第108話:どらごんばすたー
煙が晴れ、そこに立っているのがまず見えたのは義兄様。竜剣を振りきった状態ですが、先ほどの位置より後退していますの。
対峙するディストゥラハリの右手には折れた剣。身体は縦に大きく切り裂かれ、紅の鮮血を大きく吹き出しています。明らかな致命傷……人間であれば。
人では無いことを示すようにその傷口からは瘴気が溢れ、こぼれ落ちた血が地面を溶かしていきます。
……なるほど、義兄様が後退し追撃にいかないのはその毒を避けたからですのね。
「見事だ人間レオナルド……!」
ディストゥラハリがそう口にし、口の端から血を流します。折れた剣がその手から滑り落ちました。
カランと音が響きます。
「グルァ!」
その音と共に義兄様は叫び、ディストゥラハリの側面へと回り込むように駆け出して竜剣を振るいます。
「ちぃっ……!」
ディストゥラハリは左手を巨大化させ剣を止めました。割れるように砕ける掌の鱗。
そのまま後ろへと跳躍し、背より翼を展開し広げます。赤黒い蝙蝠の皮膜のような形状の竜の翼、その羽ばたきごとに瘴気を撒き散らしていますの。
左腕は竜の前脚と化し、肥大化して垂れ下がっています。
あー、宙に浮かれて距離を取られましたか。マズいですの。
竜は地にあれば斬れますが、飛んでいると戦いになりませんのよね、一方的にやられるのみになってしまいます。
魔力が充分にあれば空中戦も可能ですが、現状では……。
「この身での敗北を認めよう。人間レオナルド、アレクサンドラよ。汝等は我が真の姿、全力を以て対峙するに値する」
「お待ち下さい、御身、万が一にもこの場で損なう訳にはなりませぬ」
ディストゥラハリの声に被さって新たな声が響きました。
いつの間にか彼の横には山羊頭の執事のような姿の魔族が。
……新手?
「ラヌザか」
そう呼ばれた魔族は宙に直立し、彼に頭を垂れます。
「お楽しみの処、水を差すような形となり申し訳ございません」
「我が負けると申すか」
「いえ、ですが大事な儀式を控えられた身、消耗はお控えください」
……儀式?
ふー……とディストゥラハリは長い溜息をつきました。
「すまぬな、つい熱くなったようだ」
「いえ」
ディストゥラハリはこちらへと向き直ります。
「人間レオナルド、アレクサンドラ。汝らと戦っては居られぬようだ」
「逃げますの?」
「虚勢を。竜体の我に魔力の切れた身で勝てると思うか?」
安い挑発をしました。
儀式、ここでわたくしたちを倒すより大切な儀式だというなら、勝てぬまでも一矢報いて消耗させる方がマシですのよ。わたくしたちの命よりも。
「ふふん、わたくしたちを生かす方が魔族に後の災いとなりますのよ?」
ディストゥラハリはそれには応えず竜へとその身を転じていきます。服が内側から破け、鱗で覆われた体躯へと変化していきますの。
左手がそうであったように鈍色の鱗。錆びた鉄のような鱗の胸元と左前脚からは血が溢れ、天から鮮血の雨を降らせ地を溶かします。長い首をくねらせる頭部はそれだけでも義兄様より巨大、槍のような漆黒の角、黄金の瞳がこちらを睥睨しますの。
城が如き巨体。それが宙に浮いていますの。天が割れるような声が響きました。
「よかろう、しからば我が吐息を受けるが良い」
「ディストゥラハリ様!」
ラヌザと呼ばれた山羊頭の魔族が、彼の顔の横に浮いて諫めます。
「吐息のひとつだ。それ以上はせぬ。この地を毒沼としたほうが人間共に占拠されるよりは都合が良かろう?」
「……承知いたしました」
恐らくあの山羊頭、ディストゥラハリの魔力を大量に使う儀式とやらを計画しているのでしょう。人型の時には出現せず、竜体になることを嫌っている様子ですから、本来の彼の魔力が損なわれるのを懸念しているように思いますの。
あれだけの巨体、存在するだけで魔力が使われていますのよ。特に飛行能力、竜の飛翔はあんな翼の羽ばたきのみで支えられるものではない、大量の魔力が必要ですの。
放出されている余剰魔力が威圧感となってますわね、喉がひりつくようですの。
「さらばだ」
ディストゥラハリは息を吸い、喉を大きく膨らませました。[竜の息]の予備動作!
わたくしは前に向かって駆け出します。ディストゥラハリの零した血、地面が溶け落ちる赤い沼に手を伸ばして鱗を拾いますの。
「ぐぅっ」
未加工の竜鱗、それも毒竜。魔力と共にわたくしの体内に毒と呪いが流れ込み、皮膚が破れ、目眩がし、口元から血が流れます。
……ですがこれで僅かなりとも魔力は稼ぎましたのよ。
ディストゥラハリは地上へと[竜の息]を吐き出しました。黒い毒の塊、素早くはありませんが重く広範囲に広がっていく吐息。
義兄様は剣を腰だめに、毒息を斬ろうと構えていますの。
竜剣が義兄様の魔力に反応して赤く輝いています。
「それでは……ダメっ!」
義兄様なら炎でも魔法でも斬れる、でもあれは毒の気体。斬っても周囲に広がってしまい結局わたくしたちが、ベルファストが毒に包まれてしまう。
「スティング!」
(いえすまむ)
わたくしの右の巻き髪が伸びて義兄様の腕に絡みます。わたくしは宙に浮くクロを見ます。クロの意識がわたくしの考えていることを読み取ったのを感じました。
「クロ、後は任せますの」
『承知しました。ご武運を』
髪型が元に戻り、義兄様を引き寄せるのでは無く、わたくしがそちらへと飛び付くような形となりました。わたくしの手が義兄様の逞しい身体に接触した瞬間に叫びます。
「〈瞬間移動〉!」
わたくしは義兄様と共に空へと飛び出しました。ディストゥラハリの頭上、上空100m程の高さまで転移し、眼下に息を吐くディストゥラハリの上方へ。
「義兄様!わたくしを足場に!」
「グオオオオオオッ!」
「〈錨〉!〈肉を鋼〉!」
わたくしは自らの体重を増し、さらに身体を鋼と化す術式を使用します。全身の肉が金属へと置換されていきますの。
義兄様がわたくしの身体を全力で蹴り、それを反動にディストゥラハリへと飛びかかりました。
ぎょっとした表情の山羊と竜の表情。全力で振り下ろされる竜剣。
剣はわたくしの腰よりも太い、黒く輝く角を折り、眼球に傷を負わせました。[竜の吐息]が途切れます。
義兄様は振り下ろしの反動で跳び、ディストゥラハリの背中へ。さらに剣を振りかぶって首を断たんとします。
「バカな、〈瞬間移動〉!」
山羊頭がディストゥラハリと共に転移し、消えました。
義兄様の方を見ます。振り落とされた義兄様がクロの〈念動〉で宙に浮いたのを確認したところで、わたくしの全身の金属化が頭までまわり、そこで意識は途切れましたの。
――――よし、やりましたのよ。




