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五章 虫




 雨が降っている。ザアザアと降る雨。


 大雨だ。風はないので嵐ではない。


 激しく打ち付ける雨粒が、バシャバシャと水音を立てる。


 大粒の雫が半透明の身体をすり抜け落ちる様は、不思議としか言いようがない。


 またこの夢かと、毎日続くとさすがに慣れて来る。


 足元は水草だらけの湿地。見渡す限り、そんな風景が広がる。時折枝葉の広い低木があるだけ。


 そこに遠くから、美しい歌声が響く。


 声のする方を振り返ると、見知った歌姫がいた。


 黄金のティアラを頭に乗せ、細部にまで刺繍のされた真っ白なドレスを着ている。


 アカペラで雨にちなんだ歌を楽しそうに唄う橘紗弥香たちばなさやか


『サヤ!』


 いつものくぐもった声で呼び掛けるが、サヤからの反応はない。


 一週間と離れていないのに、ひどく懐かしく感じるサヤの歌声。


 その美しい音色が、ぴたりと止まった。


「ホントいやですわ。濡れますし、泥が付きますし、魔物が出ますし」


 その言葉とは裏腹に、サヤはにまにま笑っている。


 魔物がいるのか? 魔法同様、この夢か幻かわからない世界では、気配もわからない。


 サヤの目の前の水が、ぬっぺりと起き上がる。


 大きい。5メートルはあるヤリイカのようなフォルム。いや、大きさ的にはダイオウイカと言うべきか?


 巨大な目玉以外薄く透けているが、私と違い雨に打たれる物体。


 サヤは小首を傾げる。


「おイカさんって、海の生き物ではありませんこと?」


 その瞬間、サヤの足元から伸びる数本のゲソがその身体をぐるぐる巻きにした。


 状況の危険性に反し、サヤは余裕綽々の反応。


「あらあらまあまあ、そんなに強く抱き締められましても、わたくし困ってしまいますわ」


 抱き締められるって何言ってるんだこいつ?


 ゲソが締め上げ、サヤの身体を完全に宙に浮かせる。


「あぁ、でも軟体生物にまでこんな熱烈な求愛をさせてしまうなんて、わたくしの魅力はなんて罪作りなのでしょう?」


 アホだ。真正のアホがいる。


 サヤはこんなだが、ただのアホではない。これだけ悠長にしているからには、心配の必要はないだろう。


「ところでおイカさん、そろそろ離してくださいます?」


 相手は魔物。当然離すどころか、さらに足を増やしサヤを締め付ける。


「もう、嫌ですわね。わたくしこう見えて、けっこう無作法者でしてよ?」


 次の瞬間、透明なイカ足が切り刻まれ飛び散った。


 手足を封じられた状態で、どんな魔法で切ったのかと思ったら、髪の毛だ。刀の柄に絡み付いた髪の毛を自在に操り斬った。


 何かわからない。いや、こんなおかしなこと魔法以外ではあり得ないが、なんの魔法かがわからない。


 くすくすとサヤは笑う。


「ふふふっ、手も使わぬ無作法、お許しくださいませ」


 反撃に怒ったのか? 赤く変色し、巨大な触腕を振り下ろす。


 だが、その触腕はサヤにとどく前に切断され彼方に飛ぶ。


 刀を髪で振るったサヤは、一歩も動いていない。


 自由に動くどころではない。刀を操る髪は、一瞬数メートル伸びた。


「あくびが出ますわね」


 切断された手足が、にょきにょきとみるみる再生。十方向からの同時攻撃。


 ビッグベアの一撃が可愛く見えるほど、湿地の水はその下の大地ごと吹き飛ぶ。


「あくびが出ると申し上げましたのに」


 サヤは真っ二つになった透明イカの遥か後方で、カシッと鞘に刀を納めたところだった。


 左右に倒れた透明イカが、水飛沫を上げ消える。


 見えなかった。サヤの動きは速すぎて、何も見えなかった。


 えっ? カナといいサヤといい、なんでこんなに強いの?


 ミキなんて見るまでもなく、常識はずれの強さに決まっているし、私だけ弱々なのか?


 そもそも現実かどうかもわからない光景につっこんでもしょうがないが、二人の元気な姿は、いずれも現実であることを願った。




 サヤの夢を見た後、幾度か魔物に安眠を邪魔されたが、朝を迎えた。


 地平線の彼方から、ゆっくりと朝日が昇る。


 何もない礫砂漠を、黄金色に染めて行く光。


 足元には、小石と大きめの砂粒だけの大地。


「ロファルス・エンテリア」


 ステータスを確認。


 攻撃と防御は上がり難いが、体力向上も考慮し、共にレベル3に。


 回避に重要な速度は上がりやすいこともありレベル6。


 魔法系三種類もレベル3。魔法攻撃を一度も受けていないけれど、この先も受けない保証はないので、保険として魔法防御もレベル3にしている。


 技カードは、上がり難い装着と純良以外をレベル2に。


 精霊カードは、0で上げられない光と闇以外を、レベル3まで上げた。


 これが今ある私の全ロファルスを注いだベストステータス。


 準備万端かと言えばそうではないが、未知のことへの対策が完璧になることなどないのだから、これがベスト。


 軽い準備運動をし、駆け出す。


 ちまちま歩いていたら、何年掛かるかわからない。これは大げさな目測などではない。私はこの礫砂漠が地球より“狭い”などという楽観的な予想はしていない。


 速度6の私は、走り難い森の中でもマラソン選手より速く走れた。


 さえぎるもののないこの荒野なら、軽く走っても時速40キロくらいだろう。瞬間的な全速力なら、チーターを超えるかも知れない。


 4万キロ走って何もなければ、“地球より広い礫砂漠か”くらいの感想は抱いてやる。つまりは、それくらいを想定している気概と言うこと。


 走っても走っても真っ平らな地面が続く。


 草一本生えていない。


 魔物の気配もない。


 それは1時間走っても2時間走っても変わらない。


 旅は快調と言うべきなのだろうか?


 水の魔法で絶えず水を集めている。


 森にいる時、雨も降ったので全く雨が降らない場所ではないだろうが、空気はかなり渇いていて水の集まりは悪い。悪いが、自身の体表を中心に水を集めるとその限りではない。


 人間は汗をかく。滴ったり浮き出たりしなくても、常に汗をかき気化している。それをこの渇いた空気に混ぜることなくペットボトルに集める。


 私が汗をかけばかくほど水が集まる仕組み。水分のリサイクルが完成しているが、魔法を使い続けているので、常にロファルスを消費し続けている。つまり、この方法は永遠には続けられないと言うこと。


 ロファルスの補給も兼ねて、魔物には出会いたいところではあるが、“私が倒せる魔物”と言う限定条件を満たす魔物などいるだろうか?


 この礫砂漠にいる魔物が、もし暫定西で見たサンドウォームだけならばお手上げだ。




 幾度か休憩やランチタイムを挟みながら、かれこれ10時間。


 荒野のどこを見渡しても、何も見えない。まるで火星にでもいるようだと思った。


 今日は長い昼になりそうだ。日はまだ高く、真上からジリジリと真夏の太陽のように照り付ける。いや、砂漠の太陽のようにと言うべきか?


 休憩などで止まる度、地面に矢印を描き進行方向を見失わないようにしているが、真っ直ぐ進めている自信はない。


 ほんの1センチずれるだけで、1000キロ先では途方もない距離のずれになる。


 だが私は、そのことを然程注視してはいない。


 明確な目的地があるならばともかく、どこを目指しているかもわからない旅。


 ぐるりと一周して森に帰るくらい、左右どちらかにずれ続けなければ、いずれ砂漠の終わりに着くだろう。


 あるいは、ここは砂漠の世界で、世界の大半がこんな場所なのか?


 とにかく、進み続けなければ何もわからない。


 はたと足を止める。何か違和感のような、判然とはしない気配を感じる。


 辺りを見渡すが、寸分違わぬ荒野が広がるだけ。


 枯草もないから、風で動くものもない。


 ゴリゴリザリザリと、微かに変な音がする。


 明確な敵意の接近に、そういうことかと、左手に雷の魔法を集中。


 迫る害意に合わせ、バックステップでその場から離れると、地面から突き出す二本の刃が、私のいた場所を挟み込んだ。


 ガキィーン! と甲高く響く音。


 クワガタのハサミにそっくりだが、デカイ。避けなかったら胴を切断されていたかも知れない。


 ガサガサザリザリと、地面から這い出してくる巨大な昆虫。


 気持ち悪い。


 トニトゥルスを放つと木っ端みじんに吹き飛び、黄緑の光に転じた。


 よく観察する前に、生理的な嫌悪感から思わず瞬殺してしまった。


 まあ、虫けらのことなど忘れよう。


 獲得ロファルスを確認したら、あんなのでもブレードモンキーの倍くらいあった。


 いっぱいいたら良いロファルス稼ぎになりそうとか思った時、ざわざわと“心”の能力を刺激する気配を感じる。


 これは、まだまだいそうだ。




 かれこれ2時間以上戦っている。


 初見時、よく観察しなかった魔物は、アースビートルと命名。


 地中活動に特化したケラと、甲虫類のクワガタを足したような巨大昆虫型の魔物。しかも二足歩行まですると言う気色悪さ。黒光りするような色は、クワガタのようでもあり、若干ゴキブリっぽくもあるので気持ち悪さを増幅している。


 攻撃力と防御力は高そうだが、動きは速くない。


 そして、レベルの上がった私の火嵐イグニス・テンペスタースであっさり倒せるお手軽さ。


 魔法攻撃や、精霊のレベルが上がっていることも大きいが、魔法速度も影響している。


 速度は力。


 遅い炎と速い炎では、極端な話ろうそくとバーナーくらいの差がある。


 故に、火と風の魔法で巻き起こす炎の嵐は、強烈な熱量を持って私の周りを焼き払う。


 地中から次々と現れるアースビートルは、ピギャピギャとちょっとかわいい鳴き声を上げ絶命する。


 ただ、すさまじい悪臭で焼けるのがたまにキズ。カメムシを焼いたらこんなニオイかもと言う強烈なニオイ。


 もちろんフライスネークの返り血同様、倒せばそのニオイも綺麗さっぱり消えるが、焦げて絶命するまでの数秒で臭いから厄介。


 少しも勢いが衰えることなく現れるアースビートル。


 私の足音か体温か気配か、何かを目印に地中から襲って来るが、気配がまるわかりなので楽に回避。


 予備動作もなく放てる火嵐イグニス・テンペスタースで、数匹を一度に倒せる。


 今まで一度も遭遇しなかった魔物が、なぜにこうも現れ続けるのか?


 これは何もアースビートルに限ったことではない。


 森にいた時から感じていた。40キロからなる広大な森。たくさんの魔物がいてしかるべきだが、森を突っ切ったのは南北を繋ぐ直線のみ。


 逆を言えば、その直線の魔物を倒しまくっているはずなのに、通るたび変わらぬ頻度で遭遇した。


 それは火の囲いで広範囲焼いた場所でも同じ。周囲にいたであろうあれだけの数を倒し尽くしたのに、近くで眠っていれば魔物に起こされた。


 赤子も子供もいなくて、どこからともなく湧き出る魔物。


 そして倒せば、何の痕跡もなく消え去る。


 そこでふと、薄ら寒い想像をしてしまう。


 私はこの世界に来て、同じように何の痕跡も残さず消えるものを知っている。“魔法”だ。魔法力で生み出したものは、その魔法を解けば全て消える。


 魔物を殺すことがイコールで魔法を解くのと同じ効果であるなら、あの常識はずれの消え去り方にも説明が付く。


 その想像はまるで、この世界の全ての魔物を魔法で生み出した存在がいるかのようだった。


 魔物もこの世界も、まだまだ謎が多い。




 もう200~300万はロファルスを稼いだかも知れない。


 さすがに戦いながらロファルスを確認するほど油断は出来ないので、正確にはわからないが。


 無限に出続けるのだとしたら、ほどほどで切り上げないと永遠に倒し続けることになってしまう。


 その時、心の異常なざわめきを感じる。


 世界が一瞬暗くなるような感覚。


 思わず空を見るが、晴天の青空が広がるだけ。雲に隠れた訳でもない。


 気のせいか?


 そう思いかけた瞬間、悪寒などと呼べるレベルではない震えが全身を襲う。


 思考が赤く明滅。全本能が、全力で警告している。


 “ここにいると、私は死ぬ”と。


 アースビートルがいない辺りに向かって駆け出し叫ぶ。


「ロファルス・エンテリアッ!」


 稼いだ370万の残ロファルスを全て速度に叩き込む。


 レベル12まで上がった速度で、弾丸のように駆け出す。


 原理はわからないが、速度とは足が速くなる能力ではない。ただ純粋に動きが速くなる能力。


 脚力が上がるとかではないが、一歩の歩幅は数メートルに跳ね上がり、大地をえぐるほどの踏ん張りで私の身体を前方に吹っ飛ばす。


 新幹線のような速度で移動しているのに、少しも安心出来ない。警告が止まない。生命の危険が遠ざからない。


 背後で、濃密な死が轟音と共に現れた。


 ちらりと見て青ざめる。


 なんだあれは? なんだあれはッ!?


 怪獣映画かと思うほどの巨大なアースビートルが、吹き出す岩と砂と土埃のなかにいた。


 えっ? えっ? アースビートルを倒し過ぎて親玉を呼んでしまった的なことだろうか?


 ギギキィギィー!


 キングアースビートルの方から、金属を擦り合わせるような音が響く。


 強烈な“死”の気配に、大きく跳ねると足元を水平に、白い輝きが通り抜けた。


 半月形の、波のような巨大な刃にも見え、あまりいい予感はしない。


 ちらりとキングアースビートルを見れば、ハサミを閉じたところ。何を挟もうとした? 疑問に答えるように、再び開いたハサミは白く輝き、閉じる動作でそれを放つ。


 吐きそうなくらいの“死の気配”に、気持ち悪くなる。


 再び跳ねてかわした時、先程かわした初撃が彼方の大地を直撃。


 地面がバターか何かのように切り裂かれ、めくれ上がって崩壊。


 土埃のなか突っ込み逃げ続けるが、キングアースビートルとの距離が広がらない。


 倒せるとは思えないが、牽制になればと最大級に集中した雷球トニトゥルス・スパエラを放つ。


 ゴッゴッゴンッ! と、雷鳴に似た轟きで放たれた電光がキングアースビートルに直撃するが、何事もなかったように無反応で私を追い続ける。


 やばいやばいやばい!


 あれが全く効かないとか、絶対倒せる訳がないのに、逃げ切れない。


 僅かに私の方が速いが、飛来する刃の攻撃が逃走を邪魔するので距離が開かない。


 本に書いてあったから知っているが、あれはおそらく闘気を刃として放つ高等闘気術“烈線れっせん”だ。そんなものを放てるだけでもレベルの違いを感じる。


 何か弱点となる攻撃があるかもと、あらゆる魔法で攻撃して見るが、どれも全く効かない。魔法防御が高すぎるのだ。


 ダメ元で備前長船で斬りに行くとかは死ぬイメージしか湧かないので却下。


 その時、足元の大地が突然跳ね上がるように隆起。私は空中に投げ出された。


 何が起きたのか一瞬わからなかったが、似た光景を前方で何度も見ている。


 烈線を私に当てようとはせず、わざと少し手前を狙い、機動力を削ぎに来たのだ。


 空中で身動きが出来ないのに強烈な害意が迫る。


幹蔓トルンクス・ウィーティス


 木の魔法で杭付きのツルを生み、地面に杭を突き刺しツルを引き……ゴグァッ! イメージを発動する前に衝撃が来た。


 あの、大地をバターのように切る烈線が背中に直撃。


 上下に切断される自分の姿を想像したが、息が出来ないほどの衝撃で遥か前方に飛ばされただけで、身体を引き裂いた闘気の輝きは胸から飛び出しては来ない。


 地面に何度かバウンドし、激しく転がされたが死んでいない。身体はくっついている。


 どういうことだ?


 痛みに朦朧とする意識でリュックを外すと、表の部分だけがざっくり切られ、中身が空になっていた。


 それであの烈線を止めた物の正体に思い当たる。本だ。あのどんなハサミでも切れなかった魔法書。あれを、リュックに入れていた。


 うっかりしていた。地球から持って来た物ではなく、まず真っ先にあれのロファルス量を調べるべきだった。少なくとも、あの烈線を防ぐほどの防御がある品物ということ。


 ただし、もんどり打って転がされた過程で、どこかに落としてしまったようだ。


 ケホケホと軽く咳き込むと口のなかに錆び付くような味が広がる。唾を吐き出すと、渇いた大地を赤く染めた。


 口を切ったとかではない。肺挫傷による肺からの出血だろう。


 数百メートルぶっ飛ばされたのだから、これくらいですんでよかったと思うべきだろう。防御3でなかったら、普通に即死していたくらいの衝撃だったのだから。


 本当に運が良かった。本をリュックに入れてなければ死んでいた。烈線を受けた時、手を上げてなかったら腕を失っていた。烈線を受けたのが背中じゃなく足だったら、両足を失っていた。九死に一生どころではなく死んでいた危機だ。


 回復魔法をかけているが、すぐには治らない。咳き込めばまだまだ血が出るし、全身がズキズキ痛む。


 ふらついているうちに、開いていたキングアースビートルとの距離が縮められるが、烈線を放っては来ない。


 もしかしたら、烈線を防がれたと思い、別の方法で攻撃しようとしているのかも知れない。だとすれば、逃げられる。あの厄介な飛び道具がなければ、距離を引き離せる。


 踵を返し逃げようと思った瞬間、キングアースビートルが立ち上がり、ピギィギャアァーッ! と頭が割れそうなくらいの鳴き声を響かせた。


 最初何事かと思ったが、目前でその“何事”かが起きる様子を、ただ呆然と見詰める。


 私は本当はすでに死んでいて、冥福へ行く合間に、ただ悪夢を見ているだけではないかとさえ思うが、繰り返すズキズキという痛みが、これは現実だと警告しているようだった。


 キングアースビートルの鳴き声で発動した魔法は、小石や砂を……否、大地を根こそぎ遥か上空に舞い上げ、いくつもの大岩へと形成する。車くらいの大きさの岩は、10トンはあるだろう。


 その数、100や200ではない。千を超える。


 空一面が、岩に覆われ暗い影が礫砂漠を包む。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 自分の息遣いだけが、嫌に高く聞こえる。


 乱れる呼吸は、肺挫傷だけが原因ではないだろう。


 桁違いの魔法力。烈線の威力が異常過ぎると思ったが、これに比べたらかわいいもの。


 キングアースビートルは、魔法型の魔物に違いない。


 ただ宙に大岩を作ってみただけなどと言うことはないだろう。


 次のアクションを想像すると、思考が止まる。止まっている場合ではないが、どうしていいかわからない。どうしたら死なないかが、わからない。


 ピルキュキュルゥー!


 再び響いた鳴き声で、千を超える巨石が降り注ぐ。


 脱兎の如く駆け出す。


 死に物狂いの全力疾走。


 まさに、死ぬか生きるかの瀬戸際。


 石の雨の着弾を合図に、全ての音が奪われる。


 自分の鼓動も息遣いも聞こえない。岩が直撃する音。大地を破壊する音。岩同士がぶつかる音。あらゆる破砕音が多重に鳴り響き、それ以外何も聞こえない。


 視界もあっという間に土煙が占領。


 薄茶色の空気に埋め尽くされ、自分の手足さえも見えない。


 けれど、わかる。迫る害意。降り注ぐ害意。全てわかる。


 かわせる。かわせている。これなら、かわし続けることが出来る。死なずにすむ。


 油断ではない。僅かに喜びを感じた瞬間、後頭部を金属バットで殴られたような衝撃で吹っ飛ぶ。


 転げる時に見えた手は血塗れ。


 あぁ、かわし切れている訳がない。砕け散った破片には、害意がない。この千の岩の雨が砕ける時に散る、何十万個もの破片。それを、かわし切れる訳がない。


 轟く破砕音が、遠くなる。それは、意識の遠退きを意味していた。





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