第1話 ぷろろーぐ
セーレム市のサウスフォード全寮制魔術学校4年生、つまり高等学部1年生の前期期末試験最後の科目は召喚術の実技試験と決まっている。
その内容は〈使い魔召喚〉と〈契約〉であり、教師が用意した〈守護の魔法円〉の上で、授業で学んだ通りに呪文を唱え、守護と召喚の魔術を発動させる。そして召喚したものと契約を結ぶというものだ。
試験の評定は単純で、契約まで成立すれば合格。失敗すれば不合格となり、冬休みに泣く泣く補習と追試を受けることになる。
ちなみに召喚されたものがドラゴンだろうとフクロウだろうと、それが成績に影響することはない。召喚時に守護術式に失敗していたり、契約前に魔法円から出てしまったりするとA評定は貰えないが、それでも契約に成功しさえすればBかC評定で合格できる。
一方、どんなに正確に手順を踏んでも契約ができなければ追試となり、追試でも失敗すると絶望のD評定、再履修である。
召喚される使い魔は召喚者の嗜好にあったものや、相性の良いものが、召喚者の魔力に応じて呼び出されることが多い。例えば可愛いものが好きならば小動物や妖精が、ドラゴンを望んでも魔力が不足なら(当然ながらほとんどの魔術師はドラゴンを召喚するような魔力を有していない)、トカゲの類といった具合に。
しかし、これらはあくまでもそういった傾向があるというだけで、実際のところ何が呼び出されるかはランダムと言って良い。
さらに一度契約した使い魔との契約を解除し、再契約するのは一般的に困難であり、特にまだ10代の生徒たちにとってはさらにその難度は跳ね上がる。
よって気に入らない、あるいは飼育が困難な使い魔が召喚されてしまった場合、追試にはなってしまうが、召喚されたものと契約せずに〈送還〉することがあり、学校もそれを認めている。
さて、今日はその期末試験最終日であり、校庭では4年生たちが召喚の実技試験を行っている最中であった。
グラウンドに描かれた魔法円を教師や生徒たちが遠巻きに取り囲んでいる。そして生徒たちの傍らには契約がなされたばかりの使い魔たちも。
もっふもふの毛玉うさぎを抱えてご機嫌な少女、小さなトカゲが召喚されて不機嫌な少年、厳ついオーガを召喚してしまい震えている子や、契約に失敗して落胆している子もいる。
そんな彼らが注目しているのが、今魔法円の中心に立つ一人の女生徒、アレクサンドラ・フラウ・ポートラッシュであった。
注目を受けるのもその筈、彼女は今日の最後に試験を受ける生徒であり、それは彼女の魔力がクラスの中で最も高いことを意味している。魔法力が高い術者は強大なものを召喚する傾向にあり、それによって他の生徒が委縮したり、あるいは魔法円が破壊される懸念があるためだ。
注目を集める理由は他にもある。彼女の生家であるポートラッシュ家は王国において『西の守りの要』と称される辺境伯の地位にある貴族であること。そして彼女はその継承権一位であり、父より将来アイルランド辺境伯の地位を受け継ぐこととなる伯爵令嬢であること。
そして、彼女の容姿もまた大きな要因であった。
学校指定の制服に身を包み、右手には初心者用片手杖を持つところまではどの生徒とも同じであるが、その気品において、ほとんどの生徒と隔絶していた。
15という年齢にしてはやや起伏に欠けた体つきながら、すらりと伸ばされた姿勢や指先は礼儀作法の高さを表している。瑞々しい桃色の唇から紡がれる詠唱は声の美しさもさることながら、そこに込められた魔力の量・質はまさに天上の調べと喩えるのに相応しい。今は集中のために閉じられた瞼の先には長い睫毛が優美な曲線を描き、美しく豊かな金髪は結ばれることなく、顔の左右で縦巻きにカールし、いわゆる縦ロールと呼ばれる髪形を成していた。
「……我が傍らにあらんとするもの。我が声、我が魔力に従い、遍く地平の彼方から疾く来たれ!」
今まさに詠唱は最後の一小節を終え、アレクサンドラは杖を掲げ、眼を見開く。彼女の蒼き瞳と同じ色をした魔力の光が魔法円を染め上げ、爆発的な光の奔流となって放出された。
その魔力量は同級生の誰よりも多いのは明らかであり、下手すれば同級生の全ての魔力を束ねたよりも多いのではと思わせるほどであった。
彼女を見つめていた全ての教師や生徒たちは視力を奪われて呻き、誰もが同じようなことを思った。
自分が視力を回復して見るものはアレクサンドラの前に立つ竜か天使か、悪魔か高位の精霊か。
恐れと興味に突き動かされ、視力を回復した彼らが見たものは――。
魔法円の中には召喚の術式を終えたアレクサンドラが、極度の集中と魔力の大半を使った疲労に汗を浮かべ、頬を上気させ、息をわずかに乱して……ただ一人、立っていた。
あの完璧な術式に圧倒的な魔力でまさか召喚が失敗したか。教師も生徒も驚愕と困惑で声も出せず、ただアレクサンドラを見つめる。
そのアレクサンドラの表情には術式を失敗させたという落胆の色はなかった。しかし、その美しき顔は緩く傾げられ、その蒼き瞳は大きな困惑と僅かな興味に揺れながら、魔法円の中央を見つめていた。
よく見ると、そこには30cmほどの長さの黒い棒状のものがあった。その表面は凸凹し濡れていて、午後から夕暮れにならんとする陽光をぬらぬらと煌めかせていた。
――つまり、一匹のなまこがそこにいた。
第二話からは基本的に一人称視点で進めていきます。
ξ˚⊿˚)ξ <これから宜しくお願いします!