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二十章 一撃




 ゆらゆらと舞う雪の破片が、銀色の髪に降り積もる。長いまつ毛。サファイアの瞳。桃色の唇。整い過ぎている顔立ちの少女は、まるで芸術品のような美しさで佇む。


「またお会いするなんて奇遇ですね」


 女への警戒を怠らず、少女は変わらぬ綺麗な声音で言った。


 白々しい。絶対つけて来ただろうに。


 女が声を上げて笑う。


「フフフッ、その娘は“絶対つけて来ただろうに”と思っておるぞ」


 ばらすな。


 少女も鈴を転がすような笑いを漏らす。


「ふふふっ、まあ、その通りですけど。つけていれば、何か大物が釣れるかと思いましてね」


 ストーカーする天使ってどうなんだ?


 満足気な少女はさらに言葉を続ける。


「この僥倖を主に感謝です。まさか“氷結のクロエ”を抹殺する機会にめぐり逢えるとは」


 “氷結”の二つ名で呼ばれた悪魔は、その視線だけを険しくして少女を睨む。


「ほう。わらわが何者か知っていて喜ぶとはめでたい小娘よの」


 少女は細身の剣をくるくる回してから、緩く摘まむようなしなやかな構えで止まる。


 所作の全てに意味があるのではと思わせる程に、その動きはなめらかで無駄がない。


「気味の悪い小娘よの。これ程心の“ゆれ”のない者もめずらしい。“心視しんし”の使い手を想定した修練をよほど積んでいると見える」


 心視? それが心を読む能力の名か?


 少女は、白い息を規則的に吐き出しながら、小首を傾げる。


「修練? そんな昔のことは忘れてしまいました」


 私とそう変わらない歳に見えるが、天使の年齢はわからないので、ものすごい年上の可能性もある。


「とぼけておるなら役者よの。出来る出来ないは別として、トロワを殺し、わらわを殺したい理由は天使共も“エリオット・ティセル”を探しておるからか?」


 少女の表情は変わらぬ薄い微笑みだが、僅かに口角が上がった気がした。


「少ない情報の中、あてずっぽうでもなさそうなので“さすがです”と賞賛しておきましょう。仰る通り、広域飛行に優れた魔法生物を使役しているあなた方きょうだいは、第一抹殺対象です。ですが、理由が違います。“エリオット・ティセル”とはなんですか? 私はただ、旅人たちの安全を脅かすお二人の抹殺が目的なだけですよ。その二人が最近活動を活発にしているから、狙っていただけです。活発に活動している理由が、その“エリオット・ティセル”なる存在の捜索ですか?」


 その声音にはなんのゆらぎも惑いもない。クロエの言葉通り、とぼけているなら役者だ。


 ただ者ではなさそうなので、どちらとも判断は出来ない。


「もっともらしい理由付けよの。まあ、よい。心を読ませぬのなら、殺した後で脳に直接問うてやろう」


 前にも聞いたような台詞だ。トロワは、こいつに記憶を読ませる気だったのだろう。


 構えたまま微動だにしない少女は、薄く笑う。


「あなたに私を殺すことは不可能です。私に殺されるのだから」


 発言の殺伐さを忘れるような美しい声が、開戦の合図となった。


 先に動いたのは少女の方。


 一気に加速し駆け寄ると、流れるような動きで斬り掛かる。


 ガギィィーッ!


 地面から現れた氷柱がその斬撃を防ぐ。それと同時に、少女の足元からも鋭い氷柱が次々と突き出し攻撃するが、軽やかなステップでかわして距離を取る。


 最後のバックステップで着地した瞬間、四方八方から氷柱が伸びるが、まるでオーバーヘッドキックをする途中のような絶妙な反り方でかわす。


 体操選手のようにしなやかでやわらかな身体。ひらひらした服さえ傷付けさせない完璧な回避。だが、氷柱の檻に囚われた少女は身動きひとつ出来ない。


 刹那、少女を囲む氷柱から新たな氷柱が刺のように幾本も伸びるが、少女の姿は一瞬で消えその場にはない。


 キンッ!


 直後に響いた甲高い音は、クロエの背後から放たれた斬撃が、三日月のように曲がった氷柱に阻まれた音。


 少女が首を狙った一撃は、前方から斜めに伸びるその氷柱がガッチリと防いでいた。当のクロエ自身は、開戦からまだ一歩も動いていない。否、動かしていないのは足だけではない。全ての魔法の発動に際して、手も口も動かさない。


 再び少女を縦横無尽に氷柱が襲うが、かすらせることもなく回避し続け、追い込まれると瞬間移動で消え去る。


 それと同時に、光の矢が辺り一面から降り注ぐが、氷壁がせり出し全て防ぐ……かに思われた瞬間、一本だけ高威力の矢が氷壁を貫通。


 しかし、その時にはすでに二枚の氷壁が現れていてその矢もクロエには届かない。


 そんな攻防が幾度か繰り返されるが、クロエがその場を動くことも、互いの攻撃が相手をとらえることもなかった。


 クロエの恐ろしいまでの攻撃予測と防御。少女の息を呑む程に美しい攻撃予測と回避。これが高レベルの心覚者同士による攻防なのだろう。


 しかし、クロエは開戦してから指一本動かしてはいない。常に怒涛の攻撃を繰り出す少女とは対照的で、どちらに余裕があるかは明白。


 トロワを圧倒した少女だが、クロエには現状まったく歯が立っていない。


 これは、まずい状況ではないか?


 寺院に鎮座する菩薩像のごとき荘厳さで、薄く開いた瞳で斜め45度を見詰める少女。


「なかなか当たらないものですね」


 あちこち氷柱や氷壁の残骸が散らばる中心に佇むクロエは、煙る冷気のなか無表情に抑揚のない声で言う。


「心覚者にそんな攻撃当たる訳がなかろう。解せぬのはお前じゃ。そんな“玩具”の能力で、よくわらわの攻撃をかわせるものよの」


 少女の眉根が僅かに動く。


「玩具? あぁ、これのことですか?」


 懐から取り出したのは、以前にも見た懐中時計。


「やはり“心中時計ディグナ・クロノス”か。そんな補助能力道具の心のレベルで、どうやってわらわの攻撃を予測しておる?」


 補助能力道具? なんだろうそれは? 能力を付与するような装備品だろうか? それなら凄まじい効果のように思うが、クロエは玩具呼ばわり。レベルの上限が低いと言うことか?


「戦いの才能と強さの才能は比例しないと言うことです。高々10の心のレベルでも、使いようによってはこれ程に高い効果を生む。逆にレベルが上げられるから、あなたは能力の使い方が下手なのでは?」


 完全な挑発に、クロエの表情は冷たくなるが、嘲るように笑う。


「フフフッ、どんな言葉も実力が伴わねば負け犬の遠吠えよな。別の玩具で底上げしていても、お前の攻撃は脆弱過ぎてわらわを傷付けることなど一生不可能じゃ」


 別の玩具? 攻撃力も何かでブーストしているのか?


 今度は少女の口元に笑みが浮かぶ。


「脆弱と言いますけど、ならばなぜあなたはその脆弱な攻撃を防ぐのですか?」


 クロエの表情が、一際険しくなる。菩薩半目の少女はそれを見ているのかいないのか、さらに言葉を続ける。


「心が、本能が、私の攻撃を受けてはいけないと警告しているのでしょう?」


 クロエは鼻で笑う。


「フッ、妄言を。お前の攻撃などわざわざ受けてやる道理がどこにある? そんな台詞は、わらわに一撃でも加えてから言え」


 少女が前屈みの体勢になり、緩く構えていた剣を背後に突き出すように高く掲げる。


「では、一撃加えましょう」


 大気が変わる。


 仄かな光が散っているように、辺りがキラキラと輝く。


 頭の中に、静かだけれど力強い覇音が、時の流れを無視して一瞬の意味として響く。


烈線れっせん周気しゅうき桜花散乱おうかさんらん


 天高く構えた剣を、手首のスナップだけで一回転させると、辺り一面に桃色の輝きが咲いた。


 まさに桜の花弁のように小さな烈線群。生まれるのと、舞い散るように踊り狂うのは同時。


 一面にはクロエの周りも含まれるので、全方向から無数の散弾を浴びせられるようなものだが、これも一瞬でクロエが見えなくなる程の氷柱と氷壁が防ぐ。


 鉄板にパチンコ玉を無数に当て続けているような轟音の中、少女は言う。


「害意のない範囲発動技を防ぐと言うことは、やはり自動防御魔法でしたか」


 何か不穏な台詞を聞いた。“害意のない範囲発動技”って、心覚者キラーな技ではないのか? 心の能力が無敵と言う訳ではなさそうだ。


 氷の奥、姿の見えないクロエが言う。


「それがわかったところで、わらわに攻撃は当てられまいて」


 少女が、また不思議な構えをする。スキーのストックのように剣を地面に突き立て、それに足を掛けて静かに言う。


「当てますよ。自動防御魔法にはいくつか弱点がありますからね」


 その言葉尻に続くように、瞬間的に意味が覇音として頭の中に鳴り響く。


烈線れっせん豪気ごうき間欠斬かんけつざん!』


 足を掛けていた剣をそのまま蹴り上げるように斬り上げ、自身もバック宙で一回転。


 ギンッ!


 強烈に響いた金属音。


 氷壁や氷柱が消えると、まるで銀のように輝く盾を地に押し当てるクロエがいた。


 ゆっくりと立ち上がり、つまらなそうに言う。


「ふむ。自動防御魔法の弱点とな。その性質上“自分を巻き込まない為に身近は守れない”か? じゃが、心覚者たる者にとっては弱点にはなりえぬがな。直接攻撃など直接防げばよいだけじゃ。特に、こんな脆弱な攻撃などはな」


 細かな紋様まで描かれた美しい彩飾の氷の盾には、傷ひとつない。


 少女は、とぼけた表情で首を傾げる。


「あら? 不思議なことを仰いますね? まるで防ぎ切ったような台詞ではないですか。“間欠”の意味をご存知ないのですか?」


 クロエの表情が変化しかけた時、その足元から烈線が飛び出し、腕を斬り付け空へと消えた。


 皮膚や肉を裂くどころではない。骨さえ切断し、僅かな肉で繋ぎ止められているだけの腕からは、吹き出すように血があふれる。


 クロエは氷の盾を落とし、切れかけた腕を氷で覆って繋ぎ止めた。


「なぜじゃ? なぜわらわを斬れる? こんなことはあり得ぬ」


 少女はいつもの菩薩半目で緩く剣を構えながら答える。


「私の間欠斬は二度斬ります。二度目は私にもいつ発動するかわからないので、当然害意などはありません。心覚者でも予測不能です」


 次々対心覚者用の技を繰り出す。


 少女を見詰めるクロエの表情に納得の色はない。


「そうではない。氷盾ゾフ・ラータに傷も付けられぬ攻撃で、なぜわらわの腕を切れる?」


 わなわなと凍った腕に視線を落とす。


 少女の口元に、僅かな笑みが浮かぶ。


「それは、敵に対して“あなたはなぜそんなに強いのか、無知で脆弱な自分に教えてください”と懇願しているのですか?」


 クロエが、凶悪な笑みを浮かべる。その笑みを見て、トロワときょうだいなのだと改めて理解する。


 いまだ腕は氷に包まれているが、その手を握ったり開いたり。トロワよりも格段に回復が速い。


 凶悪な笑みを浮かべたまま、クロエは声を上げて笑い出す。


「フフフッ、アハハッ、よかろう。強者と認め、全力で相手をしてくれようぞ」


 血の混じった赤い氷が砕けて落ちると、そこには傷跡すらない。


 少女も声をもらし笑う。


「ふふふっ、きょうだいですね。その愚かなまでの“見くびり”トロワにそっくりです。自分の方が格上であることを疑わず、油断から善戦も出来ずに敗北。実に惨めな最後。あなたも同じ末路をたどることでしょう」


 クロエが何かを言う前に、地面に落とした氷の盾が烈線により跳ね上がる。烈線より先に、その盾に弾かれた為にクロエは無傷だったが、盾がなければ再び腕を斬られていた。


 少女はさらに笑う。


「ふふふっ、ほら、“強者と認める”と言っているそばから油断。敵の言葉を鵜呑みにし、追撃はないなどと思い込む」


 クロエは無言のまま地面を氷の台座で覆い、少女を見詰める。


 少女も、菩薩半目のまましばし沈黙。


 なんだ一体? お互いなんの沈黙だ?


 私を完全無視していたクロエが私の方を見て口を開く。


「わらわは、小娘の魂胆が見えたから静観しておったのだ」


 そこで少女に視線を戻し続ける。


「お前は企みが見破られたことを察し、次策を模索中か? なかなかの仔狐よの」


 話が見えない。なんの話だ?


 少女は、変わらぬ微笑みで答える。


「なんの話ですか? 格下相手に企みなどあるはずがないでしょう」


 クロエは鼻で笑う。


「フッ、見え見えじゃ。わらわを怒らせようと躍起ではないかえ? 正面から正攻法で挑んでも勝てぬことをわかっておるのじゃろう? じゃから、わらわを怒らせ、スキを作ろうとしている。残念じゃが、戦いの最中に冷静さを失するほど怒ることなどありはせぬ。トロワもそんな卑劣な方法で心乱されねば、お前になど敗れてはいまいて」


 少女は微動だにしない。


「仮に、あなたの言う通りだとして、それの何が卑劣であると? そんなことを卑劣であると感じるのならば、それはあなたが甘過ぎる戦場しか経験していないからでしょう。“自分は未熟ですからお手柔らかに”と言う話ですか?」


 クロエの表情は変わらない。


「無駄じゃ。心を読めずとも、感情は読める。お前の言葉には心が込もっておらぬ。どんなに嘲り、侮辱しようとも、その言葉には“悪意”が抜け落ちておる。むしろ、自責の念すらある。敵と言えど、死者への侮蔑は気が咎めるかえ? フフフッ、死因が“優しさ”とは、実に天使らしい最後よのお」


 クロエの言葉に、合点がいってしまう。トロワを殺した時、残酷だと思うかと聞いて来た少女と、戦っている最中の毒舌少女が一致しなかったが、その舌戦すら計算だとすれば、これ以上に納得する答えはない。


 少女は斜め45度の目線を上げて、クロエを見る。


「根本的な思い違いから正せば、私は天使ではありませんので“天使らしい最後”と言う表現には当てはまりません。そして何より、“最後”をそもそも迎えませんので、あなたの言葉は間違いだらけです」


 そう言えば、トロワとのやり取りでも天使であることを否定していた。もしかして本当に天使ではないのか? しかしクロエは取り合わない。


「お前の戯言には厭き厭きじゃ。もうよい。そろそろ死ね」


 言葉の終わりと同時に響く覇音。


氷結界ブレイゾフ・リオン


 魂さえ凍てつく響きに、それだけで震える。


 何も見えないがわかる。クロエを中心に広がる殺意は、トロワの死を悟られた時に私を包んだ冷気だ。


 脱兎の如く駆け出すが、私の全速力よりその冷気の広がりは速い。


 全身に炎を装着すれば耐えられるだろうか?


 刹那の思考の合間に、殺意の波は背後まで迫り、強い衝撃が私を襲った。




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