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cottoncolor  作者: 杜若
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八話

そう、それは災難だったわね。佐々木君」

おとうしの和え物をつつきながら小出絵里子が慰めるように言った。

若槻駅近くのこじんまりとした和食レストラン。

せっかくだから小出先生も一緒にと片医師が連れて来てくれた店だが、

値段の書いていないメニューを見ただけで、佐々木が気軽に暖簾をくぐれる場所ではないことがわかる。

「寒いし、いい魚が入っているというからよせ鍋を頼んだけど他に何か食べたいものはあるか?」

「いえ、これで十分ですよ」

片に尋ねられて佐々木は慌てて首をふった。ファストフードや居酒屋チェーンに慣れきった身には

いくら奢ってもらえるからといって値段のわからない物を頼むなんて恐ろしいことは出来ない。

「佐々木君は奥ゆかしいね。先輩の好意には素直に甘えればいいのに。片君を見習って。ねえ」

意味ありげな視線を小出から向けられて片は気まり悪そうに咳払いをした。

小出医師は小鉢科長の元妻で片がまだ研修医のころは外科医として坪内総合病院に勤めていたらしい。

その後、何があったかはわからないが小鉢医師と小出医師は離婚して彼女は病院を去った。

現在は猿若町で祖父が開いたという診療所を一人で切り盛りしている。

佐々木は何度か小鉢に頼まれて慰謝料の現物支給だという医薬品を届にいった。

運ばれてきた料理は美味しかった。

「これで日本酒が飲めれば最高なんだけどな」

しゃぶしゃぶの要領でさっとだし汁にくぐらせたぶりを食べ、片が言う。

「だったら医者なんかやめて板前になりなよ。喜んでうちで雇わせてもらうから。

はいこれ、ぶりのカマ焼き。サービスね」

 先ほどまでカウンターの中で包丁を握っていた年配の男性が芳ばしい匂いを漂わせる皿を

テーブルの上に置いてくれた。

「え、片先生って料理をされるんですか」

「片君の料理はプロ並みよ。むかーしお正月の当直の時に作ってきてくれたお節はすごかったわね。

この店で学生時代バイトしていたんだっけ」

小出の言葉に佐々木は取り皿とはしを持ったままへえとため息をついた。

この口の悪い指導医がキッチンに包丁を持ってたっている姿など想像ができない。

「馬鹿野郎、何て顔してるんだ。俺が料理するのがそんなにおかしいか」

片にじろりと睨まれて佐々木はすいませんと小さくなった。

「父親が亡くなって以来母が働いて俺が料理をするってのが自然になっていたからな。

姉がいるんだが地方の医大に進学して家にいなかったし。いい気分転換なんだ」

「晶子ちゃんは砂糖と塩をしょっちゅう間違えるくらい料理が苦手なのに面白いねえ」

くすくすと小出が笑う。どうやら晶子ちゃんというのが片の姉らしい。

そういえば小出と小鉢、さらに片医師の姉は同じ大学だと佐々木は小耳に挟んだことがあった。

ちなみに自分は片医師の後輩になる。医師の世界は広いようで案外狭い。

「そういえば、救急科に当直のバイトの先生が入ったんだって。少しは当直回数が減ったんじゃないの?片君」

小出の質問に片は僅かに眉を寄せた。

「そうなればいいんですけどねえ。ほら、今月に入ってから猿若町でやたらと火事が多いじゃないですか。俺も佐々木もしょっちゅうオンコールで呼び出されるから落ち着いてられないんですよ、なあ」

「は、はい」

佐々木も大きくうなずいた。

ICUで鈴木明子が「事故死」以降も救急科には頻繁に熱傷患者が運ばれてきた。

手が足りないと寝入りばなに呼びつけられる事もしばしばで、今では鈴木の患部を見て吐きそうになったことなど嘘のように淡々と処置ができるようになった。

冬は空気も乾燥するし、暖房も使うので火事が増えるのは毎年のことだが今年は特別らしい。

「ああなるほど、確かに今月に入って7件は多すぎるわよねえ」

小出も宙をにらん顔をしかめた。

「あの街は消防法なんて関係ないからなあ。建物も古いものが多いしガタが来ているのかもしれないな。街全体が」

「それがそうともいえないのよねえ」

「どういうことですか、小出先生」

佐々木の問いに小出はさらにきゅっと眉を寄せて声をひそめた。

「ここ一ヶ月の火事は放火、らしいの」

「放火ですか」

「ホステスにこっぴどくふられたおっさんが火でもつけてる……すいません」

と片が意地悪く笑いながら言いかけたが、小出から厳しい眼差しを向けられてたちまちしゅんとなった。

こんな彼を見るのは初めてで、佐々木は場違いだと思いながらもおかしくなった。

「あの街はそういうトラブルは雨が降るより頻繁に起こるから対処は万全よ。それに案外自分の所で料理をするお店は少ないのよ。厨房がそれなりに整っている店はさすがに防火には注意を払っているわ。それにね」

小出はさらに声をひそめた。三人の顔が自然と近くなる。

「放火は大概朝の9時~11時くらいなの。まあ、あの町では深夜になるわね。そしてこっちの方が重要なんだけれど度々放火現場の近くで白衣を着た人物を見たっていう人がいるのよ」

「白衣を着た、人ですか」

 佐々木は首を傾げた。白衣だなんてあの町に最も似つかわしくない服のような気がする。もし白衣の人物が放火犯だったとしてなんでそんなに目立つ格好をしているのだろうか。

「あの町で白衣なんてそう珍しくはないわよ、佐々木君」

表情から自分の考えていることを察したのか、小出が説明してくれた。

あの町には、その日暮らしに近いような水商売をしながら年を重ね働けなくなった高齢者も結構住んでいるらしい。

「もちろん年金や保険なんか払っているわけがないから、病気になったらそのまんま孤独死してしまうケースが多いのよ。

それを防ぐためにボランティアで様子を見て周っているお医者さんや看護師さんもいるのよね」

だから、真昼間に白衣姿の人間がうろうろしていても誰も気にも留めないらしい。

「なるほど、犯人だとしたらうまく考えたもんだなあ」

感心したように片が呟く。

「そうね、しばらく往診がしにくかったわ。私も」

相変わらず苦い顔で小出は答えた。多分彼女にも疑いの眼差しが向けられたのだろう。

「でも、何のために放火をしたんだろう。男か女かもわからないのですか」

「それがわかったら苦労したいわよ。そうね、白衣ばかりに目がいっちゃっているらしくてあんまり性別や年かっこうの情報はないけれど長い黒髪だったかもしれない。という話は聞いたわ」

長い黒髪と聞いて佐々木の脳裏に前田医師の顔が浮かんだ。

何て想像力が貧困なんだ。俺は。

長い黒髪と白衣と聞いていちばん身近な医師を思い浮かべるなんて。

佐々木はそっと頭をふって脳裏にうかんだそれを打ち消した。


                     ※


……予想外、だったわ……

あの店からいくらも離れていないさらに細い路地裏で霧子は舌打ちをした。

そのすぐわきにはとろんとして半分眠ったような眼をした北山がだらしなく地面に崩れ落ちている。

店をでるとき北山はケチくさく自分が頼んだ水割りを飲みほしたが、その中には暗闇にまぎれて霧子が睡眠薬を入れていた。

これは、昼間この街の隅でたむろしている生活保護の老人からビール6本と引き換えに手に入れたものだ。

いくら医師とはいえ自分の診療科では使わない薬の処方箋を書けば疑われてしまう。

生活保護者に命じて処方箋が必要な睡眠薬や向精神薬を手に入れ、それを転売することは今では珍しくもないしそれなりに需要もある。

ホテルで動けなくなればいいと少なめに入れたのだが、どうやら長年の不摂生で体が弱っているらしく

大層なききっぷりだ。これではもう歩くことは難しいだろう。かといってホテルまで担いで行けばさすがに目立つ。

このままうっちゃっておけば身ぐるみははがされそうだけど、それでは面白くない。

いらいらと爪を噛みながら霧子が考えこんでいると視界の端を見知った人影がよぎった。

……いまのはまさか……

慌ててビルの壁に張り付くようにして、今目の前を横切った人影をもう一度よく見る。

貧相で小柄な体格。半ばはげ上がった頭頂部。数回しか会ったことないが強く印象に残っている。

坪内総合病院 毛利事務長。

どうもかなり酔っているらしく、右に左に大きく揺れながら路地の奥に進んでいく。

霧子は躊躇せずに後をつけた。しばらく歩くと路地はコインパーキングで行き止まりになったいた。

毛利事務長はふらふらしながら止めてあった一台の車に乗り込む。

完全な飲酒運転だが、まったく躊躇しないところをみると何度もやっているのだろう。

これは、チャンスかもしれない。

霧子は急いで路地を惹き返した。道は一本。毛利の運転する車はここを通るしかない。

だらしなく道ばたに座りこんでいる北山をずるりとひきずって道路をふさぐような形でよこたえた。

周りは薄暗いネオンサインがまたたくのみ。

酔って判断力が低下した頭では、北山に気づくこともなかろう。

背後から眩しい明かりが迫る。

素早く近くのビルにとびこむと、結構なスピードを出してベンツがすぐわきを通り過ぎていった。

ぐしゃりと何か湿った重いものが潰れる音がする。

すかさず道路に飛び出すと、頭を踏みつぶされた北山の手足がびくびくと痙攣していた。

何を踏んだかも気付かないのかそのまま走り去っていく自動車。

霧子は素早く死体と車の後部に向かって携帯電話のカメラのシャッターを切った。


続く



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