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cottoncolor  作者: 杜若
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第十話

「あれ、小鉢先生は」

「なんかまた院長に呼び出されているぜ。困るよな。よし、ちょっとどいてくれ。処置を変わる」

処置台に横たわっているのは、三十分ほど前に救急車で運ばれてきた交通事故に遭ったという患者。

痛みに呻く患者を小鉢は一通り診察し、佐々木に手早く処置を指示すると慌ただしく処置室を出ていった。

最近頻繁にこんなことが起こる。一昨日など手術中で手が離せないと何度も伝えたにも関わらず執拗に呼び出しがありついに小鉢ではなく片が癇癪をおこして「用があるならそっちからこい」と怒鳴り散らした。

クリスマスまであと数日というこの時期は皆いつもと同じようでいても何処か浮足立っているのか

交通事故も普段より多くなっている。多い時は一日に3件も4件も運ばれてくる患者を処置するだけでも大変なのに、最もベテランの小鉢がちょくちょくいなくなってはたまらない。

小鉢が戻ってきたのは結局処置が終わって一時間後だった。

「いったいなんなんですか、ここ数日の頻繁な呼び出しは。上の皆さんはよっぽど救急科がお嫌いなんですかね」

腕を組んで片が憮然とした顔で吐き出すように言うと、小鉢は珍しく途方に暮れた顔で天井を仰いだ。

「なあ、片君に佐々木君」

「はい」

「どうしたんですか、科長」

その様子に佐々木はもちろん片さえも心配そうに眉をひそめる。

十年近く救急科の中心になってきた小鉢は、めったなことではその柔らかな物腰を崩すことはない。

「ここ半月ほどは前田先生が加わったとはいえ、普通よりもかなり忙しかった。まあ、これは毎年のことだから慣れているといってしまえば慣れているんだが……」

「科長、だから何なんですか」

ここ数日のことでかなり沸点が低くなっているらしい片がたまりかねたように口を挟んだ。

「あ、ああ。すまない。その、僕は患者さんに対して不快な態度を取ったりしていなかっただろうか」

「……」

佐々木は思わず片と顔を見合わせた。

「どう、思います。片先生」

「どうって、俺よりはお前の方が研修で科長と一緒にいるだろう」

問い返されて、佐々木は考んだ。

だが、いくら記憶を引っ掻きまわしても思いだされるのは、どんなに態度の酷い患者にも丁寧に接していた小鉢の姿だ。

「俺は小鉢先生が患者さんが不快に思うような態度をとったとは思いません」

「同感です。というかどうしてそんなことを思ったんですか」

佐々木と片が口々に尋ねると、小鉢は一瞬ためらった後に白衣のポケットから数枚のメモ用紙のような物を取り出した。

「先ほど院長から渡された」

「あのけなしが作った御意見用紙じゃないですか」

片が首を傾げながらそれをつまみ上げる。

「病院もサービス業の一環なのだから、患者様の声にも耳を傾けなければならない」と毛利事務長の肝いりで受付に設置されたそれは

今のところ、待ち時間が長いから甲斐性しろとか、診療費をもう少し安くしろなどどうにもできない意見ばかりが投下されている。

「……なんだ、これは」

「どうしたんですか」

尋ねた佐々木の目の前に片が用紙をつきだす。そこには別の紙に印刷された文章がべったりと張り付けられていた。

『救急科の小鉢医師は患者の心を踏みにじる極悪人だ』

『早急に小鉢医師の解雇を』

「ど、どういうことですか、これは」

「僕にもさっぱりわからない。自分で思い返しても心当たりがないんだ。ただ、最近似たような投書が毎日投げ込まれているらしい。加えて、同じような内容の電話もかかってくるそうだ。だから君達に思い当たることがないか聞いたんだが……」

「ふざけるな」

片が両手を勢いよくスチール製の机に叩きつけた。

鈍い音と共に用紙がひらひらと宙を舞う。

「どうせこんな物、鎮痛剤目当てで仮病でやってきた奴らの嫌がらせにきまってる。あいつらは性根が腐ってやがるんだ。まさか院長はこんなものを鵜呑みにしたんじゃないんでしょうね」

「そうじゃない。だから落ち着きなさい。片君」

小鉢が優しく激高のあまり震える片の背中を叩いた。

「院長先生は僕を心配して下さっているんだ。最近は考えられないような行動をとる輩も多いから、年内いっぱいは夜間の間も警備員を救急車出入り口においてもらうことになったよ。ついでにこれも持たされた」

と苦笑しながらもう片方の白衣のポケットから取り出したのは、色鮮やかな防犯ブザーだ。

「GPSつき防犯ブザーだそうだ。ひもを引っ張れば警備会社に繋がるらしい」

「っは。こうなる前にもっと有効な対策を取るべきだったんですよ。いくら防犯ブザーを持っていたって夜道でいきなりぶすりと差されたんじゃ終わりじゃないですか」

 まだ怒りが収まらないらしく、吐き捨てるように言った片に小鉢はもう一度苦く笑った。

「しばらくは寄り道をせずにまっすぐ帰るよ、車でね。君達も一応気をつけてくれたまえ。救急科全体が恨まれている可能性もあるんだからね。じゃ、僕はちょっと昼ご飯を食べてくる。申し訳ないんだけど空腹でね」

そう言い残して小鉢が医局を出ていくと、片も

「悪い、ちょっと頭を冷やしてくるわ。五分程でもどる」

と後に続いた。

ひとり医局に残された佐々木は急に肩のあたりから重苦しいものがのけられたような気持になって、大きくため息をついた。いつのまにか時計が午後の四時を回っている。ブラインドの隙間から漏れる落日が部屋を不吉な紅色に染め上げていた。

「やりきれないよなあ」

自然とぼやきが口から零れおちる。

肩の言っていた鎮痛剤目当ての偽患者は、救急科の大きな悩みの種だ。

医師の処方薬が必要なその手の薬の中には使い方を間違えればドラッグの代わりになってしまう物もあるし、インターネットで一錠単位の高値で取引されるものがある。

薬目当ての患者は診察室にはいるやいなや薬の名前を告げて、それを処方してくれさえばよくなるとまくしたてる。

とにかく薬が手に入りさえすればよいのだから、暴言は当たり前暴力沙汰も珍しいことではない。

しかし、どんなに患者が暴れても医師が同じような態度をとれば問題にされてしまう。ということで

小鉢も片も時に笑顔をこわばらせながら、患者を必死に説得し続けていた。

その結果が、これだとしたら自分達がしていることはざるに水を注ぎ続けているようなものではないかと空しくなってくる。

佐々木はもう一度ため息をついて、机の上に散らばった御意見用紙をノロノロと拾い集めた。

見たくもないものだが、散らかしておくわけにもいかない。

それにしても、手が込んでいるな。

別の紙に印刷した文章を張り付けるなんて、病院でやれば目だっただろうに。

それとも用紙を家に持ち帰って、わざわざ投函しにやってきたのだろうか。

その労力をもう少し違った方に生かせばいいのに。

そう思いながら、もう一度文章を読み返した時佐々木は奇妙なことに気がついた。



                           ※


霧子が力を籠めて重い土蔵の扉を開けると、冷気と一緒にアンモニア臭が体に巻きついてきた。

「気分はいかが、立花さん」

診察室で患者に尋ねるように優しく問いかけると、微かなうめき声が返ってくる。

「あら、まだ元気そうね」

霧子は笑いながら懐中電灯のスイッチを入れる。暗い光の輪の中に浮かび上がったのは、奇妙な格好で縛りあげられた若い男性だ。

梁からたらされた太いロープが輪になって首と胸、さらに右足首を通されて両腕を背中でくくりつけられる形で止められている。

複雑そうに見える縛りだが、手首の部分で蝶結びにしてあるはしっこを引っ張ればするりととける。しかし、片足を下におろそうとすれば

胸と首にかけられた輪が一気にしまるので、ちょうどバレエのアラベスクの型のような格好を保ち続けなければならない。

まだ幼さの残る顔は土気色に変色し、コートを着なければ寒くていられないような場所なのに汗で前髪がべったりと額に張り付いている。

立花は勢い良く首をふりながら、固くかまされたさるぐつわの奥でうめき声をあげ続けた。

「なあに、何が言いたいの」

霧子が小首を傾げてさるぐつわをほどいてやると、立花はげほげほとせき込みながら掠れた声をあげた。

「たのむよ、もうゆるしてくれよ。二度としないから。限界なんだよ、死んじまう」

哀願している間にも、持ちあげられている右足はぶるぶると震えな下がっていく。だが、足が地面にふれるほどまでさがると首にかけられたロープの輪が皮膚に食い込むほどしまり、立花は苦悶に顔をゆがませながらまたふらふらと足をあげるのだ。

「まだ二日しか経ってませんよ、立花さん。あなたは診察室でもう四日眠っていない。あの薬を飲まない限り眠れないって散々ごねたじゃないですか」

「だから、頼まれたんだよう、大学のダチに。一錠2500円で売れるからって。十日分も処方されればいい小遣い稼ぎになるって。それだけなんだよう。信じてくれよう」

首を絞められた苦しさで破けたのだろう、白目が真っ赤に染まった目を限界まで見開いて立花は必死に助けを請う。

全開にされたジーンズのジッパーからだらりと垂れ下がったペニスのさきから湯気の立つ液体が迸り出た。

「まだ尿がでるなら問題ないわね。本当に危なくなったら腎機能が低下して体中がむくんで尿がでなくなるから。じゃああと二日頑張ってね。そうしたらこれ、あげるわ」

霧子が立花の目の前でひらひらとふってみせたのは、彼が処方しろと喚いた睡眠導入剤だ。

小鉢には具体的に薬の名前をあげて処方を求めてくる人ができるだけ断って、と指示されていたし実際にとても

睡眠障害には見えなかったので、断ったら横暴だ、訴えてやると掴みかかられた。

男性の看護師につまみだされる寸前まで、喚き散らしていたのだが翌日毛利から渡された住所をたよりに尋ねた家の前で

あっけなく後頭部に鉄板入りポシェットの一撃を受けて昏倒してくれた。

大型のトランクをもってタクシーを捕まえても、真昼間に若い女性なら海外旅行帰りだと誰もが思ってくれる。

「たのむよう、反省しているからっんぐぐ」

懇願し続ける立花の口に再びさるぐつわをかませると、霧子は土蔵を出た。

人は条件次第では1週間ほど眠らずにいられるらしいが、あの状態であと二日はとても持たないだろう。

絶命する瞬間を見たいが、タイミング良く死んでくれるといいんだけど。

そんなことを考えながら、家に戻って夕食の準備をする。まだ午後の四時半だがこの時間に食べてしまわないとバスに間に合わあわない。

玉ねぎを刻み、小さなフライパンにめんつゆ張っためんつゆでひと煮立ちさせ、スーパーで買ったカツを入れて卵でとじる。

丼によそったご飯にそれを乗っけてインスタントの味噌汁と漬物を添えた。

最近は本当に食欲が旺盛で困る。

「しばらく遊びを控えた方がダイエットになるかしら」

10分足らずで全てをいらげ、空っぽの食器を見回しながら霧子は呟いた。


続く。










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