第112話:のーす・とぅ・ぽーとらっしゅ
「おはようございます、クロ」
『おはようございます、アレクサ』
翌朝、わたくしは目を覚まして天幕より外に出ます。ちょうど隣の天幕よりお父様も起きてこられたようですの。
「おはようございます、お父様。……酷いお顔ですわね」
「おはよう、アリー。……君もな」
手紙を読んで涙を流し、夜更かしもされたのでしょう。わたくしもですが。
目元に軽く治癒魔術をかけて充血を取り、並んで冷たい水で顔を洗います。
「今日はどうするのだ?」
「午前中は義兄様とお家の霊廟へ。お父様も行きますか?」
お父様は流石にベルファスト整備に仕事せねばならないとのことでしたの。残念。
霊廟はディストラハウによる指示なのか封鎖されていました。今なお残る血の海であった跡、乾いて鉄錆のようになった血痕。そしてここで滅した無数の魔族の悪霊たちが蠢いています。
『……[聖域展開]』
クロの思念に応じてわたくしと義兄様の周囲だけぽっかりと霊なるものを寄せ付けぬ空間が出来上がります。そこにいる霊のみ浄化されていき、全体の空間を占める悪意が後退りしたように思いますの。
「全体の浄化はできませんか?」
『できますが、かなり時間がかかりそうですね』
なるほど。いつかはお願いしたいところですかねえ。ここまでやってきてくれる気合い入った浄化系の魔術師がいるとも思えませんし。
朝の爽やかな陽光を跳ね除けるような薄暗がりの空間、それを奥へと進んでいきます。父祖の墓も血に塗れ、洗って差し上げたいところですが……。
「……〈浄化〉」
茶色く染まった墓石からぼろぼろと汚れが剥がれ、白が現れました。せめて墓石についた血のみは落として行きます。
霊廟の最も奥、あの日わたくしたちがいた場所。義兄様が祈りを捧げた祭壇へ。
「憶えておられますか?義兄様」
「ガルル……」
わたくしがあの時座っていた墓石を撫で、義兄様が祈りを捧げた祭壇の前に立ちます。
おもむろにわたくしの横で義兄様が膝を折りました。祭壇より淡い光が立ち昇りました。
「〈霊気視覚〉」
術式を唱えると光が人型に見えます。キーガン様ですの。
「キーガン様、約定を果たしに、誓約の破棄にまいりましたのよ」
『うむ、よく来たな、アレクサンドラ、レオナルド』
「ガルルル……」
『一昨日の戦い、ここより知覚していたぞ。素晴らしい戦いであった』
「ありがとうございます。あんなに強い魔族がいるなら以前お会いした時に伝えてくれれば良かったですのに」
わたくしの不満にキーガン様はにやりと微笑みます。
『どうせ言っても言わなくてもお主は今日この日にここに来たさ。それに英雄に試練を与えるのは神の仕事のうちよ』
んー、英雄と言われるのは面映いですが、まあ確かにどのみち来ることには変わりませんか。
わたくしは彼の霊体の前に跪き、胸に手を当てて声を放ちました。
「言葉を話せぬ我が義兄、レオナルドに代わり宣言いたします。
あの日、あの時、この場にて。彼の成した誓約はもはや無効であると」
『何を以て無効となす?』
義兄様の誓約の言葉、一字一句違えず憶えておりますの。あの時義兄様はこう言われました。
ーー天よ!地よ!海よ!そしてアイルランドを守り続けた父祖の霊よ!我に力を与えたまえ!我が背の幼き少女を守るための力を与えたまえ!
この少女、アレクサを、汝らの娘!アレクサンドラ・フラウ・ベルファストを護る為の力を!我、レオナルドに与えたまえ!
我は捧ぐ、『全て』を!アレクサを護るための機能、それ以外の全てを捧ぐことをここに誓約す!
この誓い破るとき、天よ落ち我を打ち砕け!地よ裂け我を飲み込め!海よ逆巻き我を押し流せ!
「わたくしの名がベルファストではなくポートラッシュと変わったこと。
そしてわたくしが彼の背の陰に護られるべき少女ではない、彼の隣に立ち共に戦う女となったこと。以上2点を以て誓約は無効ですわ!」
「グォゥ!」
義兄様が同意の思念を乗せて咆哮されました。
『良かろう!誓約の破棄をキーガン・ベルファストは受け入れた!』
周囲の空間から硝子の割れるような音が響きました。
これで、誓約のうち、海と地が解除されたという事ですか。
『誓約の解除まであと1つか。まあそれが問題だろうが頑張りたまえ。この地から応援していよう』
「ありがとうございますの」
わたくしは立ち上がり、頭を下げます。キーガン様の手がわたくしの頭を撫でるかのように動かされました。もちろん霊体ゆえに触れられたわけではないのですが。
「ガルルル……」
「義兄様からも感謝だそうですの」
『ああ、分かっている。我が血族アレクサンドラよ、そして我が血族に連ならんとする者レオナルドよ。汝らに幸あらんことを。汝らの人生に困難あれ。そしてそれを乗り越える者であれ』
キーガン様はにやりと笑い、そう言って〈祝福〉をくださいました。困難あれという祝福も随分ですわね!
『偉大なる古代神、“泳がぬ海の王”たるクロ殿にもこの娘をお願いいたします』
キーガン様がクロに頭を下げられました。
『無論。さしたる力なき神ではあるが、我が全霊を以て彼女に仕えよう』
まあ、そんなこんなでキーガン様とお話しして霊廟を出るとお昼前ですの。炊事の香りが広場の方から漂ってきます。
「ふふ、お腹すきましたわね」
歩いていくと輜重の女性たちに混ざって料理をしているナタリーがこちらに手を振っているのが見えます。
「ナタリー、お疲れ様!あとどれくらいですの?」
「もうすぐできますよ!座ってお待ちください、お姉さま!」
「いや、わたくし午前中おさぼりしてしまってましたので手伝いますのよ」
とは言えもうほとんど料理は終わっている様子。メニューはワイバーン肉が大量にあるので、メインディッシュはそのステーキですわね。それとパンとスープ、デザートにオレンジですか。
という訳で配膳を手伝うことに。自分に〈浄化〉術式をかけてスープ鍋の前に陣取り、味見をします。うむ美味しいですの。わたくしにちょうど良い程度ですので、朝から働いているみなさんには塩がちょっと薄いですかね。許可をとって塩を足します。
やってきた兵士のみなさんの皿にお玉でスープを注ぎますの。みなさんちょっとびっくりした顔でわたくしの前に並んでいきます。
「あ、アレクサンドラ閣下!」「光栄です!」「記念になります!」「うむ、良いから皿を出しますの」
ここ数年でポートラッシュ領軍に入隊した兵士の人たちはわたくしと行軍したことないので、珍しく思うみたいですわね。これが慣れてくるとこうなりますのよ。
「今日は閣下がスープ当番ですか!」「配膳だけですけどね」「閣下!にんじんが俺のに入ってません」「おっと失礼、たくさん食べますの」「閣下!セロリ抜いてください!」「うるせえ全部食え」
配膳を終えて、輜重のみなさんと少し遅く昼食を食べますの。隣にはナタリー。
談笑しながら食事を楽しんでいると、食事を終えたお父様がやってきます。
礼を取ろうとした皆様を止めてわたくしに話しかけます。
「アリー、食事を終えたらナタリー嬢と先行してポートラッシュに戻らないか?」
ふむ。ナタリーの顔を見ます。やつれたとまでは言いませんが、少し痩せましたかね。ナタリーが首を傾げます。
「ですわね。防衛は大丈夫そうですか?」
「問題あるまい。さすがにレオナルドは置いていって貰うがな。それと手紙を持っていって欲しい」
と懐から手紙を出します。
「必要な資材と、技師とかの派遣、兵の交代要員なども考えねばならん」
なるほど、伝令ですか。
「つまり急ぎですわね」
「ああ、ザナッドを出す」
わたくしとお父様は可哀想なものを見る目でナタリーを見つめました。
「な、なんでしょう」
その昼下がり、背中に悲鳴を上げ続ける何かを括り付けられた飛竜がベルファストから北へと飛び立ちました。




