108回の世界線移動から帰ってきた公爵令嬢
一面に炎が広がっている。業火は私の大好きだった季節ごとに花々の装いを変えていた庭園を焼いて、王城よりも立派だと言われていた広大な敷地に建てられた屋敷を燃やしている。
一人の少女が屋敷のテラスから、炎に包まれる世界を悲しげに見ながら、深い溜息を吐いた。
煌めく銀髪を肩まで伸ばし、宝石のような碧眼は多少目付きは悪いものの小顔でとても可愛らしい少女であった。今年で16歳になる乙女だ。
「なぜ……なぜこんなことになったのでしょう」
燃えゆく庭園には公爵の配下である兵士たちが、押し寄せる隣国の兵士を防がんと懸命に戦っているが、こちらは5人、敵の数は100人はいる。
もはや屋敷にも火をつけられており、防衛は不可能だろう。悲しみと共に配下の兵士たちが死んで行く様子を眺める。また一人、敵に切られて倒れていた。
胸が締め付けられて、碧眼から涙が零れ落ちる。火事が起こったことにより、強い風が吹き荒れて、私の整えた銀髪をバサバサにしてしまう。
「裏切りがあったとは……だから王太子にはあの方を信用するなと忠告したのですが……もはやなにもかも遅いですね」
300年続いた公爵家も、力の限り支えてきた王国も風前の灯火となっていた。
全ては終わりを告げている。王家の暴政、隣国の突然の宣戦布告。王国内の魔物によるスタンピード、何年も干ばつが続き国力が衰えている王国はそれらに耐えることはできなかった。
「お嬢様、早くお逃げを」
後ろから切羽詰まった女性の声が聞こえてきて、ゆっくりと振り向く。振り向いた先にはいつも行動を共にしている侍女が泣きそうな顔で立っていた。
「いいの。もう王国は終わりだわ。何処にも逃げられないし、私自身逃げるつもりはないわ」
「お嬢様……」
悲しげに頭を振って、私は後悔とは本当に先には立たないのだなと、やるせない気持ちで顔を暗くしていた。覚束ない足とりでフラフラと部屋へと戻る。
「貴方は逃げて良いのよ?」
泣きそうな侍女に優しく告げると、激しくかぶりを振ってその場を侍女は動くことはなかった。顔は青褪めて恐怖で身体を震わせているのにも関わらず、侍女は強い目を返してくる。
「お嬢様とは、幼い頃から共にいました。私だけ逃げるつもりはありません!」
その決意に満ちた表情から、梃子でも動かないことがわかり、こんな状況でも嬉しくなってしまう。思い返せば、私と侍女は楽しい思い出ばかりだった。
「いろんなことをしたわね……。蜂蜜を取りに行ったり」
「ハニービーに襲われて死にそうになりましたけどね」
でも、お高い蜂蜜をお腹いっぱい食べられて嬉しかった。
「街にお忍びでこっそりと出掛けたり」
「掘り出し物を買い漁って、全部ガラクタでしたね」
なにか高価な物があるかと思ったけど、ガラス玉が綺麗で宝物にした。
「愛する王太子の身の物がほしくて、こっそりと部屋から持ち物を持ってきたり」
「せっかく宝物庫の鍵を盗んだのに、門番に気づかれてしまいましたね」
でも目的の物は手に入れた。
どれも楽しい思い出ばかりだ。まさか婚約破棄まで話が大袈裟になるとは思わなかった。
「お嬢様……。本当に楽しい思い出ばかりでした」
「えぇ、本当に楽しい思い出ばかりだったわ」
二人で顔を見合わせて、笑い合う。本当に楽しい思い出ばかりだったわ。
ヒビの入った壁から、少しずつ煙が入ってきた。黒い煙はやがて部屋を埋め尽くし、窒息死させるだろう。
これから私たちは煙で酸欠死になるか、敵兵が入り込んで、切り殺される。捕虜になり辱めを受けるくらいなら自死を選ぶつもりだ。
「お嬢様、そろそろ始めましょう」
「そうね。全てが終わる前にやらなくては」
とはいえ、そのようなことを防ぐための準備はしてきた。部屋に敷かれている薄っぺらい絨毯を二人で掴んで持ち上げる。ビリッと嫌な音がして、とっておきの絨毯は破れてしまうが、今は悲しみにくれる暇はない。
持ち上げた絨毯の下には、どす黒い魔法陣が描かれていた。今は誰も読めない古代語がびっしりと描かれており、嫌でも不吉さを感じさせる代物だ。
それは書きかけの魔法陣であった。宝物庫から借りてきた王家の秘宝。この状況をひっくり返す最後の手段だ。
『大悪魔王召喚の書』
いかなる願いも叶えてくれる禁忌の召喚であった。
私たちは一ヶ月前から、この日のことを漠然と予想し、暇つぶしがてら用意をしていたのである。後少しで書き終わる。
「続きを書くわよ」
「はい、お嬢様」
部屋の隅に置いておいたバケツには豚の血が入っていた。その血に筆をつけて、床に這いつくばって書のとおりに書き始める。残りは僅かであり、モノの数分で書き終わった。
多少汗をかいて、裾で拭いつつ満足げな顔になる。
「できたわ……」
「これで生贄を捧げれば、大悪魔王を召喚できますね」
「えぇ、書を解読したところ『竜型』、『獣型』、『魚介類型』、『幼魔型』、『不定形型』のいずれかの大魔王が召喚できると書いてあったわ。ところどころ文字が掠れていて、少しは間違いが有るかもしれないけど」
魔法陣は完成した。あとは自身を生贄とし、大悪魔王に願いを叶えてもらうだけだ。
家族はもう死んだ。心残りはない。
「お嬢様、最後のお食事としましょう」
「そうね……」
これが今生の別れだと二人は理解していた。なので、最後の食事をと侍女はバスケットを持ってきてくれる。パカリと中を開けるとアップルパイが入っていた。
砂糖を使って焼いたのだろう。アップルパイの甘い匂いが鼻をくすぐってくる。
「どうぞ、お嬢様。とっておきの砂糖を使いました」
「ありがとう。まだほんのり温かいわ」
「ありがとうでつ。あったかいでつね、うまうま」
私たちは最後の食事を寂しさと共に食べる。お代わりは、幼女がバスケットに手をつっこんでいるので難しそうだ。
残りは全部自分の物と、リスのようにアップルパイを口に頬張り、それぞれの手にアップルパイを持っているので無さそうだった。
……幼女?
しっとりとした髪には天使の輪ができており、クリクリとした目に、ぷにぷにほっぺの簡単に抱えることのできる可愛らしい幼女だった。
そして、背中にはコウモリの羽根がついており、黒い尻尾を生やしている。
もしかして、まさかとは思うが
「あたちは『幼女型』大あくまおーの……パイ!」
両手を伸ばして、フンスと胸を張り、羽根をパタパタ、尻尾をフリフリと振って、名乗りをあげる幼女型大悪魔王パイ。あどけない姿にキュンと来ちゃう。
しかし、まさかの大悪魔王だったらしい。なまえを教えるつもりはなさそうで、適当な名前だとわかるが悪魔は名前を教えてくれないから当然の話だわ。
決して、残りのアップルパイも食べたいと、視線がバスケットに向いているからだとか、そんな訳はないだろう。
「『幼魔型』?」
「『幼女型』でつ。あ、その本掠れていて間違えてまつか」
文字が掠れていてわからなかったが、『幼魔型』ではなく、『幼女型』だったらしい。
「あのまだ召喚の儀式をしていないのですが?」
「大悪魔を召喚するには、魔法陣を一時間以上放置することでつ。それにアップルパイが無くなりそうなので、急いで召喚されまちた」
決め手はアップルパイだった。学界に発表すると追放されること間違いなしである。『大悪魔王召喚のコツはアップルパイ』。実に詐欺師っぽいですわね。
「大悪魔王にふさわしー供物を貰ったでつ。さぁ、なんでも願いを言うが良い!」
「わぁ、ものすっごい簡単」
ちっこい身体をフルに使って、両手を伸ばしたり、身体をくねくねと揺らしたりと、威厳と恐怖を与えんとする大悪魔王。可愛すぎて、悶え死ぬかもしれません。
願いを叶えてくれる………。ちょっとというか、かなり怪しい。侍女も本気でとれば良いのか迷っているようね。
でも、煙はどんどん増えているし、敵の喚声がどんと近くに聞こえてくる。うわぁと階段を突き破り落下する悲鳴も聞こえてきた。あの階段は腐ってましたから、そ~っと歩かないといけませんの。
もはや一刻の時もない。せっかく書いた召喚陣なのに、使っていない気がするが仕方ない。
「大悪魔王パイ様よ! この状況をなんとかしてくださいませ。最早国も家も私も詰んでおりますゆえ」
「無理でつ」
「うわぁ、ものすっごい即答」
ぽてんとお座りをして、まぐまぐとアップルパイを食べながら大悪魔王は即答した。
ほっぺにアップルパイの欠片をつけて、キョトンとした顔は罪悪感とかは欠片もない。可愛らしいけど、その態度は大悪魔王との名に相応しい。
「ここまで追い込まれては、逆転の目はないでつ。でも、一つだけ方法がありまつよ」
「逆転の目はないのに、方法があるとは矛盾しておりませんか?」
「過去の世界線に移動するのでつ。そこで今回のようなことが起きないように頑張るのでつよ」
「過去の世界線? どういうことですの?」
悪魔語だろうか、よくわからない。過去に行くのでしょうか?
私の心の声を聞いたのか、コクリと頷きパイさんは話を続ける。
「おんなじようなものでつ。その世界線に記憶を持ったまま移動しまつ」
「未来の記憶を持ったままですのね。それをお願いします!」
そんなことができるのならば、皆を確実に救えるだろう。歓喜してパイさんに頭を下げようとすると、バスケットをフリフリと振り、空っぽになっちゃったと深刻そうな顔でパイさんは教えてくれる。
「そんな簡単な話ではないでつよ。過去の世界線に移動するには、108個の世界線を超えないと行けないでつ。その世界線では、赤ん坊から始まったり、大人になった存在と同化することもありまつ」
バスケットを投げ捨てて、泣きそうな顔で告げてくる。
「108回、おねーしゃんは転生や憑依を繰り返すと言っても良いでつ。それに耐えられまつか? あたちがおねーしゃんたちを安全な場所に転移させても良いんでつよ?」
大悪魔王と呼ばれる割には優しい性格らしいと、くすりと微笑んでしまう。でも気遣いは不要だ。
「はい。お願いいたちまつ」
あら、口調が移っちゃったわ。でも私の気持ちは変わらない。決意は固い。なにがあっても、皆を救うと決めている。
「わかりまちた。それでは世界線移動を開始しまつ!」
『必殺マジックペン!』
とりあえず必殺を付けているマジックペンをパイは取り出すと、んしょんしょと空中に魔法陣を書いていく。
見た目と違い、腕が視認できない速さで書いていき、私にはさっぱり理解できない悪魔文字と美しき複雑な幾何学模様の魔法陣を書き終えると、パイはフンスと息を吐く。
「それじゃー、心の準備は良いでつか?」
「はい、お願いします」
決意に満ちた眼差しで、パイへと強く頷く。
「わかりまちた! それでは遥かなる旅路を! そして、サービスとして侍女しゃんや、実は生きていた家族しゃんは金貨一杯の箱と共に南国リゾート地へ転移させておきまつ!」
えっ、ちょっと待ってと声を上げる前に、私は魔法陣の中心に開いた深淵の狭間に吸い込まれるのであった。
私の遥かなる旅路が始まったのだ……。永遠ともいえる108回の世界移動の旅路が。
◇
『世界線移動一回目』
「プーン」
「べチッ」
享年5分。
『世界線移動八回目』
「みーんみんみん」
ポテッ
享年7日
『世界線移動二十五回目』
「美味そうなトマトだべ」
むしゃむしゃ
享年63日
『世界線移動四十八回目』
「久しぶりに憑依かぁ、おっ、背脂多め、野菜マシマシ、麺固め!」
高血圧にて死亡。享年三十八歳。憑依後二十八分。
『世界線移動八十二回目』
「ウォぉぉぉ」
「世界を焼き尽くした力をみせよ! 奴らを焼き払え!」
享年一日
『世界線101回目』
『%§♯』
享年5秒
………………そして108回の世界線移動は終わりを告げた。
◇
「お嬢様、どうしました?」
私は肩を揺さぶられて、ハッと気を取り戻した。見ると、八歳程の小柄な侍女が私を心配げに見ていた。
その顔はよく覚えている。子供の頃から一緒だった友人でもある幼馴染の侍女だ。
「戻ってきたのか………」
懐かしい曇っていてヒビもある姿見には、儚げで可愛らしい銀髪碧眼の幼女が映っていた。おとなしい性格で、この頃は人見知りもしていた。
「うぉぉ〜、私可愛らしい! くっ、ジュニアアイドル確定だよ、この可愛らしさ」
ぷにぷにの白い肌に、保護欲を喚起させる子猫のような空気を纏わせている小柄な身体。一人で外を歩けば、きっと悪人に攫われてしまうに違いない。
横目でちらりと姿見を見てウインク。ぴょんと飛んでにゃーんと子猫の真似。くねくねダンスをしてみちゃう。
「くっ、最高だ。世界一可愛らしいよ、この幼女!」
蹲って、ぷるぷると感激で震えてしまう。こんなに可愛らしい幼女は初めて見たよ! 思わず床をバンバン叩いて、メキッと穴を開けてしまう。しまった、この部屋の床はぼろかったんだった。
「あぁ……変だったお嬢様がついにナルシストにまでなってしまったわ」
「今月の給金は10%カットね」
「素敵なお嬢様! いったいなにがその空っぽの頭に巣食ったのですか?」
「もはや30%カットでも問題はないようね」
侍女へとデコピンをしてから、しがみついてくるのを気にせずに考える。
私は108回の世界線を越えて、この世界線に戻ってきた。過去の世界、皆が生きてた世界。前の世界でも生きていたような気がしたが、記憶から抹消しておきます。
「私は未来を変えるために戻ってきましたわ」
なんか変なことを口にしていると侍女が呟いているが、ふみふみして窓へと向かう。外を覗くと、平和な光景が広がっていた。
そよ風が頬を撫でて、髪がふわりと靡く。広がる田畑、ではなく庭園。王城よりも立派なボロ小屋、違ったお屋敷。
のんびりとした民たちが暮らすのが、眼下に見える。
「まずは最初の問題。古代遺跡を掘り出して、魔物を開放しないこと……」
ほっそりとした指をぷにっと頬につけて、遠くに見える山の一つを視界に入れて考え込む。王国に初めて見つかった古代遺跡。お祭り騒ぎになり、封印されていた扉を開いた。
その中には大量の魔物が潜んでいることも考えずに。多くの魔物が封印から解かれたことにより、溢れ出し王国は防衛に兵士を向かわせた。
その結果、国の少ない防衛力はほとんどなくなり、古代遺跡を奪おうとする隣国の侵略を許すことになったのだった。
「古代遺跡から財宝が入ると思って散財していた王族は後に回して……まずは古代遺跡ですわね」
古代遺跡には財宝がある。魔物をなんとかして、財宝を入手する……。隣国が古代遺跡に気づいて、攻めてくるのを防ぎながら………。
幸い今は8歳。古代遺跡が見つかるまで、7年の猶予がある。
「それまでに、魔物を駆逐できて、隣国の侵略を防ぐ軍事力を手に入れる。……ふふっ、大変な仕事ですわね」
考えただけで大変な仕事だ。
考えるだけでとっても大変な仕事だ。
考えただけで酷く面倒くさい仕事だ。
だけども108回の世界線を移動した自分にならできるだろう。
青空を見上げて、陽光に照らされて目を細めると、ふふっと笑う。
「面倒くさい」
『隕石落下』
ホイさと手を翳すと、空から小さな赤く燃える隕石が落下してきて、古代遺跡のある山へと消えていった。
空を焼くような炎の柱が立ち昇り、古代遺跡は山と共に消滅するのであった。
「これで救われましたわ」
あわあわと慌てる侍女を他所に、私は胸を撫で下ろす。古代遺跡が無くなれば、もはや隣国も攻めてこない。王族も散財しない。
婚約破棄してきた王太子も、破棄することはなくなるに違いない。
「全て解決しましたわ」
108回も世界線を移動した苦労は、ここで報われました。
「ありがとうございます、大悪魔王パイ様」
手を合わせて、空へと感謝の念を込めて呟く、さらに2個の隕石が空を横切っていくが、気にする必要はないでしょう。
王城が吹き飛んだり、隣国の王城が吹き飛んだりしても、ただの偶然に違いありません。婚約破棄は無くなったけど、婚約自体無くなったのは、後で知ることになるとは思います。
さて、これで苦労は報われた。後は自分のために生きましょう。
「とりあえず日本酒飲みたい………米ってどこにあるのかなぁ。純米大吟醸に焼き鳥………くぅ〜、絶対に探してみせる!」
フンスと鼻息荒く、小柄な幼女は手をあげてジャンプする。
「スルメも食いたいな。海ってどこにあるのかね。シースも喰いたいし、レイコーを飲まないと調子を崩しちゃうよな」
とってもおっさんみたいな性格の幼女が爆誕していた。
なぜなら……。
『108回の世界線移動の結果』
『虫24回、獣19回、魚介類8回、植物6回、おっさん48回、蟲1回、不定形生物1回、美少女1回』
おっさん率が高かった。
なので美少女はとんでもない性格になっていたのであった。