第110話:勝利ですのー。
わたくしが意識を取り戻すと、目の前には心配そうな表情のお父様が。すぐに血が肺からこみ上げて鮮血を撒き散らしつつ咳き込みます。
背中がさすられました。義兄様ですわね。義兄様に身体を預けて地面に寝ている様子です。
次に目に入ったのは不機嫌そうな表情の男性。おや、ハミシュですわね。彼がわたくしの腹に手を当て、術式を詠唱していますの。
「〈解毒〉」
少し気分が楽になりました。ハミシュは再び〈解毒〉術式を詠唱します。お父様や軍医の方が代わる代わる〈治癒〉術式をかけてくれています。
やはり複数人がかりで治さないとまずいような状態でしたわね。
『それは当然でしょう。無理をなさる』
クロの思念が伝わってきます。
(ままー、だいじょうぶー?)
次いでスティングからも思念が。いたわるように髪の毛がうねうねとわたくしを撫でていきます。
ふむ、身体に意識をやりながら思念を返します。
『わたくしが意識を失ってからどうなりましたか?』
クロからイメージがよこされました。義兄様がディストゥラハリの頭部に一撃入れて、角を叩き折り、ディストゥラハリとラヌザと呼ばれていた魔族は転移したと。ふむ、そこまでは意識ありますわね。
そのまま地面に落下する義兄様をクロが〈念動〉で浮かせて地面に下ろし、金属と化したわたくしはそのまま毒沼と化した地面に突き刺さったと。ん、うん。
クロの方もわたくしとのリンクが切れてましたし魔力も使い切っていたので、お父様達が来るのを待って引き上げたとのことでした。
そして表面の毒を洗ってから〈解呪〉して、今治癒しているところ、なるほど。
日射しはだいぶ傾いていてもうじき夕方ですわね。
わたくしは首だけ起こして視線を彷徨わせます。治療の邪魔にならないように遠くで背伸びしてこちらを見ているナタリーと目があったので、笑いかけておきます。
口をぱくぱくと開けると水の吸い口が差し出されたので、一口含んで地面に吐き出します。何度か口をすすぎ、血と毒の味がしなくなってから飲み込みました。身体の中を清浄なものが通っていく気分ですね。
「もう……大丈夫ですわ。ハミシュもありがとうございますの」
わたくしは声を出しました。
「グルルルル」
「アリー!無茶をして!」
「えへへ、でかいのは取り逃しちゃいました。でもやりましたのよ」
「ああ、良くやった」
お父様がわたくしの頭を撫で、よいしょと身を起こすと義兄様が背中を支えてくれます。
「他の皆様は?」
「あまり荒れてなかったベルファスト南部に陣を張っているところだ」
町の南側に目をやると、瓦礫と化した広場の向こうに炊事の煙が立ち昇るのが見えます。なるほど。
「ではそちらにいきましょう」
立ち上がろうとしたら義兄様に横抱きに抱え上げられましたの。
むふー。義兄様の首に腕を回すと、陣に向かって義兄様が歩き出します。
みなも一緒に歩いていきます。ナタリーがちょろちょろとこちらを窺っているので手招きして呼び寄せました。
「お姉さまっ!」
「ナタリー、あなたのおかげで助かったわ」
目を潤ませている彼女に手を伸ばして頬を撫でます。
陣につくとみなさんこちらに気が付き、手を振ってくれました。わたくしは義兄様に小山となった瓦礫を指差し、そこまで運んでもらいます。
わたくしはその上に立ち彼らを見渡します。夕陽に照らされた笑顔が並んでいますの。わたくしは〈戦声〉の術式を使い、声を響かせました。
「諸君……、諸君!見たか……!勝ったぞ!」
「応!」
みなが拳を掲げ、叫びます。
「10年の時を経て我等はこの地、ベルファストを取り戻した!」
「応!」
「翠獅子騎士団の勲に異議あるものはいるか!」
「否!」
ばんばんと武器を鳴らされます。
「ポートラッシュ領軍に怯懦なものはいたか!兵でない女達の貢献に感謝せぬものはいるか!」
「否!否!」
「翠獅子騎士団団長、レオナルドに勲一等を与えることに異議あるものはいるか!」
「あげたいんでしょー!」
兵の誰かが叫びます。
「その通りですの!」
どっと笑いがおきましたの。
「だが異議あるものはいないな!?……辺境伯閣下!」
お父様に声をかけます。
お父様は苦笑いしながら頷かれました。
「魔族より土地を奪い返した者にその土地を。騎士レオナルド、ベルファストはお前のものだ」
「ひゅー!」
みなさま武器を打ち鳴らし、手を叩き、隣同士肩を組んで雄叫びを上げます。
「輜重に酒は持ち込んである!祝え!」
わたくしは歓声のなか瓦礫から飛び降りると、義兄様に抱き着きます。
「やりましたの」
「ガルゥ」
ふぁああ、疲労が……。
「さて、わたくしは寝ますの。義兄様はお楽しみなさってくださいましー……」
それだけ言うと、わたくしはそのまま意識を失いました。
さて、翌日ですの。
カンカンガラガラと工事をしているような音に目を覚まします。
『おはようございます、アレクサ』
「おはようございます、クロ」
枕元で金魚鉢に入ったクロと挨拶を交わし、わたくしがいつの間にやら寝かされていた簡易ベッドから降りて天幕から出ると、みなさん早速町を整備していますの。
昨日の酒宴の片付けと瓦礫の撤去ですわね。資材の運送はまたこれから大変ですが、まだ形の残っている家屋と軍のテントでしばらくは凌ぐ形になるのでしょうか。
みなさんと声をかわしつつお父様を探します。
そう、ベルファストのわたくしたちのお家に行かねばなりません。
お父様と義兄様、それとハミシュを連れていきます。義兄様には荷車を引いていただいています。
「わたしも行って構わないのか?」
「わたくしのお母様は貴方にとってもおば様でしょう?」
さて、毒の沼となってしまった広場を避けて屋敷の敷地内へと入ります。
10年前のベルファスト陥落の際にぼろぼろとなった屋敷を魔族たちが改築して、それをさらに昨日の戦いで壊した感じですのね。
ディストゥラハリのブレスの余波で玄関ホールに当たる部分が吹き飛んでますの。
庭には魔獣が放し飼いになっていたのか獣の悪臭が残り、うーん、あまり10年前を思い出す縁はありませんわね。
瓦礫をどかしたり乗り越えたりしながら屋敷の中へと入ります。
「お父様、いかがですか?何か見ていて懐かしいものとかありますか?」
「ふむ、内装とかには在りし日のベルファスト家の面影はないが、建物の構造は変わってはいないな。地下のワインセラーは……埋まってるか。
アレクサとレオは裏の霊廟で戦っていたんだよな」
「そうですわね」
話しながら部屋を確かめていきます。多くの部屋は荒れ果て、そのうちいくつかは人間を捕らえて拷問などしたのであろう陰惨な痕跡。ええ、ナタリーを連れて来る気にはならなかったのはこれなんですよね。
ディストゥラハリがいたであろう部屋や厨房などの一部設備は整っています。元々あったこの家の宝や書籍のうち価値ある物がいくつか回収でき、魔族の人間とはセンスの異なる宝飾品などが手に入りましたの。
「お父様が来たとき、お母様はもう亡くなっていたんですわよね」
お父様の眉間に皺が寄りました。
「……そうだな。魔獣たちに喰われていた。
ザナッドの炎で焼き尽くしてしまったので、ディアの遺体の一部を取り戻すこともできなかった。悔いているよ」
お父様はわたくしとハミシュに向けて言いました。
「いえ、仕方ないことかと」
ハミシュが答え、わたくしも頷きます。
「お母様の最期はどこですの?」
屋敷を出て庭の方へと向かいました。ああ、お母様と最後に別れた場所ですのね。
わたくしは膝をつき、首を垂れて祈りを捧げます。お父様たちも頭を下げて祈りを捧げました。
しばし静寂が周囲を満たしますの。
立ち上がって膝を払い、周囲を見渡します。
「ふむ。屋敷がこちらだと四阿は……薔薇園ってどちらでしたっけ?」
「向こう……だな」
お父様の指す方向から考えて歩いて行きます。
ええと、子供の頃思ってたより庭が小さい……当たり前ですわね。このあたりが……ああ。四阿の柱の基礎が残ってますわ。
「アリー?」
わたくしがふらふらと庭を彷徨っていると、お父様から心配そうに声がかけられました。わたくしは切り株を見つけ、その前で止まります。
「大丈夫ですの。ここに楡の木があって、お父様はここにブランコをかけてくださいました。
こちらがお母様の良くいらした四阿、このあたりに薔薇園があって、その向こうでわたくしが良く遊んでましたの」
「ああ、そうだった」
「だからここ」
わたくしは地面を指さしました。




