三十一章 按図索駿
童話に出てくる魔女の森みたいな、奇妙な形に曲がった枝が埋め尽くすラツムハト樹海。
そこを高速で疾走する馬車を、後方からさらに速いスピードで追跡して来る気配がある。
イリスの話だと、私たちが通って来たムドベラス湿地は、今向かっているフォルセアの街にある士官学校の生徒の訓練地だそうなので、その学校の関係者と言う可能性もゼロではないが、その気配は飛んでいる。こんな速度で飛べる者などはたして士官学校にいるのだろうか?
心の能力のレベルは変わっていないが、経験により研ぎ澄まされた感覚で、気配との高低差がわかるようになった。対象は確実に飛んでいる。その気配はこの馬車より僅かに速く、道なりではなく真っ直ぐ追って来ている。
ムドベラス湿地とフォルセアを繋ぐこの道は、ほぼ真っ直ぐだが完全な直線ではない。僅かだが、左右に曲線を描く場所がある。おそらく地形的な問題で、盛り上がっていたり陥没していたりする場所を避けて道を造った為の線形だろう。
追跡して来る気配は、その曲線による左右の振りを無視し、直進して来ている。
距離が詰められているのは、僅かな速度差よりそちらのショートカットの方が大きいかも知れない。
さて、悠長にしていると追い付かれてカトレアさんを戦いに巻き込んでしまう。
二三質問をしたら切り出そう。
「イリスさんにお聞きしますけど、イリスさんは心覚者ではないんですよね?」
ガラガラと車輪の音だけが響くわずかな沈黙の後に答える。
「無論だ」
今の沈黙はなんだ? 頭の回転が速いから、すでに何かに勘付かれたか?
「心の能力を得る補助能力道具を持っている訳でもないんですよね?」
今度は沈黙なく即答。
「うむ。そもそも補助能力道具は、火付け棒のような最低レベルのもの以外は簡単に使えたりはしない。仮に心の能力を得るような道具があったとすれば、血の滲むような努力の果てにしかその力を引き出せはしない」
マジか!? ゲームみたいに、装備して即能力発揮とはいかないらしい。
あの少女は、いくつも身に着けているようだったが、あれは“普通”のことではなかったのかも知れない。
イリスが振り返り、さらに言葉を紡ぐ。
「何かの気配を感じるのか?」
さすがに鋭いな。
ひとつうなずき答える。
「空を飛び追って来ているものがいます」
イリスの眉毛が僅かに動いた。今まで眉ひとつ動いたところを見ていないので、イリス的には“僅かな驚きを抱いたようだ”と言う言葉で表現しておく。
自らのあごにゆるく握った拳を当てる考える人のポーズのイリス。何をそんなに考えることがあるのだろう?
「ふむ。移動型の魔物かも知れぬな」
考えたわりには、予想通りの答え。なので、こちらも用意しておいた回答をする。
「いえ、気配はどちらかと言うと、火鳥に似ているので、魔法生物ではないかと思います」
また、イリスの眉毛が動いた。なんだいったい? 火鳥だと思い、トロワと遭遇のチャンスとでも思っているのだろうか?
その可能性は皆無。トロワはもうこの世にいない。同じく広域移動が可能な魔法生物を有していたクロエも然り。
その二人を屠った少女は、広域移動型魔法生物を操る悪魔の討伐を目的としていて、その対象を二人に絞っていた。
つまり、今追って来ている魔法生物は、あの少女も知らなかった第三の広域移動型の魔法生物と言うことになる。
やけに考え込んでいたイリスが口を開く。
「貴殿らはこのまま馬車でフォルセアを目指すとよい。追っ手は小生がひとりで迎え討つ」
熟考したわりには、ずいぶんトンチンカンなことを言い出した。
どうしたんだいったい? 見た目は素だが、相当動揺でもしているのか?
「その馬鹿げた話はなんですか? 私が魔物を呼ぶのなら、魔法生物も呼ぶのでしょう? イリスさんを無視して追って来るのが目に見えています」
魔物と魔法生物の違いは、おそらく自然物か誰かの創造物かの違い。まあ、魔物自体が魔王とかの創造物と言うオチもあり得るが。
弾かれたように私を見て、こくりとうなずく。
「確かに貴殿の言う通りだ。非戦闘員のカトレア殿にはこのまま馬車で街に向かってもらい、我々は追っ手を迎撃する。それでよいか?」
私はこくりとうなずく。
カトレアさんはちょっと残念そうな声をもらす。
「めずらしい魔法生物見たかったけど、二人の足手まといになるから先に街へ行ってるね。武運を祈ってます。しゅぴっ!」
最後はカトレアさんらしい明るさで、妙な効果音を口にしての決めポーズ。
「では、参ろう」
言うのと飛び降りるのは同時。私も扉を開け、慌てて飛び降りる。
特急電車並みの速度が出ている馬車から飛び降りるとか、地球の常識的にはだいぶあり得ない行動だが、いつぞやの防壁からダイブと同じで、私は怪我などしないことをわかっているのでなんの恐怖も躊躇いも感じない。
スタッと着地。
馬車からだとわからなかったが、地面は枯葉の絨毯が道の果てまで続く。辺りの木々も枯葉か枝だけ。
その落ち葉が舞い上がり、道の先にいたイリスが私の隣まで一足で移動して来た。
100メートルくらいあったのに一歩ですか? しかも、恐ろしい程にやわらかな跳躍だったので、イリスがいた場所の大地は蹴り砕かれていない。実力を隠す気がなくなって来たのだろうか?
気になることはそれだけではない。通信球なる通信手段がありながら、なぜイリスは原始的に歩き周り、私をエサにトロワを探す? 連絡すればいいだけではないのだろうか?
「イリスさんにひとつ聞きたいのですが、通信球はどんなに離れた相手とも話せるんですか?」
地球の衛星電話とは仕組みが違う。距離の制限があるのかも知れない。
ちらりと私を見て答える。
「通信者の魔法力とロファルス量次第では、どれほど離れていようと通話は可能。ここで言う魔法力とは、魔法攻撃、魔法防御、魔法速度。これら三つのレベルに由来するものだ」
相変わらず詳しく説明してくれる。悪魔ほどの魔法力があれば、距離制限はないに等しいだろう。
イリスはさらに説明を続ける。
「ただし、通信球による通信は傍受されやすく、機密情報の伝達には向かない」
なぜそんなことまで説明する? 私はそこまで聞いていない。これではまるで、私の質問の意図を理解し、その回答まで答えたようだ。
私が何かを聞く前に、イリスは空を見上げる。
「来たようだ」
枝葉の隙間から覗く青空に、ガラスか何かで出来たような透明な鳥が現れる。
日射しを浴び、無色透明な胴体や羽に虹が浮かぶ。
火鳥以来の美しい鳥は、翼を閉じると垂直落下。地面に激突した。
弾ける地面と、舞い上がる琥珀の吹雪。大量の飛沫が辺りに雨のように降り注ぐ。
そこには、不思議なものが存在していた。
ゆらゆらと揺らめく透明な球体。人ひとりが入れるくらいの大きさで、水の塊のような物体。
相変わらず冷静なイリスが言う。
「ふむ。水獣だ」
水獣?
「どんな魔法生物ですか?」
じっと水の球体を見詰めるイリスは、即答せずしばし間をおいてから答える。
「流動する水の体を操ることで様々な獣に変態する魔法生物だが、“鳥”に変態出来たとは初めて知った。術者の技能向上により、能力が進化したのやも知れぬ」
イリスが説明しているそばから水の球体はうごめき、狼のような四足獣へと姿を変えた。
もしもゲームなどで水の体を持つ魔物がいたら、水色や青いグラフィックで描かれるが、泥水や色水でない限り、水は無色透明なもの。目の前の獣はまさに“水”そのもの。
後ろの風景が透けて、水の“ゆらぎ”によってぼやけている。
氷の塊越しや、水槽越しに見るものとも違う、形容するとすれば、そこに見える景色はまさしく“水の獣”越しの風景としか言いようがない。
水獣は、透明な水晶のような牙が並ぶ口を開け、水が泡立つようなゴポゴポと言う音の混じった咆哮を上げた。
まるで巨大霧吹き。口からは霧状の飛沫も飛び散る。
その咆哮が終わる頃、イリスが剣を抜きながら言う。
「小生をあてにしないことだ。水獣には、物理攻撃は効かない」
は?
どういうことか聞く前に水獣とイリスが飛び出し、振り下ろされた前足を剣で受けたイリスは、そこから流れるように放った回転斬りで水獣の首を斬り落とす。
瞬殺かと思ったが、地面に落ちた頭と、それを追うように崩れた体はボチャボチャと枯葉の上で繋がり、ワニのような姿に転じたかと思うと、すぐさま巨大な口でイリスに襲いかかる。
即座に剣を振り上げ、その口を閉じさせるように突き刺し地面に張り付けにするイリス。だが、流動する水の体は嘲笑うかのように剣からスルスルと抜け、拘束することなど出来ない。
火鳥程度の気配だからと見くびっていたが、これはかなりやばい敵だ。
イリスの目前、ゴリラっぽい二足獣になった水獣は、太く長い腕の先、デカイ拳を合わせてハンマーのように振り下ろす。
ドゴンッ!
イリスは危なげなくかわしたが、その拳の直撃で地面は爆発するように砕け飛ぶ。
水がぶつかっただけであんなことが起きるはずはないので、それだけの闘気が込められていたと言うこと。
このまましばらくイリスの攻防を見学していてもいいが、そんな意地悪をしていてもしょうがないので参戦する。
“物理攻撃が効かない”とは、具体的にどういうことなのかわからないが、とりあえず私の主力攻撃魔法を放つ。
「爆」
かざす手の平から放たれた紅い光球は、近接戦闘をしている友軍にフレンドリーファイアしないよう運動重視にしたもの。
こまめな操作により、カニに化けていた水獣が振りかざすそのツメを爆破した。
飛び散る水飛沫と、マイナスイオンのような水の匂い。
効いたのか?
私の疑問に答えるように、飛び散った水が生き物のように地を這い本体へと戻ると、ツメは元通りに復元。その質量には幾ばくの変化も見られない。
えっ? 今のも物理攻撃扱い?
もしかして、無敵に近い魔法生物なんじゃないのか?
何が“魔法攻撃”に分類されるかわからないので、いろいろ放ってみる。
風と土の魔法カードを頭の中で重ね合わせる。
狙撃に適した場所を求め少し盛り上がった木の根の上へと移動。手の平に集めた力を放つ。
「星弾」
私の手から、光線のように飛び出した黄色い光弾は、イノシシのような形状の水獣を貫くが、ポチャンと虚しい音を響かせただけで無反応。まったく効いていない。
枝葉を避けるように平地へ駆けながら、シンプルに火と風の魔法を別々に放つ。
「火嵐」
イリスを巻き込まないように上方に放った逆巻く炎は、技カード“運動”の力により急激に降下。真上から水獣を襲う。
強い風に“運動”で回転を掛け、まさしく炎の竜巻のような火柱の中から、のしのしとゾウの姿で水獣は現れる。
振るう長い鼻をイリスに斬られるが、その鼻を形成していた水ですら、燃え盛る炎の中を這い本体に合流。
水は消火にも使われるし、火に強いと言うことにして次の魔法の集中。
瞬くようなイメージで指先に雷光を集める。
イリスの背中に当たらないよう、森の中へと入り、横から狙う。
「雷弾」
球状に集中した電撃は、閃光のような輝きで即座に水獣に着弾。その水で出来た全身がバチバチと光ったが、変わらぬ歩みでイリスを襲っている。
一度冷静に整理してみよう。水と土の複合魔法“木”を使えるイリスが“自分をあてにするな”と言ったと言うことは、少なくともこの三つは効かない。
こちらに突撃して来る水獣は、現在サイの姿。その勢いのまま木々をなぎ倒すかと思いきや、木や枝をパシャパシャと僅かな水音を響かせただけで素通り。
追い付かれないよう、さらに森の奥へと移動しながら、振り向き様に風の刃を放つ。
「風刃」
三日月型の白い風が、木の枝を避けて水獣の胴を横から真っ二つにするが、即座にくっつき何事もなかったように向かって来る。その前に果敢に立ちはだかるイリス。
常に近接戦闘をしているが、そのイリスよりも水獣は私を狙っている。思えば、どんな場面でも常に魔物に狙われるのは私だった気がする。
まさか魔物に狙われる素質があったとはびっくりだ。これは私だけの特質か? はたまた“異世界人”全員に共通することか? サヤとカナはわからないが、ミキは洞窟内でやたらとワーバットに襲われていたから、後者の可能性が高い。
戦闘中なので、こんな考え事をしている場合ではない。
水の上位属性である“氷”が実は弱点かも知れない。イリスが使えないと言う前提の話になるが。
「多氷柱」
地中を這い迫る魔法力が、水獣の足元で発動。四方八方から氷柱が発生して貫くが、それだけで終わり。
クロエの操るもののように、その瞬間相手を凍らせるほどの冷気があれば、あるいは違う結果だったのかも知れないが、私が操る氷柱ではその表面にすら水獣を凍らせた痕跡は見当たらない。水獣を貫いた部分もそうでない部分も、まったく同じ厚み。
残る属性は三つだが、“煙”や“再生”での攻撃と言うものをあまり想像出来ないので、あまり使っていないが、最後の攻撃魔法となる“溶”で攻撃してみる。
「酸弾」
薄緑のブヨブヨとした質感の光を頭上に放ち、ぐるりと旋回させたそれを背後から水獣に浴びせる。
トプンと水の中へ吸い込まれ、カエルを模倣をしていた水獣の口から吐き出されてしまう。
枯葉の絨毯をジュウジュウと溶かし、異臭を辺りに放って終わり。
全ての魔法がまったく効いていない。
イタチの姿に転じ、俊敏に立ち回る水獣を、イリスが斬り刻んだタイミングで近付き声を掛ける。
「イリスさん、どんな魔法なら効くんですか?」
くるりと私を見たイリスが首を傾げる。
「小生は魔法なら効くとは言っていない。物理攻撃が効かないことは知っていただけだ」
マジですか!? その返しは予想外。
「なら、いったいどんな攻撃が効果的なんですか?」
目の前では水獣が再生していく。“再生”と言う表現さえ的確か謎な魔法生物だ。
「さて。小生も水獣と戦うのは初めてだ。何か弱点を見付けられねば勝ち目はないだろう」
恐ろしいことをさらりと言うイリス。余裕があるのかそれが素なのか。
しかし、弱点でひとつ思い出した。あの少女が、火鳥の群れを瞬殺した方法。“核”を破壊したと言っていた。魔法生物にとっての心臓みたいな急所と思われる。
「核を破壊すれば倒せるのでは?」
透明な水でも、その眼光を鋭く感じるトラの姿で飛び掛かって来る水獣。
イリスが左手を直角に振り上げた瞬間、トラが岩に包まれる。
おそらく地中から出したものと思われるが、その大岩の生成は速すぎていつ水獣を閉じ込めたのかもわからなかった。
「魔法生物の核とは、一般的に拳ほどの大きさがある」
包んだ岩は、軽石のようにぷつぷつと穴があり、その穴からシャワーのように水を吹き出して縮んで行く。
「水獣の本体はこれではない。そもそも、魔法生物の核は無色透明ではないから、水の体の中にあっては弱点と言っているようなものだ」
ベコベコに縮んだ岩から放水は止まり、あふれた水はぷるぷると一ヵ所に集まるとシカを型どった姿になる。
「じゃあ、核はどこに?」
剣をくるくる回し、水獣に向かって行くイリスが、つぶやくように言う。
「さて。心覚者にわからぬのなら、探しようがない」
痛恨の一言。そういうことか。わかり難いんですけど!? イリスが最初から私に期待していたことは、それだったのだ。
「ロファルス・エンテリア」
目の前に浮かび上がる黄緑の宝玉。そこに“心”のカードを重ね、どこにも振り分けていないロファルスを注ぐ。なんとか1レベル上がり、そのレベルは17になる。
この1レベルの差がどうでるか?
神経を研ぎ澄まし気配を探ると、小さいが水獣と同じ気配を感じ取ることが出来た。出来たが、さらなる問題が発生する。
その気配はひとつではなかった。十や二十ですらない。辺りに無数に存在していた。




