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「わっ! 」

作者: wasabin

 耳元で大きな声がしたので、咲良は後ろを振り返った。声の主は、同じクラスの望であった。

「おはよう、望」

 挨拶すると彼は少し困ったような顔をする。

「んー、はよ、咲良。少しは驚けよ」

 先程の大声は、どうやら自分を驚かせようとしたものだったらしい。驚かすならもっといい方法を思い付かないものか、と咲良は呆れた。

 始業前の廊下はひどく騒々しい。足早に教室に向かう者や、柱の傍で談笑する者もいる。騒いでいる人間の数と音量は比例することに彼女は気が付いていた。その喧騒の中では彼のサプライズは成功することはないだろう、と評価する。

「驚かせようとしたの? 気が付かなかったよ」

「ちげえよ、『わっ』ってあれだよあれ、お前知らねえの? 」

「『わっ』? 『わっ』って、何? 」

「あー、知らねえな、知らないんだろ、教えてやんねえ」

 彼は途端に楽しそうな表情になった。わ、という単語を彼女は想像したが、恐らくいずれも彼の考えるものではないだろう。もしかすると、彼の強がり、つまり出鱈目かも知れない。彼女はそう考えた。負け惜しみの強い彼なら有り得る話である。

「それってさ、望、そんなに面白いの? 」

「へっ、教えてやんねえって、覚悟しろ。ホームルーム、始まるぜ」

 そう言うと彼は教室に入っていった。咲良も一呼吸遅れて後に従う。覚悟しろって、何に覚悟すればいいのだろう、担任の生真面目な髪形にだろうか。望は笑うととても楽しそうで、そこに魅力を感じる。最初から驚いてやっても良かったかもしれない、と彼女は考えた。



「ねえねえ、『わっ』、って、咲良知ってる? 」

 話しかけてきたのは隣の席の梅子だった。受験生になってから、数学の授業が自習になることが増えた。先生は職員室に行ったらしく、それは自習が自習でなくなるのと同義である。

「知らない、望も朝言ってたんだけど、ゲームとか? 」

「ゲーム? 違うよお、声だよ、声」

「え、声じゃん、わっ」

「あはは、違うの、何かねえ、歩いてると、声がするんだってよ、後ろから、わあっ、って」

「悲鳴? 」

「悲鳴! それいい! はは、咲良天才じゃない!? 」

 梅子が一頻り笑った後で、概要を求めた。彼女の話はどうも要領を得ないものだったが、まとめるとこうなる。

 時間は夕方か夜、場所はどこでもいいらしいが、路地や学校の廊下、或いは廃墟、要するに人気のなさそうな場所にいると、突然『わっ』と驚かすような声が聞こえるのだそうだ。誰かの悪戯かと振り向いても誰もいない。怪談か都市伝説の類らしい。

「なんかねえ、うちのお姉ちゃんの友達とかさ、うちのテニス部の後藤の彼女とか、実際会ったらしいよ、やばくない? 」

 都市伝説は、友達の友達によって語り継がれる。紛れもなくこれは都市伝説だろうと、咲良は思った。



「わあっ」

 既に終業の鐘も鳴り終わり、梅子と階段を下りている途中であった。背後から悲鳴にもとれるような大きな声がした。振り向くと案の定、望であった。

「びっくりしたな、望くんじゃん、もう、階段から落ちるところだったじゃない」

 梅子がオーバな表現をする。

「望、こんなところだと、人を驚かせたら危ないよ」

「なんだよ、驚いてないじゃんか、全然」

「後ろに望がいなかったら、驚くかもね」

「何だ、もう『わっ』って知ってんのか? それに、俺以外かもしれないじゃんよ」

「違うよお、望くん以外、咲良にこんな悪戯する人いないもんねえ」

 梅子が意地悪そうに笑った。この子はけらけら笑う。

「帰るの、望。なら途中までいっしょに帰ろう」

「帰るけどさ、なあ咲良、ちょっと寄り道してかねえ? 」

「寄り道? どこ? 」

 望は突然、神妙な顔をした。どうやらまた『わっ』の話のようだ。

 帰り道を少し逸れたところに廃病院がある。病院といっても個人経営だったところであり、それほど大きなものではない。そこで『わっ』に遭遇した者が多くいるということだった。閉めて暫く経っているらしい建物であり、夜には暴走族のアジトになっているだとか不穏な噂が立っているのでわざわざ誰も近付くことがない。こういった話では理想の場所だろう。

「いいよ」

「あ、そんな軽く返事しちゃっていいのかなあ、怖いぜえ、絶対怖い、うへへ」

 こんな面白い人間が一緒なら、きっと何も怖くないのに違いない。



 結局、そのまま自宅に戻らず廃病院に行くことになった。梅子も誘ってみたものの、「おふたりでどうぞ」とのことらしい。余計な御世話だと思う。

 廃病院は、廃墟と聞いて誰もが想像するような、まさしく廃墟であった。玄関のガラス戸は割れて片側だけが開いており、壁には緑や青のスプレーで落書きがしてある。放置された植え込みはしかし元気に育っており、徐々に建物を侵食していくつもりのようだ。

「ひええ、すげえな、出るぞ、こりゃ出るわ」

 望は建物の中を覗き込むようにゆっくりと進んで、咲良もそれに付いていく。ドアを注意深くくぐると、土っぽいというか、埃っぽかった。それに暗い。

 ロビーに入る。待合用の椅子はそのまま残っており、ビール缶と新聞紙が散乱していた。ここで遊んでいる人間がいるのは間違いない。ホームレスなども住みついているのではないか、その可能性を考えると、彼女は少しだけ不安になった。既に日は赤く染まっており、遭遇してもおかしくないのではないか。

 その不安と裏腹に、望は辺りの物を触ったり動かしたりしている。もう高校も卒業するというのに、まるで小学生みたいだ。

「こっちのさあ、廊下の奥とか怪しくね? 行ってみようぜ」

 彼はずかずかと奥に進んでいく。廊下には扉が三つあった。一つはロビーの受付の扉である。その向かいに一部屋、廊下の突き当たりに一部屋。片方は診察室だろうか。

「咲良、俺は奥の扉を見てくるぜ、お前は、こっちの部屋を調べてくれ」

 まるで刑事役か探偵役になったような台詞である。気取っているのが分かるところが可愛らしい。了承すると、にやりと笑って奥の部屋に向かっていった。咲良も手前の方のドアを見る。見上げると、ドアの角に何かが掛かっていたような逆L字型の棒がつき出ていた。

 ドアを開ける。髪に埃がかかったようだ。帰ったらごはんの前にシャワーを浴びよう、そんなことを思う。

 その部屋はやはり診察室であった。倒れた二脚の椅子が部屋の隅にあり、保健室にあるような、白いカーテン、これはぼろぼろになっている。窓は割れ、外は暗くて見えなかった。もう夕日も沈んでいるだろうか。

 中に足を踏み入れる。ドアは開けたままだ。特に怪しいものはない。そこまで確認して、咲良はここにきた目的を思い出した。何かを見つけに来たのではないのである。しかし、望もそれを忘れているだろう、という推測は、彼女が目的を諦めるのには十分であった。

 カーテンの中にはやはり簡素なベッドがあった。それを見て、彼女は先程の不安を思い出した。外は大分暗い。あまり長居はしたくない。

 咲良は廊下に戻ることにした。



 ドアを閉めると、望が入っていった奥の方を見る。彼はちゃんとドアを閉めていったようだ。それは偉い事だと思うけれど、今は求められない偉さだと思う。

 耳を澄ますが音はしない。一部屋調べるだけなのだから、そう時間はかからないだろう。迎えに行って嫌な顔をされても困るので、廊下で待つことにする。

 彼のことだから、全て調べなければ気が済まないに違いない。先程みたいにベッドがあったら、その下まで覗きこむだろう。机があったら引き出しは全部開ける。本棚の書籍も全部ひっくり返して、そんな彼を想像していたら、少しだけおかしくなってきた。

 その時だった、咲良は、耳元で野太い声を聞いた。

「わっ! 」

 全身が硬直する。視線はまだ奥のドアの方。背後に何がいるのか想像する。足音もしなかった。聞いていなかっただけかもしれない。もしかして、望ではないだろうか。きっと、割れた窓からロビーに回って、自分を驚かせたのだろう。彼女は一瞬でそんなことを考えた。ゆっくりと、後ろを振り向く。

 振り向いた先には、何もなかった。

 汚い廊下の先には、ごみの散乱したロビーが見える。待合用の椅子には古い新聞紙が置いてあり、どこからか吹いてきた風でページがめくられた。外の道路がどうにか見えるくらいの暗さ。街灯が点いている。

「おいっ! 」

「ひゃあっ! 」

 後ろから肩を叩かれた。今度は反射的に振り向く。知っている声だったからだ。

「ど、どうしたの、ひゃあって、咲良、大丈夫か? 」

 望が心配そうな顔でこちらを見た。確かに、あまりに自分らしくない声を出したと思う。

「望か……」

 一度深呼吸して息を調えた。

「あ、あー、咲良、もしかして、びびった? 」

「そっち、何かあった? 」

「誤魔化そうとしてるな! そうはいかないぞ! 」

 弁明したら逆効果だろう。帰宅の意思を告げ、外に向かう。望も付いてきた。

「おいおい、なんだよ、怒った? 」

「怒ってなんかないよ」

「それならいいけどさ、うん、へへ、さっきの咲良、ちょっとかわいかったぜ」

 喧しい、と咲良は思った。おかげで、静かになりかけた自分の心臓ももう少し喧しくなった。



「被害者、めっちゃ増えてるよ」

 朝のホームルームの後、梅子が言った。

「被害者って、なんの」

「あれだよ、あれ、『わっ』」

 廃病院の冒険からは一週間が経っていた。後で話を聞いたが、やはり望の入った部屋も何もなかったらしい。咲良もそれについてあまり考えないようにしていた。

「あたしの先輩もさあ、聞いたんだってさ、部活の後。やばいよね。あとね、のりこ。雄二も聞いたらしいよ。もう被害者続出! 通学路が多いらしいね! ちょうやばい! 」

 それは、ちょうやばいかも知れない。身近で被害者が多すぎる。望の友人でも何人かが被害にあったようだ。これは、都市伝説ではないかもしれない。まさか本物の幽霊ではないのか、そこまで考えて、咲良は考えを却下した。馬鹿馬鹿しい。

「でさ、なんか先生方も動き出すらしいよ、なんか、どうするのか知らないけどさ」


 帰り道、また望に声を掛けられた。

「咲良、一緒に帰ろうぜ」

 望のいつもの馬鹿な話を聞きながら歩く。ほうきで野球ボールをうまく打つ方法だとか、授業中時計の針が気持ち悪く動くことがあるだとか、下らないことを彼は嬉々として語った。少しだけ、将来の話もした。そんな望を見ていると自分も楽しくなる。嬉しくなる。

「咲良、元気だよな」

「元気だよ、風邪なんて引いたことない」

 望はよく風邪を引く。馬鹿なのにな、といつも思う。彼は、違うよ、と言った。

「風邪じゃなくて、なんか、こう、最近たまにお前元気ないじゃん、なんかさあ」

 それは、違う。

「違くないよ、いつもと違うの。ぼーっとしてる感じじゃなくて、なんか緊張してるって言うかさあ、そんな感じ、ああ、うまく言えねえ」

「大丈夫だよ、心配されるようなことじゃない」

 そう言いつつ、嬉しく思った。不安だったのは確かで、それを分かってくれるのは、とても嬉しいことだ。

「もしかして、あれ? ……進路とか」

「ふふ、それを心配しなきゃいけないのは、望だよ」

 心配されるようなことじゃない、心配されてもしょうがない。きっと、どうすることもできないだろう。



 咲良の予想とは逆に、犯人はすぐに見つかった。

 犯人は市内に住む大学生であった。咲良の学校に流れた噂を統合すると、最近流れた『わっ』の噂を聞きつけ、それに便乗する形で悪戯を始めたらしい。

「ああもう、いい迷惑だったよね、怖くなっちゃって、学校これなくなった子だっているんだよ! 本当に悪戯だったなんて、馬鹿馬鹿しい! 」

 梅子が怒っているが、咲良は安心していた。犯人が彼女の常識の範疇に収まるような存在だったからである。理解できるものはそれほど怖くないものだ。

「こういうのって、どうすんだろうね、やっぱ逮捕? もう出てこなくてもいいよね」

「服役にはならないんじゃない? せいぜい罰金じゃないかな」

「そっかあ、うん、もういいや、この話はお終い! でさでさ、咲良ぁ、望くんとは、ね、どこまで行ってんの? 」

 家から学校に行く程度だ、と言ったら、梅子はとてもつまらなさそうな顔をした。


「捕まったよな、犯人」

 放課後、望と帰るのは日課になっていた。

「らしいね、大学生だってね」

 うん、と望はまるで上の空で返事をした。

「それより、なあ、咲良、今日もうちに来ない? 」

 あまりに直球だ。彼らしい。

「あれさ、どうやったんだろうね」

「え、あれって? 」

「『わっ』の人。後ろ見ても誰もいないんでしょ? 」

「ああ、それか。釣り竿みたいなの使ったんだってさ。糸の先っちょにスピーカつけてさ、音出したら、ひゅって持ち上げちゃえば、それで終わり。単純だよな」

 なんだ、そんな簡単なトリックだったのか。咲良は納得する。

「なあ、咲良、勉強するからさ、明日学校休みじゃん」

 梅子が言っていた、通学路に被害者が多い、と言うのにも合点がいく。夕方ならばスピーカなども見えづらいだろう。隠れるところも多い。

 理解できることはそれ程怖いものではない。しかし、咲良はあることに気が付いた。

(廊下……? )

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