三章 静
聖泉の特徴に付いてのまとめ。
聖泉から約300メートルの範囲内には魔物は侵入してこない。
この範囲内に入ったら、私がすぐ近くにいるのに、フライスネークがファラファラと旋回して立ち去ったのを確認している。
そして、聖泉から流れ出ている小川には魔物を退ける効果はない。
この水に退魔の力がある訳ではない。どういう理屈かはわからないが、魔物を退けているのはあの水をダバダバと吐き出している空間にあると思われる。
そして私は、聖泉からまだ1キロほどしか離れたことがない。
安全地帯である聖泉から離れるのは危険という判断からである。
とわ言え、異世界三日目。
そろそろ行動範囲を広げなければである。
聖泉から離れること1キロ以上。
未開の森の様子はさして変わらない。
時折、キイキイという鳴き声のようなものが遠くから聞こえる。
何の鳴き声だろう?
鳥は相変わらず見ていないのでこの線はない。
木の魔法をイメージ。
「蔓」
右の手のひらに銀光を生み、ツルを真上に伸ばし枝をとらえる。絡まるツルを引き絞り枝まで身体を引き上げ、それを何度か繰り返し天辺へ到達。
10メートルとない木だが、視界はだいぶ開ける。
森の中では特に感じなかったが、風が強い。地上より湿度が低いのか、やけに渇いた風だ。
はためく髪を手で抑え、森を見渡す。
予想よりも広い。
ギルがいたのは湖の孤島と書かれていた。けれど、これが湖にある島の大きさだろうか? 異世界のサイズ感がいまいちわからない。
そんな思案の隙間に、私の視線は異変をとらえた。
何かがいる。
風とは違う方向に木がゆれている場所が見えた。
ゆれている木の数は、一本二本ではない。数十本。
そのゆれが、こちらへ向かって来る。
魔物か? 人間か?
極めて魔物の可能性が高いけれど、未確認で無差別攻撃はためらわれる。
魔物であれば、数は間違いなく“群れ”と呼んでいいほどの数。フライスネークとマッドフロッグの混合グループですら、十匹以上とは戦ったことがない。
あれは、間違いなく数十いる。
そしてフライスネークともマッドフロッグとも違う魔物。
群れ単位の魔物と初見で戦闘は、あまりにも無謀すぎる。
泉に向かって後退を始めるが向こうの方が早い。
距離があるので追い付かれるほどではないが、速度3の私の全力移動より早いとか、魔物である場合、ますますあんな大群とは戦いたくない。
キイキイという鳴き声と、ガサガサと木々をゆらす音が迫るが、泉が近付くとその音がぴたりと止まる。
振り返れば、余韻でゆれる木々が間近まで迫っていた。
聖泉に近寄らない習性といい、これが人間とは到底思えない。だが、知的生物が人間とも限らないので、攻撃には踏み切れない。
睨み合いのようなしばしの硬直状態の後、木々のまばらなゆれが辺りに広がる。
これは、群れが散開しているということか?
数が減ったところで、こちらから近付いてみることに。
明らかに木々を渡り移動している相手に木上戦もないので、地上に降りて近付く。
足音を殺し、ゆっくりと歩み寄る。
そこでようやく相手の姿を確認。猿である。シファカに似た猿ではあるが、色はくすんだ黄色で、大きさは成人男性並。
特徴的なのは、長い手の更に先、中指の爪だけが異常に長い。まるで刃のように伸びる凶器。
一瞬、異世界の猿ならば言葉を解し、意思の疎通が図れるのではと思ったが、その瞳を見て甘い考えを棄てる。
虚無を見詰めるような不気味な瞳。動物園で見る猿は、こんな目をしていない。
これは生物ではない。兵器だ。人間を殺傷する目的でのみ活動する生体兵器。
目が合い、僅かな睨み合いの刹那、ブレードモンキーが飛び掛かりその両手の爪を振るう。
一刀なら備前長船で受けるという選択肢もあるが、二刀では危険。横っ飛びで回避。
背後で三つに斬られたであろう木が崩れる音が響いた。
追撃を受ける前に備前長船で斬り捨てる。あっさり両断出来たので、素早いだけの敵だとは思うが、倒木の音を聞き、散開したやつらがガサガサと木々を揺らし戻って来る。
群れで行動することとこのスピード。さらには長い腕と長い爪による間合いの広さ。厄介な相手かも知れない。
敵と分かれば容赦はしない。
跳び移ろうとする木を斬り捨て、空中で無防備になる一匹に雷を撃ち込み瞬殺。
木上からの攻撃や、木上移動で囲まれての挟撃を避ける為、備前長船にツルを絡め振り回す。
備前長船の攻撃力と、木の魔法が生むツルの伸縮自在性を活かした回転斬。
轟音と土煙を上げ、周りの木々を薙ぎ払う。
開けた森の粉塵も治まらぬ内に、ブレードモンキー共が次々と飛び込んで来る。
この世界では、生きとし生ける全てのものがロファルスを有していて、植物とて例外ではない。
木にも魔法防御があり、私が広範囲に放った程度の炎では延焼しない。しかし、斬り倒した木は別だ。死んだその木からはロファルスは失われ、簡単に燃える。
火と風の複合魔法は“煙”という魔法で、煙幕以外の使い道がよくわからない属性。けれど、この二つの魔法を複合魔法としてではなく、別々に同時に放ったら何が起きるか?
実験と答えの立証。
右手に火を。左手に風を生み、合わせた両手を広げるように辺りに振るう。
「火嵐」
そんな言葉でイメージを強化した魔法は、文字通り荒れ狂う炎の嵐となって倒木を襲う。
瞬く間に燃え移った炎が、ファイアウォールとなってブレードモンキーたちの進撃を阻む。
自分まで蒸し焼きにしてもしょうがないので、土壁を使い自分の周りから燃えている木を遠ざける。
これでシューティングエリアは確保。
飛び道具のない猿共と魔法乱射がメインの私。
集まって来るブレードモンキーを残らず撃ち倒す。
炎の勢いが弱まる頃には、もう集まって来る猿もいなくなっていた。
ちょろいな。いや、さすがに熱くて汗だくだ。
まだ焦げ付く木々の間を歩き泉に水を飲みに戻ろうとした時、背筋が凍るような悪寒に飛び退く。
刹那、焦げあとから黒焦げのブレードモンキーが飛び掛かって来たところだった。
火の中で生き残っていたのか。油断した。迂闊過ぎる。
自らの失態をいくら叱責しても事態は変わらない。
引いた身体の先、そのムチのようにしなる長い腕から繰り出された鋭い爪が、私の二の腕をかすった。
反射的に放った雷で仕止めたが、制服が斬られていて、その部分から焼けるような痛みが広がる。
見れば、みるみる黒い制服の袖がより黒く染まるように湿っていく。
数秒の間に、袖口から赤い鮮血が流れ出し、指先を伝いハタハタと地面を打つ。
目まぐるしく頭に浮かぶ医学知識から、この切創の程度を考える。
傷口も確認。骨が見えるほどではないけれど、左上腕部の外側をざっくりと斬られた。
なんの処置もせず自然治癒するような怪我ではない。
出血がひどい。縫合処置が必要な怪我だが、縫合糸はもちろん、裁縫用の針や糸の持ち合わせもない。釣糸と釣り針はサバイバルアイテムとしてリュックの中にはある。
痛みを我慢し、傷口をぐちゃぐちゃに縫う覚悟があれば釣り針での縫合も不可能ではないが、そんなデンジャラスな決断をする必要はない。
ここは魔法の世界。回復魔法もあるのだから。
土と火の複合魔法に“再生”という魔法がある。私が使えるものの中では一番回復効果の高い属性である。
「ロファルス・エンテリア」
怪我の程度を鑑み、他に注いでいるロファルスも集め、技カード“生命”のレベルを3に、土と火をそれぞれ2にし、再生の魔法を発動。
土の生命力と、火の活力。その二つが合わさり、混ざり合うイメージ。
「治癒」
橙色の輝きを右手に生み、その手で傷口を押さえると、じんわりと温かな熱が包む。
鼓動と同じタイミングでズキズキと痛みを伝えていたその信号は、次第に弱まり痛みがなくなる。
時間にして僅か数分。
出血さえ止められればと思っていたのに、まさか完治?
恐る恐る手を放し傷口を見るが、傷口がない。
まだ乾いてすらいない血で赤く染まってはいるが、それが流れ出したはずの傷口がなくなっている。まるで奇跡を見ているようだ。
血の染み込んでいない右手の袖でゴシゴシこすって血を拭うが、やはり何もない。
傷跡すら残さず完治していた。
回復魔法の強力さに感動すら覚え、能力を戻そうとして異変に気付く。
先程3に上げたばかりの生命のレベルが2になっている。
一度使うだけでレベルが下がるのかとも思ったが、どこにも振り分けずに残していた残ロファルスが0になっていて、生命に注いでいたロファルスが減っていた。
この結果から予想される答えは、回復魔法の消費ロファルス量が他の魔法より圧倒的に多いということ。
通常、魔法を発動することにより消費されるロファルスは残ロファルスから消費される。
そして、それがなくなると、一番ロファルスを注いでいるステータスから消費されていく。
それが先程の私の場合レベル3の生命であり、そこからロファルスが消費されてしまった為、レベル3を保てるロファルス量を下回りレベルが2になった。
さっきステータスをいじった時のロファルス量と比べ、1万は消費している。
他の魔法が100や200しか消費していない時に1万とかどうなっているのだろう?
ロファルスは命の力……その想像がよりリアリティーを増す。傷を癒し生命力を分け与えることは、それほどにロファルスを浪費することなのだ。
いい教訓だ。強力な回復魔法が使えるからと、怪我など頻繁にしていてはレベルは上がらないということ。
ブレードモンキーの獲得ロファルス量は、フライスネークの倍くらい。
そして、常に数十の群れで行動。
群れの規模の影響か、聖泉には他の二種の魔物ほどは近寄らないので、聖泉からだいぶ離れると遭遇する。
数は多いが、群れで大移動する為、ガサガサと森を広範囲に揺らすので接近にはすぐ気付く。
速度のレベルを4にしたことにより追い付かれなくなったので、逃げながら撃ち倒すという単純な戦術でカモに。
それでも夜間に戦える相手かというと微妙なので、日暮れと共に聖泉へと戻る。
今日は異常に日が短く、日の出が11時過ぎだったのに、16時で日が暮れた。
この世界はどうなっているのだろうか?
いや、ある程度予想は付いているが、その確証を得る方法はまだない。
私の想像通りの世界ならば、とんでもない世界だ。
まだまだ眠るには早いので、食糧採取につとめる。
聖泉の効果範囲内なら、夜間だろうと日中であろうと魔物は現れない。
夜間の方が食糧を探し難いが、どちらを優先するかと言えば、レベル上げが優先なので仕方ない。
火の魔法を松明代わりに、草むらを掘り返す。
ミキに悪いと思いつつ、刀の鞘でガリガリ掘る。
さすがにスコップの持ち合わせはない。
鞘ひとつ取っても、高価な品だろう。ただ、松明に照らしてみると傷ひとつ付いていない。腐葉土でやわらかいとは言え、小石やなんかもある土。普通の強度で傷が付かない訳がない。
攻撃のレベル10の効果が鞘にもあるのだろうか?
ロファルスの能力に付いて、もっとたくさん知る必要がある。
虫も鳴かない静寂の夜。
この世界には、魔物以外の生き物はいるのか?
まだ見ていない。
植物があるのだから、何らかの形で受粉をしている。虫も動物もいないということは、この森の植物全てが風媒によるものなのだろうか?
わからないことを考えても仕方がない。
抱えるほど芋っぽいものや果実を採取したので、泉の傍へ戻ることに。
焚き火で燻したり煮たり、加工作業を黙々と進める。
焦げ臭さくもあるけど、焚き火の匂いは嫌いではない。
ゆれる炎を見詰め静かに思う。
長い夜だ。
こんな時間は、余計な想いが煮立つ。
なぜ私は、ここにいるのか?
小説の取材という動機は嘘ではないが、理由の全てではない。
ただ、逃げ出したかったのだ。
あの家から、他人の顔色を伺うだけの自分から。
湯がぶくぶくと沸騰するのを眺める。
私は穴だらけのざると一緒。どんなに注がれようと、その愛を受け止めることが出来ない。
ただ、こぼれていく愛情を見詰め、申し訳なさに胸が痛む。
暗いな。こんな非生産的な考えをしているくらいなら休もう。変な夢のせいでろくに休めていない。休息も重要だ。
抜けるような青空。
そう感じるのは当たり前。雲海の上にいた。
地平の彼方で空の青と雲の白が交わり溶け合う。
これはなんだ?
視線を落とし答えに気付く。
身体が透けている。制服もスカーフも、宙に浮くスクールローファーも全て。
また不思議な夢?
ゴウゴウ唸る風の音。
振り返ると、大男の背中が見えた。
筋骨隆々の男で、何か獣の毛皮をまとい、蛮族という表現以外思い付かないような風貌。
そして、その長身に匹敵する大剣を雲に突き立てるようにして両手を添えている。
まるで板のように広い刃の剣。
ふと、おかしなものに気付く。
その大男の遥か先。針のような山が見えた。
雲海を突き抜け、なお高くそびえる山。
地球の常識では図れない形状をしている。逆さにしたニンジン……いや、ゴボウに近いくらい切り立っている。
そして、何で出来ているのかわからないが、遠目でもわかるくらい、それは日の光を受け水晶のようにキラキラと輝いていた。
見たこともない景色に、見たこともない人物。そして浮いている自分。
脈絡も意味もわからない夢。
その意味の答えを探る為にも、大男の姿を正面から見ようと思ったが、そもそも動き方がわからない。
ただ、宙にいるだけの自分。
向こうも背を向けたままで、これまでの夢のように私に気付く気配はない。
なんの変化もなく、大男はその山を見詰め、私はただ浮いている時間が過ぎる。
ぱちりと目を開ける。それだけの夢だった。
時刻は4:31という早朝。
就寝が早かったのでこんな時間に目が覚めた。
早朝だが、日が高い。正午前くらいの高さに日がある。
いよいよでたらめな時間軸だ。
眩しい日差しを恨めしげに睨む。
精霊のレベルを四つ共2にしたことで、飛躍的に戦闘が楽になる。
魔法の精度も威力も大幅にアップ。
雷や星球は、感電や貫通で上手くすると数匹を一撃で仕留める。
異常に上がりやすいので、心のレベルを8まで上げたことにより、害意をさらに鋭敏に感じ取れるようになり、安全性は向上。
今日は日中が長い。太陽の位置がほとんど正午の位置から変わらない。
長い夜の後には、長い昼。
いよいよ夜間の戦闘をしてみようと思ったのに肩透かしを食らった気分。
時刻は21:00を過ぎている。地球の感覚では白夜の時間。
日暮れとは別の理由で空が暗くなる。厚い雲が空を覆う。
曇り空の下しばらく魔物退治を続行していたが、1時間もしない内にポツポツと雨が降り出す。
まるで山の天気のような早変わり。
この世界に来て初めての雨。
地球のそれとなんら変わりなく、ザアザアと降り、枝葉をしとしとと濡らす。
これだけ広大な森があの泉の水源だけで育つ訳がないので、降らない可能性は考えていなかったが、いろいろと常識外れのことが起きている世界なので、この当たり前の光景に少しほっとする。
ふと、天日干ししていた保存食のことを思い出す。
泉に慌てて駆け戻り回収。そんなに濡れなかったのでギリギリセーフだろう。
22:00を過ぎた時刻だが、日はまだ暮れない。
朝が早かったから、さすがに眠い。眠いのに雨で寝床の確保が難しい。一応リュックから出したレインコートを着るが、レインコートを着ているくらいで雨のなか眠れたら世話はない。
泉の周りで、一番枝葉の多い木に背中を預け座り込む。
雨に濡れた森は、フィトンチッドの香りが強まり、抜群のリラックス効果で眠気を誘う。レインコートを着たことによる保温効果も眠気の要因だろう。自分の体温がこもり、温かい。
備前長船を抱きかかえたまま、うとうとして来る。
今日は大幅にレベルアップしたけれど、それだけ一日中戦い続けた。
まぶたが重く閉じて行く。
光が見える。大地を埋め尽くす無数の光。
光る石が無数に転がっているのだ。
どれも磨き上げたようにまんまるの石。
ひとつひとつの光は弱い。ピンポン玉の中に豆電球を入れたような明かり。
そんな光でも、地平の彼方まで続けば壮観のひと言。
その淡い光に透ける私の身体。
またこの夢? なんなんだいったい?
周りを見渡し、人影に気付く。
十にも満たないであろう小柄な子供がいた。
ほの暗い地面の明かりは、顔の陰影までは照らしていないので、おそらく子供であろうという推測。
足も見えないような豪奢な法衣を着、手には身の丈の倍はある錫杖を持っている。
私の方へ一歩踏み出し、少年の声が言う。高圧的な冷たい声の少年だ。
「遅いぞ。何をしていた?」
思わず怯み、一歩後退る。
最初に見た神殿の黒ドレス同様、この半透明の私のことが見えている!?
驚く私の背後から別の声が応える。
「申し訳ありません」
振り返れば、平服する黒衣の集団がいた。
「フン、貴様らの鈍足をなじっていてもしょうがない。要点だけを言う。馬鹿共がエリオット・ティセルなどと呼ぶ“まがい物”が侵入した。必ず見付けだし殺せ」
純然たる憎悪のこもった言葉にゾッとする。
御意と応え散り散りになる黒衣の集団。動きが見えないほどの速度だった。
カラカラと少年が数歩進むと、足元で石のぶつかりとは違うジャラジャラという音もなる。
鎖だ。
光る石と同じ材質の鎖が少年の足元に消えている。
おそらく法衣の中、足枷として少年を繋いでいるのだろう。その鎖の先は、光る大地の中へと沈んでいた。
ひとつひとつの輪が大人の手くらいはある大きな鎖。
この少年は誰で、なぜ繋がれているのだろう?
少年が、私の方へ真っ直ぐ顔を向ける。
足元からの光源では、法衣のひらひらが邪魔をし、間近でもその顔はわからない。
「さてと、お前は誰だ? なぜそこにいる?」
強烈な威圧と共にされた詰問。黒ドレスの時と同様、念のため後ろを振り返るが誰もいない。
少年はなおも問い掛ける。
「“自分が見えるのか?”なんていう愚問はするなよ?」
これは夢か? 現実か? これが夢でないとすれば、今まで見た全ての半透明の夢も現実ということになる。
少年が鎖をゆらし、さらに一歩近付いて私を見上げる。
「お前なんか見えないし、お前の言葉なんて聞こえない。何者であろうと、盗み見、盗み聞きをするような下劣な覗き魔は殺す。覚悟していろ。この世界のどこにいても必ず見付け出し殺すからな」
熱風のような殺意に曝され、魂が焼けるような苦しさに呼吸も出来ない。
「がはっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
荒い呼吸と共に目覚めた。
肺が痛い。心臓が裂けそうなくらい脈打つ。
吹き出す脂汗と、小刻みな震え。
尋常ではない胆力を自負しているので、怖くはない。怖くはないが、生物的な本能が畏れているのがわかる。
自己防衛本能が、鳴り止まない警鐘を鳴らしているのだ。
あれは何者だ?
ただの夢とするには続き過ぎているし、リアル過ぎる。
エリオット・ティセルというのも気になる。“馬鹿共がエリオット・ティセルと呼ぶ”という表現は、エリオット・ティセル本人は自分からそうは名乗っていないということ。
そして“まがい物”と続く表現。このことから、エリオット・ティセルは単なる固有名詞ではなく、何か特別な人物を示す言葉や称号のようなものではないかと言える。
そしてあいつは“侵入”とも言っていた。
私たちは、地球からこの世界に侵入した異世界人。
あいつが言った言葉を整理すると、エリオット・ティセルとは私たちを指す言葉……否、私たちではなく、私たちの中のひとり。漆原美輝を指す言葉に思えてならない。
なんせ、全ての発端はミキだ。この魔法書を河原で拾ったとかうそぶき持って来たのはミキ。
エリオット・ティセルが何か英雄や勇者を指す言葉なら、ミキ以上にその言葉が似合う人間などいない。
もちろん全てが私の推測。
あの夢とて、本当の夢でない保証はどこにもないのだから。
ふと、妙に静かなことに気付く。ああ、雨が止んでいるからかと思いかけ、そんなことではあり得ない静寂に戦慄する。
まるで鏡のように凪いだ水面。ダバダバと泉に注ぎ続けていた水が消えていた。
そんな!? まさか!?
泉の傍まで歩み寄り間近で見るが、どこにも、一滴足りとも、水面を揺らす水滴はない。
自分の思い込みの愚かさに思考がぐらつく。
冷静さを取り戻す時間も与えてはくれないのか? ファラファラと羽音が聞こえ出す。
魔物を寄せ付けない聖泉の効果は、あの水を生み出していた“何か”ここはもう安全地帯ではない。
どこにいても同じならばと、フライスネークを雷で撃墜しつつ駆け出す。
至急確かめなければならないことがある。
マッドフロッグの泥弾を叩き斬り、星球で返り討ち。
ガサガサ迫るブレードモンキーにも正面から突っ込み、魔法をばらまき殲滅。
常に全力疾走で、襲い来る魔物を撃退し続ける。
あの泉から、どれくらい離れただろうか?
息が苦しい。走り続ける足が痛い。備前長船を振り続ける手が痛い。
1時間近く走り続け、森を抜けた。
そこにあったのは、ギルが見た湖ではなく、果てしない荒野。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
肩で息をするとか言う表現が相当するような、激しい運動はしない主義なのに。
あの泉に注ぐ水を見た瞬間の自分を殴り倒したい。
なぜ同じと思った?
サインはいくつもあった。
枯葉しかない水底。草の生えた小川。湖の孤島にしては広すぎる森。
私が辿り着いた泉は、ギルが辿り着いた泉ではなかった。
あの泉は、移動する。
石が転がり、砂塵舞う荒野。厳密に表現するならば砂漠だ。砂の砂漠ではない。礫砂漠と呼ばれる小石と渇いた大地が埋める砂漠。
それが、どこまでも続き、稜線すら見えない。
ここは、どこだ?
口元にニヤニヤと笑みが浮かぶ。
「ふふっ、はははっ、あはははっ」
声を出して笑うことなど滅多にないのに、笑いが止まらない。
気が触れた訳でもなければ、もう笑うしかないとか言う心境でもない。
単純に楽しくなって来た。
魔物のいる異世界。どこかもわからない荒野。人もいない。仲間もいない。何もないゼロからのスタート。
これがゲームかアニメなら、ここからオープニング曲が流れ出す演出が似合いそうだ。物語脳なのでそんなことを考えてしまう。
しかし、事実は小説より奇なりだ。私がもし小説で書くなら、こんな演出はしない。
ここまで何もない場所からのスタートでは、話が進まない。けれど、地球と同じ人口密度だったとしても、人がいる場所からスタート出来る確率など微々たるもの。創作の物語でなければ、これが現実だ。
私は今、リアルな幻想世界に舞い降りた旅人なのだと、改めて思った。それが無性に嬉しくて、笑いが止まらない。
面白くなって来た。