車掌録Ⅱ 私にとってそれは
「今回のお客さんは三十分ってとこだな」
「分かった。行ってくる」
私は車掌室から一歩踏み出した。
未来を変えるために。
女の子だった。私よりも少し年下だ。
何か、考え事をしている。
「いかがなさいましたか、お客様?」
そういうと、彼女は私に気付いて驚いたような声をあげた。
「——え? ああ、いいえ。ただ……」
「……ただ?」
私は言葉を促す。
「……死ぬって、どういうことなんだろう、と思って」
「死ぬこと……ですか?」
「はい」
女の子は、私が死者であることを知らない。
私は、反射的に答えていた。
「それは、無です」
「……はい?」
聞き取れなかったのか、聞き返してくる。
「無ですよ。何も、残らないんです」
「……それって」
女の子はどういうことか分からないようだった。
「何も……残らないんですか?」
何かが、切れた。
「何も残りません。何があるというんですか? 死の国に行けば記憶が消えます。名前も無くなります。現世に残る肉体も朽ちていくだけです。記憶が消えたなら思い出も消えてしまうんです。大切な人を失います。死者の時は止まりますから、未来も失います。未来なんて言葉は、将来なんて言葉は、死者の辞書には無いんです。過去も消え、未来も失い、現在を生きることもできない死者に、何があるというのですか?」
私はまだいい方だ。死の国に入ったことがないから記憶を失わずに済んでいるから。
私にはまだ、過去があるのだから。
止まらない。
止まれない。
「それでも貴方は死にたいですか? 全てを失うと知って、それでも貴方は死にたいのですか? もっと言わせていただくと、失うのは貴方だけではありません。貴方の大切な人もまた、貴方を失うのです。貴方の両親や親友が、貴方というかけがえのない人を失うのですよ」
「……ごめんなさい」
女の子は、泣いていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい……!」
女の子はぽつぽつと話した。
学校の友達にいじめられていたこと。
毎日辛かったこと。
だからその友達がいる前で、駅のホームから電車が滑り込んでくる時に線路に落ちてみせたこと。
でも親はいつも味方だったこと。
親友も1人だけ、いたこと。
親と親友は、いつでも味方でいてくれたこと——。
「夢があるの。あたし、女優さんになりたいの。その夢を、叶えたい。あたし、もっと生きていたい」
車内アナウンスが、行き先変更を告げた。
「ごめんなさい。私も貴方を泣かせるつもりはなかったのですが……。ただ、死者の身としては、貴方に死とはどんなものなのか、知って欲しかっただけなのです。
——さあ、帰りましょう」
そっと、彼女に謝った。
「……死んでるのですか? こんなに、はっきり見えるのに」
「はい。2016年10月6日に」
「それなら……5ヶ月前ですね」
女の子は指折り数えて教えてくれた。
——車掌を始めてから、5ヶ月経っていたのか。
「なら車掌さんは……幽霊ですか?」
「……さあ。私にも分かりません。でも確かなのは、私はここにいるということ。何もかもがない中で、唯一あるのは自分の存在だけかもしれないこと。
……覚えていてくださいね。
何も信じられなくなっても、自分のことだけは信じていてください。意味なく生まれる人はいませんから。貴方には、貴方のための道がありますから。隠れて見えにくくなっていても必ずありますよ。貴方はそれを見つけて、切り開いていってください
大丈夫、貴方ならできますよ」
その言葉を言い終えると、私は彼女にミサンガを渡した。
女の子は力強くうなづいて、帰っていった。




