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cottoncolor  作者: 杜若
3/13

第三話

「おや、兵ちゃんどうしたのさ」

佐々木が振り返ると、着物姿の久代がちんまりと立っていた。

午後三時、坪内総合病院の売店。といっても、見舞客用の花束から

入院患者用の浴衣やタオルまであつかっているので、コンビニなみの品ぞろえがある。

佐々木が眺めていたのは消臭スプレーだった。

「デート前のおしゃれかい」

にやりと笑う久代は、佐々木の養母のような立場の人で年齢もとうに五〇を過ぎているのだが、

表情や仕草には匂うような色香がただよっている。若い女性が好みそうな大胆な色遣いの着物も

実に粋に着こなしていた。

「そんなんじゃないよ。ちょっと服に匂いがついちゃって取れないんだ」

二時間前、昼休憩にいっておいでと小鉢医師が言った直後に受け入れ要請があった。

「患者は30代~40代の女性、胸部に2度熱傷。火災現場からよりの搬送ですから気管や肺の損傷も

うたがわれます」

「おいおいおい。どう見ても二次の領域をこえてるぜ。白鳳大学の熱傷センターは?何をやっている」

片医師が問い返すと、渋い声がスピーカーを通してかえってきた。

「最初はそっちに受け入れ要請をしたんです。でもあの町からの搬送ですし、顔や手足は無傷だと

伝えたら満床だと……」

「わかった。受け入れる。片君、申し訳ないが皮膚科に一言入れておいてくれ。賀来がらい先生は

どうも苦手だ」

「いいですよ、その代わり明日昼飯奢って下さい」

片が内線ボタンを押しながら苦笑した。

「さて、佐々木君重度の熱傷患者は始めてだったよね」

「はい」

すっと表情を引き締めた小鉢に、佐々木も背中にひやりとした固い芯を通されたような気持になった。

学生時代に座学で熱傷についての授業は受けたし、軽度熱傷なら何度か治療の経験もある。

しかし、本来なら熱傷センターに搬送されるレベルの患者を生で見るのは初めてだ。

「小鉢先生、佐々木先生、救急車が見えました」

 市川看護師のきびきびとした報告に小鉢医師が

「いくぞ、佐々木君」

と大股で歩き出す。佐々木は緊張で冷たくなっていく両手を握りしめて後に続いた。

「2分前に心拍数と血圧が急低下しました」

救命士が報告をしながらストレッチャーを引き下ろす。とたんに鼻を直撃した匂いに佐々木は危うく戻しそうになった。

すすで真っ黒になった顔と薄黄色の奇抜なデザインの服。一見するとどこに火傷があるかわからない。

「うかつに触るな、水泡が破けるぞ」

吐き気を堪えて患者に手を伸ばした佐々木を小鉢の鋭い声が制した。

そこで初めて服に見えていた薄黄色のものが、熱による水ほうだとわかる。

「気管挿入、酸素濃度を測って。輸液開始」

処置室に待機していた看護師達が、小鉢の指示に従ってきびきびと動き始める。

薄いビニル手袋をはめた手が黒く焦げた服の残骸をかきおとし、水泡を破くにつれて匂いはますます

強くなる。

「佐々木君、少し下がりなさい。邪魔だ」

小鉢の言葉に従わざるを得ない自分が情けない。だが吐き気を堪えて涙で滲む視界では碌に患部すら

みえない。

ひどい痛みなのだろうか、患者は意識がないのに闇雲に手と足をばたつかせる。

「こりゃまたひどい熱傷だねえ。白鳳大学に搬送しちゃいなさいよ、早く」

場違いなほどのんびりとした声をあげて無精ひげをまばらにはやし、黒ぶちの眼鏡をかけた四十前後の医師が入ってきた。

「だから先ほども説明したでしょう、賀来先生。白鳳大の熱傷センターは満床だって。俺や小鉢先生は専門外ですから先生に見ていただかないと」

続いて部屋に入ってきた片医師がうんざりした表情で言った。

「あ、そう。困るなあ。論文が進んでないのに」

困る困ると繰り返しながら、賀来医師はぐっと亀のように首だけを伸ばして患者を一瞥した。

「熱傷二度ぎりぎりだね。クリーム塗ってあそこの包帯をゆるくまいといてよ。どのみちそれしか

ここでは出来ないからさ。悪化したら白鳳大学に搬送だね」

ひょいと指差した先に積み上げられていたのはトイレットペーパーだ。

「そこの研修医。とっとと動きたまえ。そこの包帯をとってくる」

名指しされて佐々木は戸惑う。トイレットペーパーを包帯代わりにするなど習ったことはないが

最新の熱傷治療ではそうなのだろうか

「何をぐずぐずしている」

「賀来先生わかりました。後はこちらでやっておきますから、先生はひとまずもう結構です」

イライラと賀来医師に睨みつけられ立ちすくむ佐々木に小鉢医師が助け船を出してくれた。

「あ、そ。じゃ、もう呼ばないでね。僕は論文を書かなきゃならないんだ」

来た時とは段違いのスピードで部屋を出ていく賀来医師に、片医師が舌打ちをした。

「あ、あの本当にトイレットペーパーを巻いちゃっていいんですか」

「馬鹿、あれはあのド近眼の見間違えだ。本気にするな」

後頭部をぱしりと片に叩かれて帰って佐々木はほっとした。

「そういうことだ。クリームをぬったら胸部エックス線写真をとるから」

「お、俺にやらせて下さい」

ようやく佐々木は患者に触れる。じゅくじゅくとした皮膚は軽く指先が当たる度に体液が滲みだし、

患者が苦しげに呻いた。

すいません、すいませんと心の中で謝りながら佐々木が患部に薬を塗り続けた。

「実はさっき熱傷患者を治療して……」

「もしかして、アキちゃんのことかい?」

「あき、ちゃん……」

誰だろうそれは。

「ほら、今日猿若町で火事があっただろう。あれは私の友達の店が入っているビルなのさ。

昼前に起きてテレビをつけたら火事のニュースが映ってびっくりしたんだ。アキちゃんが重傷って聞いて白鳳大学病院に問い合わせたんだけど、搬送されてないっていうからこっちに来たのさ。正解だったね。あの子は身寄りがないから、手続きやら入院準備やらを手伝ってやろうと思ってさ。ね、アキちゃんの具合はどうだい」

矢継ぎ早に尋ねる久代の顔を佐々木はまともに見ることが出来なかった。

患者は一応一命は取り留めた。だが、検査の結果胸部の火傷より気管支内の火傷の方が酷いことがわかり、今は熱傷センターのベッドが空くのを待っている状態だ。

佐々木の有様からアキちゃんの容態を察したのか、久代はポツリと

「果物や飲み物なんかは、買っても無駄になりそうだね」

と呟いた。



                        ※


水の出が悪いシャワーを浴びていると、水音に混じって微かに

「Green・Green」のメロディが聞こえてきた。

もうこんな時間か。結局眠っている暇はなかった。さすがに鉛のような疲労が肩のあたりに

重く感じられる。

今夜は少し仮眠をとらせてもらえないと厳しいと思いながら、風呂からあがりバスタオルで

濡れた体をぬぐった。

首のあたりにタオルを滑らすとジャリっとした感触がして、何かが背中を伝う。

どうやらまだ土がついていたらしい。

昼過ぎに土蔵をのぞくと早くも白くちいさなものがびっしりと田口の体にまとわりついていた。

ぐにぐにと皮膚の内側にまでもぐりこむそれが指の先を微かに動かし、まるで生き返ったかのような錯覚を覚えさせる。

「通夜というのは、皮膚の内側が虫に食い荒らされるのを見た人が早とちりしたせいで

うまれたのかもね」

大きなシャベルで竹林の土を掘り起こしながら、霧子は傍らにおいた田口に話しかける。

少し掘るとすぐに育ち過ぎたタケノコのような地下系に当たって掘りにくいことこの上ない。

これは誤算だったと舌打ちしながらシャベルの先で地下系を切断しながら掘り進めていく。

殺人で一番問題なのは、死体の始末。40キロ~60キロの肉の塊は持ち運ぶだけで一苦労だし

家庭用の冷蔵庫にはまず入り切らない。そして腐敗すれば恐ろしい悪臭とはえをまき散らす。

まあ、放っておけば最終的には茶色の液体と白い骨になるがそこまで待つ間に苦情が来るか、たとえ

トランクに詰め押し入れに隠した所で同じ部屋に住んでいたら精神がたえられまい。

しかし、逆に死体の始末さえ完璧にできる方法があれば、殺人は8割が成功したといえるだろう。

死体がなければ殺人罪の立証はとても難しい。

この庭はそれを余裕でかなえてくれる。埋めてしまえばよいのだから。でも、

ただ埋めるだけでは、安心できない。

二時間かけてようやく深さが1m程の穴が掘れる。そこに霧子は田口の体を無造作にけり落とした。

所々肉がかけ、白い虫にたかられた若い肉体は前衛的なオブジェのような格好で穴の底に横たわる。

その周りに石灰をまき、穴の半分ほどをつちでうめると今度はその上に猫の死がいを置いた。

前の持ち主が餌付けでもしていたのか、この庭には良く猫が来る。

ネコイラズ入りの水を夜置いておけば、朝には2,3匹が笹の葉に半ば埋もれていた。

こうしておけばたとえ何かの拍子にここが掘り起こされても大丈夫だ。

再びひたすら土をかけて地面を平らにならす。時刻はすでに13時を回っていた。

急いでパンツスーツに袖を通し、リビングダイニングの散らかった机の上に置かれたバックをつかむ。

遊びが終わった後は何故かいつも猛烈に空腹になる。

三日分とおもって買ったベーグルの袋が空っぽだ。サーモンとクリームチーズの組み合わせは美容の大敵だと思いながらバス停まで早足で歩く。

そういえば、行方不明になったあけみさんはどうしたのだろう。コンクリートのビルは巨大な窯だ。

こんがりとした蒸し焼きになっているだろうか。それとも何処かの病院のベッドの上で

痛みにのたうちまわっているのだろうか。

どちらにしても中々面白い暇つぶしだった。

「あ、前田先生。今晩は」

医局のドアを開けると、研修医が小さく挨拶をしてぺこりと頭を下げてきた。

たしか、佐々木兵衛とかいう随分古風な名前だったはず。しかし、それよりも彼の両頬に涙の後のようにはしる二本の傷痕のほうが印象的だ。何があったか知らないがあの傷を再びこじ開けたら面白そうだ。そんなことを考えながら、しかし表情はあくまでも優しげに霧子は挨拶を返す。

唇の両はしを微かに吊り上げてやると、佐々木は耳の先まで真っ赤になってうつむいてしまった。

今時珍しいほどの奥手かもしれない。

「今晩は眠れるといいわね」

つい面白くなって椅子に腰かけて胸を僅かにそらして見せる。白衣の間から覗く形良い双球に

ちらちらとした視線を感じた。

たかが脂肪の塊になぜそんなに引きつけられるのか。

男といういや人間というものは本当に訳がわからない。

「そ、そうですね。で、でも今はICUにね、熱傷の患者さんがいるから難しいかも」

佐々木の言葉に霧子は心中でにやりと笑った。

白鳳大学熱傷センターへの受け入れを待っていた鈴木明子がつけていた

酸素マスクが外れる事故で死亡したのは翌朝4時のことだった。








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