姫様の秘密
「して、少しは上達したのか?」
夕食の席、国王アセルスが向かいの席に座る娘に問いかける。
「え、ええ……お父様。バッチリです。」
舞踏の事であろうと察したアナスタシアがやや口ごもりながら答える。
そんな娘の返答に全てを察したアセルス王が眉間に指を添えて深いため息をつく。
これ以上お小言を言われては敵わないとばかりに、アナスタシアがわざとらしくナプキンで口を拭く。
「ふぅ……今日も美味しかったわ。ではお父様お先に失礼します。」
そう一方的に告げると慌ただしげに席を立ち自室へと向かう。
側に控えていたプリシアと数名の侍女が国王に頭を下げてアナスタシアの後を追う。
「やれやれ……あれには困ったものだ。」
それは一国の主ではなく世間一般の父親と同じ顔であった。
そんな国王の様子を見て控えていた侍女の数名が堪えきれず吹き出してしまう。
「ゴホンッ!……んん?」
娘に負けず劣らずわざとらしい咳払いをし、片目で侍女達を見る国王。
吹き出してしまった侍女達が背筋を伸ばして表情を作り直す。
これもまたアイソルのいつもの光景なのである。
※※※※※
夜の調理場、数名のコック達が食器を洗ったり片付けをしていると、入り口からヒョコッと中の様子を探るようにアナスタシアの顔が飛び出る。
それに一番新米の見習いコックであるトミーが気付き慌てて直立不動になり声を張り上げる。
「ひ、姫様!ご機嫌麗しうございます!こんな時間にこんな場所にな、なんのご用でしょうか!?」
顔を真っ赤にするほど緊張しながら捲し立てるトミーにアナスタシアも面食らってしまう。
するとトミーの後ろから頭2つ程大きい体躯の浅黒い大男がニュッと姿を現し、トミーの首根っこを掴み持ち上げる。
「こらっ!なにがこんな場所だ!ここは俺たちの戦場だろうが!」
トミーの耳元で肉食獣のように吠える。
「ひ、ひぃ……ジェス料理長!?す、すみません!」
怯えきったトミーが身を縮めてなんとか答える。
「おらっ!油売ってないでさっさと皿を洗いやがれ!」
トミーを下ろして眼光するどくジェスが言うと慌ててトミーが持ち場に戻る。
そんな一部始終を見ていたアナスタシアが少し困ったようにジェスに言う。
「もう……そんなに厳しくしたら可哀想よ。」
するとジェスが豪快に笑いながら答える。
「ガハハハ……姫様、今しがた言ったようにここは俺たちの戦場ですぜ。いわば俺たちは兵士だ。これくらいで根をあげるようじゃぁこの城のコックは勤まりませんぜ。」
ジェスは一見粗暴なように見えるがその実、コックに必要な繊細さも備えた男である。
人に厳しいがそれ以上に自分に厳しい男でもあり、その人柄からジェスを慕いこの城のコックを目指す者も多い。
それにジェスの厳しさは期待の現れでもあるのをアナスタシアも知っている。
先程のトミーという青年はきっと見所があるのだろう。
そんな風にアナスタシアが考えているとジェスが口を開く。
「で……姫様、今日も例のあれですかい?」
「うん、お願いできる?」
「ガハハハ、お安いご用でさぁ。少し待っててくだせぇ。」
ジェスが調理場の奥に引っ込み、しばらくすると小包を持って帰ってくる。
包みをアナスタシアに渡すと、その風貌とは不釣り合いなウィンクをしながら言う。
「どうぞ、しかし姫様も程々にしとかないと、また王様に叱られますぜ。」
「わかってるって。ジェスも内緒にしてよね。」
小声で話すアナスタシアにジェスが楽しそうに頷く。「じゃあ!」とジェスに手を振り目的の場所に走って向かうアナスタシア。燭台は壁にあるものの、やや暗い廊下を進むと部屋から明かりが漏れている目的地へ到着する。
兵士の訓練所にやって来たアナスタシアが調理場の時と同じように顔だけ出して中を覗くと、良かった……見慣れた兵士が一人しかいない。
兵士はこちらに背を向け剣の素振りをしている。
アナスタシアが安心したように声をかける。
「ミアソフ!今日も剣術の稽古よろしくね!」
アナスタシアの気配にずいぶん前に気づいていた近衛兵長のミアソフが落ち着いた様子で振り向く。
「姫様、今日もですか?いつも申し上げているように姫様に剣術は必要……」
「あるの!」
ミアソフが言い終える前にアナスタシアが遮る。
もう何十回何百回繰り返した問答である。ミアソフも半分諦めてはいるが近衛兵長という立場上すんなり従うわけにもいかないのだ。
「ふぅ……承知致しました。それではいつも通り木剣を。」
「うん!」
嬉しそうに壁沿いに片付けてあった木剣を手に取るアナスタシアを苦笑しながら見つめるミアソフ。
素振りをしていた鉄の剣を壁に立て掛け、代わりに自らも木剣を手に取る。
アナスタシアが持ってきた包みを脇のテーブルに置いたらミアソフの前にたつ。
お互いを見つめながらラザードが口を開く。
「では……」
それを合図に木剣を構える二人。
「ハッ!」
先に仕掛けたのはアナスタシアだった。
ミアソフの左肩を狙い木剣を振り下ろす。
それを事も無げに切っ先を下に向けた木剣で受け流すミアソフ。
アナスタシアが身体を回転させ横薙を仕掛けるがミアソフは又しても木剣で受け止める。
構わず連擊を続けるアナスタシアだがミアソフは悉く受け止め、捌いてしまう。
アナスタシアの呼吸が激しくなってきたのを機にミアソフが反撃に転じる。
お手本の様な斬擊を繰り出すミアソフ。
アナスタシアが反応できるギリギリの速度で斬りかかる。
アナスタシアも荒削りながら木剣を使いミアソフの斬擊を捌いていく。
ドンッとアナスタシアの背中に衝撃が伝わる。いつの間にか壁際に追い詰められていたようだ。
頬を汗が伝う。
張り詰めた空気の中、それでもアナスタシアはミアソフから目を離さない。
「姫様……御免!」
ミアソフがアナスタシアの肩を目掛けて木剣を振り下ろす。
その刹那、アナスタシアはミアソフの身長よりも高く飛び上がり背面の壁を蹴り身体を捻ってミアソフの背後に着地した。
間髪入れずにミアソフに斬りかかるアナスタシアだがそれより尚早くミアソフが身体を反転させ遠心力を込めた横凪ぎで、アナスタシアの木剣を弾き飛ばした。
無手となったアナスタシアの首に木剣の先端を突き付けミアソフが言う。
「勝負ありですな。」
「ハァハァ……ま、参りました……」
アナスタシアも素直に敗北を認める。
アナスタシアの頬を汗が一筋伝って、訓練所の地面に落ちた。
※※※※※※※※
「あーあ……今日こそ一撃入れられると思ったんだけどなぁー。」
ジェスに作ってもらったサンドイッチを頬張りながら椅子に座ったアナスタシアがぼやく。
「いや、今日は私も少し危なかった。また腕を上げましたな姫様。」
誉めるべきかどうか迷ったミアソフだが素直な感想をいうことにした。
ミアソフに誉められたアナスタシアが少し得意気に答える。
「えへへ……そりゃ毎日素振りしてるし、剣術だけでなく体術も書物を読みながら一人で鍛練してるからね。」
「はぁ……左様ですか。」
ミアソフが主君たる国王の心労を言葉には出さず労っていると、サンドイッチを食べ終えたアナスタシアが立ち上がる。
「よし!休憩終わり!次こそは一撃入れてみせるんだから!」
アナスタシアの宣言にミアソフは呆れ半分で返答する。
「やれやれ……困ったものだ……」
こうしてアナスタシアの秘密の訓練は繰り返されるのである。訓練所の小窓からは丸い月が覗いていた
拙い文ですがお読み頂きありがとうございました。コメントなど頂けると励みになりますので宜しくお願いいたします。