車掌録Ⅳ 懐かしい人
私が声をかけると、その人は私が話しかけてくるとは思わなかったらしく、少し意外そうな顔をした。
「こんばんは。
ええ、一人です。少し寂しいですけど、一人きりもなかなかいいですよ」
——さて。どうやって電車に乗った理由を思い出してもらおうか……。
少し考えて、決めた。
「一緒に話しませんか? ちょうど話し相手が欲しくて。私、実は今、暇なんです」
私は笑いかける。
「——いいですよ」
——一緒に話す流れで、私の過去を切りだそう。
その人の隣に座って、まずは自己紹介をする。
「自己紹介から始めましょうか。私からしますね。
私は花籠ちりかです。ご覧の通り、この電車の車掌です。よろしくお願いします」
私は笑いかける。思い出してくれないかな、と思いながら。
しかしその人は、誰だっけ、というような顔をするだけ。
なんだか、悲しい。
その人はそんな私の気持ちには気付かずに、自己紹介を始める。
「僕は高橋 優太です」
——知ってますよ……。
「僕は高校の吹奏楽部に所属しています。部長を務めているんです。担当の楽器は……」
——クラリネットですよね?
だって私は花籠ちりか。優太先輩が部長を務める吹奏楽部の部員だったんですよ?
そんなこと、知ってるのに。
優太先輩がこちらを見て、黙り込んでいるのに気付く。
「……どうかされたんですか?」
わざと、キョトンとしたように言ってみた。
「……いいえ、なんでもないんです」
優太先輩はそう言った。
懐かしい、笑顔で。
優太先輩は懐かしい話を沢山した。私は話を聞きながら生きていた頃を思い返した。つかの間、私は車掌から高校1年生に戻っていた。
「僕は約半年前——高校2年の夏に、部長に指名されました。驚きでしたよ」
「きっとあなたが優しいせ……」
先輩だから、と言いかけて、慌てて言い直す。
「……優しい方だから指名したのでしょうね」
——いけない。あまりにも懐かしくて、油断した。
「——でも、不安だったのでしょう?」
私は平然と何事もなかったかのように話を進める。
「はい……とても不安でした。
でも、任されたからには、と思って今までやってきたんです。気がついたら、もう半年以上、部長を務めていたんですね。そう考えると驚きです。
——大変ですけど、やりがいのある仕事です」
「そうですね……考えてみると、クラリネットの練習と、後輩に教えるのと、部長の仕事。3つを全て両立させるのは大変ですよね」
「はい……え⁉︎」
しまった。またやらかした。優太先輩はクラリネット吹きだと言ってないのに……。
「あ……」
流石にこれには慌て、目線が彷徨う。
しかし、そのおかげで気付けた。
「……クラのリードケースが鞄からはみ出てますよ」
クラリネットの音を出すには欠かせないもの、リード。それを入れるためのケースが鞄からはみ出ていた。
これなら初対面の人が「この人はクラリネット吹きだ」と気付いてもおかしくはない。吹奏楽経験者だったらの話だけど。
優太先輩は礼を言ってそれを鞄の中に戻した。
そして、こう続けた。
「この間、スプリングコンサートがあったんです。今日はその打ち上げでした。今はその帰りです」
(現世はもうそんな季節なんだ)
私が所属していた吹奏楽部のスプリングコンサートは、例年4月の上旬に行われる。つまり、現世は今、4月の上旬なのだろう。
「——でも、不思議ですね。人はあなたしかいないし、車内アナウンスも無いのですから」
「——当たり前ですよ。だって……」
——この電車は、回葬電車ですから。
過去を語るなら、今だと思った。
「私の昔の話を聞きたいですか?
なぜ、私がここで、車掌をしているのかを」
優太先輩は、うなづいた。
私は優太先輩に、高校1年生の時に線路内に落し物をしたことを話した。
やっぱりくだらない理由で私は死んだんだなぁ、と思いながら苦笑し、電車に轢かれたことを話した。そして、いつの間にか電車に乗っていたことを話す。
「——後々知ったんですけど、私が乗っていたのは、回葬電車だったんです」
「回送電車、ですか」
「いいえ。あの電車は、回送電車ではありませんでした」
「えっ?」
優太先輩は困惑したような声を出した。
優太先輩が思う"かいそうでんしゃ"は、きっとこの電車ではない。
私はため息をつく。
「回葬電車——それは時たま人の寿命を示すものになるのです」
優太先輩は、首をひねる。
「実は、電車に轢かれてしまった時、私はまだ死んではいなかったのです。もっと早く人身事故に遭ったことを思い出していれば、私はまだ生きられたのです。しかし私は終点まで乗ってしまいました。『回葬電車で終点まで乗る=死』だと知らなかったのです。誰も教えてくれませんし、私は部活帰りの電車だと思っていましたから」
ここまで一気に言ってから、一息ついて、言った。
「あの電車は、回葬電車だったのです」
「やっぱり、回送電車じゃ——」
「いいえ。漢字にすると、回り、葬る電車と書くのです」
そう。この電車は"回葬電車"なのだ——。
「私は終点に着いた時に初めてそう知り、『私のような人をもう増やしたくない』という思いで、車掌になったのです。
回葬電車に乗って来た人に、『あなたはここにいてはいけない。早くこの電車を降りなければならない』と伝えるために……」
優太先輩は、最初は納得したような顔をしていたけど、不意に、はっとしたような顔をした。焦りが見える。
「え……、つまり……」
「あなたは人身事故にあったのです。
——思い出せませんか?」
私がそう言うと、優太先輩はしばらく考え込んだ。
そして、表情を変えた。
はっとしたような顔。でも、どこか納得したような顔。
「……そうです。僕は、人身事故に遭いました……」
「……駅で後輩たちと電車を待っていたら、後輩がふざけ合いをしていて、その時……後輩のうちの1人が、もうすぐ電車が滑り込んできそうだったのに、線路に落ちそうになって……彼女を庇って、僕が、線路に落ちました。電車に、轢かれました……」
優太先輩はそういった。
後輩を庇って線路に落ちたなんて、先輩らしいというか、なんというか……。
でも、よかった。
「よかったです……間に合いました。
あなたがなぜこの電車に乗ることになったのかを思い出せれば、この電車を降りられるのです。
本当に、よかった……」
私がそう言った、次の瞬間。
「次は、川上、川上です」
運転手の声が聞こえた。
あれ、というような顔をする優太先輩。
「だから、元の場所に戻るのですよ。そうですね、30分ぐらいですかね」
そう言って、私は笑った。
私は優太先輩に好きな色を訊いた。その色の糸を取り出して、ミサンガを編み始める。
いつもなら、お守りは前もって作ってあるものを渡すのだが、優太先輩には出来合いの物を渡したくなかった。
しばらく、無言が続いた。
「そういえば、花籠さんは何をふ——」
「ちりかって呼んでください。私は、私は……」
優太先輩の言葉に、思わず叫んでしまう。
——もう、耐えきれなかった。
「……私は、永遠に高校一年生のままなんですから」
なんの魔法が働いたのか、私の制服は、高校時代のものになっていた。
——私は今、車掌じゃない。
私の気分は、不思議なぐらい晴れ晴れとしていた。
完成したミサンガを、優太先輩の手首に結ぶ。
「優太先輩が、二度とここに来ることが、ありませんように」
笑いかける。
優太先輩ははっとしたような表情になった。
少しして、優太先輩は笑う。
「ちりか、久しぶりだね」
その言葉を聞いたとたん、私の心の中は温かくなった。
——ようやく、思い出してもらえたんだ。
私は嬉しくなって、川上駅に着くまで、優太先輩と懐かしい話を沢山した。そして、私のことは他の人には言わないでくださいね、と言って、口止めした。
川上駅で、私と先輩は別れた。
車掌室に戻ると、運転手が私を見て笑った。
「……知り合いか? 随分顔が明るいが」
「そうよ。生前の、部活の先輩」
「……そうか」
運転手はそういうなり、黙り込んだ。
「……いいな、生前の記憶があるって」
ぼそり、と。
運転手は言って、少しうらやましそうに笑った。




