車掌録Ⅵ 気ままなお客様
「——明るくなってる」
ふと後ろを振り返ると、車内が明るくなっていた。
「……行ってくる。何分?」
「……多分、無駄だぞ」
運転手は、呟くように言った。
「なんで?」
「……どうしてもと言うなら行け。5分だ」
「うん……」
電車に乗って来たお客様の元へと向かう。しかし、いつまで経ってもそれらしき人影は見えない。
「……おかしいなあ」
そう呟いた、その時。
「みゃあ」
車掌の言葉の意味が、ようやく分かった。
振り返ると、そこには茶色とこげ茶の毛がまだらに生えている猫がいたのだ。
「……参ったなあ」
人間でないのに、どうやって説得しろというのだろう?
しかも、たったの5分で。
「みゃお」
スリスリと猫は私に頬をすり寄せる。相当人馴れしている猫だから、飼い猫だったのだろう。その証拠に、首輪がついていた。
『ルリ子
花野真琴 01○-34×6-7△90』
綺麗な、鈴のついた首輪だ。
「ルリ子ちゃん」
名を呼んでみると、ルリ子ちゃんは嬉しそうに鳴いた。
「花野さんのところには、帰らなくていいの?」
花野さん、と言うと、ルリ子ちゃんは耳をピンとさせた。
「このままだと、大好きな人に会えなくなるよ。花野さんとも、さよならだよ」
「……みゃあ」
「そうだよ、さよなら」
さよなら、と言うとルリ子ちゃんはしょんぼりしたように見えた。
「……痛かったよね。どこを、怪我したの? どこで、怪我したの? どうして、怪我したの?」
尋ねてみる。そうしたらもしかしたら、思い出すかもしれないから。それと、どこをどう怪我しているかはわからないから。いや、どこを怪我しているかなんてどうでもいい。大切なのは、ルリ子ちゃんが事故に遭った時の記憶を取り戻すことだ……!
撫でるとまだ、温かい。ルリ子ちゃんはまだ、生きている。
思い出して。そう念じながら背を撫で続ける。
——花畑が見えたよ。早く。
このままだと、花野さんとさよならだよ……!
「……みゃあ!」
ルリ子ちゃんが大きな声で、一声、鋭く鳴いた。
その時、花畑の地面に着きかけた電車は再び浮かび上がり、Uターンをした。
ああ……ギリギリ、間に合った。
「……間に合ったよ、ルリ子ちゃん。さ、花野さんのところに帰ろう」
「みゃーお」
ルリ子ちゃんの鳴き声は、伸びやかで、明るくて……なにより、嬉しそうに聞こえた。
ルリ子ちゃんには腕がない。猫だから当たり前か。ミサンガをどこに結ぼうかと考え、結局、首輪のようにして結んだ。それだけの長さのミサンガはないから、青い首輪に合いそうな、月の色の糸を三つ編みにして。
嬉しそうに「にゃあ」と鳴くルリ子ちゃんは、私に擦り寄った。温かく、フサフサな毛を、少しだけ撫でさせてもらう。私の硬く、冷たい手で。あまり撫ですぎたら、ルリ子ちゃんが早死にしてしまいそうな気がしたから。
「長生き、するんだよ。花野さんと、幸せにね」
「にゃー」




