第一話「樽の底」
大柄の輸送機が陸にどっしりと腰を据え、ケツの大口をぱっくりと開くと、召集を受けた予備役兵たちが列をなして数時間ぶりの大地を踏締める。北極圏にほど近いこの地方特有の突き刺すような冷たさの乾いた風が撫でつけ、皆一様に身を縮み上がらせた。
数週間前に始まったこの戦争は、アラスカ軍の戦力をあっと言う間に磨り潰し、「正規」の予備役すら不足した結果、はした金と年金を餌に釣った「非正規」の予備役まで投入する事態にまで至っていた。
私も、その「非正規」の一人だった。
アラスカ西部、スワード半島。アラスカ本土から西へ320㎞突き出し、幅145~225㎞のこの半島は、ベーリング海峡の最も狭い部分を形成しており、つまるところ、目下の敵であるロシアと最も近い位置にあった。海峡を挟んで東側の、侵攻を計画する連中からしてみれば絶好の上陸予定地と言えただろう。しかし、頭を捻らずとも分かる話であるが、この北アメリカを攻めて合衆国を屈服させようというのならば、こんな北と西の端っこを攻めたのでは余りにも中枢へ行くには距離が離れすぎている。普通であれば、西海岸のロスやシアトルなんかが絶好のポイントである。誰もがそう思っていたが、どういう訳か敵はやってきた。
ここへやってくる機内で事情通気取りのOSINTボーイから聞いた話では、戦争が始まってからアラスカ軍は即時にシベリア戦線の予備兵力として極東へと出立していったらしく、残された兵力は最低限の正規兵と予備役のみで、そこに真っ当な数個機械化兵団が投入されたというのだから、状況は察するに余りある。つまり、最悪だ。
OSINTボーイの言う話では、敵がここアラスカを攻めた理由はガスパイプライン等の天然資源供給網を遮断し、インフラに打撃を与えるという事らしいのだが、正直そんな話はどうでもいい。政治の事なんか、ただの予備役の予備役、所謂「樽の底」である私達には関係の無い話なのだ。
私たちは状況説明や契約内容、軍内部での序列や今後の予定等の説明もそこそこに仮設の宿舎へと押し込められ、荷解きを済ませる事も無く狭っ苦しい2段ベッドに身を横たえると、各々名前を聞くことも無いままに長旅の疲れを癒すべく眠りについたのだった。
到着の翌日から私達「樽の底」部隊は訓練が開始された。一応はIDカードを配られ、軍隊に所属しているという証明こそ貰いはしたが、階級が与えられていない辺り正式に部隊にアサインされている訳ではなかったと見えた。まぁ、理由はわかる。飲んだくれで服役経験のある退役軍人に、中東系移民のオタク崩れ、真っ当な訓練も受けていないような連中も含まれている以上、正式に部隊配備する以前に隊伍を組み、味方を撃ったり後方に向けて突撃をしないよう最低限度の訓練を施し、各人の練度を一定水準にしておく必要があった。では私はどうかって話だが、銃を撃った経験ぐらいはある。少なくとも、隊内ではマシな部類だと自負してはいる。
初日は列を組み、一定の歩幅、速度で歩き、号令で曲がったり止まったりする所から始まった。所謂軍隊の基本動作だ。これが出来ない事には部隊行動など夢のまた夢という物だ。これがまた酷いもので、あっちへフラフラ、こっちへヨレヨレと、そもそも兵役適正未満の者も紛れて居るものだから、一向に合格水準に達しない。訓練担当官は頭を抱え、酷く苦悩した様子を見せていた。おまけに一時間に一回ペースで鳴る空襲警報のお陰で訓練が一向に進まないのだ。
そんなこんなで隊列を組んで行進するのに一週間を要し、銃器取り扱いと射撃に二週間、作戦能力獲得に三週間と、一か月半の訓練期間が過ぎた頃には敵の長距離砲が基地の敷地近くに落っこちて来るようになっていた。此方が出向く前に、前線の方からやって来てしまった。訓練は明らかに不足している。通常、現代の軍隊では最低半年は必要な所だが、最早この基地周辺は戦闘地帯に片足を突っ込んでおり、私達を後送している余裕など有りはしなかった。陸路での輸送は、と考えるだろうが、このアラスカではまともに繋がっている道路は少なく、この時期の荒れた未舗装の道路は通行が不可能になる場所も多く、結論から言えば陸路での後送も無理であった。
結局私達は訓練の傍ら、基地周辺での防御陣地建設の業務に就く事となった。真面に撃てるかも分からない、100メートル先にだって当たる見込みも無いライフルを担いでだだっ広い荒野に穴を掘り、土嚢を積み上げ、自らを防護する穴倉か、墓穴だか分からぬ物を掘っている。
またこの担いでいるライフルが酷い代物で、二十年は前の代物ではないかと思える草臥れ具合で、光学照準器などを取り付けるレールマウントはあるが肝心の光学照準器が無いと来たものだ。今は2033年だというのに、いったい何時の時代の銃を持たされて戦争するというのだ。
私は樹木の一本も無い荒野の遠く、砲声が聞こえてくる小高い山々の向こう側へと思いを馳せる。この一か月半、私は未だに敵の姿を写真や映像ですら見た事がない。前線より後送されてきた負傷兵の話すところでは、アラスカに侵略してきた大陸連合の連中には中国人も混じっていたとかなんとか。だが欧米人に極東ロシア系の顔とアジア人の顔を見分ける事が出来ようか。恐らくは見間違えた際の与太話に過ぎないだろうと私は聞き流していた。
指を火傷するギリギリまで煙草を吸い切って休憩を切り上げ、灰を落としてわずかに残った葉を丁寧に回収し、小さなビニール袋に保存する。これはゴミを残さない為にしている訳では無い。何しろ真っ当なタバコはこれが最後の一本で、嗜好品の補給はとうに尽きていたので、これ以降煙草の供給は見込めなかった。だからこうして残りカスをかき集めて紙に巻き、一本の煙草に仕上げるという回りくどい事をせねばならなかった。喫煙所の灰皿などから拝借してきた葉を混ぜ合わせて作った煙草の味は酷い物だったが、無いよりは遥かにマシであった。
穴掘りなどという仕事の能率は逆立ちしたって男共の方に軍配が上がるが、文句を言ったところで逃れられる訳でも無し、黙々と作業をこなした。本来はこうした建設作業には工兵用のパワーアシスト付き外骨格が宛がわれ、女であっても男と遜色ない能力を発揮できるが、この僻地にはそんな贅沢品の類は無い様で、痛む腰に悪態をつきながら作業に勤しむしかなく、このままでは腰痛で傷痍除隊できるのではと期待するほど作業はしんどい物だった。
「休憩!一時間休憩だ!」
防寒服でもモコモコに膨れた糧食班がアルミケースを両手にぶら下げ、ヨタヨタと歩きながら休憩を告げながら、封が切られたプラスチックスプーンの刺さったレトルトパウチが各人に配られていく。アルミケースに入れられたパウチは熱々だが、皆厚手の手袋を履いているので火傷する事は無い。中身はチリ・ビーンズ。この寒空の中で食する糧食は疲労も相まって、何度も食したメニューであったが美味に感じた。
「グリーンカードか?」
黒い肌の男が私の隣に腰を降ろし、そう問いかける。グリーンカードとは要するに合衆国での永住者資格カードで、これがあれば合衆国で暮らす事が出来るわけだが、これだけでは合衆国民となれる訳ではない。が、滞在期間の限られている労働者や何某かの事情があって滞在期間が定められている者達にとって、グリーンカードは喉から手が出るほど欲しい物である事に違いは無い。私はそれを必要とはしていなかったが、わざわざ聞いてくるという事はこの男はそれを欲して入隊したのだろう。
「いや、永住権はあるよ。一応、市民権もある」
「じゃあ何で此処に」
「正確には、あった。ってトコだな。話すには休憩時間が足らんよ」
豆を口に掻き込み、空になったパウチに少しだけ水を入れてソースまで奇麗に残さず飲み切る。意地汚く思われるかもしれないが、ほんの少しでも食事を残す余裕などないのだ。この極北の地では、過酷な作業と寒さで非常に体力を奪われる。この一か月半で学んだことだ。豆一粒、スープ一滴でも残さず血肉に変えねばやって行けない。
おかしな話だ、合衆国軍は前線でも熱々の食事を腹一杯食べられる筈なのに、これではまるでポッターズフィールドで埋葬作業に従事する受刑者ではないか。下手すればそれより酷い。いやしかし、一人一台ベッドが当たる分ライカーズよりはマシではあるか。
「おい、貴様ら。休憩後の作業はしなくていいから、片付けて『樽の底』全員第四ブリーフィングルームに出頭しろ。全員に通達しておけ」
いつの間にやら近くにいた予備役将校が私と隣の男に告げ、忙しそうに小走りで去って行く。午後の作業に従事しなくていいのは僥倖だったが、どうにも雲行きが怪しい。戦争が終わったようには思えなかったし、配置換えでカナダより南側に帰れるという訳でもなさそうだった。
結論から言うと悪い予感は的中していた。各戦線を支えていた防衛線は抵抗むなしく限界を迎え、遅滞戦闘に努めつつ後退を開始しているとの事で、私達「樽の底」は負傷者や使える戦力を後方に下がらせる殿として投入されることが決定した。
訓練不足、物資不足、士気も低い。そんな部隊を投入する。早い話が私達は捨て駒なのだろうが、構成人員の内訳を見るにその程度しか使い道が無いのだから仕方がない。確かに捨て駒にされる事に腹が立ちはするが、文句を言った所で決定が覆る訳でなし、自分達より前線の部隊の方が大事である事も理解できてしまう以上、命令を受け入れるしかなかった。とは言え、死んでやる気は無いし、理由は分からないが多分どうにかなるだろうと、そんな気がしていた。
戦闘用の装具と弾薬を受領し、教えられた通りに各自が点検を済ませていく。当然その手際は良いとは言い難く、監督する将校の苛立ちが横目で感じ取る事が出来た。それほどまでに事態はひっ迫しており、一刻の猶予も許さないのだろうが、知った事か。此処でもたくさして戦場に着くより先に敵がやって来ようが、えっちらおっちらと戦場に出向いて敵に出会おうが、状況が良くない事に違いは無いのだから急いだって仕方がない。それに、私達が到着した所で戦局に何ら影響なんか無いだろう?
この一か月、まるでボーイスカウトか遠足の様な気楽さを漂わせていた私達「樽の底」人員約一個大隊は、実弾を受領する頃にはその気楽さは消え果ており、皆一様に顔を青くしながら弾倉のリップから覗く金色の真鍮を見つめていた。
このアマチュア共――私も人の事は言えないが――は、後方で建設作業や警備に従事していればいつの間にやら戦争は終わり、偉大なる合衆国サマは星条旗の下に従軍した私達に褒賞を与えて下さると、そう思っていたのか。甘い、全くもって想像力が不足しているとしか言いようがない。が、そんな物だろう。彼らを責める権利は私には無く、誰だって死を目前にすればタマが縮み上がるものだ。
さて、これで晴れて私達は正式に実戦部隊に組み込まれ、予備役将校たちの下で任務遂行にあたる訳で、そうなると階級の無かった私達にも、遂に階級章が渡される事となった。
一等兵、それが私の階級だ。ヨハンナ・クリーブランド一等兵、北と西の果ての大地で、私の戦争と軍歴は始まったのだ。