4-3
4-3.李遼(父)
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「料理って難しいものね」
「そうだな」
焼き菓子を作ったはずが、窯から取り出したのは完全に炭と化した黒い物体だった。
何故かしら、と平坦な声で呟きながら白髪の女性は首を傾げた。
薪の量が多かったのか、竈に長く放置しすぎたのか。どちらにしろ彼女――芭麗鈴が料理をすると毎回炭になるのだから不思議だ。
もしかしたら、火神の加護を受けていることも関係しているかもしれない。
黄潤は炭化した焼き菓子を頬張っている。何の問題もないように咀嚼し、自分で淹れた茶で流し込んでいる。
そこに通りがかったのは、黄潤と共に傭兵団の団長を務める安慈だ。
赤い刺繍の入った手拭いを額に巻いた安慈は、黄潤が炭の塊を頬張っているのを見てギョッと暗い緑色の目を剥いた。
「誰だ芭麗鈴に料理させたの!?毎回ダークマター製造しちまうんだから止めろよ!」
「俺だ」
「お前かよ!?」
「久々に甘藷の焼き菓子が食いたくなってな。芭麗鈴が作ってくれた」
安慈に堕阿苦魔汰阿と呼ばれた物をもさもさと食べる姿に、芭麗鈴は平坦な表情のまま胸をときめかせた。
平素は凛々しくも穏やかな青年のように、部下たちの前では将軍の如く堂々とした立ち振る舞いをする団長だが、小動物のようにバリバリもさもさと炭を頬張る姿との差異が最高に可愛らしい。
芭麗鈴は黄潤に恋をしていた。
刃の切っ先のように、凛とし精悍さのある端正な横顔。
男にも見劣りせぬ長身に体格、鍛えられた逞しくしなやかで長い手脚。
女性にしては低すぎる声は耳に心地よく、光を浴びると黄金色に輝く琥珀の瞳は、本物の宝玉よりも価値がある。
傭兵団を率いて勇猛果敢に敵軍を屠る姿は、まさに豪傑というに相応しく、それでいて団員達には公平に接し、皆から信頼されている。
清廉潔白と称されると黄潤は眉を顰めて嫌がるが、その姿は謙虚さが滲み出てより好感が持てる。
傭兵団の女性団員の半数以上は、黄潤に恋をした経験がある。そこまで女子から人気があっても女であるために男団員から醜く僻まれることもなく、むしろ男たちからも憧れの目を向けられている。
そもそも、この傭兵団は戦で家族や故郷を喪ったところを、黄潤と安慈に拾われた人間で構成されている。行き場を失い、失意に沈んでいたところを救い上げてくれた恩人を嫌う者などいるはずもない。
傭兵団における『抱かれたい人順位』で男女どちらからも支持を受け、堂々の一位の座に君臨していることは周知の事実だ。ちなみに次点は安慈と劉覇が同列に位置している。
「いやいや、頼む相手を考えろよ」
呆れた声を出しながら、安慈も炭を取り上げて口に運ぶ。しかし黄潤と同じようにバリバリもさもさと食べる顔は渋面だ。
「安慈、無理に食べなくてもいい」
「莫迦言え。兵糧は限りがある、一つも無駄にはしねえよ。それに食えんこともな……ごほっ」
芭麗鈴の静止にそう返す安慈だが、流石に苦いのか噎せる。すぐに黄潤が余っていた湯呑に茶を淹れて手渡して、安慈はその茶で口の中の炭を胃に流し込んだ。
そしてもう一つの炭を手に取って再びバリバリと頬張る。
安慈が二つ目を咀嚼している間に、黄潤は三つ四つ五つと完食し、最後の一つを口に放り込んだ。
傭兵団の二団長が炭を頬張る異様な光景を、団員たちは遠巻きに見守っている。
やがて茶でゴクリと炭を嚥下したお互いの顔を見て、黄潤と安慈はケラケラと笑い始める。唇が炭で真っ黒になっていたからだ。
二人に水で濡らした手拭いを渡しながら、芭麗鈴は胸中でため息を吐く。
黄潤と安慈は元服する前――少年時代に出会い、長年苦楽を共にした仲だ。互いに信頼し合い、義兄弟の契りも交わしている二人の絆の間には入り込む余地すらない。
芭麗鈴はそれが悔しい。
同性の黄潤に振り向いてもらえないのはわかるが、かと言って友として彼女の一番になることもできない。
そして安慈を嫌うこともできない。優しく男気があり、文句を言いながらも芭麗鈴が作った料理を余さず食べてくれるのは、黄潤以外には安慈しかいない。
芭麗鈴は自らの白く長い髪の毛先を弄ぶ。
四年前、彼の国に故郷を襲われ、幼い弟たちを焼き殺された時に、芭麗鈴の髪は色が抜け落ちてしまった。同時によく笑う少女だった彼女は表情も失い、蝋人形のように動かない顔になってしまった。
炭と灰になった弟たちの遺骸を前に、抜け殻のように蹲っていた芭麗鈴に手を差し伸べてくれたのは黄潤と安慈だった。
この二人がいなければ、今の自分はいないのだと芭麗鈴も理解している。
仲間以外には表情の変わらぬ顔を気味悪がられたが、どんな時も冷静に見えて頼もしいと団員達からは受けがいい。
実際、弟たちが焼かれた時を思えばどんなことでも対処できる。その腕を買われ、今や黄潤の副官にまで上り詰めた。
しかし、安慈のように黄潤と肩を並べることはできない。
いつも一歩引いて、二人の背中を眺めることしかできないことが歯痒かった。
「馳走になった。すまんな芭麗鈴。手間をかけさせた」
「ご馳走さん。次に料理するときには呼んでくれや。一緒に火の番くらいはできるぞ」
唇を拭った二人は笑みを浮かべながら芭麗鈴を労わる。
蕉麗鈴はそれに頷き、後片付けを始めた。黄潤と安慈も簡易竈に残った灰を片付ける作業を手伝いながら、他愛無い話に花を咲かせる。
「そういや黄潤、甘藷の焼き菓子ってアレだよな?確か叔父さんが大泣きしたっていう思い出の」
「そうなの?」
初めて聞いた話に芭麗鈴は目を瞬かせた。
黄潤に話を聞けば、甘藷の焼き菓子は父の家で、よくおやつとして出されていた品らしい。しかし、それを初めて口にした日は大変だったという。
「生家から出たばかりで、俺も意固地になっていてな。いつの間にか隠し子がいたと知らされた父たちの世話になるわけにもいかん。自立せねばという考えに囚われていた。とりあえず、少しでも栄養を取っておこうと、目の前にある菓子をひたすら食っていた」
それが甘藷の焼き菓子だという。懐かしそうに琥珀色の瞳を歪めて黄潤が笑う。
「しかし父と叔父は俺を説得してくれた。二人のあまりの必死さに、父の世話になると決めたのだが……決めた途端、叔父が泣き出してな」
おいおいと男泣きする叔父を、父と二人で宥めたのはいい思い出だと黄潤は朗らかに笑うが、その横顔は少し寂しげにも見え、芭麗鈴は目を伏せた。
黄潤は父方の家では可愛がられていたという。父や叔父はもちろん、祖父や義母との関係も良好だった。
そんな恵まれた環境から出奔しなければいけない理由があったと、以前話していた。
家族を戦で喪った芭麗鈴とは違い、黄潤の大切な人は生きている。しかし会いたいのに会いに行けないという、芭麗鈴とはまた違った辛さを抱えているのだろう。
芭麗鈴が無表情ながらもしんみりと思っていると、掃除のために簡易竈に安慈が風神の力を使ったのか、残っていた灰が濛々と立ち上がった。
もろに灰を被った黄潤と安慈が咳き込みながらも、真っ白になった互いの姿にまたゲラゲラ笑い始める。
その二人の姿に子供のころ、じゃれ合っては笑い合っていた弟たちを思い出し、芭麗鈴は呆れとも笑いとも取れるため息を吐いた。
そして、いつも凛々しい顔もいいけど、子供のように笑う黄潤も素敵、とひそかに胸をときめかせていた。