最後の夏休み・延長戦 《オリジナル版》
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
「相変わらず爽やかな笑顔だね」僕はテレビの中の彼に話しかけると、朝食がのったトレイを食卓に置き、椅子に座った。
全世界のそれぞれの政府が『世界の終わりの日』というものを発表してから丸三年。当初こそはパニックに陥ったものの、お上は『その日まで穏やかな日常を続けましょう』というスローガンを掲げただけで、一切の説明はなし。
混乱した人々もやがて日常生活に戻った。今では世界の終わりを思い出すのは、朝のニュースキャスターの一言を聞いたときだけだ。
「でも、そっか。あと七日か」
食べかけのトーストを皿に戻して窓の外を見た。
真っ青な空に揺れる電線。向かいのマンションではよく見かける女性が洗濯物を干している。聞こえてくるセミの声のせいなのか、まだ朝だというのに酷く暑そうだ。
本当に世界の終わりなんてものが来るのか。僕の毎日は穏やかで、ときたまイヤなことがあって。その他には何もない。暴動や混乱、終末思想の新興宗教といった、『いかにも世界の終わりです』というものは見かけない。ありきたりの平和な日々を送っているのに、世界が終わる? そんなバカな。
だけど本当に終わるのだとしたら?
あと七日と、ニュースキャスターは言っている。
食卓の隅にあるスマホに手を伸ばす。確か……
クラウドに保存した古いファイルを探す。
「あ、これだ」
目当てのものはなんなくみつかり、タップして開く。
『世界が終わるまでにやりたい10のこと』
どこかで聞いたことがあるようなタイトルの下に、三年前の僕がやりたいと考えたことが箇条書きで並んでいる。
①大型バイクの免許取得
──うん。あと七日ではきっと間に合わない。
②ハーレーを買う
──今からローンを組めるだろうか。組めれば買えるぞ。
③富士山登山
──お。これは最初にやったヤツだ。六合目でリタイアしたけど。
④バンジージャンプ
⑤スカイダイビング
──このふたつもやった。スカイダイビングは腰が抜けたっけ。
⑥屋久島に行く
──これは三角というところかな。実際には行っていないが、ネット上のバーチャル体験ならやった。
⑦極夜の北極探検
──これは探検家のノンフィクションを読んで感化されたやつだ。壮大なヤツをひとつ入れたくて書いただけ。
⑧腹筋を割る
──何で、こんなのをリストにいれたんだ。………ああ、そうだ。これは彼女が好きな俳優に負けたくなくて……。
⑨結婚、できたらひ孫をばあちゃんに見せる
──……。
ええと、最後はなんだったっけ。
⑩ケンとアキラと探検の続き!
その文字を見た瞬間。ぶわっと、一気にあの夏の日を思いだした
◇◇
僕が生まれ育ったのは、首都圏でありながらも山裾にある過疎の町だった。見渡す限り畑しかない、そんなところだ。ケン、アキラ、そして僕は幼なじみ。学校の同学年は十一人いたのだけど、男子は僕たち三人だけだった。
小学校最後の夏休み、最終日。自分で握ったいびつなおにぎりと山ほどの駄菓子をナップザックに入れた僕たちは、夜明け頃から自転車を何十分も走らせて近くの山に行った。もちろんのこと目当ては探検だ。途中で自転車から降り、舗装された道をそれて獣道に入った。拾った棒で藪を叩きながら進み、セミやカブトムシを捕まえて、小川では水遊び。最高に楽しかった。
おにぎりの昼食をとってすぐ、僕たちは小さな横穴を見つけた。中腰になってやっと入れるくらい。だけど中は、ずっと向こうまで続いているようだった。当然、入った。家から勝手に持ち出した懐中電灯をそれぞれが手にして。
まだ僕たちの学校には、スマホを持っているヤツはいなかったのだ。
横穴は中に進めば進むほど、広くなっていった。岩肌は濡れ、時おり天井からしずくが垂れてぴちょんと音がする。その度に三人そろってビクリとした。
みんな強がっていたけど、本当は怖かったのだ。
最初はバラバラにいた僕たちはいつの間にか、体を寄せあって進んでいた。
やがて懐中電灯が照らす地面の質感が変わった。よくよく見れば、水だった。流れている様子はなかったから、地下水だか雨水だかが溜まったものだったのだろう。棒を入れてみたところ水深十五センチというところだったけど、進行方向はどこまでも水に浸かっているようで進むのは大変そうに思えた。
僕たちはほっとしながらも強がって口々に「残念だなあ」と言いあって、来た道を引き返したのだった。
何時間もの大冒険をしたつもりだったけど、洞窟の外に出て腕時計を見ると、たったの半時間しか経っていなかった。
「今度は長靴をはいて挑戦しようよ」明るい陽光の元に出て安堵した僕は、気が大きくなってそんなことを提案した。
「決行は来年の夏休みだ。中学生になったらスマホを買ってもらえる。GPSも懐中電灯もついてるから、いい武器になるよな」
そう言ったのは、確かケンだ。
僕とアキラは大賛成をして、来年の夏の冒険を約束したのだった。
◇◇
だがその約束は果たされなかった。それぞれが別の部活動に入ったせいで、三人の予定が合う日がなかったのだ。
やがて約束は忘れられ、僕たちは二度と洞窟に入ることがないまま大人になってしまった。今も地元に住んでいるのはケンだけで僕は都内、アキラは関西で暮らしている。高校卒業以来約二十年、会っていない。唯一の交流は、『元気にしてるか?』なんて一言しか手書きの文が添えられていない年賀状だけ。それでも僕が仕事以外に出しているのは彼らだけだから、やはり特別な友なのだ。
スマホに表示されているファイルを閉じて、SNSのアプリを開く。まだ、彼らと連絡はつくだろうか。ついたところで、二人には家庭があるからあと七日しかない世界で探検に出るなんて無理だろうけど……。
◇◇
あの日と同じように、セミがうるさく鳴いている。息を切らした中年一歩手前の僕たち三人は、かつて探検したあの横穴の前にへばりこんでいた。
見上げる空は気持ちいいほど真っ青だけど、頭からは汗が流れ落ち、シャツもパンツも体に張り付いて気持ちが悪い。
それでも。まさか連絡をとったその日のうちに、三人集まって探検を始められるとは思っていなかったから、気分は高揚している。体がついてこないことだけが問題だ。
自転車で山を上がるのはハナから無理だと諦め、車を使った。それでも舗装道路から外れて獣道を進むのは予想以上に大変で、棒でよけたはずの藪が反動で戻ってきて顔を殴打し、木の根に足を取られてスッ転び、足腰は疲労でガタガタになった。
そんな僕らが四半世紀近くも前に一度来たきりの横穴に来られたのは、ケンのおかげだ。
ケンは僕とアキラよりはへばっていない。やはり日頃農作業で体を動かしているからだろう。しかも彼は三年前、ひとりでここに来たのだそうだ。政府発表のあとに彼はおぼろげな記憶を頼りに横穴を探しだしたという。
「嫁さんが死んでさ。もう俺に生きる理由はないじゃんと思ったんだけど、ここだけが心残りだったんだよね。で、探したんだ」
そう言ったケンは僕に笑顔を向けて、
「ショウ。声をかけてくれて、ありがとな」と言った。
僕もアキラも、ケンの細君が亡くなっていたなんて知らなかった。喪中ハガキをもらうこともなかったし、年賀状のやり取りが途絶えた年もない。振り返ってみれば、手書きの一言が添えてなくて淋しく思ったときがあるから、きっとあれがその年だったのだろう。彼女が亡くなったことを知られたくなかったに違いない。
ケンの話では、細君は長らく不妊治療を受けていたのだが、なかなか結果が出なくて精神がだいぶ参っていたらしい。そんなところに世界の終わりの発表があり、母になることを切に望んでいた彼女は追い詰められてしまった──。
そうしてケンはここを探しだした。だけど足を踏み入れる直前で、『入るときは三人一緒に』と考え直したそうだ。とはいえ家族や恋人と幸せに暮らしている僕とアキラに連絡を取る決心がつかなかったという。
だけどアキラのほうも。
政府発表の翌日、彼が仕事から帰宅すると妻と息子はいなくなっていたそうだ。食卓の上には、『ガマンすることは止めました』という置き手紙と離婚届があったとか。アキラは、
「やっぱり妊娠を機に仕事を無理やりやめさせたのが悪かったのかな」と言っている。
実際には何が原因だったのか分からないそうだ。
三年間、ファミリータイプの広いマンションにひとりで住んでいたアキラは、世界の終わりを孤独に迎えるのならせめて故郷でと思い、三日ほど前に帰って来たという。
「まさか、こうして三人そろうとはなあ」
アキラが今日何度めになるか分からないセリフを言い、僕たちはうんうんとうなずく。
「そろそろ入るか」とケン。
僕はスポーツドリンクを飲みほすと、ペットボトルを手で潰してナップザックに入れた。代わりに懐中電灯を取り出す。
「あれ、お前も?」
とケンがやはり懐中電灯を傍らに置いている。見ればアキラの手にあるのもそれだ。
「やっぱり探検家がスマホの明かりで進むのは、おかしいと思ってさ」と僕が言えば、
「俺は前回を踏襲しようと思って」とケン。「おにぎりはコンビニのだけど、駄菓子は山と入ってるぞ」
あははとアキラが笑う。「そういやお前は一番、食い意地がはっていたよな」
「今じゃお前のほうが、食べそうだ」
「やもめになってからは孤食が嫌で、外食ばかりだったからなあ」
アキラがでぷんと突き出た腹を叩く。
ひとしきり笑いあうと、『さて行くか』と僕たちは立ち上がった。
ケンが鎌で横穴を塞ぐように生えている草を手早く苅る。さすが農家だ。そう褒めたら、
「こんな背の高い草を苅ることなんてないよ」と笑われた。
「ケンの畑を遠くから見たけど」とアキラ。「キレイなもんだよ。整然としていて、なんか俺、泣いちゃったよ」
なんとなく、その気持ちが分かる気がした。今日の僕はやけに感傷的だ。やはりあと七日で世界が終わってしまったらという考えがあるからだろう。
「誰が先頭だ?」とアキラ。
「前回はじゃんけんで勝ったショウだった」とケン。
「なら、じゃんけんだ」と僕。
「最初はグーっ!」
いい年をした僕たち三人の大声が山に吸い込まれる。
じゃんけんの結果、今回も勝ったのは僕だった。
「では僭越ながら、先陣を切らせていただきます」
僕はケンとアキラに角度四十五度の礼をキリっとすると、懐中電灯のスイッチを入れ、しゃがんで横穴に入った。中はひんやりしていて静かだ。先ほどまでの世界とはまるで別の場所に来たみたい。
そうそう、こうだった。
昔の記憶がよみがえる。ただ、思っていたより狭い。
「お、涼しいな」
「中に入ってから休めばよかったかもな」
背後からケンとアキラの声がした。
「狭くないか」と僕が言うと、アキラが
「俺らがデカくなったのさ」と言う。
「いや、崩れている」
そう言ったのはケンで、彼が持つ懐中電灯の光の先にはそれらしき土砂があった。
僕は、ここから出られなくなっても構わないかなという気持ちで来ている。世界は終わるらしいし、終わらなかったとしてもたいして困ることはない。
「どうする、やめるか?」とケン。「先へは進めそうだが、思っていたより危険かもしれないぞ」
「やめるかよ」とアキラが即答する。
「僕だって」
そうして僕たち三人は、臆することなく先に進んだ。濡れる岩肌、時おりぴちょんとたれる水の音。昔と何も変わっていない。恐れるもののない僕らはずんずん歩き、すぐに例の水場に到着した。腕時計を確認したら、中に入ってから十分も経っていなかった。ということは距離にして、六、七百メートルぐらいだろうか。
「案外近いな」とアキラ。「大人はつまらん」
「いやいや、これからだ」
ケンはそう言って、ナップザックにぶら下げていたビニール袋から長靴を出す。
僕も懐中電灯をズボンのベルトに差すと、ザックの中からそれを出して履き替えた。アキラもだ。
それぞれの準備が整うと、僕たちは並んで水に入った。ゴムの長靴越しでも水の冷たさが分かる。
「長時間は耐えられねえかも」とアキラ。「寒いのは苦手なんだ」
「サクサク進もう。何もいないようだし」ケンが水面を照らしながら言う。
「そうだな」と僕。「こういう所ってコウモリが出てきたりするんじゃないのか」
「そういや、そうだ。洞窟っていったらコウモリが定番だ」アキラがそう言えば、ケンが
「環境が悪いんじゃないの」と応じる。「エサが少ないとか、寒すぎるとか」
僕たちはそんなことを話ながら、転ばないよう慎重に足を進めた。十メートルほど、歩いただろうか。足裏の感触が急に変わった。それまでは硬い岩だったものが柔かく重い泥になったのだ。歩きにくいと思いはじめてから数歩もいかないうちに、足を泥にとられて動けなくなった。
「まずい気がする」とケン。
「俺も」
ゆっくりと足が泥に沈んでゆく。ついさっきまで水深十五センチだったのに、今は倍はある……、いや、長靴に水が入ってきた。そこまで水の中に浸かっている……、いやいや、膝下だ……。動こうともがくほどに泥に沈む。もがかなくても、やはり沈む。
「ごめん」僕はケンとアキラに向かって謝った。「僕が誘ったばっかりに」
「スマホで助けを呼ぶか」とアキラ。
「いや、このスピードじゃ間に合わないだろ」
ケンの言う通り、もう足の付け根まで水につかっている。
「ほんと、ごめん」
「いいってことよ」ケンが言う。「ただちょっとさ、あまりに消化不良だよな。もう少し冒険を楽しみたかったよ」
「だよな」とアキラ。「ま、最期にひとりじゃなくて良かった。お前らに会えて楽しかったぜ」
「右に同じく」とケン。
水は腰にまできている。僕は
「……最期に三人で写真をとっとけば良かったな」と呟いた。
「お、そうか」ケンはスマホを取り出すと、フラッシュをたいて自撮りをした。
そのまま何やらしている。
「嫁さんのスマホに送ってみた。今、行くよって」
「じゃあ、俺も」と今度はアキラが自撮りする。
「三人のグルチャに送る」
「なるほど」僕も慌て自分を撮って、三人のグループチャットを開いた。暗闇の中でキメ顔をしているアキラ、穏やかに笑っているケンの写真がある。最後は僕。バラバラに写った記念写真に胸の奥がじんわりする。僕はしっかり目に焼き付けると、スマホをポケットに入れた。
「しまった、酒盛りをしてから探検にすればよかった!」ケンが叫ぶ。胸まで水につかっている。
「本当だ!」とアキラ。「俺ら、一緒に飲んだことはないもんなあ」
「いや、やっぱりコーラとガリガリ君で乾杯じゃないか」と僕。
かつての僕たちの好物はそれだった。
ふっと明かりが消える。全員の懐中電灯が水没したらしい。水の中にぼんやりとした光がある。
「違いない」賛成するアキラの声。
水が僕のあごに触れる。
不思議と恐怖はない。苦しいのはイヤだなあと思うけれど、気持ちは落ち着いている。
「今日は探検に付き合ってくれて、ありがと。友よ、友情は……」
ガボッ
ゴボッ
ゴボボボボッ……
◇◇
目が覚めた。とたんに、
はっくしょい!!
と、くしゃみが出る。寒い。というか全身ずぶ濡れだ。ここはどこだ。僕はどうしたのだっけか。
周囲は暗く、僕が腹這いで寝ているところは石のように硬い。
──そうだ。ケンとアキラと洞窟探検をしていて底無し沼のようなところに沈んだのだ。
石のように硬いのではなくて、岩なのだ。体を起こし胡座をかく。幸いケガはないようだ。背中には濡れて重さが倍増したナップザック。脇のポケットからミネラル水を取り、一口飲んで落ち着く。それからウィンドブレーカーのポケットを探ったら、スマホがあった。良かった、落とさなかったらしい。
取り出してみると濡れてはいたが、普通に使える。懐中電灯のマークをタップすると、暗闇の中に白い光が差した。
「ケン。アキラ」
友の名前を呼びながら周囲の地面を照らすと、それぞれ離れたところに横たわっているのがみつかった。ケンが眩しそうに顔をしかめたからまずは彼のそばにより、
「おい、ケン。大丈夫か」
と声をかける。
「んん………」とうなり声。
背後で、アキラがもぞもぞする音がした。
「アキラ! 起きられるか」
ふたりの友はのそのそと体を起こして、「あれ、何をしていたんだっけ」「ここはどこだ」なんて呟いている。
「僕たちは沼にはまったんだ。だけど助かったらしい」
そう言うと、ふたりは状況を思い出して喜びの声を上げた。
「これで酒盛りのチャンスができた」とケン。
「ここを出られたらな」とアキラ。
アキラもスマホの懐中電灯を点け、辺りを照らした。僕は何気なく天井に光を向ける。と、しずくが落ちて来て顔に当たった。
「つ……」
光を受けた天井が、なんだか変だ。岩肌のように見えない。あまり高くはなく、手を伸ばしてジャンプをしたら届きそう。
僕は迷わず飛び上がり、手はとぷんと天井の中に入り、出るときにはしずくが飛び散った。
じっと手を見る。この感触は明らかに水だ。天井が水、とはどういう仕組みなんだ?
「おいっ!!」
アキラの切羽詰まった声がした。いつの間にかそばを離れたらしい彼が数メーター先で奥に向かってスマホを掲げている。その光の中には、頭にドリルのような角が生えた、怪獣としか言い様のない巨大な顔があった。目は閉じている。いや、よくよく見ればガラス越しだ。
「こっちも!!」
今度はケンの声。彼のスマホの光の中には、アキラのほうとは違ったヤツが、やはり目を閉じてじっとしている。
「……夢を見てんのか?」
ケンがスマホを上下に左右にと動かす。どうやら怪獣は巨大な円筒型の装置に入っているらしい。上部には銀色に光るふたらしきものがある。
「……やべえ……」アキラの声。震えている。「見ろよ」
促されて彼のスマホの光の先を見る。また違う怪獣だ。光が動く。新しい怪獣が照らし出される。更に光は動く。また、怪獣。怪獣、怪獣、怪獣……。
何体もの怪獣が、静かに眠っている。
「なあ、これさ」ケンがそう言って、怪獣の一体に近づく。「何て言うか、愛嬌がある。あんまり恐ろしくないっていうか」
「どこがだよっ」とアキラ。
「じいちゃんが子供のころに見ていたっていうテレビ番組の怪獣の雰囲気なんだよな」
確かに。そのテレビ番組は知らないけれど、どことなくユーモラスな形状をしている。僕はケンに並んで、怪獣を見上げた。
「……息をしているぞ」
怪獣の胸が上下して、口の辺りから僅かだが泡が出ている。ということはこの怪獣は生きている。作りものではない。中は水か何かに満たされているのだろう。
「どう見ても、怪獣を培養してる」ひとり離れたところから、アキラが震えたままの声で言う。「絶対これは世界の終わりと関係あるぞ」
「ええ? こんな日本の片田舎でか?」とケン。
だけど丁度その時、僕のスマホはおかしな文字を照らし出した。
「見てくれ」
僕はケンとアキラに声をかける。円筒型の容器に、子供が書いたような字で『ろんどん』とある。
「『ろんどん』って、イギリスのロンドンか?」とケン。
僕は隣の怪獣に移った。そこでみつかったのは『ぱり』。次は『べるりん』。他にも『ぺきん』や『わしんとん』『にゅーでりー』と各国の首都名ばかりがあった。『とうきょう』もあり、そこにいた怪獣は日本が世界に誇るあの怪獣によく似ていた。
「絶対、これって襲撃用だ」とアキラ。
「だな。俺たちすごい場所に来たんじゃないか?」とケン。
「こっちに通路があるぞ。行ってみよう」と僕。
ずぶ濡れの中年一歩手前の探検隊は、少年のころのように身を寄せあって慎重に進んだ。声を震わせていたアキラもケンと僕でサンドイッチにしたら、落ち着いたようだ。
この先、一体何が現れるのか。
ドキドキと高まる胸。こんなに興奮したのはいつぶりだろう。
──きっとユキと初めて手をつないだ時ぶりだ。
どうしてこのタイミングで彼女を思い出すのだと、僕は自分を呪いたくなった。
ユキ。彼女はアラサーの頃に付き合い始めた同い年の恋人だ。もちろん初彼女ではないし、とびきりタイプだった訳でもない。だけど僕はユキが大好きだったらしい。初めて手を繋ぐというだけで、まるで中学生みたいにドキドキした。
交際からひとつき後には一緒に住み始め、漠然と僕は彼女と結婚するのだと思っていた。
ただ彼女との毎日があまりに当たり前すぎて、求婚の機会を逸してしまっていた。そんなときに世界が終わるという政府発表があった──。
「光だぞ」
ケンの密やかな声に我に返る。どれほど歩いたのか、いつの間にか前方に光が見えた。
「あの感じだと手前がカーブしているな」とアキラ。「その先に何かある。明かりはやめよう」
僕は頷いて、懐中電灯をオフにする。電池残量が五十パーセントしかない。帰り──そんなものがあったらだが──に備えて節電しないとまずい。
「ここ、やっぱりあの山の中なんだな」とアキラがスマホを見ながら呟く。
画面を覗くとマップが起動されていて、現在地は僕たちが登った山のままだった。
「電波が届くんだ」とケンが静かに笑う。「生中継したらバズるかな」
「最期に有名人になってみるか」とアキラ。
「まずはあの光の元を見てからにしよう」と僕。
そうだなと意見はまとまり、僕たちは再び前進を始めた。
アキラの言った通りに通路は大きくカーブしていた。しかもそこからは岩肌ではなく、壁も床も天井もつるりとした質感の人工物で覆われている。そこをやや入った先に、いかにも悪のアジトにありそうな六角形の扉らしきものがある。
「これ以上は進めないか」
失意と安堵が入り交じった気持ちで僕たち三人は六角形に近寄った。サイズは縦横最大幅がニメートルというところ。これじゃ怪獣は通れない。
「どこかにボタンでも……」とケンが言いながら更に歩み寄ると、六角形は音もなく消えた。その向こうには無数のモニター。そしてこちらに恐らくは背を向けて立つ……。
僕たちは息を飲み込み、自分史上最速の動きで扉の前から壁際に逃げた。
再び六角形の扉が現れる。
心臓がドドドドと素晴らしく早く脈打っていた。息もできず身動ぎもできずに、六角形を見つめる。
何も起こらない。あれらは僕たちに気づかなかったらしい。
しばらくフリーズしていた僕たちだったけれど、やがて大きく息を吐き出した。
「見たか?」とケン。
「み、見た……」また声が震えているアキラ。
「なんだ、あれは」と僕。
扉の先は大きな空間だった。無数のモニターがあり、それぞれに人が映り何やら必死に訴えているようだった。その中には我が国の首相もいた。アメリカの大統領も。きっと他も全て、国家元首だったのだろう。
そしてモニターの前には、三体の生き物らしきものがいた。二本足で立ち、頭がひとつに腕は二本。人間に似てはいるけど、頭は巨大だし胴は樽のよう。二本の足はそれぞれお腹側と背中側から生えていて、全身は銀色一色だった。
「宇宙人か?」とケン。
「地底人かも。どのみち世界を終わらせようとしているのは、彼らだよな」と僕。「だけどなんでファンシーめの怪獣なんだろう」
「案外、真犯人と戦う準備をしている正義側とか」とケンが言う。
「だけどモニターの人たちは助けを乞うているように見えたよ」
「あいつらの好み」とアキラは言って、ゴクリと唾を飲んだ。「モニターのひとつで古い怪獣映画がやってた。『とうきょう』のケースにいた、あれ」
「なるほど。ということはやっぱり悪いヤツらか」
おもむろに頷いたケンはスマホを取り出した。「首相官邸に電話をしてみよう」
「電番わかるのか」
「あ、電波が入らない」ケンが辺りを見回す。「悪の施設内だからか。さっきの所まで戻ろう」
ケンは割合冷静で、普通にサクサク歩く。アキラは腰が引けていてケンにしがみついていて、僕はなぜかまた思い出してしまったユキの笑顔に動揺していた。
人づてに、彼女は新しい恋人と仲良くやっていると聞いている。ユキは僕のことなど、もう忘れてしまっただろう。
岩肌の通路に戻るとケンがさくさくスマホを操作する。
「首相官邸はホームページがあるから、そこに電話番号が載って……ないな」
「ないの?」とアキラが情けない声を出す。
「じゃあSNSに書き込んでおくか」
「おかしなヤツだと無視されないかな」
「でもやらないより、マシだろ」
「僕たちも。どうせだから最期まであがこう」
僕がそう言うとケンとアキラが顔を向けた。ニヤリとするケン。泣きそうなアキラ。
沼にはまった僕たちがどうやってここに来たのか。あの水の天井を通過したのだとしたら、元の横穴に戻ることは難しいだろう。ここで餓死するくらいなら、あがきたい。
「あいつらに仲間がいるかもしれないけど、見た限りは三体だった。僕たちも三人」
「一対一だ」とケン。
「でも人間の常識は通用しない」とアキラ。「僕たちが暴れたせいで、世界の終わりが前倒しになったらどうする」
「その可能性はあるな」と僕は腕を組む。
「だけど俺のメッセージを首相官邸がスルーして、七日後に世界が終わる可能性もある」とケン。
「だな」とアキラは言って、深いため息をついた。「俺の息子、まだ十歳なんだよ。もう3年も会ってないけどさ。あいつがたった十歳で未来が断たれるとか、悔しくて」
ケンがアキラの肩を叩く。
「うちの嫁さんも元気だったら、『ケン、行けえぇっっ!!』て叫んで、ついでに一緒に乗り込んでくれたはずだ」
「僕は、僕たちの探検を最高のものにしたい。このまま終わったらしょぼすぎる」
「その通りっ」ケンが力強く言って手を叩く。
「問題は武器だ」とアキラ。背負っていたナップザックを開けて「万能ナイフならひとつある」
「俺は鎌がある」とアキラ。
僕はううむと考えて、スマホの懐中電灯を点けて辺りを照らした。隅に崩れたらしい土砂の山がある。近寄って見れば、拳大の石もいくつか。
「よし」
僕はナップザックを下ろしてウインドブレーカーを脱ぐと石を包んで適当に縛ってみる。ぶんぶんと振り回すと、いい重みだ。即席にしては、使える武器だろう。
「俺も!」とアキラ。
ケンもジャージを脱ぎ出した。
「ヒーローにしては不恰好だけど、夏休みの探検にはちょうどいい戦い方だろ?」
僕が言うと、ケンとアキラはあの頃のような笑顔になった。
◇◇◇◇◇
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりと言われた日から七日経ちました」と言う。「先ほど政府が『危険は回避した』と発表しました。詳細は依然伏せられたままですが、識者の間では十四日前に首相官邸のSNSに書き込まれ、その直後に削除された『宇宙人のアジト発見。至急、対応を』とのコメントが関係あるのではないかとの見方が強まっています。また、……」
リモコンを手に取ると、つけたばかりのテレビを消す。
何がなんだか分からない。『三年後に世界が終わります』なんて政府が言ったせいで、私はショウと別れることになったのに、今さら回避されたなんて言われても。
本当に、実にくだらないケンカだった。『世界が終わるまでにやりたい10のこと』をお互いに考えて披露しあった。私はショウとのことで半分がうまってしまったのに、ショウが私とやりたいことはたったひとつで、しかも九番目だった。
スマホをタップしてメッセージアプリを開く。
十四日前。
信じられないことに、ショウからメッセージが来た。
『あの時はごめん。ユキが一番目に『ショウのおばあちゃんのお見舞いとご挨拶』と書いてくれたこと、嬉しかった。なのになんで僕は、素直に結婚を九番目にしてごめんと謝れなかったのかな。自分でもバカすぎると思う。本当にごめん。謝るのに三年もかかってしまったことも、ごめん。ではまたいつか』
今さら遅いよと思った。
だけど世界が終わるなら、最期に一緒にいたいのはやっぱりショウだった。彼と別れた後に付き合った男もいたけど、しっくりこなかった。もし今お互いにひとり身なら……。
そう思ってメッセージを送ったものの返信は来なかった。既読にはなっている。きっとショウのそばには他の人がいるのだろう。だから返事をくれないのだ。
せっかく世界は終わらなかったのに。
スマホのアルバムを開き、ショウと映った写真にチェックを入れる。幸せそうな私たち。最後に削除ボタンを……
「また今度でいっか」
画面をオフにしてスマホをポケットに入れた。
◇設定◇
ショウ(36)・・・美大を出てデザイン系の仕事に就いている。多趣味。ユキとは趣味のサークルを通じて知り合った。立派な中年だけど、本人はまだ一歩手前と思っている。本編で着ている服はノースフェイス。でも登山的なことは富士山の一回だけしかしたことはない。
ケン(36)・・・三人の中でひとりだけ違う高校(農業科)。大学でも農業を学ぶ。地域で若手農家をまとめている。妻は高校の同級生。本編で着ているのはミズノ。高校の部活で着ていたものがミズノ製品だったから、今でも愛用。
アキラ(36)・・・独り暮らしをしたいという理由だけで関西の大学に進学。不動産会社の営業職。同性の飲み仲間は多い。本編で着ているのはユニクロのスポーツウェア。買ったまま数年タンスにしまわれたままだった。
◇◇
こちらの一万字バージョンが、pixivで開催された 《日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト》の一次審査を通過しました。二次で落選。2021.7.22




