お子様達の認識と、大人達の溜息
「アレ?」
大きな手提げ籠を持って道を歩く少女がつぶやいた。
「なんでビスターがこんなトコに居るの?」
限りなく不似合いな場所に、知り合いの顔を見つけてしまったのだ。さてどうしようかと、彼女は考える。
自分のお使いは終わったので、それ程急いで帰る必要はない。
それに一寸の好奇心…否、むしろ心配になってしまったので、彼女は声をかけに行くことにした。
「ビスター!」
呼ぶ声の先、子供が迷うことで有名な国境の森を前に立つのは。
「え…アレ?なんでミルがここにいるの?」
金茶の髪を揺らして振り返り、明るい茶色の瞳を大きく見開き、彼女と同じような疑問を口に乗せる、幼い少年だった。
「それはこっちのセリフだよ。ホントにどうしたの?」
ミルと呼ばれた十歳の少女は、五歳のビスターに比べれば年上だけれど、それでも『子供』の範疇にはいる年齢だ。
「こんな、『迷子の森』の前に居るなんて。」
「ぼくだけコドモあつかいするのぉ?」
ぷ~っと頬を膨らませるビスターの様子は、とても微笑ましく可愛らしい。
が、その小さな脚は、どんどんと森の中へと動いていく。
慌ててミルはビスターに追いつこうと、足を踏み出した。
「ミルだってコドモなんだから、こんな『マイゴのもり』にきたらダメでしょ。」
「イヤ、あたしは別に森に入りに来た訳じゃないよ。お使いであそこの町に行ってきた帰りで、ビスター見かけたから来ただけだもの。」
ミルは手提げの籠一杯に詰めた食材……というよりもお菓子をビスターに見せる。
「うわぁ、おかしがイッパイ!これってぜんぶ、アルフェストにあげるおみやげ?」
心底羨ましそうなビスターに、ミルは苦笑する。
「全部じゃないよ。どっちかっていうと皆の食べる分。アルフェスト様の分は追加で砦に送ってもらえるようにしたから。だいたい、アルフェスト様はコレ一杯くらいじゃ足りないよ。」
「そーだねー…なんたってアルフェストは『ヨーカイくっちゃネさま』だもんねー。」
「一応、この国を救った『英雄王』なんだけどね…『妖怪食っちゃ寝様』のがしっくりくるのは、なんでかな………」
ミルは、この国の中心と思われる方向へと、思わず遠い目を向けていた。
「イヤ、アルフェスト様は大好きだけどね。へぺぺ軍の皆も大好きだけどね。」
「うん。ミルのいいたいコト、なんとなくわかるよ。」
五歳児とは思えない口ぶりで、ビスターは何度もうなずく。
「なんか、『へぺぺ軍』ってナマエからして、『キューコクのえいゆう』ってカンジしないんだよね。」
「そこに居るあたしたちが、どうこう言える立場じゃないけどね…」
この世界最大の大陸の約半分を国土とするアレムゼナートで、久しくない腐敗と動乱からこの国を救った『救国の英雄』の集う軍。
五年前の即位から、一年経たぬ内に圧政を布いた暴君アルマルタを、この程ようやく退け廃した、『英雄王』の率いる軍。
もともとが相次ぐ重税と圧政に耐えかねた民衆の集まりだった軍。
だから名前など、あまり深い意味を持たなかったのだろう。
むしろ、形式ばった華美なものなど、望まれなかったのだろう。
彼らは自らを『へぺぺ軍』と、名乗っていた。
「ぼくらダイカツヤクしたもんねぇ…」
「あたし、お料理お洗濯献立会議さえ出来てたら十分だったんだけど…」
ビスターはへぺぺ軍における特殊部隊『諜報・密偵班』に所属している最年少の構成員で、母親でこの班の長を務めるカルサ=ノヴァと共に、先の王城攻略に活躍していた。
身のこなしや武器の扱いもさることながら、毒薬知識と技術に長けている、末恐ろしい子供である。
一方のミルは、家事全般を行う『炊事班』の長を務めていた。
異例の大抜擢だが、それも実力に裏打ちされたものであり、さらに本人の人となりも手伝って、周りの大人との溝などは無かった。というか、むしろ娘か孫のごとく可愛がられていた。
先の王城攻略において、ビスターは実働隊として、ミルは(本人意図したわけでもなく不本意この上ない状態ではあったが)人質という名の目くらましとなって大変活躍したと、大人たちから絶賛されている。
「でも、いちばんカツヤクしたのは、アルフェストかなぁ……」
「ラフェスティの持って来た爆弾で十分だったのに、アルフェスト様、お城にトドメ刺しちゃったしねぇ……」
その一戦で歴史あるかつての王城は、暴君アルマルタと共に見事な瓦礫の山と化した。
王城は国の権威の象徴とも言える物なので、即座に建てなおすべきなのだろうが。『今は国の復旧を優先させるべき』という強い意見により、それは見合されている。
代わりに王城の敷地内に、へぺぺ軍の砦とテント群が出来ていた。
「――で。話は戻るけど。なんでビスターはこんな所に居るの?」
ビスターにお菓子を手渡しながら、ミルは再度問いかける。
「ミルしらないの?ここは毒草薬草のホウコなんだよ❤」
遠慮なくお菓子を受け取りながら、ビスターは可愛らしい笑顔で力説する。
「月刊ポイニズムでもねー、毎月トクシュウしてんだよ!ミカイのサイシュウポイントとか新種の毒草がまだまだイッパイあるんだって❤❤」
鞄から一冊の雑誌を取り出して続ける。表紙には毒々しい色で『月刊ポイニズム』という字が並んでいる。
五歳児が好んで読む雑誌とは思えなかった。
「やっぱりオトリヨセばっかりじゃなくって、じぶんでサイシュウできなきゃ、毒薬センモンのながスタるってモンでしょ?」
「そ……そーゆうモン、なの、ね……」
多分「違う」と言っても、ビスターは納得しない。そう結論付けて、ミルは諦めた。
「イッパイサイシュウできるよーに、ジュンビもばんたんなんだー♪」
にこにこと笑顔でお菓子を食べるビスターに、ミルはもう一つ質問をする。
「そう、準備万端なのね。ところでビスター。今どこら辺に来たか、判ってる…?」
今までずっと、歩きながら会話してきた。
一応、目印になりそうな木を見かけては、持っていたピンで傷をつけたりしているが。
ミルはこの森の規模も、自分の位置も正確に把握できてはいない。
「え?そんなのカンタンだよ。ジシャクもってきたんだ、も、ん………」
自信満々で方位磁石を取り出すビスターだったが、その針がぐるぐると勢いよく回り続ける様を見て、沈黙した。
「ち…ちず、あるし!」
鞄から地図を引っ張り出して現在地を確認しようとするが。
「思ったより、広いね……」
この森は、アレムゼナートと隣接するソリュエレィーズの国境に当たる部分に広く引っかかっていた。
「………なんか、ソラが、ちっちゃくなってる………?」
森に入った当初は、結構広く空を見上げていた筈だったのだが、現在は木々が高くそびえて、その隙間に小さく見えるだけとなっていた。
「ビスター…今立ってる足のかかと側に体向けて、戻ろう。」
「ミルのつけためじるし、ノコってる、よね…?」
「多分、きっと…。」
残っていないんじゃないか……とは、ミルは思いたくなかったので、言わなかった。
「とにかく、帰ろう。」
「うん。」
戻る為に、二人は黙々と足を動かす。
その小さな手が、くしゃくしゃに握り締めている地図。
そこに記される、彼らが今居る森の名前は、『アノキガハッラ森林群』。
毒薬の専門誌にさえも名が挙がる毒草の宝庫だが、ほぼ毎月特集を組んでいる編集者たちでさえも取材に手こずる未開の地。
近隣の者たちも、自分の知る範囲を超えて動こうとはしない森。
木々の成長枯渇が異常に早い為、目印を見失うと確実に遭難する森。
だからこの森は人からこう呼ばれている。
確実に迷うから、子供は決して入ってはいけない、『迷子の森』だと……。
-○○○- -●●●- -○○○-
「うーん…」
日差しが燦々と降り注いでいる、昼下がり。
「やっぱりお茶は、屋上で外を眺めながら飲むに限るわね~❤」
紫色の目をほんわかと和ませて、アレムゼナート国の中心に近い街に建つここ、ミーノム診療院では、ちょうど多忙を極める婦長がお昼の休憩中だった。
意外なことに、歴史は長いくせに国立病院というものがこの国には存在していなかった。
なので現在、各地域にある診療所がフル稼働して、戦乱で負傷し疲れ切った国民たちの治療にあたっていた。
このミーノム診療院もその一つで、かつてへぺぺ軍で医療に参加していた看護婦たちも何人か復帰していた。
現在休憩している十九歳の若き婦長…リュレーナ=ツナツナも、その一人である。
ちなみに彼女が陣取っているテーブル付近は、何故だかほんわかした光の膜が覆っているように見える。
彼女が紅茶を飲むとみられる光景で、外からの厄介事がその範囲内を避けて通るので『平和バリア』と彼女は呼んでいる。
ちなみにコーヒーを飲むと、全く逆の作用が見られるので、特異体質だと結論付けられている。
「良いね、リュレーナは気楽でさ……」
そんな彼女の対面に座っているお客は低くぼやき、でっかいため息まで吐いていた。
休憩ののんびりした雰囲気をぶち壊しまくりである。
残念ながら『平和バリア』範囲内での厄介事は避けようがないので、リュレーナはそんなお客に苦笑する。
「なーによ。『仕事』が無いんなら、へぺぺ軍にあのまま居れば良かったじゃないの。『隊』はそっくりそのまま残っているんでしょう?」
「職業軍人なんて、ヤだ。」
返答する相手は、あっさりとその提案を蹴った。
「じゃあ、商売継げば?」
お客が雑貨屋を生家としていることを、リュレーナは知っている。へぺぺ軍に居た二年間で、役目柄何かと顔を合わせる機会が多く、何気に友達づきあいする間柄になっていた。
「商売なら、弟が継ぐかもしれないじゃないか。」
しかしお客はその提案も却下するので、リュレーナは一つため息を吐いた。
「やっぱ、へぺぺ軍に居たら?フィセード、よく働くからお給料イイと思うケド?少なくとも診療院でバイトするよりもイイ筈よ。」
お客は、かつてへぺぺ軍に在籍していた。
特攻部の隊の一つであり、その突撃の激しさと戦果の高さから『鬼の軍勢』とも謂われたフィセード隊の隊長で、名前をフィセード=バスラーンといった。暴君が倒れた今は無職なので、時々この診療院でバイトをしていたりする。
「お給料とか……そーゆー問題なんだろーか…?」
「そーゆー問題よ。『働けるのに無職』は社会的地位低いんだから。割り切ってフィセード隊に戻ってあげなさいな。」
「職業選択の自由は…?」
「あなたの場合はアレが最上の職業だと思うケド?」
「それ、救護班班長としての意見?」
突撃して戦果と共に大怪我も負ってくるフィセード隊の面々。特にフィセードが一番傷を負うのだが、自力で帰ってきた挙句信じられないほどの回復力で戦地へ早々と復帰する。
そんなわけで、リュレーナ達救護班の面々にお世話になりまくっていた。
「そうね、それもあるけど。あなたは仕事に真面目に取り組むから良いってコト。」
そんなリュレーナの言は正確にフィセードを読んでいる。戦闘ならともかく、口論では確実にフィセードが負けていた。
これにてフィセードの愚痴大会は終了。
再びのほほんとした空気を醸し出した屋上の扉が、唐突に大音量で開いた。
「リュレーナっっ!!」
切羽詰まった呼び声に振り向く二人の視線の先には、波打つ豪奢な金髪を乱し、酷く慌てた様子でいる蒼い瞳の美女がいた。
「あれ?カルサだ。」
「どーしたのカルサさん?そんな息せき切って。」
普段、余裕綽綽で物事を進めているカルサの、『諜報・密偵班』の班長らしからぬ慌てぶりに、二人が首をかしげて彼女に問うと。
「うちの子、見なかった?!」
勢い込んでそう問い返された。
「ビスター?」
必死の形相の彼女の前で、二人は顔を見合わせて。
「「見てないよ。」」
と、言った。
「ケーキ乱れ食いのお店じゃないの?」
フィセードは、ノヴァ親子が一番立ち寄るケーキ店の名を挙げたが、カルサはきっぱりハッキリ言いきった。
「一番始めに見に行ったけど、居ないのよッッ!!……って…」
睨むようにフィセードへと顔を向けた彼女は、一瞬誰かと問うような顔をして、そしてにっこりと笑顔でこう言った。
「あぁ、フィセードじゃない。スカート履いてるから、判んなかったわ❤」
軍隊の隊長なんぞやっていたせいなのか、はたまた名前のせいなのか。
よく間違われているしアイドル張りのファンクラブまで出来ていたりするが、フィセードは十六歳の女の子である…。
「悪かったね、珍しくて………」
フィセードの灰色の瞳が少し機嫌の悪い表情を見せたが、我が子の行方が心配なカルサには何の脅威ともならなかった。
「他の所は?」
「心当たりは全部探したけど居なかったの。ここで最後よ。」
リュレーナの問いにも、あまり芳しくない答えが返ってきた。
ビスターは年の割にはしっかりしすぎている子だ。そんな子が行方知れずになるなんて、よほどのことだろうと、三人が不安げにお互いの顔を見合わせた時、
「やっほう。」
そんな気の抜ける挨拶とともに、灰色の布切れが空中に現れ、次いでそこから手が生え足が出て、灰色かかった茶色の髪をお団子にまとめた中年女性の顔が出た。
とりあえず全身出し切った彼女は、屋上へと器用に降り立つ。
この、登場もおかしいが行動も読めない『ナゾの人』はラフェスティ=ヴェスという。
へぺぺ軍に居た三人はいつもの事なので、突然の登場に驚きもしなかったが、それ以外――つまり屋上に居た患者さんや他の看護婦さん達は、言うまでも無く驚愕しまくっていた。
『 う わ あ ぁ ぁ あ っ っ ? ! 』
「……ラフェスティ…ここに来る時は、ちゃんと入り口から入って来てくれない?患者さん達の寿命が縮んじゃうから…」
リュレーナがため息を吐きながらラフェスティに頼むのだが、彼女はそんなことを気に留めるような人間ではなかった。
それどころかとんでもない爆弾発言をしてくれたのだ。
「そうだカルサ。ビスターはミルと一緒にアノキガハッラの森で迷子になってたよ。」
「「「え゛……」」」
ありがたいようなそうでないような情報に、三人は固まった。
アノキガハッラは毒草薬草の宝庫だが、子供は入ってはならない『迷子の森』。
ビスターはともかく何故ミルまでも行っているのか皆目見当もつかないが。
見ていたのなら助けてやれば良いのに、そうしないのが、ラフェスティという人物だった。
「そんであの制服はソリュエレィーズの国境警備兵だねぇ…彼らに保護されてたよ。」
重ねて言うが、見ていても助けてやらないのが、ラフェスティ=ヴェスである。
「ちょっ…ラフェスティ?!」
そして彼女は言うだけ言って、消え去った。
登場ほどに退場は時間がかからなかった。
何かポリシーでもあるのだろうか…誰にも分らなかった。
「えーと…ビスターは、ミルと一緒に『迷子の森』で迷子になって、隣のソリュエレィーズに保護されちゃってるわけで…?」
「引き取りに行かなきゃならない訳よね。」
なんとか先ほどの話をかみ砕いているフィセードとリュレーナ。
「今行くわ、ビスター!」
そう叫んで屋上の扉へと向かうカルサの目の前で。
それなりに重い鉄の扉が、片 方 宙 を 飛 ん で 、 裏 庭 へ と 落 ち て 行 っ た 。
階下で響く大音量の破壊音と驚きに上がる悲鳴をBGMにして。屋上に居た全員が見つめる、無くなった扉の奥には、黒髪の青年がいた。
「い、イルフィノース…」
「うーん、ある意味お約束ね…」
その様子は、先刻のカルサと同じくらいに余裕がない。
紺色の瞳がざっと屋上を見渡すと、目的地へと一気に駆ける。
「リュレーナッ!うちのミルは、ここに来てないかっ?!」
イルフィノースはミルの保護者だ。彼ならミルがアノキガハッラに行っている理由も知っているかもしれないが、今聞くべきことでもないので。
「来てないし、行方も知れたから迎えに行こうと思ってるけど、その前に。」
席を立ち、リュレーナは冷静に言った。
「ここは診療院なの。あんな大音量かまして患者さんの容体悪くなったらどうするの。それと、後で請求書送るから、扉弁償してね。」
いくら彼がへぺぺ軍において、何処の隊にも属さない代わり、何でも――それこそ洗濯物干しから特攻まで――やらされる器用貧乏、又は雑用であっても。蹴り跡がくっきり残り、落ちた衝撃で歪んでしまった鉄の扉を直すのは骨が折れるだろう。
本職に頼むしかないので、リュレーナは『直して』ではなく『弁償して』と言った。
「……すみませんでした。」
言われてイルフィノースも、自分がしでかしたことを理解したらしい。素直に屋上に居る人たちに謝罪していた。
「それはともかく、迷子引き取りにいかないと…」
「国境越えてるのよねぇ…やっぱりレスティナード参謀に相談するのが一番かしら。」
フィセードとリュレーナは、カルサとイルフィノースに比べると、保護者じゃない分冷静に判断できている。
「そんなわけだから、砦に行きましょう。」
リュレーナは結論付けるとほかの看護婦にここを離れる旨を伝えていた。