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8-2

8-2.王烈(叔従父)



「いや、駄目だよ。許可できるはずないでしょ?」


 青みがかった髪の髭面の大男――氷涼国で最も高貴な身分である皇帝は困ったように眉を下げた苦笑顔で俺に告げた。

 拝謁を許された俺は宮中の中庭にある四阿(あずまや)で先ほど李遼と話した内容を奏上したが、素気無く却下された。


「恐れながら陛下、妖獣退治であれば鎮北将軍でなく私でも問題ございません」


(けい)の有能さはよく知っている、何度も助けられているからね。でもさぁ、今卿に帝都を離れられると困るんだよ。南や西がきな臭いからね」


 その言葉に俺の眉間に皺が寄る。南と西とは、先代皇帝を担ぎ上げた勢力のことだ。


 九年前、帝位継承争いによってこの国は二つに割れた。

 当時、帝位継承権を持っていたのは先々代皇帝の息子二人。先々代皇帝は時代の帝には兄を指名していたが、それに反発したのが野心に燃えた南と西の有力者たちだ。

 武力衝突はなかったものの水面下では謀略が張り巡らされ、多くの家が没落した。

 李遼が殺人の罪を着せられて放浪する羽目になったのも、その争いに端を発する。


 この継承争いの末に兄が身を引き、弟が即位が決まったが、それからというもの氷涼国は目に見えて衰退した。

 南と西の各地で大規模な干ばつ、洪水、冷害、疫病が頻発し、さらに妖魔妖獣が大量発生した。その煽りを受けた他の地域でも多くの民が困窮し、国は荒れた。


 そして即位から僅か一年と経たずに先代皇帝は体が凍るという謎の病を受け、崩御。跡継ぎになるはずの先代皇帝の子は玉座に座ることなどできぬほど幼く、しかも病弱だった。

 宙に浮いた空の玉座に収まったのは、一度身を引いた兄――現皇帝だ。


「先々代が指名したのは朕だったけど、弟がどうしてもやりたいって言うから身を引いたのにね。やる気のない朕よりもやる気のある弟の方がずっと適任だったと思うんだけど……天命ってのは人智では計り知れないものだよ、まったく」


 ため息を吐きながら陛下は茶を啜った。

 陛下は先代皇帝である弟のことは嫌いではなかったという。むしろ多少愚かではあるが暗愚と言うほどではなく、覇気がある弟に親しみを持って接していたそうだ。

 長生きしていれば為政者としては悪くはなかったはずだ、と以前語っていた。もっとも俺から見れば、先代は権力に群がる凡俗共に担ぎ上げられた無能だが。


 現皇帝は即位後、困窮した民を救い、法を整え、妖魔妖獣を討伐し瞬く間に国を立て直した。今では賢帝と呼ばれ、その地位を盤石なものにしている。

 しかし、争いの残り火は未だに消えていないらしい。


「今度は朕の甥っ子を担ぎ上げようっていうんだよ。ほんと莫迦莫迦しい。朕にもっと力があれば潰せる……まあ今でもちょっと頑張ればやれないこともないけど、流石に代償が大きすぎる。それこそ血で血を洗うことになっちゃうし」


 甥っ子とは幼さと病弱を理由に玉座に着かなかった先代皇帝の嫡子のことだ。

 俺も南と西に対しては警戒を怠っていない。あの継承権争いを始めた欲深くも頭の悪い連中がこのまま黙っているとも思えなかった為、絶えず間者を放ち情報を集めている。

 どうやら皇室の方が南と西に対しての警戒は強いらしい。俺がまだ持ち得ていない情報を手にしているのがその証拠だ。


「甥っ子はさあ、父親のこともあって引きこもり状態だってのに。あの子に何をさせようってんだか。うちの息子ものらりくらりしてるし……あーもう、皇帝とか廃業したい。マジで誰か代わってよ」


 めんどくさい、めんどくさい、と嘆きながら陛下が長椅子にゴロリと倒れこむ。そこには威厳の欠片もないが、瞳にある聡明な光が失われることはない。


「できれば兵力は温存しておきたい。本当は李遼将軍も行かせたくないくらいだけど、張威(ちょうかい)は数少ない朕の友人だからできる限り支援したい。

 だったら一万の兵を出して半分しか戻ってこないより、確実に帰ってくる李遼将軍に行ってもらう方がいいと思うんだよ。というか、船に慣れていない大量の兵を送ったところで張威の邪魔にしかならないし」


 陛下は一度継承争いから身を引いた際に、幼い頃からの友人であった張威将軍の下に身を寄せていた。それを今でも恩に感じているらしい。

 それに、と身体を横向きに変えて髭を生やした顎を撫でながら俺の顔を見上げてくる。


「卿は南と西に対抗できるほどの軍事力と宮廷であの狸どもと遣り合えるだけの頭を持ってる。李遼将軍も頭は切れる方だけど卿ほどじゃない。

 何より、卿は諸侯の中で最も信用できる人物だ。できれば傍にいてもらいたい」


「……私などが、陛下にそれほどまでに高く評価していただいているとは、思ってもいませんでした」


 確かに俺は諸侯の中では現皇帝派であり、目をかけられているとは思っていたが、まさかそこまでの信を置かれていたとは。

 意外に思っていると陛下は低くよく通る声で笑う。


「そりゃあね。皇族の出で朕と同じ髪の色してるのに、卿は全く玉座に興味がない。それどころか皇帝という地位、いや、この国の身分制度そのものをよく思っていない。むしろ邪魔なものだとさえ考えている。そうだよね?」


 その言葉に一瞬身を固くしたが陛下はにたりと頬を歪め、朕もそうだから、と小声で言う。


「身分に縛られて、やりたいことがやれないってのは本当に窮屈だよ。朕は玉座なんかよりも船が欲しかった」


「船ですか?」


「そう。あんまり大きくなくていいから、丈夫で操りやすい船。入り組んだ浅瀬でもスイスイ走れるんだ。それで天気の良い日は海に出て一日中のんびり釣りをして、夜は波の音を肴に一杯やる。朕の夢だよ」


 子供が夢を語るような顔で、しかし決して叶わぬ夢であると達観した色が滲んでいた目で陛下は一瞬だけ笑った後、すぐに顔をだらしなく崩した。


「ああ、ほんと海はいいよね。白い砂浜に青い海と空。鴎が鳴き、波と戯れるうら若い女子たち……」


 帝位に着く前、若い頃の帝はそれはもう女好きと有名だった。海でもずいぶん遊んだのだろう。海を思い馳せる顔は今日見た中で一番幸せそうだ。

 それを好機と見た俺はそれに乗ることにした。


「陛下、私は日に焼けた小麦色の肌の乙女たちもいいと思います」


「それもいいよね!健康的な肌を伝う汗に弾けるような笑顔」


「東方の乙女たちのたわわに実った胸と、着物から出された長く引き締まった足」


「すごくいいよ、彼方は薄着だから最高」


「差し出される冷たい飲み物と、暑さに紅潮する頬と潤む瞳」


「いいよいいよ!その場でどちらも美味しくいただきたいね!」


「そんな魅力あふれる海に行きましょう!」


「はは、駄目だよ」


 すげなく却下されて俺は舌打ちをする。

 夏の開放感に身を任せて言質さえ取ってしまえばと思ったが、そう上手くいく相手でもなかったようだ。

 さて、どうしたものかと考えていると肩肘を立てた上に頬を着きながら陛下が苦笑した。


「卿も諦めないねぇ。そんなに姪っ子、いや従姪が可愛いの?自分の娘もいるでしょ?」


「何を仰います陛下。娘は妻にできぬではないですか」


「……うん?」


「今は『爸爸(パパ)のお嫁さんになる!』等と、史上最高に愛らしくも嬉しいことを言ってくれますが、あと数年もすれば他所から男を連れてきて『お父様、私、この人に嫁ぎます!』って過去のことはなかったことにされるのですよ?まあ実際、この国の法では娘を妻にはできませんし」


「そ、そうだね??」


「それに対し、いとこ同士の婚姻は認められており、従姪も妻にできます。年も離れているとは言え、たかだか十八程度。婚姻を結ぶのに問題ございません。

 故に、いずれ美しく成長する未来の我が妻を今から可愛がることに、何の迷いがありましょうか!」


 そう言い切ってキリリと顔を正せば、会話が聞こえぬように少し離れていた場所に控えていた女官たちが小さな声を上げてよろめき、宦官たちは赤らめた顔を伏せた。


 俺の顔を直視した陛下はというと、困ったように眉を下げてへらりと笑みを浮かべる。


「うーん、卿のことは前から結構突き抜けてると思ってたけど、何というかちょっと……その感覚はすごいね。あと卿の顔がすごく美しすぎて眩しいから光飛ばすのやめて」


 オジサン目がチカチカしちゃう、と軽くため息を吐いた陛下は懐から書簡を出し、俺に渡した。

 陛下の了解を得てから書簡を解くと、そこに書かれていた内容に俺は目を見開いた。この半年、俺が欲して止まなかった情報と、陛下の勅命が書き記されていた。


 のぼせ上っていた頭が冷え、視界が透き通る。

 脳は瞬時に活動を始め、数多ある選択肢の中から行う処理を明確に仕分けていく。


「それはあげるよ。南への牽制にもなるし卿の好きに処理して構わない。その代わり、今回は帝都で朕とお留守番ってことで手を打たない?」


 片目を瞑って見せる皇帝陛下に、俺は恭しく頭を下げた。

 怠惰で適当そうに見える皇帝ではあるが、こういった駆け引き、飴と鞭の扱い方は非常に巧い。

 そして周囲の者の扱い方、適材適所を見極めてそれを実行させる能力は一級品だ。国を治める者としてまさに相応しい才能である。

 だからこそ、俺はこの御方にお仕えしているのだ。


「謹んで拝命致します。我が忠誠は陛下の元にございます。今後もご期待に沿えるよう、邁進してまいります」


「うん、まあ一つ、よろしく頼むよ」


 へらへらと笑う陛下に、俺は逸る気持ちを抑えて深々と頭を下げた。誰にも見えないよう顔を伏せたまま、口角が歪み引き上がるのを抑えられない。

 俺の身体から漏れ出た冷気が、僅かに床を白く染めたのが目に入った。


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