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二十九章 水亀竜




 むせ返るような雨と霧の向こう。比喩的な表現でもなんでもなく、山が揺れている。


 イリスが冗談でもなんでもないトーンで話し出す。


「あれはムドベラス山。長らく山だと思われていたが、なるほど。水亀竜キトラス・ライファだったようだ」


 何を言っているんだこの人は? ボケでないとしたら、何年も山のように眠っていた竜が今目覚めたと言うことか?


 そんな偶然があるだろうか? イリスの陰謀か?


 距離も距離なので、どれくらいの大きさかわからない。普通に雨雲に届きそうな山だ。


「ちなみに、ムドベラス山の標高は?」


 揺れる山を見詰めるイリスは短く答える。


「1579メートル」


 小振りでもなんでもない普通にデカイ山だ。


 その高さの山が揺れて見えると言うことは、あの上下移動は50メートルくらいか?


 歩幅の計算をしている時、害意の膨らみを感じ、足の痛みを我慢しながら全力ダッシュ。水位が下がった分走り易い。


 再び過ぎ去る光線が地形を変える。蒼白く光り、全てを壊滅させる光。


 距離はかなりある。私の索敵範囲の遥か彼方からの攻撃で初撃には反応出来なかったが、意識した今なら害意を感じれるので、ギリギリ回避は可能。


「勝算は?」


 同じ方向へと駆け抜け、すぐ隣にいるイリスに聞いてみた。


「労力に対する見返りが少ない。伝承の通りであれば、動きは遅いので退却するのが無難だろう」


 イリスのトラップなら“逃げよう”と言う進言は出て来ないだろう。だとするとマジで偶然か? 自分の引きの強さにドン引きである。


 動きは遅くないと言っても、あれだけの体躯による歩幅は数百メートルだろう。


 地響きの間隔からして、時速100キロ以上。逃げると言っても容易ではない。


「案ずるな。我らの足なら追い付かれはすまい」


 私も加えられているが、イリスは私の速度を知っているのだろうか?


 その時、大気が揺れる。


「グゴゴォォーッ!」


 耳が痛くなる程の大音量で咆哮が響いた。


 咆哮にいい思い出がない。キングアースビートルは、咆哮により魔法を発動していた。


 これほどの距離が離れていても、莫大なロファルスの膨らみを感じる。


 イリスが私の手を取り駆け出す。


「前言撤回。全力で撤退する」


 なんだ? なんだ? 走りながら後ろを振り返り、我が目を疑う。


 確か、標高は1579メートルと言った。では“あれ”の高さは?


 ムドベラス山……もとい、水亀竜キトラス・ライファが隠れるほどの水柱が吹き上がっていた。


 水柱などと言う表現であっているのだろうか? あれは、水の山だ。


 高く高く、空を呑み込むほどに上がった大量の水が、大地に落ちる。ズンッと世界が揺れるほどの衝撃。


 この世界の魔法は、いつも私の想像の上を行く。


 ゴゴゴゴゴッ!


 止まることなく響き続ける地鳴り。それは大地を削り迫る津波の音。


 下の部分は泥水が混じり茶色に変色し、もの凄い勢いで近付く。


 まるでディザスター映画のワンシーン。


 あり得ない高さの津波は、まさに絶壁。


 全力で走るが、これは逃げ切れない。


 イリスは、私に合わせて並走している。おそらく私よりずっと速く走れるのに。


「イリスさん先に行ってください! 私なら平気です!」


 水のみの単一魔法なら、きっと私には効かない。あの水量が効かないと一体何が起こるのか想像も付かないが。


「レイ殿、小生は貴殿の護衛の為に同行している。置き去りになど決してしない」


 イリスが悪魔なら、こんな状況なんでもないだろうが、ただの騎士であったならば、この津波に耐えられるのか? どう考えても命懸けの行動。


 迫る轟音に、背後を振り返る。


 天辺からこぼれ落ちる水飛沫が白く泡立ち、光を透し難い波は、まるで暗い巨壁。


 距離は、100メートルを切っているだろう。


 私が足を止めると、“置き去りにしない”と言う言葉通り、イリスも急ブレーキで立ち止まる。


 振り返り何かを叫んでいるが、背後から鳴り響く轟音が全ての音をかき消す。


石柱三連ラピス・コルムナ・テル


 この声も、私意外には聞こえないだろう。足を止めてくれたから、その足元を正確に狙える。


 立ち止まったイリスの真下から突き出した石柱が、三段階で伸びイリスを上空へ跳ね上げた。


 続け様に、そのイリスに向かって木の魔法力を撃ち出す。


木船アルボル・ナーウィス


 私の掲げた両手から放たれた銀色の光球は、津波より高い位置まで跳んだイリスの足元に、カヌー程度の木船を生み出す。


 イリスのあの身体能力があれば、あの程度の小舟でもなんとかするだろう。


 イリスがその船に乗れたかどうかを見届ける間もなく、背後からの強い衝撃で吹き飛ばされる。


 もみくちゃにされる激流の中、風の魔法で空気を生み出そうとしたが、魔法を使うまでもなく、水の中で呼吸出来ていることに気付く。


 どういうことだろう? 私は溺れないのか? それともこれが魔法で生み出された水だからか?


 前後左右もわからず、錐揉み回転で水の中を流される。


 薄暗い水の中、呑み込まれた木々が紙切れのように散らばり、大きな岩が発泡スチロールのように漂っては、摩擦でスパークしながら擦り潰されて行く。


 …………んっ? 激流でこんなことが起きるか?


 この津波は、ただの津波ではない。


 魔法で生み出された、呑み込んだものを全て破壊する津波。


 その津波の中で、私は相変わらず無傷。岩を擦り潰す何百トンもの力がまったく効いていない。


 さて、どうしたものか?


 溺れないし潰されないしで、危険はないものの、流れが速すぎて泳ぐどころではない。未だにどこを向いているのかもわからない。くるくる回る景色の中、明るい部分が時折見えるから、おそらくその方向が空。わかるのはそれくらいのことだけ。


 イリスの気配は、その明るい方角にあるので無事と思われる。


 見事この荒れ狂う津波を乗りこなしているのだろう。


 このまま津波が治まるまで流されても大丈夫だろうか?


 光と反対側に見える部分は、泥水がかき混ぜられているだけには見えない。大地をえぐり削っている。


 水位が下がり、あんな場所に巻き込まれて平気だろうか?


 岩を塵にする水流は効かないけれど、その勢いで渦巻く砂粒はどうだろうか? 物理攻撃に弱い私としては不安が残る点だ。


 なんとか水面を目指そうと思った時、ゾワリと全身を害意が包む。


 辺り一帯が、赤く染まったかのように感じる危険度の害意。


 この範囲にいたら確実に死ぬ。


 慌てて風の魔法を放ち、その反動で移動を試みるが、錐揉み回転の速度が増すばかりで自由に移動など出来ない。


 これは、死ぬ。


 あれだけ広範囲と射程の破壊光線を目の当たりにしておきながら、なぜ安全であるなどと思ったのだろう?


 相変わらず未知の力が覚醒とかしてくれないので、ピンチにはとことん足掻く。


 即座に魔法を変換。爆の魔法力を手の平に集める。


 持続的な一方向の風と違い、一瞬の爆発的な力は、私を吹っ飛ばすだろう。


 集中と同時に発動。胸の前で起きた大爆発が私を押し流すが、鉛のように重い水がその力を奪う。


 10メートルと移動出来ていない。いや、水中を10メートル移動するだけでも相当な力だ。ましてこの激流の中でとなれば。


 しかし、赤く見えるような害意の気配の中から逃れられていない。この位置も死地だ。


 次なる一手を思案した時、光の方向……水面側から、無数の蔓が飛び込んで来た。


 細長いロープのような蔓が、矢のような勢いで水中を直進。


 なんだあれは?


 一定の間隔で注いだそのひとつが私に触れると、一瞬にして絡み付き、意識が飛びそうな力で引っぱられる。


 遠ざかる水中に破壊光線が過ぎ去り、白濁した水が押し寄せるのが見えた。


 背中の衝撃と共に水中から飛び出す。


 広がる光景は、まるで嵐の大海。


 荒れ狂う水面と、降りしきる大粒の雨。


 そこをたゆとう小舟は、私が造ったものからバージョンアップされ、三胴船のように左右に船が付けられていた。


 私を破壊光線から救った蔓は、その船上のイリスから伸びるもの。


 引き寄せる蔓により、その船へと着地。


 凄まじい勢いで息をし、言葉にならない。


 呼吸をしていたと思ったが、酸素を求める深い呼吸が治まらない。


 声も出せない私に、無感情なイリスが相変わらずの喋りで言う。


「感謝ならばいらない。お互い様だ」


 “お互い様”か。目前の改良された船を見る。私より遥かに洗練された魔法によって造られた船だ。それこそ、公園のボートと競技用ヨットくらいの差がある。


 これだけの魔法が使えたなら、あんなものは余計なお世話であっただろう。


 ようやく呼吸が落ち着く。


「それでも助けていただいてばかりなので、ありがとうございます。魔法、使えたんですね」


 腕を組み仁王立ちのイリス。


「使えぬとは言っていない」


 さいですか。


 イリスはさらに言葉を続ける。


「それに小生は心覚者ではないので、あの爆発がなければ貴殿の居場所はわからなかった。心しておけ。自分を救うのは常に自分だ」


 何がきっかけになるかわからないものだ。


「ちなみにあの光線はなんですか? 魔法には見えないので、闘気由来ですか?」


 こちらを見たイリスが僅かに首を傾げた。


「水の竜なのだから、当然“水の息”だ」


 水の息!? アクアブレスのイメージを大きく覆す品物ですが!?


 仁王立ちのイリスが、遠くの山を見詰める。波のうねりで、もう上下しているのかもわからない水亀竜キトラス・ライファを。


「悠長にしている時間はないぞ。水上でその水の息をかわさなければならない」


 そんなことか。


 イリスが補強した左右の船を繋ぐ添え木は、荒波でしなるが、カーボンかと言う強度で元に戻る。否、魔法で強化された木材は、カーボン程度の強度ではないだろう。


「少し改造しますね」


 船尾に木の魔法で、少し大き目の筒を造り出す。S字型に曲がった筒で、私の目の前に空いた穴の先は水中へと続く。


 さっきは水流のせいでデタラメに回転したけれど、一方向に固定した状態なら話は別だ。


 丁度害意が辺りを包み出したので、その穴に向かって風の魔法を放つ。


突風インペティス・ウェンティー


 イメージは、水上のF1クラスの速度。


 水が爆発したかのような水柱が上がるのと、それが凄まじい勢いで遠ざかるのは同時。


 その時には、私を絡める蔓が船と私を繋いでいた。イリスが固定していてくれなかったら、また水中に逆戻りしていただろう。


 船の速度はイメージ通り。最速のパワーボートのように、水面を水切り石みたいに跳ねながら疾走。


 後方で、どの辺が水なのか説明して欲しいアクアブレスが過ぎ去り、大津波の上でさらに津波が起きると言う天変地異を巻き起こす。


 その津波も避けながら、パワーボートを操舵して荒れ狂う水面を突き進む。


 何度か破壊光線をかわすと、もう撃ってこなくなる。かわされるから放つのを止めた訳でも、射程外に出た訳でもない。おそらく水亀竜キトラス・ライファが私たちを見失い、狙えなくなったのだ。


 あれほど巨大な水亀竜キトラス・ライファが、雨に霞む視界に阻まれもう見えなくなっている。向こうから、こんな小舟が見える訳がない。


 荒れ狂っていた水面も落ち着き、茶色い泥混じりのものになって行く。軽く100メートル越えだった水位が、それほどに下がったと言うこと。


 辺りに、木か草の葉先が見え出す。


 なんとか逃げ切ったようだ。


 頭が痛い。ガンガン痛むのに、凄まじい睡魔で眠くなる。魔法を使い過ぎるといつも何かしらの変調をきたす。


 風の魔法が途切れ、船は惰力で走る。スピードがスピードなので、それでもかなりの距離を進む。


 今、意識を失えば無防備この上ない。イリスが敵で、何かの目的で接触しているのなら、何かをするのにこれ以上の好機はないだろう。


 船尾にもたれるように倒れ、失い掛けた意識でイリスを見る。


 相変わらずの生真面目な無表情だが、かがんで私の額に手を添える。『レイ殿、大丈夫か?』エコーでも掛かったようなくぐもった声でそう言われた気がしたが、その認識ごと眠りの中へ落ちて行く。




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