救いの熊の手
視界を埋める蜘蛛たちが、僕をなぶり殺す為にじわじわと接近してくる。
「や、やだよ。だれか……」
涙と嗚咽により声が上手く発声しない。このもう一つのリアルは余りにも惨く、今までの楽しかった事が嘘のように感じる。それほど蜘蛛の造形は醜悪で、その眼光は凶悪だった。
「あ、ああ、あ……ああ」
無意識に漏れる呻きは果たして僕のものだろうか。
終焉がやってくる。例え生き返ってもここに戻って来ることが出来るだろうか。いや、僕は生き返えられるのだろうか。
「ゃ……やー…………」
蜘蛛達の瞳に僕が映る。もう動けないのに、それでも逃がしたくないのか身体中を糸で拘束され、先頭のポイズンスパイダーの毒牙が肉に食い込んで徐々に毒が回る。
もう、食べられるだけなんだ。
そんな何処か麻痺した思考で辺りを見上げる。そこに、何処からか人の声が聴こえた。そして、蜘蛛の臭いに混じって知っている人物の臭いが鼻を掠めた。
「はー!《スラッシュ》!《ライトインパクト》!!」
蜘蛛の後方が舞い上がり、光を散らしながら消えていくのは僕の幻覚だろうか。だって、こんなメイン坑道から外れた行き止まりにプレイヤーが来る訳がないのだから。
「LiLiちゃん!大丈夫!?いま、助けるからね!邪魔、退いて!!」
蜘蛛を掻き分けて現れた人物は熊。やっぱりこの臭いは彼女のものだったみたいだ。だけどなんで?
数匹に噛み付かれているが、レベル差でまだ危険域ではない。その為なのか、ただ現実逃避の為なのか冷静に彼女を観察できていく。
やはり幻覚なんかじゃないみたい。熊の力強さを現すように着実に僕に近づいてくる。
「《ショクボム》」
彼女の武器は爪と拳。僕やヴィーナス以外に使い手がいることに驚く。そして、その強さ。技能レベルも高く、純粋にレベル自体はトッププレイヤー。なにより、熊の特性は物理攻撃特化らしく意図も容易くあの蜘蛛の群れを蹴散らしていく。もう、僕に取り付いている五匹と合わせて十匹程になっている。
「LiLiちゃんの美味しそうな肉を食べるなんて赦せない!まだ私も食べてないのに!」
残念な発言は恐怖による幻聴だろうか。
「LiLiちゃん、助けに来たよ!あ、その前に一枚」
五匹を駆除すると思い出したかのように、スクショを撮る動作をする。
「白い粘液で全身を凌辱されている姿も魅力的。ああ、でもその柔らかくて甘そうな皮膚を堪能するのは私!」
瞬間、黒い風となり残り五匹の蜘蛛が残滓を残し消えていく。
「ああ、LiLiちゃんだ。ネバネバに絡め捕られたLiLiちゃんだ」
「ひっ!」
「あれ、お漏らししてる?でも、そんなとこも可愛い!」
そしてまたスクショを何枚か撮っている。
「と、それで大丈夫?……じゃないよね」
あれ、話し方がまともになった?
「今、その卑猥なもの取ってあげるね。やっぱり、純情なLiLiちゃんの方が可愛いし」
やっぱり変な言動?
「んふふー、ふふんふふん」
鼻歌を唄いながら糸を取り払ってくれる。この糸は時間経過で消滅するが、蜘蛛を倒しても一定時間内は消滅しないみたい。
「うん、取れたよ。それでね?LiLiちゃんは今怪我してるけど、治療していい?」
「え、あ、うん。いいよ」
毒と噛み付きでLFの五割ちょいは削られ、まだ毒でゆっくりとダメージを受けている。なにより、口はなんとか動くようになったけど、恐怖で身体が動かない。このままなら、毒でかなりヤバイ状態になるので、熊の女性─リンゴという─の言動が怖いが見守り隊の一員なので安心できる実績もある。
「うふふ、やった。なら、LiLiちゃんの軟膏で優しく治してあげるね。なんとか服脱げるかなかな?」
僕の軟膏がこんな所で活躍するなんて。リンゴも怖いが、毒も怖いので不自由な指をなんとか動かして装備を解除していく。
そこからは特に話す内容じゃないよね。ただ、軟膏を塗る前に全身を味見された。熊に襲われる恐怖ってこんなのだろうか?
助けて貰えたので、ハラスメント警告の通報はキャンセルしたけど、今度蜂蜜塗って舐めさせてと言われた時には通報も考えた。一回も二回も変わらないだろうけど、あの獲物を狙う眼はマジだった。
「……その、ありがと」
「私こそ役得だったよっ」
現在リンゴにおんぶされながらメインの坑道へと戻り、最奥まで向かっている。
リンゴはボスを倒したが、パーティーを組んでいたら参戦が出来るとのことで臨時でパーティーを組んでいる。期間はこの坑道から出る前。ボスまでは彼女が蜘蛛の相手を全面的に行ってくれる。まあ、散々惨めな姿を見せたから心配してくれているのだろう。その見返りがおんぶだった。戦い難そうだけど、力任せでどんどん屠っていく彼女はやはりトッププレイヤーの実力がある。
その彼女のやる気は、僕と密着出来た嬉しさと、非戦闘中の彼女の手の動き。そう、ずっとお尻を揉まれてます。
通報は考えてない。事前の話し合いで許可したからね。別に僕が変態なんかじゃないよ。ただ、彼女のマッサージが気持ち良かったからだよ。うん、気持ち良いのだ。その絶妙な力加減と指使いが。
「LiLiちゃん、息荒いよ?」
「らって、きもちひいもん」
「今度、全身マッサージしてもいい?」
「あん。いっぱいひて?」
「やったー!約束だからねっ!」
「あい」
もう恐怖なんてない。ただただ気持ち良いだけ。
リンゴはこれを狙ったのかな?まあ、どっちでもいいや。もっと気持ち良くなりたいよ。
「LiLiちゃんにもっとしてあげたいけど、ボス部屋についちゃったよ」
「んあ?ほすふぇあ?」
「んー、さすがに子供にやり過ぎたかなー。LiLiちゃん大丈夫?」
「うにゅ」
「少し休もうか」
気が付いたらリンゴに抱き付いて寝ていたみたい。
「おはよう、LiLiちゃん」
「んん、おはよう?」
「気持ち良く寝てたね」
「寝てた……あれ、何時からだろ。どれだけ寝てたかな?」
「プリハ時間で二時間くらいかな」
「ご、ごめんなさい!」
慌ててリンゴから離れて謝ると、優しく大丈夫と言ってくれる。
「LiLiちゃんの寝顔が見られて私はラッキーだったよ。私たちのこと知ってるでしょ?」
「見守り隊」
「うん。私はもうギルマスじゃないけどね。LiLiちゃんのことを見るだけで幸せだったけど、やっぱり話したり触れ合えたりすることが何よりの至福だからね。だから、LiLiちゃんが気持ち良さそうに寝ているのを見るだけでも幸せなんだ」
「そう、なんだ?でもマッサージは……」
「あれは対価だし、なにより気に入ってLiLiちゃんから言ってきたことじゃん」
「う……」
そう、軟膏治療中のマッサージが気持ち良かった。そのあと、治療が終わったことでついマッサージをねだってしまった。だけどここから出る事も考えると早く移動しないといけない。そして、対価と報酬を兼ねたのが先程のお尻マッサージ。あれだけで、眠れるほど気持ち良くなれたのは僕としても驚き。
「さてと。LiLiちゃん、動ける?」
「うん、大丈夫」
「なら、さっさとボスを倒しちゃいましょう。LiLiちゃんの希望も叶えないといけないしね」
「あ、うー」
顔が熱い。何を思ったのか、僕はマッサージ中に胸が大きくなるマッサージを頼んでしまっていた。別に巨乳兵器はいらないけど、ウサミミの勝ち誇った顔が気になっていた。あのペッタンコウサギは女で僕は男なのに、なぜかカチンときて宣戦布告しちゃった。それがマッサージ中に思いだし、つい頼み込んでしまっていた。
「恥ずかしがるLiLiちゃんも可愛い!」
ガバッと抱き付かれる。だけど嫌な気分じゃない。スーと彼女の匂いを吸い込み、笑みが漏れる。自嘲的な笑みが。
最近はかなり毒されてきているなと。でも、嫌じゃない。むしろ嬉しいとさえ思えるようになった自分に。
「さて、LiLiちゃん成分はキャパオーバーに充電完了!」
キャパオーバーでいいのだろうか。オーバースペックになって自爆しないだろうか。
「いざ、ボスへ!」
「おー」
そうやって気合いを入れて挑んだけど、あっさりと攻略しちゃった。
うん、レベルが高いとそれだけでチートみたいだね。彼女のオーバースペックが見事に炸裂。
僕はボスのみで、雑魚はリンゴが一掃してくれた。
「痺毒の爪牙……」
「あー、それクローの強化アイテムだよ」
ボスドロップの割り振り中に驚く情報が入った。なにより、彼女が強化アイテムのことを知っているなんて。
「だって、私たちは追っかけだよ?あのクエストだって気付くよ。それに、見守り隊は全員がメインかサブにクローを使ってるから、強化アイテムを買い取って全員麻痺も使えるよ」
びっくり情報が次々と出る。あのギルドは皆クロー使うんだ。クロー人口が少ないのに、十名以上がって……僕を真似たんだね。うん、僕も憧れたテニスプレイヤーの真似をしたことがあるから解るよ。
「僕より先に進んでるんだね」
「LiLiちゃんを護る為なら、強くならないといけないからね。状態異常なんてかなり重宝するね」
「暗殺とかしてない?」
「…………さて、帰りましょう」
「なに今の間!」
「子供は知らなくて良いことだよ」
すごく気になるけど、これ以上聞くのも怖い。世の中知らなくていいことも多いよね。うん。
そして、坑道の帰り道にボーナスとなる蜘蛛を狩っていく。
リンゴのお陰か恐怖よりも安心感があり、さっきの仕返しも兼ねて《獣走》で蹂躙していった。メイン坑道が一番沸きが多い見たいで、短時間ながら弱い蜘蛛のお陰で二人合わせて三百以上は狩れた。これは後から知ったけど、この蜘蛛を使った《投擲術》や《格闘》など一定回数で修得する技能の修得場所兼レベル上げに利用されていた。また、蜘蛛の糸は防具素材なので入り口にプレイヤーが多いのはこの二つの理由からだった。
「今日はありがとう」
「やっぱりLiLiちゃんは笑っているのが一番だね」
クエスト報告をして、報酬の二千リゼとボーナス報酬の半分となる千八百リゼを手にした。
「じゃ、明日マッサージね」
「う、うん。お願いします」
思ったよりも時間が経っており今日は落ちると言う事で、明日約束したマッサージを受ける事になった。いまさら凄く恥ずかしい。
「じゃあね」
「ありがとうね」
最後にポンポンと頭を叩いて、そのままログアウトする、リンゴ。
「僕は強化かな」
そのあとは、またゼメスに強化アイテムを渡して《パラライズクロー》と《痺牙》を修得した。今回はピリピリとした辛味と痺れに噎せてしまった。