どこのハーレクインだっての!
(診断メーカーさんのお題より)
長野 雪さんは、部下の男性と平凡女子のカップルで、学校のシーンを入れたハピエン小説を書いて下さい。 #ハピエン書いて https://shindanmaker.com/585298
「なん、で……っ?」
弾む息を吐き出しながら、あたしはそう呟くしかできなかった。
何かおかしいと感じたのは、帰宅途中のこと。駅から家へと歩く道の途中で、後ろにずっと同じ人がいるような気配がしたのだ。
もちろん、あたしにそんな特殊技能なんてない。ごくごく普通の平凡な会社員だ。強いて挙げるなら、同期の中で主任に上がったのは5番目ってことぐらい。それだって、同期の人数を考えればそこまで褒められる話でもない。
「や、だ、もうっ!」
後ろの気配が気のせいだと信じたくて、コンビニに2回も立ち寄った。1件目ではホッカイロ代わりにあったかい缶コーヒーを買って、2件目では肉まんを買い求めてみた。
それでも、後ろから誰かが付いて来ているような気がしてならなくて、つい、途中で角を曲がると同時に駆けだしてしまった。
カツンカツンと硬質なあたしの足音の後ろに、同じように駆けてくる足音が聞こえてきたときは、それこそ血の気の引く思いだった。
(あぁ、もう、こんなことなら途中の交番でも何でも寄ればよかった!)
向こうもあたしを追っていることを隠すつもりがないのか、その足をぐんぐんと速めて来る。
どうしよう、どうしよう、と思ったところで、かつて通っていた中学校が近くにあることを思い出した。
もちろん、関係者以外立ち入り禁止の札がかかっている。ついでに言うと、夜も9時を過ぎた時間なら、残っている人もいないかもしれない。
(川崎先生! ありがとうございます!)
かつての部活の顧問に、心の中で感謝をささげる。敷地内に入れる抜け道と、さらには校舎内に入れる裏口を教えてくれたことは、感謝してもしきれない。
卒業して十年近く経ってもまだ、そんなセキュリティホールがある管理体制はどうかと思うけれど、今だけは助かった。
(今ならハゲてることをネタにして『贈るカツラ』なんて替え歌を作った挙句に目の前で歌ったことも、土下座して謝ります! なんなら発毛剤もつけます!)
石造りの塀と、柵代わりにきっちり密集して植えられた木の隙間にもぐって校庭の端っこに侵入すると、桜の木の陰を選びながら校舎の方へと急ぐ。
新館と本館を繋ぐ渡り廊下を横切って、本館の非常階段を3階まで足音を殺して駆け上がった。
ようやく一息ついたところで、ようやく頭が回り始めたところだ。
「と、とりあえず、警察……?」
ここで通報すると、あたしも不法侵入扱いされるんだろうか。いや、緊急避難ってことで許してもらえるとありがたいんだけど。
どちらにしても、ここでこのまま隠れ続けても仕方がない。自分を追って来た人間が、まさかここまで来るとは思わないけれど、それでも―――
(でも、単なる変質者だったら、そこまで固執しない、わよね?)
目的が分からないからこそ、不安は増す。
あたしは一人暮らしだ。でも、マンション暮らしではなく、両親の遺してくれた一軒家に一人で住んでいる。誰にも気兼ねしない分、マンションに比べてセキュリティは甘い。
鞄からスマホを取り出したところで、誰にどう連絡しようかと考える。
アドレス帳を意味もなくスライドしていく。
親もなく、彼氏もおらず、親しい男友達もいない。さすがに同性の友人を頼るのもどうかと思って、かける相手も見つからない。
(そういえば、矢野くんとか、この近所の酒屋さんだったよね。後継いでるのかな……)
中学の頃は肩をどつきあっていた同級生も、成人式の日に会って話して連絡先を交換しただけの関係だ。こんな時に頼っていいものかと指がさまよう。
アドレス帳をスライドさせていくと、とうとう終わりまで来てしまった。リストの最後は「渡辺」だ。1コ下の会社の後輩で、今は部下でもある。はて、やたらとワンコっぽい彼なら、こんな時どうするんだろう、と考えて―――
「そういうときは、普通に考えて警察じゃないですか?」
そうだった。普段はおちゃらけているくせに、ふとした瞬間真面目になるんだった。
見慣れたワンコの顔を思い浮かべたら、自然と身体から力が抜ける。知らず知らずのうちに、怖くて固まってしまっていたらしい。
とりあえず、学校侵入については大人しく怒られておこうと覚悟して、指を動かし、いち、いち、ぜろ、と
「っ!」
あたしにこんな危機回避能力があったなんて知らなかった。
今まさに通報しようとしていたところだったあたしは、視線を感じて顔を上げた。
その瞬間、持っていたスマホが何かに弾かれて手から飛んで行った。
スマホを見るより先に、あたしは視線を感じた方向に顔を向けて、―――そう、戦慄、した。
(だめだ、逃げろ!)
本能の声に従って、あたしは非常階段から3階端の教室のベランダへと飛び込んだ。ベランダを走って2区画先の教室の前まで行くと、窓を確認する。あった、ここだ。まだ修理されてなかった。
図書室の隣の司書室には、鍵の壊れた窓ガラスがある。あたしがここまで辿り着いたように、非常階段からベランダに飛び移れば、ここから校舎内に侵入できるんだ。
あたしはそろり、そろりと足音を忍ばせ、司書室と図書室を隔てる扉に背中をつけると、かくり、と座り込んだ。
(こっち見てたし、何あれ、何あれ……っ!)
この本館と対になっている新館3階の非常階段から、誰かが見てた。誰かがあたしに向かって何かを飛ばしてきた。
(しまった! スマホだけじゃなくてカバンも置き忘れてきたっ!)
慌てていたと言っても、とんでもない失態だ。財布も社員証も入れっぱなしだ。コートのポケットに入っているのは家の鍵と缶コーヒーと定期入れぐらい。
(~~~~~)
じわり、と涙が出て来る。
どうすればいいのか分からない。ここだって本当に安全か分からない。誰かに助けを求めようにも、スマホだってないし、宿直の先生がどこにいるのかなんて知らない。っていうか、そもそも宿直っているの? それともセコムなの?
「っ、く」
だめだ、声を出したら聞かれてしまうかもしれない。
誰に?
あいつだ。こっちを尾行してた、こっちを見てたあいつ。
なんで、なんでこんなことになってるの。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。
跳ねる心臓を何とか落ちつけようと深呼吸したところで、急に背もたれが消えた。
「見つけた。こんなところでかくれんぼですか?」
「~~~~!」
背にしていたドアが突然開かれて、あたしの耳に男の声が届く。悲鳴を上げようにも、大きな手があたしの口を塞いで、それすらさせてもらえない。心臓だけがばくばくと悲鳴を上げていた。
「ちょ、静かに! 酒井先輩!」
「んぐ、ん~~~! ん? んががんうん?」
聞いたことのある声、聴いたことのある呼び名。あたしはその相手の名前を呼んだけれど、残念ながら言葉にはならなかった。
「落ち着きました? 僕ですよ」
「……っぷはぁ、渡辺くん?」
会社で別れたばかりの後輩がそこに居た。
「え、待って、なんで? ここの卒業生じゃないよね?」
「違いますよ。……ったく、どうして先輩は時々こうやって突拍子もない行動に出るんでしょうね」
「え?」
「わざと人気のない方へ行くなんて、襲ってくれって言ってるようなもんじゃないですか」
「え?」
「普通、おかしいな、って思ったら人の多い方へ行くんですよ。人目のあるところなら、あっちだって手出しはできませんから」
「え?」
おかしい、さっきから「え」しか言ってない気がする。
これではダメだ。あたしは渡辺くんの先輩で上司だぞ!
「ちょっと待って。渡辺くんはどうしてここにいるの? あと、何で襲われたって知ってるの?」
「はい、先輩。回収しておきました」
渡されたのは、あたしのカバンとスマホ……の残骸。
「スマホはあちらさんに弁償してもらいましょう」
「いや、弁償って言うか、これ、何やったらこんなに壊れるの?」
「さぁ、銃器の類か、改造エアガンか」
「いやいやいや、ここ日本だよね?」
「日本ですよ。―――あぁ、あちらさんも来たみたいです。ちょっと片づけてくるので、先輩はここで待っててください」
「え、えぇ?」
「……待っててくださいね?」
「は、はい」
うぅ、上司の威厳も形無しだよ。というか、渡辺くん。アンタいったい何者なの?
あたしをその場に放置して、渡辺くんは音も殺さず、図書室のドアをガラッと開ける。そのまま廊下に出た、と思ったら、なんだかバシュン、バシュンて音が聞こえて、思わずあたしは身体を小さくしてしまった。
まさか本当に銃器、なの?
どうしてこうなったのか、さっぱり流れも掴めず、あたしはそろそろと四つん這いで渡辺くんが出て行ったドアの方へと近寄ると、そっと頭だけ出してみる。
目が点になった。
え、どうして渡辺くんが、同じぐらいの体格の男の人をあっさり抑え込んでるわけ?
普通のひょろっとした後輩だと思っていたあたしの目は節穴さんだったんだろうか。節穴さん仕事してください。
とりあえず危機は去ったようなので、あたしは戻って自分のカバンを取って来ることにした。
「!」
突然、あたしの首に何か太いものが巻きついた。
それが人間の腕だと分かったわけじゃないけれど、あたしは恐怖に任せて腕をがむしゃらに振るった。
「つっ! この!」
顔のあたりを直撃したのか、一瞬相手が怯んだ隙に、慌てて距離を取る。そこに居たのは知らない男性。けれど、あたしを狙っているのだということは、流れから十分予想がついた。
「こっちに、来るなぁっ!」
その時のことは、実を言うとあまり覚えていない。
手近なものを投げようとしたんだろう。あたしは、コートに入りっぱなしだった缶コーヒーを投げつけた、らしい。
相手に当たった缶は、床に落ちてくわん、と音を立ててコロコロ転がった。
気が付けば、戻って来た渡辺くんがとても痛そうな顔をして、その男の人を取り押さえて殴っていた。
―――後で分かったことだが、うちのお母さんには資産家の親が居たらしい。まぁ、お爺ちゃんだな。
で、お爺ちゃんはお母さんの結婚を反対していて、それから絶縁状態だったらしい。
お爺ちゃんが自分の年齢を考えて、遺産の分配などなど考えていたときに、あたしの取り分についても検討していたらしい。しかも、ハンパない額を。
それを知った別の親類が、まぁ、自分の取り分を多くしようってことで、あたしに対して遺産の受け取り拒否をするよう脅迫するための第一歩が、この襲撃だったということだ。
ところが、お爺ちゃんも、そういった動きがあることに気づいていたみたいなんだな。あたしにボディガードをつけていた、と。それが、なんと渡辺くん。1コ下の後輩となってあたしを守っていたということだ。
はっきり言おうか。
何だそのハーレクイン。
「ハーレクイン、って何ですか?」
「あー、いわゆる大人の女性向けのロマンス小説だよ。男の人がフランス書院を読むのと似たような」
「……どうして先輩は、そういう知識を持っているんですか」
「え? 客先との接待とかで、色々と。ほら、ランドリー商社の担当さんとか、よくこういうトーク仕掛けてくるよ?」
「先輩、もうちょっと、こう……」
あたしに事情を説明してくれた渡辺くんは、今もあたしの部下だ。
あの後、お爺ちゃんに引き合わせてくれたり、見たことのない親族に睨みをきかせてくれているが、本業はボディガードの筈なんだけど。
「ということで、先輩。僕の仕事は終わったので、ようやく言えます。付き合ってもらえませんか?」
「は?」
まぁ、告白してもらったのに、「は?」はなかっただろうと今では反省している。
「えぇと、渡辺くん。もうボディガードはいらないから、別にここで勤める必要もないよね?」
「僕はれっきとしたここの社員ですよ?」
「でも、ボディガードなんだよね?」
「兼業でもいいと言われましたし」
「あと、なんで、あたし?」
「普通は、それが最初の質問になると思うんですけど」
本当にそうだろうか?
「簡単に言ってしまえば、最初は単なる護衛対象としか見てなかったんですが、僕の指導をしてくれたり、あれこれ接するうちに、そういう対象として見るようになってしまって」
「は?」
「先輩って、結構、細かいところに気がつく人じゃないですか。辻さんの体調不良を見つけたり、五島さんが営業で失敗しそうなところをフォローしたり」
「……あ、分かった。渡辺くんもお爺ちゃんの遺産目当てか!」
「先輩。ひどいです」
え、違うの?
「だって、あの時、渡辺くんってばさ、すごいイヤそうな顔であたしのこと見てたじゃない」
「あの時?」
「学校でさ、一人だと思ってた相手が実は二人組でさ、渡辺くんが一人を倒してネクタイでふん縛ってたときに、もう一人があたしの方に来たじゃない?」
「ふんじばって、って……」
「その後、あたしの方に来て、もう一人を確保してくれた時にさ、すごいイヤそうな顔してたよね?」
「あー……、あれは、その」
なんだか、口元を押さえてごにょごにょと呟く渡辺くんは、あの時と同じようなイヤそうな顔を浮かべていた。
ほらね。うっかりそんな顔浮かべるぐらいだし、遺産目当てじゃん?
「先輩、あの時、自分が何やったか覚えてますか?」
「え? めちゃくちゃ抵抗した」
「コーヒー缶、投げましたよね?」
「うん」
「ちょうど、僕が慌てて戻った時に、先輩が缶を投げるところだったんです」
「うん。それで?」
渡辺くんがあさっての方向を向いて、あー、と呻いた。
「先輩の投げた缶、相手の股間に当たったんですよ」
「……まじで?」
「ちょっと、その、見てるだけで、僕もひゅんってなっちゃって」
あぁ。なるほど。男の人にしか分からない痛みというやつなのね。それを想像してそんな顔になった、と。
「……えぇと、つまり?」
「あの時の僕の表情はそういうわけなんで、先輩のことを嫌だと思ったわけではないんですよ」
「……うん。そこは了解した」
「ということで、結婚を前提として付き合ってください」
まぁ、その後も紆余曲折はあったけれど、結局、渡辺くんは今もあたしの隣にいる。
ちょっとした口ゲンカでも「遺産目当て?」と言うのは口癖になってしまったけれど、そこについてはまだ反省してないし、直す気もない。