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シンク

作者: 田中 剣
掲載日:2026/10/11

『シンク』


夜、男は長風呂から出て洗面台の小明かりをつけた。

「あら、こんばんは。」

女がいた。


私のすぐ横、洗面台の三面鏡に映るように、

しかし、よく見えない。湯船の湯気がこちらへくるからか、

女の体は湯気で隠れている。微かに目を細めると、白い肌に細い腰付き、

胸は見えぬが、少しばかりの脚がひっそりと。


しかし、奇妙なのはその手だ。女の手は白というより白ではない。

青というより、青ではない。奇妙な色だった。


彼女は言う。

「私は、灯りの前では姿はだせないの。見たところ、あなたは暗闇がお好きなようね」


うむ、私は暗いところは嫌いではない、しかし、今はそれどころではない。

彼女は一体誰だ。なぜ、ここへ入れた。ううむ。頭が回らない。 夜の、連日の忌まわしい業務のせいだ。


「ねえ、人間ってのはね、熱いお湯より冷たいお水の方がびっくり、するらしいわよ」


何を言っているのだ、この女は、そう言って目を擦るが、決して目の前から消えない。


ジリジリ、じリリと明かりが揺れる。 それに釣られて湯気も外へ逃げてゆく。


「ねえ、私はあなたを知っているわ、どこかで、会っているわ」


彼女は脚をこちらへ向ける。白ではない白だ。気味が悪い。


「そんな世迷言、今の私に受ける皿はあいにくね、ないよ」


男は気だるそうに返している。じリリ じリり


「ねえ、あなた」「手を繋げばわかるわ」

そう言って刹那、


勢いよく湯気が舞い、手がいや、その湯気の塊が男の手に「感触」を与えた


「ひえっ」


と男は飛び退け、しかし、離さなかった。その霧状の靄、いいや、もう手に変わり果てているその「何か」は男を離さない。


その時、温度があったのだ、熱くもなくい、冷たくもない、ただあるという感触が、手のひらの生命線や神経、

全てを感じ取った。


「やっやめてくれえ」


そう言って、男は弾みによって小灯りを消した。


じりり、じリリり


女はどこかへ消えていた。


あるのは男の手のひらの感触だけ、ただじんわりと残っている


目の前の湯船が霧のように漂っていた。


男はあまりのことで、尻餅をつき、ただそれを眺めるだけだった。


シンクから落ちる雫がポタポタ ポタポタ 音がなる その時 耳から


「やっぱり、あなた嫌いじゃない」


終わり。

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