第十一話
翌日、唯は偽造出来ない魔術のかかった公文書をきっちりもらって来た。
落ち人であること、保護観察の結果、この世界に及ぼす影響はなく、保護終了後は本人の自由意志で生きることが認められることが、しっかりと記載されていた。
唯の産む子がこの世界にとってのキーパーソンなのだから、唯本人をどんなに調べても、何の力も出てこないのだろう。
ちなみに、ビルケェとは侍女さんの名前だった。……呪文じゃなかった。今日も後で待ち合わせしているらしい。
唯は商隊の皆ともあっと言う間に打ち解けた。
小さい頃は修太郎君の後ろに隠れてモジモジするだけの子だったのに。
試しに一度料理を作ってもらえば、手際も良く味も良い。煮物は……小百合さんが作る煮物の味を思い出して、泣きそうになった。
あ、この世界、味噌も醤油も普通に流通しているのだ。前世から見たら、かなり前衛的でアグレッシブな見た目と味の物もあるが、無いよりマシ、ありがたや~だ。
どんな? ……ピンクの味噌とか、カカオ風味の醤油とかだよ。
商隊の皆からの反対意見も無く、唯は無事に採用となった。
妊婦というハンデはあったけれど、どのみち子連れの商隊である。元々行程は緩やかなものなので、唯のために無理をして変更する必要も無い。
出発日が決まった。
唯の保護期間を数日残してのことだが、問題ないと王宮から回答を得た。
新しい旅の仲間として、唯に言わなければならないことがあった。
「まなえ、ですか?」
「真名の名前、ね。ユイは……親御さんからもらったままの名前でしょう? この世界では、習慣として本当の名前は隠しておくものなの。悪い魔術にかからないようにね。あと、ユイ、は地域によっては発音しづらいのよね。この国の人もそうでしょう? 大陸共通語を公用語にしていても、方言があったり自国語があったりするからね。他に名乗る名はある?」
「ま、な……本当の名前?」
「そう、ユイの他にあなたを呼ぶ名はある? それとも、ユイをもじって新しく付ける?」
唯は難しい顔をして黙り込んだ。そしてブツブツと、『かやのゆいって、どこで切ってもあまり成り立たないな。カヤは……もう使う気は無いし、やの? のゆい? かやのゆ、いや、変だわ』
日本語だから周りに意味分かんないと思ってるんでしょうけど、丸聞こえだわよ。かやのゆ、ってどっかの銭湯かよ。
しばらくして観念したのか、唯はポツリと呟いた。
「ほかの呼び名、ない、です。私、魔力ない、魔術あまりきかない。それでもつける?」
「そうね、つけた方がいいと思うわ。あなたはなんて呼ばれたい?」
唯は少しだけ考えて、私を真っ直ぐに見て言った。
「奥様、つける、してください。新しい、私、呼ぶ名前」
唯は私を奥様と呼ぶ。サムリを旦那様と。商隊の皆と同じく呼ぶ。
「ええと、私が決めて良いの?」
「はい、奥様、……死ぬした私のお母さんと同じ目、……優しい目。お願いします」
唯。
私の娘だと言えたら、どんなにか。
……言って良いだろうか。……別に誰かにダメだなんて言われていないし。
私が異世界で生きた前世の記憶があるのは、私の周囲の人ならば知っていることだ。
もちろんサムリも知っている。
唯と呼んで、抱き締めても良いだろうか。
「お母さん? どうしたの?」
考え込んだ私の袖をシュリがツンツンして声をかけてきた。
シュリ。
私は。
私はテア。
サムリの妻、シュリの母、アルテア。
文代であったかも知れないけれど、もう、文代ではないものなのだ。
私は息を一つ吐いた。
私の子はシュリだ。唯は私の子ではない……。
私はテアとして、出来る限りのことをしよう。
唯が、唯も幸せであるように。
「……ビビ、というのはどう?」
名は真名の一部分を取る……隠すのが通常だ。アルテアからテアになるように。
全く違う名を付けると魔力が体内で澱み、魔術を編むのに支障があると言われている。名と魔力は密接だ。だが、唯の名前にはこれ以上隠す部分がない。ゆ? い? 名前として成り立たないわ。
唯には魔力がないから、何を付けても構わないだろう。
「びび? びび……ビビ! はい、私、ビビ! ありがとう、ごじゃいます、奥様!」」
唯が笑顔でお礼を言ってくれた。
気に入ってくれて何よりだ。
ビビは前世の世界の外国の言葉。ホントはヴィーヴィだったと思うけど、日本人のカタカナ外国語で勘弁してもらおう。
生きよ。という意味だったと思う。
生きなさい、唯。
生きるのよ、なんとしても、自分らしく。
大切なものに自分を入れるのをどうか忘れないで、あなたらしく、生きて。
ビビ。