シンク
『シンク』
夜、男は長風呂から出て洗面台の小明かりをつけた。
「あら、こんばんは。」
女がいた。
私のすぐ横、洗面台の三面鏡に映るように、
しかし、よく見えない。湯船の湯気がこちらへくるからか、
女の体は湯気で隠れている。微かに目を細めると、白い肌に細い腰付き、
胸は見えぬが、少しばかりの脚がひっそりと。
しかし、奇妙なのはその手だ。女の手は白というより白ではない。
青というより、青ではない。奇妙な色だった。
彼女は言う。
「私は、灯りの前では姿はだせないの。見たところ、あなたは暗闇がお好きなようね」
うむ、私は暗いところは嫌いではない、しかし、今はそれどころではない。
彼女は一体誰だ。なぜ、ここへ入れた。ううむ。頭が回らない。 夜の、連日の忌まわしい業務のせいだ。
「ねえ、人間ってのはね、熱いお湯より冷たいお水の方がびっくり、するらしいわよ」
何を言っているのだ、この女は、そう言って目を擦るが、決して目の前から消えない。
ジリジリ、じリリと明かりが揺れる。 それに釣られて湯気も外へ逃げてゆく。
「ねえ、私はあなたを知っているわ、どこかで、会っているわ」
彼女は脚をこちらへ向ける。白ではない白だ。気味が悪い。
「そんな世迷言、今の私に受ける皿はあいにくね、ないよ」
男は気だるそうに返している。じリリ じリり
「ねえ、あなた」「手を繋げばわかるわ」
そう言って刹那、
勢いよく湯気が舞い、手がいや、その湯気の塊が男の手に「感触」を与えた
「ひえっ」
と男は飛び退け、しかし、離さなかった。その霧状の靄、いいや、もう手に変わり果てているその「何か」は男を離さない。
その時、温度があったのだ、熱くもなくい、冷たくもない、ただあるという感触が、手のひらの生命線や神経、
全てを感じ取った。
「やっやめてくれえ」
そう言って、男は弾みによって小灯りを消した。
じりり、じリリり
女はどこかへ消えていた。
あるのは男の手のひらの感触だけ、ただじんわりと残っている
目の前の湯船が霧のように漂っていた。
男はあまりのことで、尻餅をつき、ただそれを眺めるだけだった。
シンクから落ちる雫がポタポタ ポタポタ 音がなる その時 耳から
「やっぱり、あなた嫌いじゃない」
終わり。




