第113話:ふたりのお茶会。
ザナッドが飛び上がり上昇している間は揺れも大きく、悲鳴を上げ続けていたナタリーですが、水平飛行になって少しすると落ち着いたのか、恐る恐る周囲の景色を見渡します。
「どう?空を飛ぶのは初めてですの?」
まだ口を開く余裕はないのかナタリーが激しく首を縦に振ります。
「あー、そうですわザナッド」
「グァ?」
竜がこちらに視線をやりますの。
「あなたたちの鱗や牙を素体にした剣、素晴らしいものでした。使い手たるレオナルド義兄様に替わって感謝を」
わたくしは首元をぽんぽんと叩きます。
「りゅ、竜と意思疎通ができるのですか?」
「できませんわ。ただ、感謝の気持ちは伝えておかねば」
『言葉は伝わらなくとも気持ちは伝わりますよ』
とわたくしが抱えている金魚鉢の中からクロ。
「だ、そうですのよ。だからナタリーも怖がっているとそれが伝わってしまいますのよ。ほら、見てごらんなさい素晴らしい景色ですのよ」
今日は快晴。蒼天にいくつか小さな雲がぽっかりと浮かび、右手にはアイリッシュ海が陽光を照り返して煌いていますの。前方は右手が少し丘となっていて、左手側は翠の草原が広がっています。左後方にはネイ湖が海の色より淡い青をたたえていますの。
遮るものなき空からの絶景。エメラルドの島とかつて呼ばれたアイルランドの美しい景色ですの。
やっと顔を外に向けたナタリーが「わあぁ」と感嘆の声を上げました。
爽快な景色を楽しむ余裕ができたようですの。
もちろんポートラッシュに到着するとき、ザナッドが下降するとやっぱり悲鳴を上げられてしがみつかれましたけどね。
ポートラッシュの南門の脇に着陸し、クロの金魚鉢が浮き上がり、わたくしはひょいとザナッドから飛び降りると、手を差し出してナタリーを竜から下ろしました。
その間にポートラッシュの民がどんどんとわたくしたちのそばに集まってきます。兵士も、女たちも、子供たちも。遠目にも飛来する竜は見えていたでしょうしね。
どやどやと集まってきた彼らはわたくしに近寄ろうとしますが、竜がいるので兵士のみなさんは彼らを抑えます。彼らの目は期待と興奮にきらきらと輝き、わたくしの言葉を待ち望んでいます。
わたくしは何も言わず右の拳を天に掲げ、勢いよく振り下ろしながら叫びました。
「……やったぜ!」
歓声が上がり、わたくしとナタリーはもみくちゃにされましたの。
胴上げされているかのようにみなさんの手に担ぎ上げられてわっしょいわっしょいと領主館へと運ばれます。ようやく玄関の前で下されました。まさか一歩も歩かずにここまで運ばれるとは。わたくしもナタリーもふらふらしていると、目の前で笑っているお嬢様がいます。
クリスですの。
そう、ポートラッシュにクリスを置いていったのですわよね。
「おかえりなさい。アレクサ、ナタリー」
「ただいまですの」
「クリス先輩ただいまもどりました」
クリスは隣にいた家の執事のエドガーから月桂樹の冠を受け取り、わたくしの頭に被せました。
「それとおめでとう」
拍手と歓声が上がりましたの。
とまあ、何とか戻ってきましたのよ。やあ、なんか最後に妙に疲れが出ましたの。
実のところ早馬は昨日、伝令の騎士オトゥールを出していたので戦に勝ったこと自体は伝わっていたということですけどね。
ただ、具体的な話はまだ伝わっていないですし、この段階でわたくしが戻ってくるとは思っていなかったようで。
部屋に戻り魔術礼装であり軍服である服を脱ぎ捨てつつ執事のエドガーに尋ねます。使用人とは言え殿方の前で肌をさらすのは……というところですが、メイドたちが婚活でいませんからね!そもそも軍生活で肌をさらすのは普通にやってしまってますしね、今更というものです。
「クリス……クリスティはどうしてました?」
「ええ、日中は精力的に街中を視察され、アイルランドの産業や庶民の生活に大変興味を持たれたようですよ。夜は遅くまで勉強なさっていました。
侍女やメイドたちの多くが南征に加わっているため行き届かぬところもたくさんあったかと思いますが、文句ひとつ言われぬ優しい方ですな」
「ええ、良き友達ですの」
汗を拭い、普段着に着替えて客間へと向かいます。既婚で今回のベルファスト戦に帯同しなかったメイド長がこちらへとやってきて、ナタリーは疲れが溜まっている様子だったので眠ってしまったと伝えてきました。
ふむ、まあ仕方ありませんわね。ゆっくり休ませてあげ、夜中目が覚めてしまった場合に何かつまめるものでも用意してあげるよう指示を出します。
客間に入ると、クリスが迎えてくれます。窓際の裏から芝生の広がる平原を眺められる席につき、お茶会ですの。
「ナタリーは疲れて眠ってしまったみたいですの」
「あら、それもそうね」
クリスが肩をすくめつつ紅茶にミルクを注ぎます。わたくしはサイドテーブル上にいる毛玉うさぎのフラッフィーの前にクロの金魚鉢を置いて紅茶を一口。ちょっとだらしなく椅子の背もたれに寄り掛かります。
「お疲れ?ソファに移動する?」
「いえ、疲れはありますが大丈夫ですのよ」
窓の外を眺めます。帰ってきた感じがしますのよ。
「ここ景色良いわね。こんな一面に芝生整えていると思わなかったわ。もっとこう……」
「危険な荒地とか広がっていると思いましたか?」
「荒地とは思わないけど、こう野趣溢れる感じを想像していたというか」
ここは西暦の時代にゴルフ場があったということで、その半分はつぶして軍事演習場にしてしまいましたが、残り半分はコースであった部分をそのまま庭とし、元コースであった部分に芝生が広がっているんですのよね。
そんなことを説明します。わたくしが戻ってきましたし、今度庭でピクニックするのも良いでしょう。
クリスには南征の様子や出来事を伝え、逆に何をしていたか尋ねます。
「そうよアレクサ、どういうこと?」
「なんですの?」
クリスがちょっと怒ったような表情をしますの。
「あなたのとこの執事たちよ!わたしがポートラッシュ領について調べてると、しれっと『イングランドではどのようになさっているかご教授願いたいのです』とか言いながら、どうみても領の機密に属する書類見せてくるんだけど、あれあなたの仕込みでしょう!」
わたくしはしれっと答えます。
「軍事機密だけは見せないように伝えましたのよ」
「それ以外、領の統計資料の主要どころ全部見せてきたんだけど!」
そのせいで夜も資料のまとめと考察で学校にいるより頭を使った、睡眠時間が削られたと文句を言われましたの。
ふふ、わたくしは紅茶を口にして机に置き、彼女の瞳を正面から見て言います。
「クリスティ・キャリッジ侯爵令嬢」
「なによ、改まって。アレクサンドラ・ポートラッシュ辺境伯令嬢」
「アイルランドはどうにもブリテン本土との仲が悪いですの」
クリスが頷き、わたくしは言葉を続けます。
「イングランドの貴族家たち、スコットランドはわたくしの父母の駆け落ちで疎遠に。陛下は辺境の理解者であり、友好を示そうとしていたけど、ルシウスの件でそれも破談になりました。陛下や王太子殿下に対してわたくしは遺恨を感じていないですが、わたくしがアイルランドを継いだとして、その間に友好のための一手を打つのは難しいでしょう」
「……そうね」
「わたくし考えましたの。全体との友好関係とか考えるの面倒だなって」
「ちょっと」
クリスが咎める視線を向けます。
「以前、婚約破棄の場で言ったのですけど、わたくし大人になって茶会と夜会で彼らと関係を深める時間はありませんの。だ、旦那様にするつもりのレオナルドもブリテンとの繋がりありませんし」
わたくしが旦那様と言ったところでクリスがにやにやと微笑みます。なんですのよもー。
「まあね。間違ってはいないわ」
「だから、その代わり理解者がいればいい」
「あー。それでわたしにこの地を、内情も見せた?」
わたくしは頷きます。
「ナタリーはアイルランドに来てもらうことになるとしても、イングランドにクリス、スコットランドにハミシュ。ディーン寮のみなさまとも親しくさせていただいてますし」
「ふーん、イーリー先輩は将来魔術塔で働くエリートだろうし、モイラ先輩のとこも伯爵家か。うちとドロシアのとこが侯爵家だしね。あとそもそもスペンサー家よね」
「まさかミセスがまだまだ現役とは思ってませんでしたけどその通りですわね」
わたくしは頷き、紅茶を口にします。
「せっかくお父様がわたくしをブリテンの学校に入れさせてくれたのです。親アイルランド派をわたくしと同年代の間に増やしておきたかった。
寮内でドロシアとわたくしが数年対立していましたので、下位の貴族や平民のかたはわたくし寄りでしたし、そのドロシアも家は反アイルランドですが本人はそうではないと知れたのは嬉しいですわね」
「わたしたちの世代になったら、あるいは嫁いだ先で親アイルランド派を増やす感じかしら?」
「ですわね。そして親アイルランド派の家と交流を増やしてそれらの家々に力をつけさせたいですの」
「どうやって……ああ」
ふふ、クリスは気づいたみたいですわね。そのために内部資料を見せていたのですけど。
「竜鱗か……それは力になるわ」
「それと魔石もですわね」
結局のところこれら資源は極めて有用で魔術的に価値あるのですが、交易での輸出量が少なすぎる。
領内での使用に関しては未加工のまま使用すると先日のわたくしみたいにダメージを受けますし、加工に技術がいるためにポートラッシュ領では技術者が少なすぎてどのみち使い切れませんのよね。
「どうですか、クリス。ポートラッシュは魅力的ではなくて?」
わたくしがにやりと微笑み、クリスは疲れたように声にします。
「末長くおつきあいしたいですわ」
翌日には領軍から交代要員の編成・大工や測量技師さんたちの招集が行われ、その翌日にはベルファストへと送られました。一時的に北の護りが薄くなりはしましたが、わたくしもいますしね。野良の魔獣などが出た日もありますが特に大きな問題はありませんでしたの。
領主館でわたくしとクリスとナタリー、それにサリアもちょくちょく家から呼んでお茶をしたり楽しみましたのよ。
翌週にはベルファスト攻めをしたポートラッシュ領軍や翠獅子騎士団、輜重の女性たちの半分が休息に戻ってきましたの。お父様と義兄様、ハミシュも戻ってきました。
数日間、祝勝会で楽しんだり、みなさんでお話したりという日々。この間にサウスフォード魔術学校からは成績が届きました。魔術制御がクロのおかげで一気にCからAへと上がりました。魔術戦闘訓練は当然1位ですしね。総合でも学年主席を初めてとりましたのよ。むふふー。
そうして、クリスとナタリーは実家に帰るために、わたくしと義兄様とハミシュはハイランド地方へと旅立ちます。
「忘れ物はないかね?」
バリーキャッスルの港まで見送りに来てくれたお父様が言います。みなさんの足元には大きなトランク、クリスとナタリー、ハミシュにはお土産もたくさん持たせているので、荷物が来た時より増えてますの。
わたくしはお母様の遺髪だけ確認して頷きます。これさえ届けられれば他は何を忘れていても問題ありませんしね!
「大丈夫ですの」
お父様の後ろにはバリーキャッスルの人々、交代で休息している翠獅子騎士団の半数、その横にいる彼らを捕まえた女たち。みな笑顔でこちらに手を振ります。
わたくしたちは船に乗り込み、手を振って叫びました。
「では行ってきます!」




