第四話
私たち夫婦が交通事故で死んだ後、そもそも心を閉ざしていた唯は、そこにあったもの全てを諦めた。
義治さんが手配してくれた弁護士の世話になり、遠い遠い寮のある学校に転校し、今までの人間関係を一切断ち切って、修太郎君たちの前から消えた。
私たちのせいだ。
上手く人付き合いが出来なくて、言葉で気持ちを伝えられなかった唯は、ピアノが好きで心のすべてを鍵盤に叩きつけていた。
楽しいことも悲しいことも辛いことも苦しいことも、……修太郎君を愛おしむ気持ちも。
高校進学をピアノを専門に音楽科を考えたいと唯が言った時、私たち夫婦は反対した。
修太郎君と一緒にいることが、唯の幸せに繋がると思っていたから。
そこから、唯は私たちに対して心を閉ざした。……いや、やはり諦めたといった方が正しいかも知れない。
ピアノも、最初から無関係だったかのように、やめてしまった。
場面が変わる。結構コロコロ変わる。修太郎君の心に印象深く残っている場面が主に映っているのだろう。
高校に入って修太郎君は、唯ではない子とお付き合いを始めた。
……呆れた。
唯をいじめていた子が、これ以上唯に構わないようにと付き合っていた。
唯……いじめられてたの……?
今更知る事実に打ちのめされる。
どんどん記憶の中の時間は進んでいく。
修太郎君は彼女の方からキスされ、家に帰って泣きながら口を拭ってたけど、いや、お付き合いしているんだろうが。
修太郎君のことをとやかく言えた立派な母親じゃなかったけど、……呆れた!
修太郎君を失い、そして保護者をいっぺんに失った唯。
義治さんが唯に「うちの子になるか?」と聞いた時、修太郎君が「イヤだ」と断った。
……伝わらない、それじゃ何も伝わらないよ!!
唯とは兄妹になりたくない、夫婦になりたいと、真っ直ぐに言わなければ、何一つ伝わらないよ!!
案の定、全てを拒絶されたと受け止めた唯は、修太郎君を諦めた。
心から血を流しているのに気が付かないまま、その手を放した。
一緒に義治さんと小百合さんも諦めた。
仕事仕事で子育てをほとんどしていない私たち夫婦に代わり、唯を育ててくれた大切な『おじさん』と『おばさん』を諦めた。
なぜ唯と兄妹になるのがイヤなのか考えた修太郎君は、ようやく唯に対する自分の気持ちを認めた。
けれど、遅かった。
唯は修太郎君の前からいなくなり、修太郎君たちが探して探して、ようやく転校先を見つけて会いに行ったその日に、唯は失踪した。
修太郎君たちに会うことなく、いなくなった。
女子高生失踪。
近所のコンビニに行ってくると言って帰ってこなかった唯は、誰がどれだけ探しても足取りを欠片も見つけることが出来なかった。コンビニの防犯カメラにも映っておらず、コンビニに至る前に唯はいなくなった。唯の住む寮から歩いてたった数分の距離なのに、唯は消えてしまった。
出かける間際を見かけた寮生の子によると、唯は鞄を持っておらず、手ぶらで寮を出たとのこと。きっと小銭入れと携帯電話をポケットに突っ込んで行ったのだろう。
公開捜査に踏み切った後、連日ニュースでも流れ、事件事故、それから自らの意思による失踪かと騒がれた。当然、家庭環境や学校のことも取り上げられて晒されて、修太郎君たちも唯の失踪に関わりがあるのではないかと噂され、かなり叩かれていた。
修太郎君たちの疑いは警察の捜査ですぐに晴れたけれど、心ない噂が根強く囁かれる日々。そんな中、小百合さんが出産した。
十八歳差の修太郎君の弟である。名は廉太郎君。
修太郎君は、一人っ子じゃなくなっていた。
小百合さん、修太郎君を産んだ時は確か二十五歳だったはず。四十越えての出産とは、尊敬しかない。
やがて世間が唯を忘れる中でも、修太郎君は唯を探し続けた。
夢遊病のような大学生活を送って就職し、全国各地、時には海外にまで足を伸ばし、家出や失踪、誘拐、果てはオカルト的な『神隠し』にまつわる事象を聞いて回って、人が跡形もなく消える現象を片っ端から調べ続けた。
それでも何一つ手がかりは摑めない。
そして二十九歳の時、修太郎君はこの世界に落ちた。
自らが跡形もなく消えた人間となってしまったのだ。