第12話 しらべる→なまこ
「ただいま戻りました、クロ」
『ああ、おかえりなさい』
さて、巻物を持って部屋に戻ります。寮の個室に戻ったのに出迎えてくれるものがいるというのも面白いですわね。
「早速ですが、昨晩お会いしたミセス・ロビンソンから〈鑑定〉の巻物が届きましたわ」
『ほう』
「ふふふ、これでクロの秘密も白日の下にさらされますのよ!覚悟なさって!」
わたくしはサイドチェスト上の水槽にいるクロに巻物をつきつけました。
『いや、別に隠している訳ではないのですけどね』
「こういうのは気分ですのよ」
サイドチェストの横の椅子に座り、机の上に巻物を広げます。中身を見ると、複雑な魔法円と魔法文字が僅かな狂いもなく並んでいます。教本と重ね合わせたとしても、1mmのずれも見つけることはできないでしょう。
〈鑑定〉の術式自体は魔術の難度として特筆するほど高度なものではありません。ですが、「最も正確さが必要とされる術式」として有名ですの。
例えば料理の際に、〈点火〉の術式で薪に火をつけたいとします。このとき、仮に3度失敗して、4度目に火が付いたとしても、何も問題はありません。
戦闘に使う術式だって、それはもちろん失敗したら困りますが、多少の威力や効果の増減はつきものです。
ですが〈鑑定〉はそうはいきませんの。魔術に失敗すると誤った情報が表示されますので、例えば8割成功したとしても残り2割確率で誤った情報を手にしてしまったら?
そして、この鑑定の巻物の魔法円は二重の構造になっています。内側の円が〈鑑定〉の術式で、その外側の円は定められた魔法力のみを正確に流すための出力調整のものですの。
仮にわたくしが最大魔力で、人間や竜などの知的生物相手に〈鑑定〉の術式を唱えると……間違いなく廃人になりますわね。
〈鑑定〉は込められた魔法力に応じて得られる情報量が変わりますの。わたくしの魔力などでそれを唱えれば、その構成する細胞全ての情報、生きてきた軌跡そのものの追体験が一瞬の間にわたくしの脳内に送り込まれ……わたくしの脳は焼き切れるでしょう。
というわけで、付与魔術師は世の中に数多くいれども、〈鑑定〉の巻物を作るのには免状が必要ですし、また巻物を使わずに〈鑑定〉をすることは公には禁じられていますの。
世界規模付与魔術や原子力系統魔術のような禁呪ではないので、冒険者などはこっそり使っているとは言いますけどね。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、いざ、クロを〈鑑定〉してみましょう。
「では、クロ。よろしいでしょうか」
『ええ、いつでもどうぞ』
「これから魔術を使いますが、抵抗しようとは考えず、気持ちを楽にして受け入れてください」
『ええ、わたくしがアレクサからの魔術に抵抗しようとすることはありませんよ』
クロからは特に緊張も何も感じられません。本心からの言葉なのでしょう。
「ではいきますよ。……〈鑑定〉!」
わたくしの魔力が巻物に流れ、外側の魔法円で余剰魔力がはじき出され、必要な分だけが内側の魔法円へと向かいます。
魔法円が輝くと、放たれた魔力はクロへと浸透していき、わたくしの脳内に情報がもたらされます。
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名前:なし
称号:なし
種族:ニセクロナマコ
性別:♂
年齢:11
状態:被憑依
損傷:キュビエ器官(再生中)
特記:なし
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……あれー?
「えーっと、魔術に失敗しましたかしら」
わたくしは首を傾げます。
『ふむ?』
「わたくし、なまこさんにクロと名付けたのに、それが表示されませんの。あと、わたくしの使い魔であるという表示も出ませんでしたわ。
被憑依という表示もあるのですが、なにか幽霊とかに憑りつかれていたりいたしますか?」
クロはわたくしの言葉を聞いて、少し考えるように動きを止めてから、答えてくれました。
『……あー、なるほど。鑑定の対象が間違っているのですね』
「と言いますと?」
わたくしとクロ以外だれもおりませんのに、対象が違うとはどういうことなのでしょう。
『実はわたし、なまこではないのです』
どうみてもなまこですの。
『今、こうしてアレクサと思念を交わしているのは、目の前にいるニセクロナマコの体を借りている存在であって、ニセクロナマコそのものではないのですよ。
というか、なまこにわたしのような複雑な思考力はありません』
なんと。クロはなまこではなく幽霊でしたか。
『そもそもなまこに脳という器官はありませんしね。さておき、アレクサの使い魔として契約したわたしは精神体であり、そちらを〈鑑定〉されるとよいでしょう』
なまこには脳がないのですか。まあ確かに頭のように見えるところはありませんけども。
「〈鑑定〉は目にしているものにしか使えないと教わっているのですが、精神体などの不可視のものを対象とするにはどうすればいいのでしょうか?」
と、わたくしが尋ねると、クロはしばらく考え込みました。
『……〈霊気視覚〉などの術式を使うか、魔力を感知すると良いでしょう。いっそ目を閉じた方が、なまこの外見に惑わされないかもしれません』
魔力の感知なら術式に頼る必要もありません。クロの言うように目を閉じ、ゆっくりと息を吐いて止めます。そして瞑想する要領で、落ち着いて周囲の魔力を息とともに取り込みながら周囲に意識を向けます。
……寮の中ですし、たくさんの生徒たちの魔力を感じます。
そしてわたくしの1mほど前に小さな魔力が。使い魔契約による細い魔力の通り道、魂絆がわたくしから糸のようにそこへと繋がっています。
いえ、これは魔力が小さいのではないですわね。魔力の漏出量が明らかに少ないだけです。熟練の魔術師がその魔力の漏出を防ぐことで魔力の無駄を減らし、さらに自身の力を悟らせないようにしているのと似ています。
わたくしなど、魔力量の多さにかまけて、魔力制御がまるで甘いので、このあたりこちらの至らなさを叱責されている気すらしますの。
なるほど、確かになまこそのものの生命力とは別の魔力が存在するのですね。
わたくしは眼を開けてクロに告げます。
「分かりましたわ。クロ。確かにあなたはなまこさんとは別に存在するようです」
『では、そちらに意識を向けてもう一度使ってみてください』
わたくしは頷くと、改めて魔力を練り直します。さて、気を取り直してもう一度ですの。
「〈鑑定〉!」
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名前:クロ
称号:“水底の守護者”“最も深き者”“泳がぬ海の王”
種族:神
性別:♂
年齢:505729106
状態:憑依中、〈使い魔〉による契約
損傷:なし
特記:精神生命体、神術・魔術
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ん、えーっと、んー?
……神じゃないですかヤダー!
わたくしは驚愕のあまり、びくりとのけぞって椅子から転げ落ちました。
どさりと背中が床を打ちます。
「あいたたた。……いや、驚きましたわ」
『大丈夫ですか?アレクサ』
こちらを心配するようなクロの言葉ですが、明らかに楽しんでいますわね。〈精神感応〉の術式では強い感情も伝わってきますので、面白がっているのはバレバレですの。
「だ、大丈夫です。いや、大丈夫じゃないです」
わたくしはゆっくり立ち上がるとスカートを整え、大きく深呼吸してクロに向き直りました。
「神じゃないですかヤダー!」
深呼吸した程度で落ち着けませんわ!
『嫌といわれましても』
「しかも1、10、100……5億歳とかどう見ても古代神じゃないですか!」
『長生きしているだけで、ほとんど力なんてないですよ』
「力が無くても神格は別じゃないですか!」
『あ、よくご存じですね。まあこれも単に長生きしてれば付随するだけのものですけど』
「なんで古代神が〈使い魔召喚〉とかされてますの!」
『アレクサの魔力がわたしを呼び出せるだけのものだったからですよ?いくらわたしが弱小神とはいえ、そこまで魔力を練り上げた魔法を使ったこと、誇ってよいでしょう』
「意味が分かりませんのー!……はぁはぁ」
叫びすぎて疲れましたの。
「……それでも別に召喚に応じる必要はないでしょうに」
『神の元まで力を届かせた術者を見てみようと興味を持ってね。お誘いに乗ってみたのですよ』
んー……嘘を言っているという感じでもありませんが、本当でもないような。
――海流に身を任せるウミユリ、砂上のヒトデに降り積もる雪の如きもの、岩の隙間で沈黙するウニ、そしてナマコが深淵から臨む、限りなく漆黒に近い蒼、長い……永い……無限の静謐と孤独。
ふと、以前クロを名付けた時の心象風景が頭をよぎりました。
「……無限の」
『?』
「無限の静謐と孤独」
『!』
クロが大きく身をのけぞらせます。
「……クロ、あなたは寂しかったのですね」
『……あー……。くそぅ。この主、なんで祭司の才能まであるんだ』
クロが水槽の中でうねうねと身を捩っています。
『いくら〈精神感応〉でリンクしているとはいえ、ふつー神の深層意識まで覗けるかー?5億年存在し続けて、15の娘に慈愛に満ちた眼差しで見つめられるとか恥ずすぎる。今なら恥ずかしさで消滅できる自信があるぞ』
「クロ」
わたくしが呼びかけると、クロはぴたりととまり、こちらに向き直りました。
「お友達をたくさん作りましょう」
わたくしがそういうと、クロはぱたりと砂の上に倒れ、その日はもう動かなくなってしまいました。
神の設定とクロの年齢について
この作品の設定において、神は4種類に大別されており、棘皮動物の神であるクロはその中で古代神として設定してあります。
古代神の定義は地球に古来から存在する自然発生的に生まれた(人間の想念によって生まれた訳ではない)神のこととしてあります。
例えば海洋神であれば古代神の中でも最上位の神格であり、力を持ちますが、人間の想念によってその一部が切り取られて個々の神話に落とし込まれます。それがネプチューンであり、エーギルであり、ワダツミであります。
さて、棘皮動物の中で最も原始的なものは何かというとウミユリです。ナマコが一番単純なつくりしてるから、あれが原始的な形じゃ無いの?とか言ってはいけません。ナマコは進化の末に不要なものを取り除いてあの形に最適化されたのです。
だからこそ、クロは棘皮動物最先端たるナマコに憑依しています。
そのウミユリはカンブリア爆発の初期に生まれたとされています。五億四千万年前くらいですかね。
そこから四千万年くらいかけて、ウミユリや、その他の棘皮動物の始祖たち、今は絶滅した棘皮動物の種類の意識が名も無き神を生み出しました。
それから五億年たち、いま初めて人間に知覚されてるという感じですかね。




