第91話:神の原点
荒れ狂う暴風に吹き飛ばされましたが、それはあくまでも義兄様の心の中でのこと。
目を開けると、そこは翠獅子騎士団の駐屯地であり、義兄様の膝の上でした。手にはクロのいる水槽をしっかりと抱えています。
意識の急速な変化にぼーっとしているとアホ毛がひょいとわたくしの顔を覗き込むように顔の前で揺れます。
「ああ、そういえばスティングは精神世界には入れませんでしたのね。
わたくしは大丈夫ですのよ」
(よかったー、まむ)
ふと頭の上に重みが。
(ぐぇー。おもいー)
義兄様がわたくしの頭を撫でて下さいます。むふふー。
クロの声が脳裏に響きます。
『アレクサ、精神に入るのは初めてであったかと思いますがお加減いかがですか?』
わたくしは手足を伸ばし、義兄様の膝の上で足をぱたぱたさせながら答えます。
「身体や魔力は問題ありませんの。ただ、疲労感がありますわね」
『ああ、精神的疲労は大きいかと思いますよ。特に最後は強制的に追い出されましたからね。気を失っていてもおかしくない』
んー、暖かい。ごつごつと硬い義兄様の体ですが、ずっと身を預けていますので体温が移ってきますの。
「しかし、義兄様の呼び出した神がゼウス様とか……。もー」
義兄様の太腿をぱしぱしと叩きます。義兄様は一瞬ちらりとそちらを見たかと思うと、わたくしの手を掴んでそのまま抱きかかえました。
……はっと気付きます。この体勢は、恥ずかしいですわね!
ちらちらと翠獅子騎士団のみなさまの視線がこちらを見ているのが分かりますの。膝上から降りようと思いましたが、義兄様の腕はびくとも動きません。
『まずはベルファストにいき、地の守護霊キーガンとの誓約の解除、次いでアレクサがレオナルド殿との戦いに勝利すること。そして降臨するゼウスを追い返すことですか』
クロからは気にせず思念が送られてきます。
「なんという無茶無謀ですの」
思わずため息が出ます。
『無茶無謀ではありますが決して不可能ではないと思いますよ。
例えばベルファストを解放するのもレオナルド殿を倒すのにも、一人で、という文言は指定されてませんし』
まあ、確かにベルファストを解放するのは当然のことながら軍を伴ってとわたくしも解釈していましたが、義兄様もですか。
んー……。
「義兄様って魔族の軍勢から一人でわたくしを三日三晩守り続けている訳ですけど、数で囲っても何ともならないとは思うんですのよね」
『わたしも手伝いますよ。他にも手段を考えましょう。
あとゼウスですが。アレクサが思ってるほど絶望的な話ではないです。彼の神をどう捉えていますか?』
「えーと、はるか古代の神様でもとは人間領域の南の方、アテネとかラツィオの神様ですわよね。
天空の神で神々の主神、神々の父、あるいは神という概念そのもの。天空の神と言いますが、宇宙、気象の全てに権能が及び、その雷霆は世界全てを焼き払うとか」
クロの金魚鉢がふわっと浮かび上がり、わたくしの目の前に浮かびます。
『アレクサ、あなたに神とは何かを教示しましょう。
神なんてわたしも含め、そこまで大した存在ではない。
例えばそうですね。宇宙の起源ってどう考えていますか?』
「巨大な爆発で生まれたと習いましたの」
『ええ。神々が世界を生んだ訳ではない。つまり神話など真実では無い』
ふーむ、なるほど?つまりゼウスの雷が世界全てを焼き払うということはないという訳ですかね。
「でも、クロもそうですが、神は存在しますの。神話が真実ではないとして、神とはなんですの?」
『ええ、神とは、思いの結晶です。
人に限らず、あらゆる生命の思いが魔力により指向性を得たもの。それが神です。
例えばアレクサ。空を見て何を思いますか?』
義兄様の胸に深くもたれかかり、夕方の空を見上げます。
春朧。薄く雲を刷いたような天の色。
西の地平は朱に染まり、天上には3の月。天狼星は地平線の近くに。
「美しいですわ。そして広い。強き風、凍てつく風。太陽の光と雨の恵み。時に荒ぶり嵐と雷を落としますの。
……ああ、こういうことですか?」
『そうです。全ての生命の思い。それが神の原点です。
そこに人類が世界中のあらゆる神話、伝承で形を与えているだけなのですよ。
天空の神ゼウスもアンもホルスも。あるいは天の神秘生物もそうでしょう。ドラゴンもアキヤラボパも』
知らない神様や生き物の名前が出てきましたの……。ん?
「ドラゴンって実在しますわよね?」
『ドラゴンははるか昔から人類の空想の中にいましたが、それと今いるドラゴンは種類が違うのですよ。今いるドラゴンたちは3の月と共に来た者達です』
ああ!竜は3の月と共にあらわれた。確かにそれは授業で教わりましたわね。
『話を戻しますが、生物が天へと感じるその思い。その集合体が天空の神であり、ゼウスはその大半とはいえ、一部です。
そしてレオナルド殿の誓約を解消するにあたって、出現するのは神の化身、さらにその一部です。
むろん、ゼウスの化身ともあればそれは極めて強大な存在でしょうが、絶対的な存在とは言えませんよ』
「ふふ、なるほど。クロはゼウス様を相手取っても恐れを抱かないのですわね」
『それはそうですよ。棘皮動物は空に想いを馳せませんので』
なるほど……。あ、いけない。義兄様の体温の暖かさが疲労感に染み渡って……眠け……が……。ぐぅ。
完全に眠ってしまったわたくしは寮の夕食時にも帰らずに、夜になってミーアさんに連れ戻されました。ええ、お手数をお掛けいたしましたの……。
翌日の朝食、義兄様の膝の上でわたくしが眠りこけていたことをなぜかみなさんが知っていてわたくしを弄ってくるのですが……犯人はミーアさんかナタリーだと思いますのよね。
ん、ナタリーと言えば。わたくしはちょっと前に思いついていたことを口に出します。
「そうだ、ナタリー。夏休みなんだけど」
「はいっ」
「良かったらなんだけど前半ポートラッシュに来ないかしら?」
「お、おおおお姉さまの実家にですか!」
がたり、とナタリーが立ち上がりました。みなさまが何事かとこちらを見ます。わたくしは手ぶりで落ち着くよう、座るように指し示しながら言葉を継ぎます。
「ええ、ほら将来ポートラッシュに来てもらいたいって話があったじゃない?
そうはいってもうちって田舎ですし、魔族との戦いの最前線でもありますしね。実際にどんなところなのか見てから決めたほうが良いんじゃないかしら」
「こ、これはもしや嫁入りでは!」
いや、違いますわよ?
クリスが声をかけます。
「ちょっと、面白そうな話してるじゃない。そのお誘い、ナタリーだけなの?」
「いえ、夏の後半はハイランドに行かなくてはなりませんしね。ハミシュ・ファーガスにも可能ならポートラッシュを見てもらいたいと思ってますけども」
「ああ、決闘の。
そうよね。んー、となると帰りはナタリーだけにならない?」
「一応、こちらから送るのに警護の人員はつけますわよ?」
「だったらわたしも見てみたいかなあ。両親には相談しないといけないけど。」
「わたしはお姉さまの行くところなら何処へでも!」
とまあそんなこんなで。
最終的に夏休みはわたくしと義兄様と翠獅子騎士団の皆さま。ナタリーとクリス、ハミシュも連れてポートラッシュに行くことになりましたのよ。




