりか。お母様はここで何を思って過ごし、アイルランドへと旅立ったのか。
思いを馳せていると、休憩中にちょっと離れていたハミシュが戻ってきますの。
「ペースが早いんで、ちょっと頑張れば今夜には着く。それか明日の昼前にという感じだがどうする?」
「いきなり夜につかれたらご迷惑では?」
わたくしの言葉にハミシュは首を横に振り、肩の上のクルーアッハを指さします。
「この距離ならこいつを通じてじじいに連絡を送れるからな。
今夜つくならその旨、伝えておくから問題ない」
なるほど、クルーアッハは本来、お祖父様の使い魔でしたか。
わたくしは義兄様とクロを見て頷きます。まあ、わたくしたち余力ありますし、ペース上げて着くのならば、はやく着いたほうが良いでしょう。
「では今夜までに着くとご連絡おねがいいたします」
「わかった」
そうして、その日の夕刻、集落が見えてきます。
石造りの壁に草葺きの屋根、半地下構造なのでしょう、背の低い家々が谷間に点在していますの。風に耐えるための構造ですわね。
『む』
「どうしました?」
クロが身じろぎしたので尋ねます。
『魔術的な結界がありましたので。害意あるものではありませんが』
……気付きませんでしたわね。隠匿性能が高くて害意がないと言うことは、踏みこえた者を知覚するためのものですか。
集落の奥の家の扉から明かりが漏れ、人影がこちらへと向かってきます。
ハミシュの肩からクルーアッハが降りてするすると地面を這いそちらへと向かいました。
かつては鮮やかであったであろうキルトで全身を包み、碧の隻眼がこちらに鋭い視線を向けて近付いてきますの。
老いた姿ではありますが、矍鑠とした足取り、伸びた背筋。
わたくしは淑女ではなく戦士の作法で礼を取りました。
声がかけられます。
「よくこの地まで来た、アレクサンドラよ」
「はじめまして。お祖父様」




