車掌録Ⅰ もう一人の貴方
車掌室からでる。
今回の乗客は、どんな人だろう?
その人は、遠目で見ると女の子に見えた。
その人と自分の姿が重なる。
フラッシュバックする、過去。
首を振る。
過去のことを思い出してる場合じゃない。
いくら考えたって、過去は変わらない。
変えられるのは、未来だけだから。
女の子の元へと、歩み寄る。
女の子の歳は、私が時を止めた時と同じぐらい。
髪は長く、結んでいない。私と髪型が似ている。
よく見ると、その子は寝ていた。それをいいことに近くまで寄る。起こさないように。
女の子の顔を見て、驚いた。
その子は、私によく似ていたのだ!
(……そうだ)
時間もない。
この説得方法を試してみよう。
「……ねえ、ねえ。こんなとこで寝てないで起きてよ」
車掌帽を外し、鞄も外して隣の車両において来た。そんな姿で私は女の子を起こす。
「……う、うーん……。もう、貧血は治ったみたい。……あれ、いつの間に私、電車に乗ってたんだ。みんなが乗せてくれたのかなあ。みんなは先に降りちゃったんだね」
寝ぼけながら、女の子は私に似た声で呟く。
この話の感じだと、この電車に乗って来た理由は貧血を起こして線路に落下、だろうか。
女の子は私を認めるなり、言った。
「貴方、だれ?」
「名前を訪ねるなら、まず名乗るのが筋じゃないの?」
今回は私、先に名乗らない。
「え、私? ……私は、原優佳里」
「あら、偶然。私も原優佳里なの。よろしくね」
私は、今回は車掌にならない。
もう一人の、この子になる。
「ところで優佳里ちゃん、これは夢なのよ?」
「えっ?」
原さんは混乱したような顔をする。
そう、これを狙っていた。
「それもただの夢じゃないのよ。末期の夢よ」
原さんは、目を丸くする。
「……末期の、夢? こんなに、リアルなのに?」
原さんは自分の肌をつねろうとした。
——つねらせてはいけない。
私はその焦りとは真逆の、余裕の笑みを見せる。
「あら、つねってみるの?」
焦りを見せないように、演じきる。
原さんの、つねろうとした手の動きが、止まる。
余裕の笑みを保ちながら、言う。
「いいわよ、つねっても。痛くないから」
——嘘だ。
本当は、痛い。
これは夢ではないのだから。
だから、つねらせてはいけない。
夢ではないと、ばれてしまうから。
「痛く、ないの?」
「ええ。だって、これは末期の夢よ?」
原さんはつねろうとした手を、ゆっくりと離した。
そして、おずおずと聞いてきた。
「ねえ、末期の夢なら……私は、死ぬの?」
この問いには、ありのままを答えればいい。
「ええ、このままだとね。だから止めに来たのよ、優佳里ちゃん」
原さんは流石に顔色を変えた。
「嘘。貧血程度じゃ人は死なないでしょ?」
やはり、貧血からの線路に落下、か。
「そうかもねえ。けど、そのあと何かが起こったら?」
「え?」
「貧血以外の理由で、死にかけているのであれば?」
私は助け舟を出すことしかできない。
人身事故に遭っているのだと教えてもいいのだが、今回はあえて本人に思い出させてみる。
誘導しているみたいだけど、記憶が曖昧になるこの電車の中では、その方が思い出しやすいのだ。
不意に、原さんは顔を上げた。
「——私、線路に、落ちた……。苦しくて、逃げられなかったの。あの、電車から、逃げられなかった……そして、轢かれた……。痛かった……」
原さんの両目からボロボロと涙が溢れる。
「私、私……死んじゃうの?」
人身事故に遭ったことを思い出せればそれでいい。
電車の行き先は、死の国から現世に変わる。
私は原さんに首を振ってみせた。
「大丈夫よ。この夢を見ている理由を思い出せたから。その理由さえ分かれば、夢は覚めるの。優佳里ちゃんは、まだまだ生きてられるわ。だけど、まだ貴方とお話ししたいから、もう少しだけ、この夢と付き合って」
そう言い終わった時、声がした。
『次は、南原津です』
運転手の、声。
初めて鳴る、車内放送。
そうか、この子は南原津で事故に遭ったのか。
取り留めもないことを原さんと話す。
話しながら、いつものお守りを手渡す。
「これ、なあに?」
「これ? お守り。優佳里ちゃんがおばあちゃんになるまでこの夢を見ませんようにっていう、おまじないよ」
「ありがとう」
私はミサンガを腕に結んであげる。
ポケットに入れておいた、ミサンガを。
「ねえ、あなたは……もう一人の、私なの?」
原さんに、問いかけられる。
「ええ、そうよ。だから教えに来たんじゃない。これは末期の夢よ、って」
「そっか……」
原さんは、目を閉じる。
再び目を開いた時には、原さんは笑っていた。
「ありがとう、原優佳里さん」
『まもなく、南原津、南原津。お出口は、左側です』
原さんが電車から降りる。
「もっと長く生きていたいと祈って。強く念じるの。そうすれば夢から覚めるから」
「分かった。ありがとう!」
扉が閉まる。
駅のホームからこの電車は滑り出る。
私は車掌室に戻った。
「上手いことやったな、ちりか」
「ありがとう、運転手さん」
しばらく、沈黙が続く。
「……たしかに未来は変えられるさ」
運転手が、呟いた。
黙り込んだ私たち。
多分考えていることは、彼と同じ。
——だけどそれは、ルール違反。褒められたことではないし、許されないことだ。




