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8-6

8-5.王烈(叔従父)



******



 しばらくの間、二人の会話を微笑ましげに聞いていると、一つ相談をよろしいでしょうかと雇い主が話題を変えた。


「捕虜たちについてですが、家族の下に返してやりたいと思っています。呉条に与したとは言え、彼らもこの地の民草。粗末に扱うことはできません」


「この軍の大将は呉圭殿だ、好きにされよ」


 呉圭は砦に入った後、真っ先に敵兵の遺体の前で手を合わせ、死者を手厚く葬るよう命じていた。捕虜の扱いに関してはそう言うだろうと予想していた。

 それに黄潤たちは呉圭に雇われた傭兵である。捕虜の処遇や砦の管理などに関与する権限を持たない。しかし助言するくらいならばいいだろうと、黄潤は顎を撫でた。


「だが、そうだな。解放する捕虜たちには食糧を持たせてやるといい。戦に敗れ、故郷へ戻ることに抵抗を感じる者もいよう。だが手土産の一つでも持てばそれも薄れる。故郷に戻らぬ者もその食糧でしばらくは飢えを凌げるだろう」


「なるほど、それは名案です!」


「幸いにもこの砦には兵糧がかなり貯めこんでいる。捕虜たちに持たせても、余裕があるほどにな。

 下級の兵たちはそれでいいとして……拠点兵長や将はそうはいかん」


 その言葉に呉圭の顔が曇る。敵将とはいえ、彼らもまた呉圭が愛する民に変わりないのだろう。


「彼らも帰してやりたいのですが……」


「奴らが戻るのは呉圭の下だ。呉圭の下に戻った途端、処刑されるのは目に見えている」


「な、なぜですか?捕虜になったとはいえ、彼らは呉圭に忠を捧げた者たち。それを処刑など」


「呉条は口封じに配下を手に掛けるような卑劣で疑り深い男だ。そんな男が、捕虜になって将が無傷で戻ってきたのを見てどう思うか、考えるまでもあるまい」


 黄潤が腕組みをし、砦の外を睨みつけた。

 多くの戦場を渡り歩き、残酷な現実を見続けきた黄潤は敵対する呉条という男の残忍さを見破っていた。


「何かの計略で解放された、あるいは裏切り者、間者として自分の陣に戻ったと奴は思うはずだ。場合によっては一族郎党皆殺しにされるだろう」


 呉圭の顔から血の気が引く。思ってもいないことだったのだろうが、黄潤の推測を否定せず項垂れた。


「呉条ならやりかねない……いえ、間違いなくそうするでしょう。捕虜になった将たちは解放せずにこの砦に留めておくことにします」


「それがいい。そして解放する一般兵たちには『拠点兵長や将たちは尋問されても何も話さず、呉圭殿は困っている』という噂を流しておけば、呉条は捕虜になった者たちの家族には手出しできん。手を出した途端、捕虜たちが口を割る可能性があるからな」


 実際にはまだ尋問らしい尋問はしていない。明日から呉圭直々に捕虜になった将たちに話を聞くことになっているが、この心優しい領主が尋問らしい尋問ができるとは黄潤も乾永も考えていない。

 それでも噂を流しておけば、捕虜たちの家族の安全は保障される。


「妙案です!彼らも呉条の下に残してきた家族を案じているはず。明日、彼らと話した後にその噂を広めさせましょう」


「ああ。懸念があるとすれば、留め置いた捕虜たちが暗殺される可能性があるということだ。重要な情報を持っている者がいた場合、口封じのために暗殺者を送り込んでくるだろう。捕虜たちを守りたいのであれば警備を厚くする必要がある」


 敵に付いた将の命をわざわざ暗殺者から守るために兵を割くなど普通では考えられないが、呉圭は黄潤の意見に深く頷いて見せた。


「彼らも我が土地の民。見捨てるつもりはありません、すぐに警備の者を増やしましょう」


 呉圭の瞳に強い意志の光を見た乾永がほっほっ、と笑い声をあげた。

 頼りなさそうだった男が、なかなかどうしてこの短時間で立派になったものか。


「黄潤団長、第二部隊から幾人かを敵将たちの()()()につけてはいかがか?」


「俺もそれを考えていたところだ。乾永、人選は任せる」


 乾永が出した提案に黄潤がニヤリと笑い、呉圭は驚きに目を見開いた。

 呉圭からすれば、傭兵団は精鋭とはいえ二百余りの兵しかいない。例え数人であっても抜けてしまって問題ないのかと疑問に思っても無理はない。

 困惑する呉圭に向かって、黄潤は不敵な笑みを見せる。


「この砦を攻めたときにわかったことだが、敵陣は士気も練度も低い。我が傭兵団は数人抜けたところで、敵に後れは取らぬ。

 案ずるな呉圭殿。我等が、必ずや貴殿に勝利を(もたら)そう」


 月の輝きにも似た黄金琥珀の瞳を煌々と光らせて言い切った黄潤に、呉圭は息を飲み、そのあと肩から力を抜いた。緊張が一気に失せたのか、ははと笑い、眉尻を下している。


「ああ、本当に、本当に貴殿にお話しできて良かった。流石は『驍勇無双の黒麒麟』。噂に違わぬ人となり、感服するばかりです」


 呉圭の言葉に黄潤は後ろ頭をガリガリと掻いた。

『驍勇無双の黒麒麟』とは、戦場を渡り歩く黄潤にいつの間にか付いた渾名だ。


 今まで傭兵団を雇った者たちの多くが徳の高い人物だった。彼らに力を貸し勝利を齎した黄潤は、いつの頃からか仁君の前に現れる瑞獣(ずいじゅう)・麒麟に例えられるようになった。

 漆黒の甲冑を纏っているため黒麒麟と称され、傭兵団を率いて常に前線で戦い続けるため、現在の渾名になっている。


 もう一人の団長である安慈は麒麟と対にあたる鳳凰に喩えられ『蒼天嚮導の白鳳凰』と呼ばれている。白い紙鳶で蒼天を駈け、仁君を勝利へと導くが故についた渾名である。


 黄潤も安慈も渾名で呼ばれると渋い顔をする。

 黒麒麟と呼ばれる黄潤は自分はまだ未熟ゆえにそう呼ばれるのは早すぎると謙遜し、白鳳凰と呼ばれる安慈は『中二病まっしぐらな渾名はやめてくれ、そんな渾名で呼ばれて喜ぶ歳じゃねえよ』と嘆く。

 乾永は中二病が何かは知らないが、どうやら安慈は恥ずかしがっているようだ。


 乾永からすれば両団長とも誇り高き名将であり、付けられた渾名に見劣りするようには思えない。故に孫ほどに歳の離れた団長たちを見ながらほっほっ、と笑うのが常である。


「……呉圭殿、風が冷たくなってきた。そろそろ戻った方がいい」


 あまり触れられたくない話題を切るように黄潤がそう促す。

 護衛を連れていない呉圭を兵営まで送るつもりなのだろう、黄潤は梯子を使わずに防御壁から飛び降りた。

 三階建ての建物に相当する高さから音も無く着地した黄潤に呉圭はやや呆然とした後、慌てて梯子に掴まった。

 しかし慌てたのが悪かったのか、本人の運動神経の無さが原因か、あろうことか呉圭の足が梯子からずるんと滑った。


「ひぃっ!!!???」


「おや、なんと」


 恐怖に顔を引きつらせた呉圭が落ちていく様に、しかし乾永は特に顔色も変えず、防御壁の下を覗き込んだ。

 乾永の目に入ったのは、呉圭を両腕でしっかりと受け止めた黄潤の姿。

 逞しき傭兵団団長は不慮の事故であっても即座に対応が可能だ。呉圭が足を滑らせても乾永がまったく慌てなかったのは、黄潤が万が一に備え、下で待機しているのがわかっていたからである。


 流石は黄潤団長、と頷き乾永も梯子を使わずに防御壁から飛び降りた。七十に手が届くほど齢を重ねてはいるが、風神の加護で衝撃を緩めれば着地は容易い。

 例え肉体が衰えようと培った技は失われておらず、この老兵はまだまだ現役から離れる気はなかった。

 スタリ、と事もなく乾永が着地したとき、黄潤は腕の中にいた領主を丁寧に地へと下していた。


「呉圭殿、怪我は無いか?」


「……………」


 黄潤がそう声を掛けるが、呉圭は返事をしない。ただぼんやりと黄潤を見つめている。

 よもや怪我でもしたのかと乾永が呉圭をよく見ると、篝火に照らされたせいだけではないとわかるほど、顔が真っ赤に染まっている。黄潤を見つめるその目は、熱に浮かされているように潤んでいた。


「呉圭殿?」


「あっ、え、ええ、大丈夫です……」


 心配した黄潤が顔を覗き込むと、呉圭は真っ赤になった顔を慌てて伏せて消え入るように怪我はないことを伝えた。

 その様子を何と捉えたのか、黄潤は眉を顰める。


「俺が下にいたから良かったものの、あの高さから落ちては怪我では済まない。呉圭殿はもう少し己の立場を自覚されよ」


「は、はい、お、お返しする言葉もありません」


「それと護衛も我が団から数名つける。どうにも貴殿は危なっかしいところがあるようだ。今日のところはこのまま俺が護衛を務めよう」


「えっ、本当ですか!?よろしくお願いします!」


 苦言に対して顔を赤くしたままモジモジしていたかと思えば、黄潤の提案にパァっと顔を輝かせて返事する領主の姿に、乾永はほっほっと笑う。


 黄潤は美形というよりかは精悍さのある、所謂男前な顔立ちをしており、また逞しい肉体を持っている。それゆえに、こうして危ない場面に遭遇した人々を救うと、その頼もしさから男女に関わらず惚れられてしまうことはよくあることだ。

 流石は黄潤団長。「抱かれたい人第一位」「婿に来てほしい将兵筆頭」と呼ばれる人。雇い主の心を掴んでしまうのは、さて何度目だったか。


 黄潤に護衛を人選も命じられた乾永は、兵営へ向かう二人の後姿を見送る。

 呉圭はしきりに黄潤の趣味嗜好を聞き、恋人や伴侶がいるかと聞いているようだ。さらに、この戦いが終わったら娘を紹介させてほしい、などとも言っている。


「ほっほっ、さてさて、戦の後は速やかに撤退するか否か……両団長の心次第ですな」


 老兵は白い髭をなでながら軽やかに笑い、仕事の順序を頭の中で整理し始めた。

 呉圭と捕虜の護衛の選別はもちろんだが、呉圭が連れてきた兵たちの訓練も必要だろう。戦に馴れぬ兵など幾らいても邪魔になるだけだ。それに、今後ますます義勇兵の数は増えるだろう。


 捕虜たちに食料を持たせるように進言したのは、何も捕虜たちの身を案じてだけではない。食料を持たせることで不要な略奪を防ぐ、そして兵力の増加を促す狙いがある。

 捕虜に食料を持たせて解放した呉圭の名は、特の高い人物としてすぐに民衆たちの間で話題になるだろう。そしてこの内乱を呉圭が治めれば、この地は仁政が敷かれ、もとの平和を取り戻す。そう信じた民の多くが呉圭を支持し、新たなる統治者の下へと集まる。


 清廉潔白だけでは世は渡っていけぬ。傭兵団を率いる黄潤は今までの経験からこのような戦略をとることもある。

 すべては勝利のため、そして団員を食わせていくためである。


「まだまだ、団長たちの苦労は絶えませぬなあ」


 乾永としては、孫ほど歳の離れた団長たちには傭兵などという血生臭い道ではなく、もっと楽をしてもらいたいと思わないでもないが、他ならぬ本人たちが選んだ道である。それを己が命の燃え尽きるまで支えることを、乾永は善しとしていた。

 

 月が雲に隠れ、篝火がぞろりと揺れる。

 その火の光に目を細めた乾永は、己の使命を全うすべく、兵営へと足を向けた。




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