九章 話
礫砂漠が終わり、新たな旅路。
変わらず稜線は見えない。
まばらに生える草花を観察。
タイプ的には、ゴビ砂漠に生えている草花に似ている。
乾燥した強い風に負けない為、地面すれすれを這うように低く生えた草花。シソ科に近い小さな花を風が揺らす。
そうでないものは、バサバサと翼のような大きな葉を広げるヒヨスに似た草。見た目だけではなく成分も似ているのならば、強毒の植物だ。
さらに観察を続けると、アリのような小さな昆虫の姿も見付けた。
魔物の気配はしない。魔物か虫かの確認の為、そのアリを備前長船の鞘で潰す。完全に活動を停止した死骸は、消えることなくそこにあり続けた。
この世界に来て初めて遭遇した魔物以外の生物である。
ただの実験の為に殺したのでは虫の命とは言え申し訳ない。殺生したからには食べる。熱の魔法で生み出した橙色の光球をアリの死骸に近付け火を通し、食べてみる。
酸味と仄かな甘味があるが、カリカリした外皮の食感がなんとも不快な一品。とはいえ、貴重なタンパク源。いよいよ栄養失調が顕著になって来たら何キロも捕獲して食べよう。
毒性の有無は、あまり気にしないことにした。攻撃や防御に比べれば“身”という能力のレベルも比較的上がり易い。どんな効果をもたらす能力かいまいち不明で、わかっているのは身体能力を高めるということ。
視力、聴力、嗅覚など、明らかに上がるものもあるが、それだけを上げる能力とは思えない。
ここからは推測だが、この能力の一番の効果とは、状態異常耐性ではないかと思う。無論、毒などその最たるものだろう。
なので、スライムやブラックウルフで得たロファルスを注ぎ込み、今現在“身”のレベルは7まで上げてある。多少の毒では死なない。
ひとり旅において、この能力は非常に重要だ。
麻痺したり眠らされたりするだけでも、ひとりでは即死攻撃と変わらない。
そんなことを考えながら走っていた歩みを止め、辺りを見渡す。
視界に入る前に、赤い点のように感じる気配をとらえた。
魔物がいる。
慣れて来たからか? 魔物の気配がはっきりとわかるようになった。
何もない荒野の先、何かがポンポン跳ねている。
最初ウサギかと思ったが、その図体や顔はカピバラ似のヘンテコなウサギ。
そんなラビットマウスが三匹跳び跳ねながら突進して来る。
動きは遅く、全く危険も感じない。軽く備前長船で斬り倒す。
獲得ロファルスを早速確認してみるが、ほとんど増えていない。近々のロファルス量を正確には覚えていないが、100~200くらいしかなかったのではないだろうか?
私の今までの認識では、最弱モンスターはフライスネークだったが、これもゲームのやり過ぎ。最初に出会ったからと言って一番弱い魔物な訳がない。
しばらく走ると、またラビットマウスが現れる。今度はたった一匹。
備前長船を抜くのも面倒で、猛ダッシュのスピードを乗せた蹴りを食らわすと、数十メートルぶっ飛び黄緑の光に転じた。
よもや、魔法はおろか、備前長船も使わずに倒せる魔物がいるとは。
その後もラビットマウスに何度か遭遇したが、倒すのも面倒で突っ切って無視。
ゲーム的に言うと、『ラビットマウスが現れた。レイは逃げ出した』と言ったところだろうか?
走れば走るほど、荒野の様子は変わり、草花が徐々に徐々に増え、草原となる。
ラビットマウスは変わらずというか、むしろ増えたのではという頻度で現れるが。
さらに走ると、決定的なものを発見する。
しゃがみ込み、地面に触れる。そこに刻まれた溝に……否、轍に。
硬く踏み固まった地面には、深さ数センチの溝がどこまでも続く。草原を割るような道に、二本の轍が。
この轍は、最低でも数万回は車輪が通らないと出来ない。その道が暫定東西にどこまでも続く。
後4000キロは走る気でいたから拍子抜け感はあるが、確かな人口物の痕跡。
放置されたような風化もない道は、今も使われている可能性が高い。
興奮に鼓動が高鳴る。押し寄せる喜びと感動を噛み締め、涙は堪える。
ここまでの苦難の道程が報われた気がした。
けれどもここは、まだスタートラインの手前だ。
丁度お昼なので、道の脇にある岩に腰掛け昼食にする。
さて、東西どちらに進もうか?
どちらに進んでも4000キロ何もないということはないだろうから、どっちでも構わない。
草原をやわらかな風がさやさやと流れ、蝶がひらひらと長閑に飛ぶ。
蟻がいて蝶がいる。細かく調べれば全く違う生物かも知れないが、地球とのこの類似点はなんだろう?
まあ、それを言ったら“人間”が共にいるということも不思議としか言えないが。
ピーピー、鳥の囀りが聞こえ、見上げる空には数羽の小鳥の姿。
鳥も普通にいる世界。
それを思うと、あの泉の森の異常さにゾッとする。
鳥はおろか、虫一匹いなかった。
あんな礫砂漠のど真ん中にあり、生物兵器の魔物しかいない森。
あれは一体なんだったのか?
蒸かし芋に塩をふりパクついていると、暫定東の道の彼方に僅かに動く物に気付く。
目を凝らし見る。
身のレベルを上げているので、視力は5.0くらいありそうだが、さすがに遠くてよくわからない。
だが、それは徐々に徐々に道を進んでこちらに向かって来た。
馬車だ。馬のような生き物が引く車両が近付く。
風景に溶けそうな薄い緑色の馬車。家みたいな三角屋根は地面に似た茶色。あえて目立たない色にしているのかも知れない。
御者台には人の姿も見える。
この世界の人間と初遭遇か。
柄にもなくちょっと緊張する。なんせ脇腹出てるし、スカートは破けているし。靴すらないし。
視認してからさらに近付いたことにより、気配も感じ出すが、初めて感じる気配。
魔物は全て赤い点として感じるが、青い点として感じる。
数は、七だろうか? 密集しているのではっきりとはしない。
その気配のうちひとつが赤くなる。
魔物かと警戒するが、そうではない。これはおそらく、警戒色だ。
七つの気配の内、御者台に座る男性の気配だけが赤くなっている。理由はおそらく、こんな何もない道端に人影を見付けて警戒しているのだろう。
だから、馬車の中にいると思われる人たちの気配は青いまま。
馬車がいよいよ近付く。六本足の馬が引く木造の馬車。
ずいぶん古く年代物だが、よく手入れがされている印象。
御者台には30代半ばの男性。カウボーイのようなウエスタンな身なりをしている。
目前で馬車を止め、私のことを上から下までなめ回すように見て、赤かった警戒色が青に変わる。警戒を解かれたのは喜ばしいことだが、あちこちぼろぼろの結構みっともない格好をしているので恥ずかしい。
というか逆に、馬車の中の人々は急に馬車が止まったことによる警戒からか、青かった色がオレンジ色に変わった。
御者の男性は、カウボーイハットを取り会釈。
「こんにちは」
座ったままでは失礼だろうと立ち上がり会釈。
「こんにちは」
この世界の言葉を、この世界の人間となんら変わりないイントネーションで話せていると思われる。
あの500億もロファルスがある魔法書からおそらくインストールされたと思われる知識は、十分有効なようだ。
「こんなところでどうしたんだい? ご両親とはぐれたのかい?」
さて、なんと答えるべきか?
いっそ記憶喪失のふりでもしようかとも思うが、ここは魔法が存在する世界。記憶喪失を治す魔法とかあったら余計にややこしくなる。
「いえ、ひとりです」
御者の男性がたまげたとばかりに驚く。
「ひ、ひとり!? ひとりでこんなところを旅しているのかい!?」
んっ? 何か返答を間違えただろうか?
ひとり旅をする文化があまりないのかも知れない。少し修正しよう。
「はい。以前に友人たちとはぐれてしまってからはひとり旅です」
同情するような視線を向ける御者の男性。
「そうか。それは苦労しただろう。さあ、お乗り」
乗るのか? これは乗る流れか? 情報収集という意味では早めに人と交流する必要があるだろうが、こういうイレギュラーなものはあまり歓迎出来ない。なんの対策もなく乗って大丈夫だろうか?
不安を感じても、ここで乗車を拒否する方が不自然なので礼を言いながら乗り込むことに。
身の丈程の車輪の脇を通り、後ろの出入口に向かう。扉もない出入口の下には、乗り降りに使う二段だけの木組みの階段が付いている。なかなかの車高なので、上り辛い階段に足を掛け馬車に入る。
中には、五人の人物。
左右の壁を背もたれにした長椅子が二つ。
四人は座れる長さで、通路の天井には滑り止め目的の結び目が付いたロープが等間隔で八本下がっている。おそらくつり革代わりの品物だろう。とすると、立ち乗りも含めれば最大定員は16人。なかなかの乗車人数を備えた馬車だ。
乗員は、中東などでよく見るアバヤに似た黒いローブのおじいさん。アバヤは地球では女性の衣装だが、女装している訳ではなさそうなのでここでは男性も着るものなのだろう。私の身なりを見て、深いしわをより深くする。
その隣の小太りの中年男性は、同じく中東の衣装であるカンドゥーラのようなだぼだぼの白い衣服に身を包み、その上から色褪せたような赤いベストを着ている。そして隣には、彼の物とおぼしき“マンガ”のような巨大なリュック。通常なら重量上げの金メダリストでも持てないサイズだが、ロファルスのあるこの世界では関係なさそうだ。若干鼻の下を伸ばして私のことを見ている。こっちを見るなスケベおやじ。
その男性の前の席にいるのは、恰幅のいい中年女性。こちらは“落穂拾い”の絵から出て来たような身なりの女性。人の良さそうなその顔を、私の姿が歪ませている。
彼女の右隣にいるのは、ロビンフッドみたいな緑の服を着た若い男性。目のやり場に困り顔を背ける。じろじろ見られたくはないが、その反応もその反応で、そんなにあられもない姿なのかと傷付く。
おばさんの左隣には、桃色のワンピースを来た若い女性。水色のカーディガンも羽織っていて、おばさん同様心配そうな顔を向ける。
それだけならば、村人A~Eで説明のつく身なりの面々だが、全員武装している。
若い女性は脇に細身の剣を立て掛け、若い男性は剣と弓を背負っており、中年女性は槍を。中年男性は斧を脇に立て掛け、背中には弓と盾まで背負う武装ぶり。老人さえ、メイスのような鉄の棍棒を杖のように手にしている。
彼等が手練れの戦士とは到底思えないので、考えられることは、丸腰で旅をする者などいないということだろう。それは、轍が出来る程通りなれた道でさえ、それほどに危険であることを意味していた。
でかいリュック側はスペースがないので、入口近くの若い女性の隣に座る。すると早速その女性が声を掛けてくる。
「大丈夫? 怪我はない?」
まあ、この服の有り様ならばもっともな質問。
「無傷です。ご心配なく」
まじまじと私を見る女性。二十歳くらいにも見える可愛い人だ。
「そうなの? その服は何があったの?」
物は、ロファルス・エンテリアの言葉で生まれた宝玉に重ね、自分のロファルスを注ぐことでレベルを上げることが出来るが、制服の防御は私より上がり難いので上げていない。なので、ここは正直に答えておく。
「防御を上げていない服なので、魔物の攻撃で破れてしまったんです」
同情の視線が集まる。
「まあ、災難だったわね。よかったらこれ着て」
若い女性がカーディガンを脱ぎながら言った。一度は丁重に断ったが、押しに負けお言葉に甘えてカーディガンを肩掛けで羽織る。太ももは隠せないが、脇腹はとりあえず隠せたのでありがたい。
香水だろうか? カーディガンから花のような甘くフローラルな香りがする。
走り出した馬車の揺れが凄い。
外を見ると、結構な速度で走行しているのがわかる。
たった一頭でこんな大きな馬車をこれ程のスピードで引けるのは、ロファルスがあるからなのだろう。
カーディガンを貸してくれた女性が、さらに話し掛けて来る。
「馬車の外で話していたのが少し聞こえたけど、仲間とはぐれてしまったの?」
みんなを探し出すことが目的なので、このスタンスで構わないが、されると困る質問がいろいろある。なので、差し支えない部分は正直に答える。
「はい。しばらく前までは四人でいました」
地球にいた時までは四人でいたということで、嘘ではない。
「どこではぐれたの?」
恐れていた質問がいきなり来た。私はここがどこか知らない。否、この世界の地名などほとんど知らない。
ロファルス・エンテリアに登場するのは、舞台となる“ファディア”という国とその隣国や、そこにあるいくつかの街だけ。
思考をめぐらし、瞬時に最良の回答をする。
「ファウグリーグです」
ギルが初めて立ち寄った街の名前を言ってみた。
いくつかの予測返答がある。どれが来る?
車内の人物に浮かぶのは、きょとんとした表情。
「ファウグリーグ? 聞いたことがないけど、どこの国の街?」
予測返答のひとつが返って来た。
いくつか考えられることがある。あの小説はそもそも創作で、全て架空の世界の物語。あるいは遥か昔が舞台で、その頃の国など残っていない。または、そもそもギルとは別の世界に来た。などである。どんなパターンでも切り抜ける正解筋が見えているので、正直に答える。
「ファディアです」
全員が驚きと共に叫ぶ。
『ファディア!?』
全員知っている反応だが、この反応からしてあまりいいパターンとは言えなさそうだ。
まあ、とりあえず、ファディアがまったくの架空の国名ではなさそうで安心する。一番警戒した返答は、誰も知らないこと。あの小説に書かれた地名がまったくの創作で実在しなければ、全員ファウグリーグの時と同じくきょとん顔だったろう。
“当たり”の感触を得たので、強調する。
「はい。ファディア王国です」
静かな驚きが広がる。
「あんな遠い国から旅して来たの?」
案の定の返答が来たので、想定回答をする。
「はい。ファディアにいました。瞬間移動魔法で飛ばされたのかも知れません。ここはどこですか?」
小説のなかに、瞬間移動魔法についての記載がある。創作による、空想上の魔法でなければ、この世界には瞬間移動魔法がある。
私の言葉で、驚きはさらに広がり、女性はため息と共にいう。
「ここはネルダーハ首長国。ファディアから一番遠い国よ」
まさかの最果て。だが、ファディアは確かにあるのだ。なんとも言えない感動が込み上げる。
そこでロビンフッド……じゃなく若い男性が話に加わる。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!? そんな遠くから瞬間移動なんてことあるのか!?」
なんかまずい流れだな。瞬間移動魔法と言えど、距離制限があるのかも知れない。
その時、おじいさんが口を開く。
「いや、“旅する泉”ならあり得る。お前さん、不思議な泉に入らなかったか?」
不思議な泉? その言葉で思い浮かぶのは、あの空中から水のあふれる泉だけ。
一か八か言うか? 実在した泉だし、このおじいさんのいう不思議な泉と関係なくてもなんら問題はないだろう。
「はい。水が絶え間なく空中からあふれる泉に入りました」
おじいさんが、くわっとシワに隠れていた目を見開く。
「それじゃ!! それこそが“旅する泉”じゃ!」
旅する泉? あれは聖泉ではないのか? 思ったままに聞いてみる。
「あれは聖泉ではないんですか?」
興奮のピークも過ぎ、少し落ち着いておじいさんは答える。起伏の激しいじいさんだ。
「ふむ。確かに魔物が近付かないから聖泉と呼んだりもするが、あれは入った者を別の旅する泉まで転送する危険な代物じゃ」
初めて聞く話だ。それと同時に腑に落ちない部分もある。
「私は泉に何度か入りましたけど、毎回転送されたりはしませんでした」
おじいさんはうなずく。
「そりゃそうじゃ。出口となった泉に入っても転送されるなら、入り続ければいつかは最初の泉に辿り着ける。そうではないから恐ろしい泉なのじゃ。泉は一方通行。転送されて来た者を、同じ泉が再び転送することはない」
理にかなった危険さだ。同時に、そんな性質の泉だから異世界から来た者の出口になるのかとも納得。
納得しているのは私だけではなく、車内の全員。
「そんな不思議な泉が世界にはあるんすね」
若い男性が、そんな感じの砕けた口調で感想を言い、他の面々もうなずく。
この反応から推察出来ることは、おじいさんが話した旅する泉に関することは、世間に知られている一般常識ではないと言うこと。
「まあ、わしもひい祖父さんに聞いた話で、旅する泉を見たことも、そこに入った者も知らんかったがな。なんせ泉自体も何日か経つと消えてしまって、別の場所へ移動するそうじゃからな」
一種の伝承や伝説に近い部類のことなのかも知れない。けれど、私が出て来た泉は確かに存在していて、確かに消えた。
「それで、転送された場所はどこだったの?」
いきなりキラークエッションが来た。
とわ言え、嘘を付いたところであの礫砂漠以外を知らないのだからボロが出るのは見え見え。正直に答えるしかない。
「向こうの砂漠の果てにある森です」
方角を知らないので、来た方を指差し言った。するとおじいさんと中年男性だけが声をハモらせ驚く。
『不壊砂漠を!?』
驚かれたことより、その砂漠の名称が気になる。
壊せないという意味合いの言葉で、日本語に直すなら“不壊”という言葉になる。本来砂漠に対する表現として“壊す”などとは言わないので、おかしなニュアンスだ。この世界ならではの語句なのか? はたまたあの砂漠を表す独特の表現かはわからないが。
「不壊砂漠?」
その疑問を口にしたのは私ではなく、若い女性。
中年男性が答える。
「そうか。あんたネルダーハの人じゃないから知らないのか。この最南の街道からさらに南に行くと、砂漠があるんだが、そこは不壊砂漠と呼ばれる恐ろしい砂漠だ。何百年か前にネルダーハの首長が大隊を引き連れ探索に出たが、決して壊せない壁に囲まれ大隊は全滅。首長だけが瞬間移動魔法で逃がされ、以来不壊砂漠と呼ばれている」
何か、猛烈に既視感の沸く話だ。既視感というか、思いっきりキングアースビートルに襲撃され全滅した話ではないのか?
中年女性が心配げに言う。
「あんた、そんな砂漠を越えて来たのかい?」
うなずくだけにとどめ、多くは語らないでおく。
その反応をどうとらえたのか? おばさんはごそごそと荷物からミカンみたいな果物を出し、私に差し出す。
「大変だったろう? これでもお食べ」
何度か遠慮したが、強引に受け取らされる。正直、ビタミン不足な気がするのでビタミン豊富そうな果物はありがたい。
早速皮を剥いて食べてみる。見た目通り酸味と甘味のある果物。僅かな苦味もあり、ミカンよりはグレープフルーツに近い味だ。
エロい表情もすっかり消え、心配顔のおじさんが言う。
「君はこれからどうするんだい? ファディアを目指すにしても、なんのツテもないだろう?」
まあ、そうだが。ファディアが存在していることがわかっただけで、私的には100点満点の出だしなので、どんなに遠く、どれほど険しい道程だろうと辿り着く。
「なんとか目指します」
おばさんも会話に加わる。
「ネルダーハの首長を訪ねたらどうかね? 事情が事情だけに力を貸してくれるかも知れないよ」
“ネルダーハ首長国”とか言っていたから、要するに国王的な立場の人物だろう。
政府の力は極力借りない。というか、政府には極力関わらないのが無難。
この世界の人間に取って、“異世界から来た人間”がどんな存在かがわからない。
最悪、監禁やら実験の対象になることも考えられる。否、もっと悪いのは、災いをもたらす存在だなんだという言い伝えがあり、問答無用に抹殺されるケースだろう。
「ご心配には及びません。なんとかなると思いますから。師の教えで、“人生何事も試練。自らの力で乗り越えよ”と言われていますので」
もちろん師匠などいないので出任せ。けれどこれだけ言えば、さらに説得やら別の案の提示などはないだろう。
そう思ったのだが、この世界の人は情が厚いのか? 私の行く末を案じ、車内で議論が続く。道に詳しそうな御者のおじさんも加わり、どのルートがいいか意見をいろいろ出す。
「ファディアにはご両親がいるの?」
ファディアは遠いから、孤児院に行ってはどうかという話の流れで飛び出した質問。
何か、ひどく子供扱いされている感が半端ないが、この世界の歳の数え方も暦も時間もわからないので何も言えない。500億もロファルスのある魔法書なら、言葉や文字だけじゃなく、一般常識もインストールしてくれればいいのに。
「両親はいません。四歳の時に亡くなっているので」
半分本当で、半分嘘。実の両親は亡くなっているけれど、野村家の両親はいる。その嘘に、僅かに胸が痛む。
それならと孤児院行きを進める面々に、はっきりと言う。
「両親はいませんが、仲間がいます。仲間も私を探しているでしょうから、必ずファディアに戻ります」
それでようやく孤児院への紹介は諦めたようだった。
なんかやたらと同情され、クラッカーや干し肉まで貰う。
この世界に来て初めての肉。貴重なタンパク源である。
客観的に判断するに、身寄りもなく仲間とはぐれ、遥か遠くに来てしまった子供。なるほど。同情されて当然かとも思う。
なんの肉かわからないが、干し肉の味はビーフジャーキーに似ている。
クラッカーの方は、水と小麦粉だけで作ったような素朴な味で、地球の食べ物で例えるなら、ドバイにバカンスに行ったサヤにリクエストしたお土産“マッツァー”に似ている。似ているというか堅さといい、焼き目の付き方といい、味わいといい、マッツァーそのもの。栄養素もそっくりならば、こちらも貴重なタンパク源。
しかし、優しい人たちだ。貰うばかりで、何も返すものがない。
善意を噛み締め、飲み込む。胸が熱くなるが、ここで泣いたりしたら、親切なこの人たちを余計に心配させてしまう。
出入口から見える馬車の影が延びて行く。
もうすぐ日が暮れると言う時、御者のおじさんがすまなそうに声を掛ける。
「悪いね。今日は日が長いかと思ったんだが、宿場町に付く前に日が暮れちまいそうだ」
若い男性が声を掛ける。
「な~に、“お天道様と空模様は神のみぞ知る”ってね。誰も悪くないさ」
今の言葉から推察出来る情報は、この世界の人々にとっても、日の長さや天候の激変は予測不能ということ。
「おじさん、“火付け杖”を借りるよ」
何か、力のこもった杖を手にする。精霊力を込めた武具があるとの記述があったから、その類いの気がする。
「あぁ、このロファルスで火を付けてくれ」
御者のおじさんと若い男性の間に、ロファルスの受け渡しがあったようだが、はたから見たら何も見えない。ロファルス・エンテリアの言葉で生まれる宝玉は、本人にしか見えない。
そして、次々とランプに火を灯し、小窓から馬車の周りに吊るす。火付け杖なるものが生み出す炎は、マッチかライターのようなか細い炎。とても攻撃に使える品物には見えないので、おそらく名前の通り火を付けるだけの道具と思われる。
小窓から差し込む光だけで、馬車の中は煌々と照らされ、眩しいくらい。
その明かりのなか全員武器の手入れを始め、戦いの準備を始める。
「日が暮れると何か危険な魔物でも出るんですか?」
若い女性が答えてくれる。
「えぇ、どこの街道でも、だいたいは夜の方が魔物は凶悪になるわね。たまに昼の方が危ない道もあるけど」
補足するように御者のおじさんが付け足す。
「そういう道は昼を避けて、日が暮れ出す頃合いに出発したりするんだ」
私の力がいかほどか計りかねるが、もし役に立てるのなら、良い恩返しになるかも知れない。
私もそっと備前長船を抜き、スカートの端で磨いて戦いに備える。
闇に影を連ね疾走する馬車。
周りに吊るされた大量のランプのおかげで、跳ね飛ぶ小石のひとつひとつまでよく見える。
油の燃えるニオイだろうか? 独特のニオイが車内を満たし、その中で乗客は車外に視線を走らせ警戒。
緊張が高まる。
「どんな魔物が出るんですか?」
若い女性は、あごに人差し指を当て少し首を傾げる。
「ん~、黒犬っていう魔物で、あたしは見たことないけど、凶暴だし群れで行動する魔物らしいわ」
今、頭の中で妙なことが起きた。彼女が“アインリ”と言った時、その言葉に“黒犬”という言葉がはまった。インストールされた知識の更新というかすり合わせ現象と思われるが、すごく妙な感覚。
そして、黒犬という字面に嫌な予感がする。
まさかこれは……。
私が不安を抱いた時、慣れ親しんだ気配が近付く。
私がブラックウルフと名付けた魔物で、夜間にはしつこく現れ私の睡眠を妨害した鬱陶しいだけの魔物。
決して凶暴と思ったことも凶悪と思ったこともないザコである。
この馬車よりずっと速いので、ブラックウルフの気配はみるみる近付く。
“身”のレベルにより夜目も利くので、あの見慣れた黒い獣の姿も見え出す。
すると、車内に叫びが上がる。
「黒犬だ!」
車外に見え出した赤く光る目を指差し、偽ロビンフッドが言った。
あぁ、情けなさに頭が痛くなって来る。
「くそ! やっぱり出やがったか」
悪態をつきながら弓に矢をつがえ、それを車両後部の出入口から射る。
ヒュンと風を切るいい音を響かせ闇夜に飛び出した矢は、残念ながら地面に突き刺さった。
素人目にみても下手過ぎる腕前。
中年男性もてぷてぷしたお腹を揺らしながら矢を射るが、偽ロビンフッドよりも下手で、矢はへなへなと飛び地面にも刺さらない。
中年女性がランプのひとつを手に取り、間近まで迫ったブラックウルフこと黒犬に投げ付ける。
カッ! と燃え盛る炎が闇に弾け、黒犬は火に包まれながら後退するが、気配の“弱り”はほとんど感じないから、見た目ほどのダメージは与えられていないものと思われる。
ただの油で焼いたくらいで殺せるなら、魔物などとは呼ばない。
面食らって呆然としていたが、退治する。
ただし、あまり目立ちたくないのでこっそり倒す。
爆や星の魔法ではテカテカ光ってしょうがない。ここは土の魔法で攻撃してみよう。
キングアースビートル先生直伝の魔法を試す。
土の魔法を込めた左手を馬車の床に押し付け、魔法力だけを床を通して地面に落とす。
“石槍”心の中でだけ呪文を唱え、発動。
キングアースビートルが生み出した物の十分の一のサイズ。数は数万分の一の一本だけ。けれど、威力と速度は引け劣らない。
闇のなか地中からせり出した石の槍が黒犬の胴を貫き、黄緑の光だけを残し消えた。一撃で一匹仕留めたようだ。
夜目の利く私はともかく、他の面々には何も見えなかったことだろう。
“いける”と手応えを得て、連続で放って次々仕留める。
矢を放っていた二人が、弓矢を構えたまま、戸惑いと共にきょろきょろ。
「ど、どこだ!? どこに消えた?」
おばさんが手にしたままにしていたランプのひとつを思いっきり投げる。
馬車の後方に落ちたランプは火炎瓶のように砕けて炎を広げるが、その明かりが動くものを照らすことはなかった。
「黒犬がいない? どこいっちまったんだ?」
疑問の答えをあれこれ皆が推理している横で、しれっと知らんぷりを決め込む。
わかったことは、彼等は想像以上に弱く。私は想像していたより強いということ。