十五章 厄災
重苦しい車内の空気を察し、カトレアさんは馬車の屋根に寝転がり日光浴中。
私はその横に座り白砂漠を眺めながら、時折馬車に近付く線刃に魔法を放ち倒す。黄緑の光に転じる前の、砕けた破片がキラキラと陽光を照り返す一瞬の煌めきが綺麗。
他人を気遣いこんな場所に来るくらいなら、始めから空気を悪くしなければと思うけれど、カトレアさんにとってあのやり取りは譲れない部分だったのかも知れない。
今はふにゃふにゃ笑顔でご機嫌な様子で鼻歌まで歌っている。
渇いた砂の香りの合間、風上にいるカトレアさんの香水の香りも時折香る。
鼻歌の終わりに質問してみることに。
「カトレアさん守護香って知ってます?」
私の方を見たカトレアさんが、目をぱちくり。
「レイちゃん、聡明そうな雰囲気に反して、本当に知らないことだらけね」
聡明って、どこを見ての感想だ?
そんな私の思いなどお構い無しにカトレアさんは説明を始める。
「守護香っていうのはね、“吹き掛ける鎧”とも言われる、花とかのロファルスを封じ込めた香水のことよ。防御を上げるだけじゃなく、花の種類によってはいろんな属性の耐性を得られたりもするのよ。ちなみに超高級品だから、余程のお金持ちじゃないと買えないわよ」
なるほど。トロワの台詞から鑑みるに、天使はそれを好んで付けるのかも知れない。
「ちなみにあたしが付けてるのは普通の香水よ。フェイク守護香とも言うんだけど、これ付けてるとセレブに見られるの」
そんなことを言ってムフフと笑う。
カトレアさんっぽい物をカトレアさんっぽい理由で付けている。
そう思うくらいには、この人のことがわかって来た。
「それにしても、自分で言うだけあって本当にいろいろなこと知らないね。レイちゃんのお師匠さんってどんな人? そういう一般常識は何も教えてくれなかったの?」
表情にはまったく出さないが、内心ニヤリと笑う。
実は待ちに待った質問だったりする。ぐつぐつと煮詰まるくらいに煮詰めた答えを用意している。
「はい。非常識な人で師匠自体が常識がなかったので。名前はギル・ディーザルクと言う剣士で、自分は有名だと言っていたのですがカトレアさんはご存知ですか?」
あの魔法書がただの本でないのは確かだが、書かれた物語は広く知られた物語かも知れない。もしそうなら、カトレアさんも読んでいる可能性がある。
もしくは、ギルが英雄か何かの名前であるだけでも、カトレアさんは知っているかも知れない。
なぜその名前を私の師匠が名乗っているかは、英雄の名を語る怪しいやつとかなんとか、なんとでも言い様がある。
「ううん、知らない。ファディアで有名な剣士さんなのかな?」
素だ。初めて聞いたと言う反応。ギル・ディーザルクは有名人ではない。いや、ファディアの英雄であったなら、カトレアさんの言う通りこんな離れた国に知る人はいないかも知れない。
「人里自体にもあまり行ってはいないので、ファディアで有名だったかもわからないです」
あらまあと言う感じに驚くカトレアさん。
「そうだったんだ。今まで山奥だけの生活だったのね。それはいろいろ知らないことがあって当然よね」
騙しているようで胸が痛む。いや、嘘を付いているのだから騙しているのだ。カトレアさんは私が異世界から来たと言っても、なんにも気にしない気がするけれど、“気がする”などと言う曖昧な基準では秘密は明かせない。
せっかく二人切りなので、さらに聞きたいことを聞いてみる。
「カトレアさん、昼は何故昼で、夜は何故夜かわかりますか?」
グリニッジ標準時では、現在23時頃だが、空は晴天。太陽は高く世界を照らしている。
この世界の昼や夜の概念がどうなっているのか気になるところだ。
カトレアさんが若干困り顔を浮かべる。
「え~と、それは哲学的な話?」
左右に首を振る。
「いいえ、“自然科学的な意味で”です」
冷や汗でも流しそうなきょどり顔を浮かべ、目が泳ぎ出す。
「自然科学とか、難しい言葉知っているのね。あたし勉強好きじゃなかったから、レイちゃんが知りたいこと説明出来るかな?」
難しい言葉? なのか? それすら私の知識では判断出来ない。
「科学的な話と言うより、概念としてです。時間と朝、昼、夕、夜の関係性はなんなのか?」
目を細目唸るカトレアさん。
「う~ん、なんか次々難しい言葉が出て来たけど、つまりレイちゃんはあの昔話の伝説を知らないってこと?」
昔話? 伝説? もちろん知らないのでうなずく。
意を心得たと言うふうに微笑み説明してくれる。
「ひとつの伝説があるの。昔話みたいなことだけど、“昔々、一日の始まりは真夜中で、朝に日が昇り、昼に世界を照らし、夕に暮れ、夜に闇が訪れ、再び真夜中になるまでを一日とした時代があった。季節により日の動きの変化があっても、一日の長さは変わらず、必ず日は昇り、沈んだ。けれども、闇の王が世界を崩したが為に、世界の日の出と日の入りはでたらめになり、四季の移り変わりさえも、一日で駆ける世界になってしまった”って感じの伝説。うろ覚えだから、正確に知りたいなら図書館でちゃんと調べてね」
うろ覚えでも、意味までは変わらないだろう。この世界には、時間や季節の流れが存在した時代があったと言うこと。
では、それを奪った闇の王とは何者か? 悪魔のいる世界ならば、一番に考えられる存在がいる。
「魔王が、一日の秩序を壊したと言うことですか?」
カトレアさんはちょっと驚いた顔をしてから笑う。
「ふふっ、“一日の秩序”か。面白い言い方するね」
何が面白かったかわからないが、カトレアさんの説明は続く。
「“それ”が世界をでたらめにしたって言う学者さんもいるけど、“それ”が倒されたのに世界が元に戻らないのは何故だ? っていう学者さんもいる。さらには、まだ“それ”は倒されてはいない。っていう学者さんもいる。つまりは何もわからないってこと」
カトレアさんは、意図的に“魔王”と言うワードを使わなかった。実際に悪魔がいる世界。“魔王”と言う言葉自体が、禁忌と言っていい口にするのも憚れる言葉なのかも知れない。
この機会に聞けることは全部聞こう。
「“それ”が倒されたと言う話は、そもそもどうして出たんですか?」
カトレアさんに習い“それ”とか言ってみる。
寝転がりながらでも、あごに人差し指を当てるあのポーズを披露するカトレアさん。
「う~ん、四大厄災が消えたから?」
言ってるカトレアさんもなぜか疑問系。
そして四大厄災とは何か? カトレアさんは私の顔を見ただけで知らないことを察し、説明を始める。
「四大厄災っていうのは、身体が鉄で覆われる伝染病“鉄革の呪病”。大地を押し潰す黒い雲。“重界の黒雲”。巨大な氷の怪物“氷身の冷獣”。全てを消し去る灰の花弁“滅霧の灰華”のことで、それはそれは恐ろしい厄災だったらしいんだけど、300年前に全てパタッとなくなって、それでおそらく倒されたんだろうってことみたい。昔のこと過ぎてあたしもよく知らないけどね。でもその厄災の痕跡は世界中にあるの。噂をすれば、このネルダーハにある痕跡が見えて来たわ。あれはネフェルトゥム盆地。“重界の黒雲”により大地が潰されて出来た盆地で、もともとはネルダーハ最大の都市、ネフェルトゥムがあった場所だったんだって」
走る馬車の遥か横手に、白い砂漠が断崖にでも消えたように終わっている場所が見えて来た。その先は奈落のように深く底が見えない。
盆地と言う言葉にふさわしいくらいの広大さで、霞む程遠くに、盆地の終わりである向こう側の白砂漠が見える。イメージとしては、月にあるクレーターくらいの巨大さと見た目。
これが重力の魔法で造られたものだとすれば、トロワの魔法力を遥かに凌ぐ芸当だ。
盆地のサイズも驚いたが、その名称にも驚く。“ネフェルトゥム”は、エジプト神話に登場する神の名だ。偶然の一致か? はたまたその名を知っているものの命名か。
しかし、300年前か……それはもう伝説に近い認識なのかも知れない。
ならば、伝説の正体を聞こう。
「誰が倒したんですか?」
カトレアさんの口から、重要なワードが聞けていない。魔王を倒した勇者の名前。
カトレアさんは首を傾げる。
「さあ、神様か天使様じゃないかしら?」
神!?
いるのか? いや、天使がいるくらいだからいてもおかしくはないが、それは地球の認識でいう信仰心の篤い人が言う“神様のおかげ”的なことなのか、それとも実在することは誰もが周知の事実である“神様のおかげ”なのか、カトレアさんの言葉だけでは判断のしようがない。
神様がいるのは当たり前だったとしても、天使を見たことがない人がいるくらいなら、神様を見たことのない人はもっといるかも知れない。世間知らずキャラなら聞いてみるのもあり。
「神様っているんですか?」
目をぱちくりしたカトレアさんは、声を上げ爆笑。
「あははははっ、笑ったりしてごめんごめん。レイちゃんも無神論者?」
この世界はともかく、地球では特に信仰している宗教はない。
「はい」
カトレアさんはニコニコ笑う。
「ふふっ、一緒だね。神様がいるかだったね。みんないるっていうけど、実際に見た人はいない。ただいると言われている場所はみんな知っているから、そこに行けば会えると言われているわ」
神がいる場所。行けば会えるのか?
「どこにいるんですか?」
穏やかな笑みでうなずく。
「アセラで地図を見たでしょ? 海の真ん中、世界の中心に神峰ルークリエドと言う山があって、その頂上に神の居城である聖域、アイラがあると言われている。ほとんど伝説で、誰も見た人はいないけど」
世界の中心……あのレッドゾーンに囲まれていた場所か。
壮大な話に、わくわく心踊る。いつか、その神の居城とやらに行ってみたい。
カトレアさんに会えたのは僥倖だったと思う。
たぶんカトレアさんはかなり変わった人で、そんな人だから私の疑問に丁寧に答えてくれる。
「いろいろ教えてくれてありがとうございます」
カトレアさんは笑顔でうなずく。
「どう致しまして。あたしに答えられることならなんでも教えてあげちゃう」
そんなことを茶目っ気たっぷりに言う。本当にいい人だ。
渇いた風が吹く馬車の上、乱れた髪を整えながら思案の海に沈む。
カトレアさんの話でいろいろなことがわかった。グリニッジ標準時に時間の概念。エジプトの神の名。地球との接点があるのはほぼ間違いないが、その接点とは何か?
私たちのように、地球からあの儀式でこの世界に来て伝えた者がいるのか?
あるいは、ここが異世界などではなく地球である可能性。
よくある話。異世界だと思っていた場所が、実は遥か未来の地球だったなんて話は。
ここがそうではない可能性はゼロではない。
魔法が生まれ、何か大きな災害……例えば地軸がずれ、地球は現在乱回転の真っ最中とか。それにより時間と気候がバラバラになった。それが闇の王の仕業と言うことになっている。
極小のナノマシンか何かが大気中に満ちていて、即座に“ロファルス”と言う超科学に感染。“ロファルス・エンテリア”の音声認識で“力玉”なるデバイスが発動。身体能力や魔法の能力を操作向上出来る。
ない話ではない。
星空に見覚えがないのも、何億年も経過していたらわかりはしない。
陸地の形だってあてには出来ない。人間なら、億単位の年月があればいくらでも改造しそうだ。
全ては可能性の話。ここがいったいどこで、地球との接点が何か断定する材料は乏しい。
美しかった白砂漠が終わり、馬車は街道を進む。
僅かな平原の後、森が見えて来る。
砂漠の終わりだ。
低木が閑散と立つ果樹園のような森。それでも久々に嗅ぐ緑の香りが心地良い。
森への到着と同時に、日が暮れ出す。
「レイちゃん、この辺りは夜になると“邪眼”っていう魔物が出るらしいから、馬車の人たちを守ってあげて」
邪眼……どんな魔物なんだろう?
「強いんですか?」
あごに人差し指のあのポーズでカトレアさんは答える。
「ん~、なんかふよふよ浮いてる巨大な目玉で、魔法弾を放つらしいよ」
浮いている目玉で魔法弾を放つ。気持ち悪い上に危険ではないか?
日が完全に暮れ闇が包むと、森は一気に不気味さを増す。馬車にガラガラと吊るされたランプの明かりが、テンプレ感満載の“お化けの木”的におどろおどろしく影を踊らせる。
別に怖くもないし、見てて飽きないのでしばらく観察することに。
さて、いつまでも森の観察ばかりしている訳にはいかない。
妙な気配がうようよ近付いて来ている。
御者のお兄さんに一言掛け、お掃除に出掛けることに。
「カトレアさん、行って来ます」
「行ってらっしゃい」
にっこり笑顔の見送りを受け、暗い森に降り立つ。
腐葉土のやわらかい感触が懐かしい。
大量のランプを揺らし、ガラガラと走り去る馬車を見送る。
すーはー、すーはー、と深呼吸。フィトンチッドにあふれる香り。やっぱり私は森の空気が好きだ。
その場で小さく何回かジャンプ。軽い準備運動代わり。
行くか。
一番近い敵の気配に向かってダッシュ。砂と違い、力を存分に伝え跳ね返す地面を削り飛ばしながら加速。
少し冷えた空気を切り、森を疾走すること数秒。妙なニオイを感じる。生臭いような、モツなどの内臓系の生肉に似たニオイ。お世辞にも良いニオイではない。“身”の能力で嗅覚も高まっているが、こういうニオイにも敏感になるのはあまり良いことではない。
ニオイと気配の中心に向かうと、すぐに邪眼とおぼしき魔物に遭遇。
話通り、ふよふよ浮いた目玉が数匹いた。
黒い細胞のようなグロテスクな外皮に包まれた巨大な目玉。浮き輪くらいのサイズがあり、触手か尻尾かわからないものが一本地面の方に伸びている。シルエットは大きめなアルミ風船に似ている。
とはいえ、シルエット以外は目玉の化物。それが暗い森に浮かぶ姿はなかなか不気味な光景だ。しかも内臓臭のオプション付き。
黒目の中心に、黒い球体が生まれ、私に向かって放つ。
なんの危険も感じないので、備前長船も抜かずに素手で弾いてみる。
スピードも大きさもマッドフロッグの泥弾以上だが、ちっとも痛くない。
マッドフロッグより弱い魔物かと思ったら、弾いた魔法弾の当たった木が木っ端微塵になる。
へっ? なんで?
威力は明らかに泥弾以上。他の目玉が放つ魔法弾を無防備に受けてみる。
まったく痛みはなく、私に当たると僅かな衝撃もなく砕けて霧散。
私はやはり、異常に魔法に強いのか? だが、なぜだ? 私の魔法防御は僅か3だ。
動きが遅く、低木の下をふよふよ浮いているだけなので、考え事をしながらさくさく斬って倒す。
魔法弾による攻撃力も射程範囲も広いが、装甲はないに等しい。
ただ、弓矢くらいしか飛び道具のない旅人には驚異の魔物だろう。
馬車の周りを走り、邪眼を倒しまくる。
出現点なるものがどこにあるかわからないが、相変わらず魔物は無尽蔵に現れる印象。
馬車の前を先行していたら、森を抜けた。
枝葉に遮られることのない星空が広がり、美しい輝きを落とす。
渇いた夜風には、僅かに砂が混じる。また砂漠だ。夜で色はわからないが、触ってみた質感が一緒なので、森の前と同じ白砂漠と思われる。
邪眼の代わりに再び現れた線刃を斬り倒し、馬車に一旦戻ることに。
「ただいま戻りました」
飛び乗り言った私に、あちこちから労いの言葉が掛かる。
「お帰りなさい」
相変わらず屋根にいるカトレアさんに質問タイム。
「森を抜けたらまた砂漠でした」
それだけで私の疑問の意味を察したのか、カトレアさんは説明してくれる。
「パシェド森林を通るのは迂回路なの。セーゼーセ白砂漠には、強い魔物が出る場所があるから、そこを避けて遠回りで通るのがパシェド森林。だからここもまだセーゼーセ白砂漠よ」
なるほどと納得。
線刃とは別の気配を感じたので、そのことも聞くと、夜間には“蠍蜘蛛”と言う魔物も出ると教えてくれる。
さっそく見に行く為再び馬車を降りる。
砂丘を三つ程超えた先にそれはいた。
脳内漢字変換通り、サソリとクモを足したような見た目。
ただ、サイズは私以上。魔物はだいたい人よりデカイ気がする。
生き物大好きっ子のカナなら喜びそうなデザインだが、普通に気色悪い魔物だ。
反り返った尻尾の先から、真っ直ぐ何かを伸ばす。危険な感じはしないが、これはかわす。
名前と形状と放った場所から推察出来ることは、クモの糸。砂を絡めて固まる。
あれで動きを封じ、ハサミでちょきんか毒針でブスッと言ったところだろう。
強いけれど、火が苦手でランプ馬車には近付かない為、馬車の旅での危険度はほぼゼロだと言う。
弱点と言う火で攻撃してみる。
右手に火を生み、左手には風を生み、その二つを合わせて解き放つ。
「火嵐
」
立ち上る火炎と疾風が炎の嵐となり、砂漠の大地を吹き荒れ蠍蜘蛛を呑み込むと、まるで藁にでも触れたように燃え広がる。
本当に火に弱いな。
渇き切っているのか油分が多いのか、引火すると火だるまになり燃え尽きる。
獲得ロファルスを確認すると、あんなので3000くらいあった。
火の魔法が使えない場合、余程脅威となる魔物なのかも知れない。
馬車の安全確保には関係ない魔物だが、私のロファルス稼ぎにはもってこいなので倒しまくる。
どれくらい倒していただろう?
馬車の周辺を付かず離れず、線刃も掃討しながら経験値稼ぎ。
空が白み始めたが、まだ砂漠は終わらない。
地平線の彼方。丁度大きな砂丘の天辺と朝日が重なり、縮小版のダイヤモンド富士みたいで目の保養になる。
時刻はグリニッジ標準時で午前4時過ぎ。夏至の頃なら不思議ではない日の出時刻だが、日が沈んだのは午前0時頃。5時間となかった夜が明け、砂漠を白く輝かせた。




