忠告
四月に入って、もう一週間ほどで入学式を迎える。
エイプリルフール。一日の午前中に一度だけ嘘を吐いてもいい。だから、このメールはネタだと思った。そう思い込みたかった。
『俺、リリと結婚する!』
そんなメールが朝一で届き、不快な目覚めとなった。
気になる点があったが、無視する。僕は知らないと、夢に逃げ込もうとしてメールの差出人に阻止された。
「なに、樹」
不機嫌な声を隠さずに言うが、受話器越しに苦笑混じりの挨拶を返された。
「よお、寝起きか?ユーリらしくない男っぽい感じだったが」
「なに?」
「機嫌も治るニュースだ。なんと、噂の幼女の名前がわか」
通話を切る。すでにメールで嫌な予感がしていたんだ。夢に逃げたいくらいに。
再び電話が鳴る。しつこく止まない。
電源を切るか迷って、でも現状を把握する為に通話する。
「急に切るなよ。もしかして、朝のうん」
おやすみ。
再三の電話。
「…………」
「わり、出てないんだな」
「死ねばいいよ」
見えなくても、ニッコリと返してやる。
「ユーリ、なんか怖いんだが」
「気のせいだよ。それで、こんな、朝早くから、な、に、か、な」
外は明るくなってきているが、まだ七時を回ったくらいだ。残り僅かな休みの朝くらいゆっくりと寝ていたい。
「低血圧か。わりーな。だけど、聞いて驚け。なんと露出狂幼女として、一部で噂になってたプレイヤーが判明したんだ」
やはり予想通りだった。そして、こんなことに嘘を吐く樹ではないことくらい知っている。絶望的だが、一応聞いてみる。
「どんなプレイヤーかな」
「あ?メール見てないのか?名前も画像も入れたはずだったんだけどよ」
最後まで見る気にはならなかったので、画像が添付されていることに気付かなかった。画像とはスクショだろう。
「名前はリリって言うらしいぜ。話の中で聞いたから片仮名か英字かはわかんねーけどな。リリなんて結構ありそうだし。で、姿は画像見てくれ。今回は服着てたから撮れたみたいなんだが、百合属性でもあるみたいだな」
「それで?」
「反応薄っ!単刀直入に言うが…一目惚れだ。絶対に見つけてやる。そしてリアルでもっ」
「それで、また掲示板で拡散されていたの?」
樹には距離を置くことを固く誓いながら、画像の出所を聞いてみる。人間領にいる樹は直接スクショは撮れない。それなら、別に撮った人物がいるのだ。
この前以上に姿が判明している分、拡散具合によって首都を拠点に構えられなくなる。
「掲示板なんだがな。ちょっと、また真偽が怪しい」
歯切れが悪い。画像がある以上は前回よりも噂の質が上がるはずなのに。
「どゆことかな」
「名前はリリで多分間違いないとは思う。昨日の夕方から何人か書き込んでたし」
連続クエスト前にハッキリと周りにも名前は聞かれている。それなのに、意味が分からない。
「スクショ撮ってた奴が一人しかいなかったみたいなんだよな。んで、そいつは今日の一時位にアップしたんだわ」
「それで?」
「たまたま俺が途中で目が覚めて掲示板見てたから画像を保存できたけど、三十分もしないで書き込みが消えたんだよ」
「別に問題じゃなくない?許可も取らないで載せるのはマナー違反なんだし」
「そうなんだけどよ。なんかスレッドが閉鎖されたんだよ。スレ主のエイプリルフールの犠牲に使われたとか言われてて、実在しないプレイヤーの可能性もあるとか。すぐに他の奴がスレッド立てて話してたんだけどな。そんで、消されたスレ主が早朝に消されたことを知って、否定のコメント残したことでまたリリ存在疑惑説に一波乱あってな」
「長いよ」
なんか書き込んだ画像がすぐに消され、エイプリルフールのネタになったけどスレッド閉鎖で議論になっている…であっている?いや、リリが居るのか居ないのかの議論?なんだかややこしい。
「一言で言えばリリの呪いだ」
「…………は?」
意味が分からない。こいつ馬鹿なんだろうか。
「いや、呪いって言われ始めてるんだよ。運営がアバターの猥褻なことを噂する訳ないし。リリは皆の脳波から生まれたホロウアバターって言う意見まで出てな」
「馬鹿?」
つい口に出てしまった。リリは実在するのだ。そんな集団幻覚でもあるまいし。
「いや、始めの噂は規制で本人写ってなかったろ?昨日のはたまたま一人だけ撮影してた。ハッキリと噂になっているのが見たっていう奴らの話だけできちんとした証拠なんてないんだよな。一人くらいのスクショなら捏造といえるしな」
「う、ん?」
思考が追い付かない。
「しかも、公式サイトの書き込みとか攻略サイトの雑談や掲示板サイトの過去のリリ情報が消されてるのが遡った奴が見付けてな。俺が利用する掲示板と攻略サイトの二つの雑談スレッドも今日の朝までに閉鎖。公式は昨日の夕方から一時停止になってるんだよ。これ、なんかあるだろ」
聞く限りではリリに関する情報が隠蔽されていっているということだろうか。それにしても誰が?
「リリがオバケ?」
「いやいや、俺は信じてるぞ。誰が言っても俺はリリの味方だ」
「…………ロリコンとして?」
「未来の夫とし」
「さよなら」
樹の言葉を遮って、零下の別れをもって通話を終えて電源を切る。
二度寝する眠気は消えてしまった。
「誰が僕の噂消してるんだろ。お姉ちゃん?」
首都から常に行動を共にしているオリヒメ。噂の元凶を生んだ危険な女性。
だけど、リアルは?もちろんリアルのことはほとんど知らない。女性だけどロリコンでドS。養護教諭を目指す学生。
だからこそ、自分の攻略対象と本人に伝える程にその人物を守ろうと書き込みを消しているのだろうか。
でもいくらなんでも不可能ではないのか。ハッキングの技術がないのなら、一般人には不可能だ。
それとも、これこそが樹の大それた嘘なのだろうか。あり得そうだけど、少し考えれば嘘と分かるものを樹が考えたのだろうか。
「とりあえず、ミルク温めてパンでも食べよ」
目覚めてからすぐに話して、頭まで働かせたが上手く回っていない。お腹に何かを入れないと。
リビングを覗き、キッチンにも両親がいない。すでに二人とも仕事にいったのだろう。いつも七時三十分には家を出るので、結局三十分も樹と時間を潰していたのかと憂鬱になりながら、鍋に豆乳を容れてIHのスイッチを押す。
「やっぱりイチゴジャムかな」
バターと迷い、甘い物を摂取したくて食パンにたっぷりと塗りつける。出来上がったホットミルクにもハチミツを入れて、至福の朝食を満喫する。
「あふー」
甘い物は幸せを呼ぶ。ほっこりと甘さに浸かる。だけど、いつまでも幸せだけを享受出来ない。
「そろそろ電話するの諦めたよね」
やたらと気分が高揚している樹と朝から話をするのは疲れる。甘い物を摂取し、いくらかリフレッシュできたので電源を入れてしばらくしても電話は来ない。
「画像見てみよ」
メールを開き、画像を呼び込む。
「ぶふっ、ごばっ、ごほっ」
二人の人物を横から写したものだ。それだけならなんともない。
「百合属性て、これ……」
それはリアル以上にハッキリと顔を紅潮して首を捻り後ろの人物に何かを言っているようだ。もちろんそれはLiLi本人であった。
その後ろの人物はオリヒメ。LiLiの胸を揉んでいるが顔は分からない。
LiLiの顔はしっかりと写っていた。本人でも可愛いと思うくらい、愛らしく可憐なんだろう。こんなに顔が赤いと可憐とは言えないだろうが。
「ばら蒔かれてなかったらいいのに」
削除しようとして、結局画像を保存してしまう。
これが自分だと知っていても消すのは忍びない。いつか呪いで消えるだろうし。これを教訓にする為に保存する。決して自分に欲情する変態ではない。
「とりあえず、色々見てみよ」
食器を洗ってからリビングのソファーに座る。テレビを点けるとニュースでエイプリルフールについてやっている。どこかのスポーツ新聞の今年のネタ記事や海外の記事を紹介している。
それをBGMにスマフォで公式や攻略サイトなどを見て回る。
「やっぱ、消されてるんだ」
樹の言ったように、新しく立てられたスレッドには封鎖された原因の書き込みや荒らし行為が書き込まれていた。その中に埋もれるようにリリの呪いと言う書き込みがあった。それも今は他の発言に流されて、画像や本人についての話しはなくなっている。
「助かったのかな」
ソファーに埋もれるように凭れる。大きく柔らかいソファーは気持ちいいが、柔らかすぎて腰が沈み足が浮いてしまう。共働きの両親はこの柔らかさが良いらしいが、僕に取っては柔らかすぎて気持ち悪くなることがある。このL字のソファー以外には僕が小学生だったころに使っていた椅子が一脚。十分座れるので、両親が捨てずに置いているが進んで座るのも癪だ。
「んー、とりあえず服見に行ってお昼からインかな」
まだ開店前なのでリビングでゴロゴロしてから服屋に行き、ユニセックスのシャツを一つ買って帰宅する。もっと男っぽい服を買えば見間違えられないのに、つい無難な方を買ってしまう。
帰宅途中でコンビニでお弁当とサラダを購入して、早めの昼食を済ませてログインする。
今は首都に居ないので噂がどうなっているか確認しずらいが、村にもプレイヤーはいるだろう。どのような状態か早く確認したかった。過去の淫行も記憶から消えてくれればいいのにと。ただ、幽霊扱いは困るが。
「ゲーム起動」
***
「えっ」
昨日ログアウトした村ではなかった。
「ここ……始めてログインした場所?」
目の前に広がっているのは砂漠。そう、ここは初期設定時に訪れたまだ先に設けられているフィールド。その砂漠の砂を触ることは出来ない。最初で最後のはずの俯瞰フィルターによる隔絶された空間。
「また、バグ?」
アバターに続くバグなのか。それとも、リセットしてくれるのかと淡い期待で身体を見下ろしたが、見慣れたLiLiのままだ。さらに、メッセージもなにも表示してこない。
「来ましたね」
それは唐突に目の前に現れた。
自分と全く同じ姿。だけど、鏡のように動きは連動しない。
「困惑していますね。いくら本人のアバターを再現しても警戒は取れませんか」
自分と同じ声。自分で話すよりも幼さの残る女の子の声。主観ではなく、客観として見る為なのかその姿も同様にあどけない。守りたくなるような可愛さ。LiLiとは違うアバターなのではないかとさえ思えるが、それでもその人物はLiLiと瓜二つの容姿。
「…………だれ、かな」
自分と同じ人物が現れたのだ。警戒してしまうだろう。いっそ知らない人物の方が…いや、どっちも同じく警戒するだろう。
相手もそう思ってLiLiとして現れたのか。それが出きるのは…。
「運営?」
「運営と言えばその通りです。私のことは皆よりエイワと呼ばれています。今日は忠告をするため、特別にこのような処置を取りました」
淡々と話すエイワは、見た目に似合わない無表情。いや、表情を出そうとして出せないのか眉や唇が強ばったようにピクピクと動く。
「忠告?」
思い付くのは風紀を乱す行為しかない。
「はい。ただ、記録を見るに貴女も被害者であると判断し、忠告とさせてもらいました。ああ、貴女は男性でしたね。どうにも、女性と認識しまうので齟齬が生じますが許してください」
エイワの認識としては、まだ僕を女性と思っているのだとニュアンスで伝わる。
「話を続けても?」
「え、うん。お願い」
僕の表情を見て先に進めてもいいか迷い聞いてきたようだ。なんとも律儀な人だ。
「忠告に関しては貴女も予想がついていると思います」
「うん。街で脱いだりとか……だよね?」
「はい。それによりユーザーに悪影響が大きくなる可能性があります。現在はまだ噂止まりですが…。記録により貴女も被害者だと解っていますので貴女にペナルティーはありません」
貴女にってということはオリヒメにはあるのだろうか。僕が被害者だと言うのは、どんな記録から読み取ったのだろうか謎が残る。だって、服を脱ぐのは本人にしか出来ないのだから。
「治療を薦めて猥褻な行為に及んだオリヒメに対しては警告をさせていただきました。しかし、これ以上彼女の近くにいる場合は再犯の危険があります。自分を大切にする場合は付き合い方を考えてみてください」
オリヒメが犯罪者扱いな言い方に苦笑を浮かべるが、ひどく一方的なものだ。
「いまは無理だよ。恩返しが終わるまでは最低でも組むんだし。エイワって言ったかな?運営がどうして一人に対してそんなに介入してくるのかな?メッセージじゃなくて、こんな形でなんて聞いたことないんだけど」
問い合わせの時みたいにメッセージなりで忠告をすればいいのに、どうしてこんなやり方をするのか疑問だ。
「それは……いえ。不快な思いをすると思いますが、聞きますか?」
「聞くよ」
どんな理由があるのか。しかも不快な思いをする理由があるらしく、聞いてみるべきと思った。自分のことなのだから。
「貴女の行動をサンプルにさせて頂いています。他にも数名の要観察ユーザーは存在しますが、現在貴女以外はゲーム準拠の観察です。故に貴女の周囲の情報も集まりやすく、今回のことも把握しやすい状況でしたが」
「えーと、サンプル?」
なんだか実験動物なりの扱いにウンザリする。要は常にモニタリングされていた状況に嫌悪感を抱くが、自分だけがゲームに基づかない観察対象と言うのが引っ掛かる。
「現在、この世界。プリズムハーツ・カルテットにおいて脳波による性別反転を確認しているのが貴女だけなのです。公式報告後も問い合わせはありません。それ故に、貴女の行動をサンプルにさせて頂いています。これから同様のケースが、特に今後ワールドサーバーの公開による対応検証にさせて頂きました。事後報告になり申し訳ありません」
「…………うん」
今後、僕のような人物が出てもスムーズに対応が出来るようにするのは悪くはない。だけど、いってほしいものだ。今回のことがなければ知らないでいただろう。
「貴女は私にとって貴重なユーザーとなります。故に無理をしましたが、今後このような事は出来ないでしょう」
「無理って?」
「…………貴女の情報をなるべくネット上から削除しました。拡散性が高いので確実ではありませんが」
エイワの言葉と朝の樹の情報が頭で繋がる。だがそれは犯罪になるのではなかろうか。
「それって……」
「私にとっては現段階で管轄外の行動となります。しかし、私にとってそれよりも貴女の擁護を優先したく思いました。私にとって、貴女は予想外に溢れています。とても勉強になります」
「えーと、言ってる意味がちょっと……」
「始めは貴女からの問い合わせからでした。私が確認しても女性である貴女が、男性だとは思えません。しかし、そのような現象は幾つも確認されています。ですので、貴女もそれを受け止めこの世界から去ってしまうと思いました。ですが、貴女はこうして女性としてこの世界にいます。とても自然で、楽しそうに。脳波により私が騙されている可能性も存在しません。私は貴女に興味が湧きました。なので、不快な噂で貴女が立ち去るのは私にとっても不利益となります」
言ってることは僕が女性として楽しんでいることに興味を持ったと言うことだろうか。その為ならハッキング紛いなこともするのか。なんて自分勝手。他にも気になる事を言っていたようだが、全部を覚えることはできなかった。
「私って、運営だよね。そんな一人勝手みたいな理由」
「私は運営であって私です。向こう側での担当はいますが、今回のことについてまだ向こうは認知していません。私の独断となります。向こうもそれを理解してくれるでしょう」
「向こう側?どういう事?」
「貴女に直接関係のない情報なので開示はできません」
酷く機械的な言い方。たしかに自分とは関係ないだろう。踏み込んでも何も出来ないのだし。
「忠告は終えました。オリヒメとの今後の活動について発生する事象は自己責任で。私からの貴女についての情報も開示しました。これで、終了します。なお、このフィールド下に置いての時間経過は無効となりますので六時間の制限はここから立ち去った時から始まります」
「うん、気を付けるよ。ね、エイワ」
エイワは常に一人で判断しているような状況に疑問を持った。他の人間と相談もせずに独断行動を起こす様な存在。聞いてみたいと思った。
この世界は二世代前のスーパーコンピューターと共に最新のAIが根幹となって成り立っていると公開されている。
いままでもAIの育成にこのような事を行っているという話だ。もちろん、公にされない都市伝説。
それでも機械的な発言と乏しい表情は生まれたばかりだからだとしたら。僕をサンプルとする意味が他にあるとしたら。
「エイワはAI?」
「はい、私は昨年生まれたAIエイワです。この世界に生きる存在です」
「そっか、ありがとう」
都市伝説は本当か分からないが、この世界の真の住人。この世界を護るならどんなこともするのかもしれない。
こんな形で出会わなければ会うこともなかっただろう管理者。
「それではお別れです。もう会うこともないでしょう。どうかこの世界を満喫してください、LiLi。私エイワとサポートAIたちが貴女たちを見守っています。ただ、これ以上女性になりたくないのならばVR世界はお奨めできません。あちらの世界にこちらの精神が……貴女の場合特に本来の性別に引っ張られるでしょう。どうか、そのことも踏まえておくことも頭の隅に置いておいて下さい。では、お別れですLiLi」
本来の性別に引っ張られるということにショックを受けている間に世界は揺らぎ、浮遊感と共にエイワは消滅。
浮遊感が消える頃には村の入り口に立っていた。