第六話:花と名前と貞操の危機
「そんなこといわれたって……ご飯がどこに用意されてるのかわかんないんですけど……」
こんにちは、皆さん! 今日も元気な有梨守ちゃんです!
因みに、『アリス』の発音が微妙に違うのは、ウサ耳少年にアリスと認めねえ宣言をされてしまったので、日本人らしく漢字を当てはめてみた為だ。
さて、私は今、迷っています。人生という道に迷ってる、などという定番なボケではなく、本当に迷っている。しかも、屋敷の中で。
それ程に、“帽子屋”シェイドさんの屋敷は広かった。
シェイドさんは『下』と言っていたから、階段を下りればいいんだろう、くらいにしか考えていなかったけれど、いざ降りてみると幾つもの同じような扉がずらりとならんだ迷宮だったのだ。ただでさえ方向音痴の私が、迷わないはずがない。歩き始めて約5分、もうさっきの部屋に戻る道すら分からないという最悪の状況に陥っていた。
「まずい、このままじゃうっかり行き倒れになりかねない……ん?」
ずっと同じようなドアばかりが続く通路の中で、小さな札の掛けてある扉を見つけて、私は立ち止まった。札に書いてある字は、英語でも日本語でもない不思議な形で、英語すら危うい私には、当然解読できるはずもない。
しかし、謎に包まれたものほど暴いてみたくなるのが人間の性。
「……私の野生の勘が入ってみろと言ってる……!」
少しくらいなら覗いてみても良いだろう。
そう思い、金色に輝くドアノブに手を触れようとした時だった。
「おいおいお嬢ちゃん。野生の勘ってただの欲望だろうが。何かっこつけて第六感みたいに言ってんだ」
「ぎゃああああ!?私の後ろに立つなあああ!」
「どこの殺し屋だお前は」
背後から聞こえた声に驚いて振り向くと、そこにはピンク色の服を着た人物が立っていた。
「その目に優しくない色は……クレイジーさん!」
「誰が気狂いさんだ。クレイだ、クレイ。まったく……折角あんたが知りたがってる事のヒントをやろうと思って来たのに、随分と酷い扱いだな」
クレイさんは懐から煙草を取り出すと、それに火をつけて吸い始めた。
ファンタジーっぽい国の住人の癖に煙草を吸うとはなんてヤツだ。
「あんたは9代目の“アリス”だ」
「え?」
言葉の意味が分からずに聞き返すが、クレイさんは無視して続ける。
「で、ディールは8代目の“白ウサギ”。……これだけ言えば、お嬢ちゃんでも分かるだろう。多分サルでも分かるだろうな」
どうしよう、分からない。私の脳はサル以下なのだろうか。
クレイさんの視線が痛い。何とか話を変えなくては。
「あ、そ、そうだ! 私のこと、これからは『有梨守』って呼んで欲しいの!」
「は? ちょっと発音が変わっただけじゃねえか」
クレイさんが怪訝そうな顔をする。
まずい、完全に馬鹿にされているようだ。
「うう~……何か書くもの……あ」
ポケットの中から出てきたボールペンで、さっきの札のかかったドアに、漢字で有梨守、と書いた。
「こう書くの! この国の人が漢字を読めるかどうかは分からないけど」
名前が洋風なところをみると、漢字は使われていない可能性も高い。
しかし、クレイさんはそれを見ると小さく微笑んだ。
伝わったのだろうか。
「なるほどな。でも、何でそんなにこだわるんだ?」
「だって、私はアリスじゃないから」
その言葉を聞いた途端、クレイさんの顔から笑顔が消える。
「それはいい心掛けだ。だがな、その言葉、絶対に、ディールには言うんじゃねえぞ」
どうして、という私の声は、聞こえてきた懐かしい声に掻き消された。
「何を、僕には言っちゃ駄目なんですか?」
「ディール、さん」
このウサギ耳野郎は、なんてタイミングで現れるんだ。
目の前でにっこり微笑む銀髪の青年と目が合って、背筋に冷たい汗が流れた。
「あ、の、ですね……えっと……」
「いや、お嬢ちゃんが長髪男は嫌いと言ってたもんでな。お前 髪長いだろう?お前はこのお嬢ちゃんの事、随分気に入っているようだから、んなこと言われたら悲しむだろうと思ってな」
クレイさんが平然と言う。
全く動揺の色を見せない彼に、少し尊敬の念を感じた。
「そうなんですか……」
どうやら話の内容までは聞いていなかったようだ。少し怪訝そうな表情をしたものの、すぐにもとの笑顔に戻る。
「気を使っていただいてありがとうございます。でも、アリスになら罵倒されても平気ですよ。寧ろ快感です」
うわあ変態だ。
もしも私の手元に携帯電話があれば、即座に警察に通報していただろう。ああ、でも、ここはシェイドさんの屋敷なのだから、大声で叫べば誰か助けに来てくれるかもしれない。
そこまで考えて、私はふと違和感を感じた。
「あれ?ここはシェイドさんの屋敷ですよね。なのに、どうして二人がいるんですか?」
「ああ、お茶会に呼ばれたんですよ」
嫌いとまで言っていた相手の家に、呼ばれたからといって行くものなんだろうか。
「勿論僕は行きたくありませんでしたが、色々ありまして」
この人は読心術でも使えるのだろうか。
まるで私の心を呼んだかのようなタイミングでディールさんが答えた。
「オレはシェイドとは昔馴染みだからな。……ほら、お前ら。いつまで井戸端会議してるつもりだ? さっさと行くぜ」
「あ、待ってください!」
そう言うと、クレイさんはさっさと歩き始める。私が慌てて追いかけようとすると、ディールさんはにっこりと笑って私の手を掴んだ。
「貴女の事ですから、また迷っていたのでしょう? 僕が案内してあげます」
……まただ。
この世界に来てから、時折感じる違和感。何がおかしいのか、と聞かれればはっきりと答える事はできないけれど、何かが“おかしい”のだ。
「どうしました?早く行きましょう、……アリス」
ディールさんが「アリス」という言葉を口にした瞬間、背筋に悪寒が走った。
なぜかは分からないけど、このままディールさんについて行ってはいけない気がする。
「……え? アリス?」
気がついたときには、私は殆ど無意識にディールさんの手を振り解いていた。
ディールさんが驚いたように私の名を呼ぶ。
必死に言い訳を探すが、頭にはノイズのような音が響くだけで、いい案が浮かぶ気配など全く無かった。先に行ってしまったのだろう、頼みの綱のクレイさんはもうどこにも見当たらない。
「あの、わ、私、ちょっと忘れ物を思い出しました! 先に行っててください!」
叫ぶように言って、私は全速力で駆け出した。ディールさんが呼び止める声が聞こえるが、振り返る事すらせずに走り続ける。
何故私はあの時ディールさんの手を振り解いたのか、そして今何処に向かって走っているのか。
何もかも、わからない。
◇◇
どれくらい走っただろうか、体力が限界に近づき、私は足を止めた。
ふと頬に暖かい風を感じて、やっと自分が屋外にいる事に気がついた。色とりどりの花が植えられた花壇が、夕日に照らされて鮮血の色に染まっている。
どうやら、私はいつのまにか中庭に出てしまっていたようだ。
「それにしても、凄い数の花……」
設計した者の好みなのか、白い花が多いように感じる。穢れを知らぬかのように鮮やかで無垢な花々を眺めていると、少し心が落ち着いた。同時に、さっき自分がとった行動に対する後悔の念が、どっと押し寄せてくる。
「あーもう、なんであんなことしちゃったかな~……」
溜息を吐くと、それに呼応するように花壇の花が小さく揺れた。
「やぁ、おじょーさん。何か悩んでるわけ?」
不意に、耳元で声が響いた。全身にぞくぞくとした感覚が走る。振り向こうとするが、すぐに後ろから抱きすくめられてしまい、身動きが取れない。声と、私の腰に回っている手の感じからして、男の人だろう。
変質者、と怒鳴ってやろうと思ったが、突然の事で身体が対応し切れていないのか、声が出ない。
その反応を見て、男はどう勘違いしたのか、小さく笑いながら囁いてくる。
「あれ、何、見かけによらず結構可愛い反応するんだな」
見かけによらずって何だ。それはつまり、私が可愛くないと。そう言いたいのか。
「初対面で失礼でしょうがっ!!」
「うわ、危ない」
相手の急所に蹴りを入れようとしたが、余裕の表情で避けられてしまった。しかし相手も流石に驚いたのか、密着していた身体は離してくれた。
「今どこ蹴ろうとしたんだ? 女の子がそういう事するもんじゃないよ」
その『女の子』相手に、遠まわしに可愛くないと言ったのはどこのどいつだ。
「貴方の方こそ、初対面のか弱い乙女にはもっと紳士に対応するべきじゃありませんこと?」
「え? か弱い乙女? そんな生き物どこにいる?」
少し嫌味っぽく言ってみたが、相手の方が一枚上手だったようだ。
至極真面目な顔をして言われては、言い返す気も失せてしまう。
「で、“か弱い乙女”サン。こんなところで、一人で何やってた?」
「な、何って……」
感情に任せて取った行動を思い出してブルーになってました、エヘ★なんて言えるわけがない。もごもごと口の中で言い訳をしていると、男はかがんで私と目線を合わせてきた。
さっきまで気がつかなかったが、こいつも顔だけは無駄に良いようだ。なんだろう、この国にはイケメンしか住んではならないとかいうふざけたルールでもあるのだろうか。
「何かやだな……って、え……」
今まで、金髪や銀髪がいたのだから、こいつは緑髪かもしれないと思い視線を上げてみると、見てはいけないものをバッチリ見てしまった。
髪が虹色に輝いていたわけでも、一昔前のヤンキーの定番・フランスパン頭だったわけでもない。むしろ、光り輝く虹色リーゼントだった方がよほどマシだった。輝くフランスパンならばネタとしてツッコミを入れるか、あえてスルーするかという選択肢があったが、これはそうもいかない。
「何、俺の頭がどうかしたのか」
「どーしたもこーしたもない! 何その猫耳!? イタイよ!?」
そう、この青年――といっても私より一つか二つ上くらいに見えるけれど――の頭からは、少し前に見た蛍光ピンクの塊の頭についていたのと同じような耳が二つ、ひょっこりと生えていたのだ。ただし、クレイジーなオヤジの頭についていたものと違って、こちらは髪の色と同じ漆黒だった。
「それさえなければ、切れ長の目にさわやかな黒い短髪で結構カッコイイのに!」
「そんな事言われても、コレ俺のチャームポイントだし」
チャームポイント。そのおぞましい物体が、チャームポイント。
黒猫ヤマトの宅急便気取りか。
「そんな可哀想なものを見る目でみないでくれる」
「別んな目で見てないよ。ただ、こういう奴が将来変態になるんだなぁって思ってただけ」
「……。まあいいや、俺はセイ。おまえは? まあ、だいたい予想はつくけど」
変態青年改めセイ君は、大袈裟に溜息をつくと、 近くの花壇の端に腰を下ろした。
内側の柵から少しはみ出ていた白い花が、くしゃりと潰れる。
「あぁっ! ちょっ、何て事してるの!?」
私が思わず怒鳴ると、セイ君は少し驚いたような顔をした。
「何が?」
「だから、花だよ!さっきセイ君が踏み潰した花!」
「花?」
セイ君は怪訝そうな顔をしながらも、ゆっくり立ち上がって、すっかりしおれてしまった花に目を落とした。
「…………、これの事?」
「そう! せっかく咲いてるのに、踏み潰したらかわいそうでしょ!? これだから最近の若者は! もったいない精神が足りないんだよねーまったくもう!」
決して、オケラだってアメンボだってみんなみんな生きてるの、だから友達なのというヒロイン思考ではないが、小学生の時、園芸部に入っていたせいか、草木は大切にしなければという妙な信念があるのだ。
「かわいそう、ねぇ」
セイ君はしばらく目を伏せて考え込んでいたかと思うと、急に近づいて来て、私を抱きしめた。
これは、まさかのトキメキ★メモリアル!?
「やっぱりおまえ、あいつと同じ匂いがする」
あいつって誰。というか、私を抱きしめたのってもしかして。
「匂いを嗅ぐため?」
「そうだけど」
案の定、セイ君はあっさりと頷く。
くそ、私のときめきを返せ猫男。
「あれ、おじょーさん、顔が赤いよ。もしかして、もっとカゲキなのを期待してた?」
セイ君がにやにやと笑いながら、耳元に口を寄せて囁いてくる。
うわ、何コイツ。すごい腹立つんだけど。
「してません。というか、いい加減離してほしいんですが」
なんとかセイ君の腕の中から逃げ出そうと試みるものの、やはり力勝負では、男であるセイ君の方が圧倒的に有利だ。どんなにもがいても脱け出す事は叶わなかった。仕方なく、私は無理矢理話題を変える。
「そっ、そういえば、きみは何でそんな猫耳はやしてるの? チシャ猫B役とか?」
「当たりだけど、はずれ」
チシャ猫B一応当たりなんだ。嫌がらせのつもりで言ったのに。
「俺はチシャ猫になり損なったから。今はジョーカーをやってる。……ほら、そんな事より、俺の質問に答えなよ」
「質問?ああ、名前だっけ。私は有梨守」
できるだけイントネーションに気をつけて名乗る。
一瞬、セイ君の表情が強張った。でも、すぐに人を食ったようなに笑顔に戻る。
「やっぱり、アリスなのかー……」
まただ。この人も、『アリス』と口にするとき、遠い目をする。
「知ってる? “アリス”の涙を飲むと、不老長寿になれるんだってさ」
不死ではないんだ。なんとなく悲しい。というか不老長寿って、私の涙は人魚の肉扱いですか。
「ねぇ、俺が泣かせてやろーか?」
「あ、結構ですので。さよなら変態さん」
セイ君の言葉に不穏な色を感じ取り逃げようともがくが、私の腰に回った手は一向に緩まらない。
「大丈夫、痛い事はしないから。多分」
最後に不吉な言葉が聞こえたんですが。
「多分って説得力な……っ!?」
ツッコミを入れようと口を開くが、耳にざらついたモノが触れる感覚に驚いて、声が途切れてしまう。
「嫌がってるからやめてあげようかと思ってたけど、気が変わった。おじょーさん結構可愛いし、俺が泣かせる事にする。他の奴らに先越されたくないしさ」
吐息混じりの声が耳のすぐ近くで聞こえて、泣きたくなった。
神様、もう二度と、一回でいいから逆ハーレムとかなってみたいよねーなんて言いませんからどうか助けてください!