漫画家、逮捕される。
煙はあっという間に過ぎ去った。
薄暗く肌寒い。たぶん夜で、月が出ている。上を見ればやはりある、満月だ
履きなれたスニーカーの感触が消えていたので見下ろすと、雑な作りの革靴を履いている。変わっていたのは靴だけではなかった。お気に入りのファストファッションパーカーも、惰性で着続けていたワーカーパンツも厚手の布の服になっている。
『転移先に合わせたサポートも万全です』
事故直後の俺の手を引きながら悪魔はそう言っていた。思い返すと、あんなセールストークに乗ってしまうなんて正気じゃない。いや死んだ直後なら当然か?
革靴の下は石畳。正面に広がるのは洋風の庭園。整えられた生け垣を見て、ここはわりと身分の高い人が居る場所なのではないかと想像して背後を振り返り……こちらを見る怯えた目に気付いた。
予想通りの身分高そうな屋敷があり、眼の前には頑丈で大きな窓があり、開いた窓の奥に金髪の少女がいた。
薄い夜着に身を包んだ彼女との距離は、彼女の怯えた目が青色であるというのが判別できるほど近い。
目線を合わせたまま息を呑んだのは、彼女が利発な顔立ちをした美少女だったのと、自分が深夜、美少女の部屋前に立つ不審者という状況に気付いたからだ。
『衣服はもちろん現地風に。現地語の会話も問題なく出来るようにします』
悪魔トークを思い出す。言葉が通じるのなら何か言ったほうが身のためだ。事態が悪化して間に合わなくなる前に、もう遅いかもしれないけれど!
「あの……!」
口を開いた途端、彼女は窓際に置いてあった鈴を手に持ち激しく振った。鋭い金属音が響く。間を置くことなく彼女の部屋奥の扉が勢い良く開き、髭面のオジサンが飛び込んできた。右手に握られたのは重く輝く片手斧だったが、俺が窓の外に居ることを見て腰から下げたナイフに素早く持ち替え、刃を掴んで肩口に構えた。
「動くなっ!」
明確な殺意が篭った鋭い声。もちろん俺は動けない。悪魔から投げナイフを避けられるようなチート能力とかを貰えば良かったと心底思う。
冷や汗すら出せずに固まる俺の周りで屋敷全体が騒がしくなりはじめた。
明かりの灯る窓、庭を横切り近づいてくる靴音。騒然とした状況の中、これだけは元の世界のままだった原稿入りファイルケースを固く握りしめる。
不意に肩を強く押され地面に膝をつかされた。革鎧を着た2人の兵士が、厳しい顔で腰や腕を触って身体検査を行い始めた。ファイルケースはあっさりと奪い取られ、両手を後ろで縛られる。
膝をついたことで見えなくなった部屋の中から、オジサンと美少女の声だけが聞こえてくる。
「姫様、ご無事ですか」
「はい。窓の外に居ただけですから。それは?」
屋敷に住んでいる金髪の美少女は姫。ありがち過ぎませんかと編集さんに釘を指されそうなキャラだよなと変な事を考える。判ってる。この思考は中世世界で囚われた犯罪者が、どうなるかという未来から目をそらそうとしている逃避だ。
「これ、なんでしょうか?」
「入れ物だと思います。なめし皮にも見えるが、この手触りは……」
どうやら姫様達は俺のファイルケースを検分中らしい。それはプラスチックという素材で、100円ショップなのに500円で買ったものです。怪しいものではありませんよ。
「姫、罠があるかもしれません。私が調べます」
「ええ、でももうちょっとで……あっ開きました! やった! やりました!」
姫様のやった! は嬉しさに溢れて、かなり子供っぽい。
すでに犯人は制圧されたとはいえ、ここまで余裕があるのは案外豪胆なのか。好奇心が強すぎるタイプの無邪気姫なのかもしれない。見た目と同様、ベタカワイイじゃないか。
だが、姫様の作った呑気な雰囲気な場は庭を近づいてくる固い音で一変した。
カンカンと石畳を突くのは素っ気ない作りの鉄杖だった。膝をつき頭を垂れた俺の視界に入った鉄杖とブーツの主は、杖先で二度地面を突くと重々しく宣告した。
「取り調べる。地下牢に連れて行け」
短いが、自分の運命を想像して怯えるには十分な台詞。兵士に引きずり立たされた俺は、自分の足がガクガク震えているのにやっと気付いた。
視界の端にファイルケースから取り出した俺の漫画を眺める姫様が見切れる。騎士団ファンタジー漫画の資料にあった中世の拷問が脳裏に浮かび、人生で一度も感じたことのない悪寒が全身を這い回った。
やはり悪魔の誘いなんて乗るものじゃない。
*****
地下牢は簡素で、意外にも清潔な部屋だった。
しっかりした石壁と分厚い木の扉は牢屋として十分な堅牢さを誇示していたが、全体的な雰囲気は物置に近い。部屋の中心には椅子が一脚あり、俺はそこに座らされている。他に家具は壁際に置かれた小さい机だけで、拷問具の類は一切置いてない。そのことに心底ほっとした。
部屋には俺と、俺を連れてきた髭面オジサンの二人だけ。オジサンは縄を解き「座れ」と指示を出したきり、黙って背後に立っている。見えないが、たぶん瞬きすることもなく俺を監視しているのだろう。天井にさがった薄明るいランタンに照らされながら、息をするのも静かになるほど身動きせず、ただ座ることに集中した。他に何も出来ないから仕方ない。
背後で重い木音がした。扉が開く音だ。続いて硬い鉄の音と靴音。そして俺の目の前に鉄杖をついた男が立つ。素っ気ない作りの杖は覚えがある。先程、俺に連行を命じた男が持っていたものだ。
「黒い髪に黒い目、ケトラス海の向こうにそんな民が居るそうだが……」
俺の顔を覗き込み鉄杖の男が呟く。
男は細身で背が高く、そして隻眼だった。左目は黒革の眼帯に覆われ、無事な右目に青い瞳があった。無感情な視線なのに有無を言わせぬ威圧感があり、心の中まで覗き込まれてる気がして落ち着かない。
40後半か? 歳上なのは確実だが正確な年齢は判らない。でもなにか大変な事を潜り抜けてきたのだろうという年輪を感じる鋭い容貌だ。
尋問は静かな名乗りで始まった。
「私はガイゼン・クラン。このマーデル領の領主だ。お前の名は?」
「く、倉橋真木です」
「クラハシ。珍しい響きだ。どこから来た? サンエルか? ディスキーか?」
さんえる? でぃすきー? 当然だが聞いたことのない地名だ。いや国名か? どう答えていいのか迷うが、返答にまごついては状況が悪くなる気がする。
「宮城です」
あ、いやそこは日本だろ。焦ったせいで県名が出てしまった。今さら言い直すのも怖いので、相手の反応を待つことにする。
「ミヤギ? 聞いたことが無いな。村か?」
「……はい、村です。海の向こうの」
ああ、なんか適当な返答をしてしまった。心なしか領主様の瞳に冷たいものが宿った気がして息が詰まる。正確ではないだけで、ウソではないんです。あと宮城のみんなゴメン。
「まあ、いい。クラハシ、お前は絵描きか?」
「えっ!?」
後ろめたい心持ちに予想外の質問をぶつけられて驚いてしまった。
領主様の手招きに応じ背後で扉が開き、軽い足音ともに銀の盆を持った姫様が領主様の横に立った。
並んで立つとなるほど親子だ。同じ金髪、目元が似ている。でも姫様は愛嬌のある顔立ちで、父親の槍先のような鋭さはなく、そして……なにか興奮して頬を赤くしているような気がする。
「これを見た。変わった絵だ」
領主様の言葉を受けて姫様が銀盆を前に出す。精緻な細工がなされた盆の上にあるのは、俺の漫画原稿だった。豪華な盆の上に置かれたボツ原稿とは、なかなかシュールな絵だ。
「教会絵でもなく、王宮画でもない。このような紙も、このような黒墨も見たことがない。箱のような囲みで場面を区切る。これは物語か? この線で囲われた部分に話が描いてあるのか?」
領主様は膝上に置いた盆の原稿をめくりながら、疑問を連投してくる。
そうか、絵はともかくフキダシの台詞は日本語で描かれているので、読めないのか。
そして、この世界には漫画はまだないのか。
「父様。きっとこれは騎士物語です。この美麗な黒騎士様が獣に変わる化物人間を討伐するお話です。ほら、此処とか此処とか、とても麗しいです」
姫様は馬上から狼男を見据える黒騎士のコマを指で示して解説する。黒騎士が居るページを指し示すために前のめりになる姫様の姫カットが可愛く揺れた。リアル姫カット見られた事になにか感動する。
ところで姫様違います。黒騎士な名前をヨーツとい言い、イケメンだけど悪いやつで化物人間が主人公です。あと、姫様は領主様を「とうさま」と呼ぶのですね。それ良いと思います。
「確かに細やかな絵だ。非常に精緻だが……む、この甲冑では馬上で戦えないぞ」
申し訳ありません領主様! 領主様は甲冑警察というか甲冑ガチ勢なんですね。頑張って調べはしたんですよ、でもそこはカッコよさ優先ということでお願いします。
「父様! これでいいのです! 黒騎士様は格好良いのですから!」
姫様、寛大なお心っ! キャラデザの一歩目は「らしさ」であると、何か色んな本に書いてありました! たくさん読みすぎてどの本だったかは忘れましたがっ!
「黒騎士様、馬を降りても優美なお姿……あら、この毛皮を被った戦士君も凛々しい。麗しさと凛々しさ……迷います」
姫様……貴女にはナニかの魂が眠っっておいでな気がします。
拷問ありの取り調べを覚悟していた場所が、リアル貴族様による漫画講評という不思議
空間になり緊張が解けてきた気がする。他人に作品を見てもらうのが楽しいのも久しぶりで、ちょっと目が潤んでしまう。
良い雰囲気だ。今なら、さっきから気になって仕方なかったことを指摘しても良いかもしれない。
「あの」
と、発言ついでに体が前に傾いた途端、首筋に冷たいものが這った。
「動くなと言ったぞ」
いつの間にか背後に回っていたヒゲのオジサンが囁く。
首筋から蛇のように視界に入ってきたナイフの切っ先が、静かに後ろへ消えていった。
単純で滑らかな動作の脅しは、領主の名の下に処刑されかねない状況だったことを速やかに思い出させてくれる。
「ヤッツ、良い。こいつは刺客ではないだろう。殺気無し。手も戦う者のそれではない、やや猫背なのは机仕事の者のそれだ」
ヒゲのオジサンの名はヤッツ。覚えた。そして領主様は、質問を投げかけながら俺のことを詳細に観察していたようだ。
「毒があれば子供でも刺客になれます。サンディ共ならやりかねない」
淡々とした指摘には感情が篭っていない。背後に居るので見えはしないが仏頂面でヤッツは答えているのだろう。
「判っている。すまないな」
答える領主様の声からも、さっきまであった好奇心が消えている。なんとなくだが、この二人、またはこの国は最近まで戦争をやっていたのではないだろうかと思った。
「それでクラハシ。何を言おうとしていた」
心なしか疲れた顔をして領主様が促す。
自分の立場を思い出させて貰った直後に言い出し難い。だが天秤に乗っているのが生命だとしても、作品を見てもらう立場として言わねばならないことがある。
「えっと……絵をですね、見る順番がですね……間違っています」
見ている間にバラけてしまったのだろう。銀盆の原稿は5ページの次は14ページという具合で順番が滅茶苦茶だった。
「そうか」
領主様はそう言って銀盆を俺に渡してくる。並べ直せということだ。
作品がプリントされたコピー紙を触っているうちに、また少しだけ心に余裕が出てきた。沈黙も怖いので、いろいろ說明を行うことにする。
「この絵は「漫画」と言います」
「マンガ?」
姫様の返答で、また少し余裕が生まれる。それを利用して、自分の立場を少しでも良くしてみようと考えた。
「はい、お二方の指摘のように物語を絵にしたものです。私は「漫画家」で、漫画にする物語のタネを探して旅をしています。その途中、道に迷い御屋敷に……それは申し訳ありませんでした」
嘘は事実と混ぜるのが良いとは言え、すんなりと出まかせを言えたのは自分もびっくりだ。しかし、悪魔によってこの世界に来ましたと言うのは、事実だとしてもハイリスクが過ぎる。漫画家だが掲載は読み切りが一度だけで、あとは連載準備という名のアシスタント期間を過ごしているなんてのも秘匿すべきだと感じる。
「旅のマンガ家か……」
思案を巡らせるように、腕を組み目を瞑って領主様が呟く。
旅の漫画家。言葉にされると胡散臭いことこの上ない。だが、この肩書きこそが俺の命綱だ。でも、この綱は何につながっているのか
原稿を元通りに並べ直すまで領主様は考えこみ、盆の上で紙を揃える音でゆっくりと目を開いた。
「事情は判った。」
その冷淡さだけが際立っていた片目に、今は光が宿っている気がする。
興味と……なんだろう? 俺を此処に連れてきた悪魔の瞳にあった、あの燃え上がらんとする火種のような色に似ている気がする。
「お前 俺の為に絵を……いや「マンガ」を描け」
「へんっ!」
とんでもない声が出た。心のどこかで考えていたのだけれど、実際に言われるとやはり驚いてしまう。
俺が、異世界で、漫画を描く。
「近く王都で、我が主君ディアルト・ソエル様の生誕祭が開かれる。御方の献上品に、なにか変わったものを送っておきたい。あまり世界に知られていない文化的な品をだ」
俺が、異世界で、王室献上漫画を描く。
現実離れ感がワンランクアップした。
「はっきり言う、王の覚えを良くし我が名を高めたいのだ」
領主様は、とくに感情を込めること無く野心めいたものをぶちまけた。
このあと高笑いをあげて金と名声を我が手に! とかやってくれれば判り易いのだが、眼の前に居る領主様は、そういうのとは違うらしく続く言葉も淡々としている。
「期限は60日ほどだ。必要な道具と部屋はこちらで揃えよう。もっとも、これはどうしたものか。このような紙は見たことがない」
原稿を一枚手に取り、紙の感触触りながら領主様は顔をしかめる。表情らしい表情を見せたのはこれが初めてかもしれない。
「生活に必要なものも揃えよう。成功時には報酬も出す。どうだ?」
どうだも何も仕事と生活環境完備なんて、元世界のクリエイター諸氏が聞いたら、俺を殺してでも奪っていく者が出るかもしれない。
「そっそれは大変ありがたい申し出です」
断る手なんてない。描けるのだ。なんの心配もなくマンガを描ける。異世界に飛ばされる間際に自分の作品を掴んだ俺だ。これで別の事を始めるなんて展開はアリだけど、自分としては許されない。
「依頼を受けるのだな」
「はっ! はい! 宜しくお願いします」
領主様の横で姫様が会心の笑みを浮かべている。ひょっとしたら黒騎士様を気に入った姫様の口添えがあったのかもしれない。今や俺のクライアントになってくれた領主様と姫様に自然と頭が深く下がった。
「では、我が屋敷に侵入し姫を脅かした罪はガイゼン・クランが預かる。クラハシは俺のお抱え絵師とする。良いな。」
「はいっ!」
元気な姫様の返事に心が和らぐ。お抱え絵師とか良い響きだ。でも、罪人であることは変わりがないのか。素直に喜べないな。
領主は立ち上がり鉄杖を床に突く。
「ただし、期日までにマンガが完成してなければ大罪人として首を跳ねる」
「はっ?」
唐突に出てきた殺伐ワードに固まってしまう。大罪? 跳ねる?
どう反応して良いか判らない俺の肩を、領主様がぽんと叩いてさらに続ける。
「出来が悪くても首を跳ねる。全力でやれ」
静かだが、嘘ではないという表明が詰まった語調だ。
領主様は鉄杖を突きながら部屋を出て行った。姫様は動揺する俺を「頑張って下さい」と勇気付けて去った。俺はヒゲのヤッツに部屋の準備が出来たと言われるまで長いこと固まっていた。
王室献上漫画。仕事・生活環境支給。成功報酬あり。失敗は断頭。
元世界の漫画家の皆さん。こんな仕事条件どうですか?
<続く>